ボロット・バイルシェフの歌と演奏 2007・12.14浜松
12月14日、ボロット・バイルシェフさんのコンサートが浜松・天神蔵でもたれた。かれはアルタイの歌手・演奏者であり、巻上公一と佐藤正治との共演もあった。
ボロットさんは現地の緑色の民族衣装に身を包み、白皮のブーツを履き、尻尾のついた動物の毛皮の帽子を被っていた。その顔は国境を越え、日本人の顔つきとよく似ている。コンサートが始まると、やや緊張した面持ちで2弦のトプシュールという弦楽器を奏でながら歌いはじめた。
歌はアルタイ地方で伝承されている叙事詩で構成され、その詩がボロットさんの喉歌で表現される。このアルタイの伝統的な歌は「カイ」と呼ばれ、スグット(口笛のような音)、コーメイ(倍音唱法)、カルクラー(超低音)などの唱法で歌われる。これらの歌はアルタイのシャーマンによって口伝されてきたものだ。
演奏を聞いていると、体の芯からぐっとはじかれる重厚な低音や飾りのない2弦の音とが絡み合って、ボロットさんの身体を中心に見知らぬアルタイの空間がさまざまな形で示されるようであり、それは音の曼荼羅のようだった。ボロットさんは金属製のアルタイ口琴も使ったが、その音は愛撫するような柔らかさと強い振動音を持っていた。
ボロットさんは1962年にアルタイ共和国のウルルクで生まれている。アルタイはモンゴルやトルコ民族の発祥の地であり、「母なる大地」と呼ばれる。ここからユーラシアの東西へと草原を駆け抜け、山地を超えて、かれらは移動していったのである。その地で伝承されてきた旋律は、この日本の地に住みついたモンゴリアンの琴線にも触れるものがある。1937~38年のスターリンの弾圧時代にはシャーマンは殺され、祈りの場が焼却され、太鼓なども奪われ、80年間の余、文化的空白が生まれたという。しかし、ソ連が崩壊していく1980年代後半に文化復興の波が押し寄せ、カイの旋律を基礎にしたボロットさんの歌も生まれた。
ボロットさんの叙事詩パズィリクは「おお我がアルタイよ、我がアルタイよ、おまえはいくつの歳月を重ねてきたのか、いくつの不幸といくつの苦難を体験してきたのか」と、この地の苦難を語ることから始まる。彼の好きな叙事詩が「オチバラ」である。これはアルタイのプリンセスが地下の暗黒世界と闘い、勝利の後に星になるという話だ。そこには、モンゴリアンの母なる大地が苦難を克服し、暗黒を滅ぼし解き放たれるときへの想いがある。シャーマンの想いを継承する彼の歌と演奏には、その根源に商業化された歌にはない利他的な解放感覚があるように思う。
これらの旋律に、宇宙を支配するかのような利己主義と軍事に対抗し、それを克服する根底的な慈愛と共存への魂のスタイルを、わたしは読みたい。
なお、最新のCDの題は『宇宙の命脈』である。 (竹)