イーダとアンナ  −パヴェウ・パヴリコフスキの「イーダ」によせて−

●イーダ

パヴェウ・パヴリコフスキの「イーダ」が201411月下旬に浜松のシネマイーラで上映された。パヴリコフスキは1957年生まれ、14歳の時にポーランドを出て、ヨーロッパで映像を制作してきたが、この2013年作品の「イーダ」は初めてポーランドで制作したものという。

映画の時代背景は社会主義下のポーランド1962年、スターリン批判後に自由化がすすむが、その反動が現れたころである。修道院でアンナとして育てられた娘は18歳となり、検事であったおばのヴァンダと出会い、自らがユダヤ人であり、本名がイーダであることを知る。二人はイーダの父母が埋葬された場所を探して、旅に出る。そして父母の暮らしていた家の近くの森で遺骨をみつけることになるが、その後、二人はそれぞれの選択をする。

ヴァンダは世界戦争のなか、ユダヤ人迫害に抗し、子を預けてパルチザンに加わった。戦後は、社会主義ポーランドの検事となり、ユダヤ人迫害の責任を追及する側になる。しかし、子を失った心の欠落を埋めることはできない。かの女の葬式での賛辞も、インターナショナルの歌も、かの女の失意に届くものではない。二人は埋葬地を探し、父母の住んでいた家に住むポーランド人から、一時は匿っていたが、その後、殺して埋めたという告白を受ける。そして、遺骨と出会う。

このように、この映画には社会主義ポーランドの問題だけでなく、ポーランド人によるユダヤ人の殺害事件が描かれている。それはポーランド社会での過去の清算にむけての歴史認識の高まりを示すものである。

●イェドヴァブネ事件

「イーダ」の解説冊子で言及されているように、イェドヴァブネ事件では、ポーランド人によるユダヤ人の虐殺が問われている。イェドヴァブネは1939年のドイツによるポーランド侵略後、ドイツとソ連の分割により、ソ連領となり、独ソ戦がはじまるとドイツが占領した場所である。町がドイツに占領されると、30人を超えるユダヤ人がポーランド人によって殺された。そこで、どのようにドイツの意志が働いていたのかは不明だが、ポーランド人が虐殺をおこなったことは事実だ。その犯罪を追及して、1949年から50年にかけてイェドヴァブネ裁判が行われた。

ユダヤ人迫害のなかで社会主義者として闘ったユダヤ人もいた。ソ連と協力したものもいた。ソ連は、ポーランドをドイツと密約して分割し、カチンの森事件のようにポーランド人を殺した。そのようなソ連の反ポーランド政策のなかで、反ソ的感情を持つポーランド人も多かった。反ユダヤ感情の土壌もあった。イェドヴァブネのユダヤ人はドイツとソ連のポーランド分割にともない、ドイツによる迫害がすすむなか、憎悪の対象となり、殺されたとみられる。

●過去清算とポーランド国家記憶院

ポーランドの社会主義が終わると、ユダヤ人の殺害はナチスドイツによるものとし、ポーランド人の免責を示す動きも出た。しかし、2001年のポーランド国家記憶院の調査は、ポーランド人による加害を認めた。ポーランド国家記憶院は1998年に設立され、ナチスと共産主義による犯罪を調査し、管理し、史料を公開し、教育する機関である。このような過去の清算の動きは世界的な動向である。

イーダの映画では、ポーランド人農夫がイーダに、かくまったものの、殺して埋めたことを告白する。その告白により、二人は遺骨と出会うことになる。1962年を舞台に、そのような場面を描くことで、この映画は普遍性を提示する。それはポーランド人の物語を超え、見るものの内面に問いかけ、切り込む力を持つからである。このようにナチ支配に加担して生きざるをえなかった者もいたが、命を懸けて、迫害されたユダヤ人を助けるポーランド人の抵抗運動も存在していた。

日本でも過去の清算に向けて、このようにみずからの加害性を問うかたちでの表現が数多く示されるべきだ。そのような意思が共有されれば、「日本を取り戻す」「日本人の誇りを守れ」などと言った言葉で、過去の戦争犯罪をごまかそうとする行為も克服されていく。  (T)