2014 春、 沖縄の旅      4/1〜4/

今回は7人の旅になった。辺野古・高江・普天間基地等を中心に回った。

辺野古

/1の午後、4/3終日と、座り込みに参加した。春休みで来場者は大変多かった。テント村代表の安次富さんに辺野古の説明をしてもらった。辺野古には、普天間基地にない弾薬庫があり、大型艦船が停泊できる港も造ることができる。辺野古に造ろうとしている基地は普天間基地の代替基地ではなく、新しい基地であり、基地の強化であるということであった。また、沖縄の経済は米軍基地があるから成り立っているという話は誤りである。基地がなくなれば街の収入は20倍、30倍に増え、雇用も数倍になることを、北谷や副都心を例にしながら実際に数字を挙げて説明してもらった。

Mさん作成のバナーを2枚を金網に付けに行った。最近はバナーを張っても張っても米軍兵士や基地賛成の人たちに取られてしまうそうである。皆でバナーやリボンをつけたり、女性たちは浜にある木くずや草花を利用して生け花を活けたりと、のんびり過ごした。また、浜に後から来た若い夫婦は、打ちあげられたガラクタを利用して、フェンスに現代アートを作成していた。

美しい海に流れていく静かな時間、せわしなくなっていく世間と異なった空間、こんなにも美しい海に、人を殺すための基地など必要ない。

高江

 4/2は高江に行った。高江は鳥たちの営巣期間の6月までは工事は中止になる。したがって、工事の阻止行動も小休止状態であった。ヘリパッドはN4地区が完成してしまい、次はN1地区の攻防になる。高江は場所が広いため、人はどこからでも工事現場に入ることができる。工事を止めるには機材を現場に入れさせないようにする。そのためN4地区のゲートのすぐ前に監視テントが張られていた。

 高江区では2度にわたり、ヘリパッド反対の決議をした。その後、関係機関に出向き、計画の見直しを要請してきた。しかし、きちんとした説明も話し合いもなく、住民の声を無視するかたちで、防衛局は2007年7月2日、強硬に工事を開始した。そのため座り込み以外に手立てがなくなり、この日から座り込みによる抗議と説得を続けている。しかし、高江の人口は150人で、そのうち中学生以下の人口が2割を占める。子どもの多い集落である。座り込みに参加できるのは数世帯しかない。全国に参加と、カンパを呼び掛けている。

カンパ振込口座:郵便局 01780−1−65612

振込先名義:ブロッコリーの森を守る会

普天間基地(大山ゲート、野嵩ゲート)

/4は朝5時に起きて大山ゲートの行動に参加した。午前6時には少し遅れたが、7名で参加した。ちょうどこの日は海兵隊ファンクラブの行動日とも重なっていて、海兵隊を歓迎する様子や、我々の顔写真をカメラで撮影したり、車のナンバーをひかえるなどの挑発行為をじっくり観察した。その後、大山ゲートで活動していた人の先導で、野嵩ゲートに向かった。静岡から移り住んでいるTさんに佐喜真美術館、沖縄国際大学(2004年8月、米軍ヘリ墜落現場)、嘉数高地、佐真下公園を案内してもらった。佐真下公園からは普天間基地が大変よく見えた。帰ろうとしたとき、爆音とともに普天間基地を飛び立ったオスプレイを見た。胴体がでかい割にプロペラが小さい、不気味な飛行物体であった。

 

今回は4泊5日の旅行で、3日間を座り込みに費やした。その他に、備瀬の福木並木、辺戸岬、残波岬、平和の礎、魂魄の塔、不屈館(瀬長亀次郎記念館)等、レンタカーで移動したこともあり、多くの場所を見学した。7月からはいよいよ高江の工事が始まり、辺野古も何らかの動きがありそうである。沖縄から目を離せない日々が続く。
 なお、10年前、辺野古のボーリング調査阻止行動に参加するために、大阪から身一つで移住され、活動されてきた佐久間務さんが4月7日永眠された。享年73歳であった。ご冥福をお祈りします。
                                      (池)