「死体が魚のようにあふれ出た」

 「ろくでなしどものがこのあたりに一人も残っていないので、すごく欲求不満がたまる」6月末ロイター通信が報じた言葉は、カブール北方に展開している英海兵隊のリッテ・スチーブンスン少佐が、テロ組織アルカイダのメンバーを見つけたらないことをぼやいたものだ。現在もアルカイダ掃討作戦は続いている。

 「9.11」で水を得た魚の如く軍事行動の正当性を主張し、作戦を展開し続ける米国は、中東および極東を不安定地域と名指しし、イラン、イラク、北朝鮮を「悪の枢軸」と挑発する。

 米国経済の破綻のためかブッシュの自暴自棄をも疑わせる核兵器使用の可能性さえ取り沙汰される始末だ。

 「9.11」から1年が過ぎようとしている。米軍が圧勝したはずのアフガンには安定がもたらされたのだろうか?わざとらしいブルカを脱いだ女性の姿などが報道されるが、空爆による徹底的な破壊が行われたのは、その前から廃墟同然の不毛の地だ。大量に難民が発生、国境を越えていたが空爆後の不毛の地に帰還しはじめている。水も食料も無い土地に。カルザイ傀儡政権には初めから安定する保障も約束もなかった。言い換えれば石油・天然ガス利権のために数千人のアフガニスタンの人々が虐殺されたのだ。生き残った人々は米国のためのパイプラインの風景をながめることになるが、それは彼らにとって何の利益ももたらさない。

 ブッシュ政権にとって「9.11」は、たとえ計画的であれ偶然であれ軍事立国の正当性を生む起死回生の好期だった。「対テロ戦争」を標榜すれば、軍需産業は潤い、平時には不可能な政策も強行できるからだ。

 ハリウッド映画をも陵駕する映像のプロパガンダは一年間もの強引な「対テロ戦争」を可能にしていきた。バカにされかかっていた大統領が一転して歴代トップの支持率を達成する程の効力もあった。図に乗ったブッシュは「親の仇」とばかりにイラク攻撃に流れを向けようとしている。

 だが、世界が一丸となった勢いも徐々に冷める時がやってくる。ドイツのシュレーダー首相は、米国が計画しているイラク攻撃に参加しないことを明言した。米国内においてもイラク攻撃慎重論が目立ちはじめた。「フセインの9.11関与の証拠は希薄」「イラクの脅威の証拠が不十分」「先制攻撃は国際法違反」「予想される死者は湾岸戦争の比でない」「戦線拡大は対テロ戦争を挫折させる」「米は単独行動を取るべきでない。米大統領補佐官スコウクロフトは「対テロ戦争を腰くだけにし、イラクの大量破壊兵器使用を誘発し、パレスチナ情勢を悪化させかねない」と批判する(02.8.29朝日)。

 「9.11」の首謀者とされるオサマ・ビンラディンが「イスラム聖戦」を掲げ、S・ハンチントンなどの説とともに「イスラム対西洋(キリスト教)」の対立構造とされたが、リビアの最高指導者カダフィ大佐は8月31日に「イラクが攻撃されて体制が崩壊すれば、イスラム世界が西洋に脅かされているというビンラディンの説が正しかったことになってしまう」と警告した(02.9.2朝日)。多くのイスラム教徒をかかえるインドネシアもイラク攻撃に反対している。

 2001年11月28日多くのタリバン兵らがアフガニスタン、クンドゥズで投降したが、大半は生きて収容所に着けなかった。Newsweek(02.8.28)は、コンテナに詰め込まれ灼熱の砂漠で効率良く虐殺されたタリバン兵のレポートを特集した。アフガニスタンの道路には空になった「国際援助」のコンテナがたくさん捨てられている。米特殊部隊兵士数十人とともにドスタム将軍ら北部同盟の兵士は一台のコンテナに200人も投降兵を詰め込んだ。トラックで収容所に着くまでに多くの投降兵が窒息や渇きに苦しみ死亡した。24時間後扉を開けると「死体が魚のようにあふれ出た」という。200人全員死んだコンテナもあり、生き残った者はわずか数十人だった。あまりの苦しさに互いの汗をなめてしのいだという。多くの者は精神に異常をきたし、そばにいる者の指や腕や脚にかみつきだした。生存者のひとりサルダル・モハメド(23)によれば死者は1000人以上にのぼるという。死者たちは砂漠にブルドーザーで埋められた。

 ダッシュテレイリはシュベルガン収容所から車で15分の場所。約4000平方メートルのブルドーザーで踏み固めた痕跡には、動物に食い荒らされた遺体の一部が露出している。白骨化した死体もあれば、まだ肉のついたままの骨もある。1.5メートルほど掘ると腐乱死体が折重なるように並んでいた。

 米国防省はこの問題について言明を避けている。

 この大量死疑惑問題で国連カブール事務所は9月1日、18人からなる調査団を派遣、現地調査に乗り出したことを明らかにした(02.9.2朝日)。

 過去の米軍による戦争犯罪が公正に裁断されたことがあっただろうか?「9.11」は米軍にどのような虐殺も可能にする許可をあたえたのだろうか?もしアメリカ人がコンテナ詰めで虐殺されたら米国はどんな反応を示すだろう?「対テロ戦争」とはこのような不条理を世界中に増殖させる事に他ならない。それは貿易センタービル2本くらいではとても済まない収支計算となるだろう。(1年間の民主主義と人権のブランク)は悲劇と憎悪しか生まなかった。ブッシュのためのさらなる犠牲を一体誰が望むのか?米国だけが戦争犯罪を犯しても訴追されず、恣意的に対テロ戦争を継続できるという「9.11」のもたらした呪わしい特権に世界は辟易し始めている。情けないことに日本だけを例外にして。

 自覚と反省を失った加害者が過去も現在も、そしてこれからも加害者で在り続けようとしている。殺される側への想像力の欠落は必ず自らにはね返ることになるだろう。

2002.9.4(T)

「毎月5000人の子どもが死んでいく」
「そもそも私は、世代的に政治運動にはトラウマがある。なにかに『反対!』で徒党を組むのは、正しい、正しくない、を超えて駄目。『ごめん』と目をつぶってやり過ごしたい心境にある。それでも、今回ばかりは、何だか気になった」

某ノンフィクション作家(あなたのプライバシーが国家管理される!個人情報保護法をぶっ潰せ 現代人文社)

 この主権者意識の欠落ぶりは救いようがない。こうした感覚のノンフィクション作家が堂々と食べてゆける社会が日本ということだろう。この文章はまがりなりにもジャーナリスト、作家、編集者たちが個人情報保護法に反対して共同アピールを含め各人の意見を集大成したもののひとつだ。日本のジャーナリズムを象徴する呆れた現実がここにある。

 小倉利丸は「インパクション」132号において、天王星の装置として、集団的な同一性にみずからを埋没させ、確証のないフィクションであったとしてもそれを受け入れて、自らもまた流言飛語の担い手を積極的に演じるために「思考停止」が機能して、討議や異論を封じ込め、沈黙を強いる特異なナショナリズムを構築していきた、と語るが、その沈黙を胸を張り堂々と誇るほどのジャーナリストが存在しているということだ。「世代的に」などと集団への帰属を盾にして責任転嫁を計るのも、自己確認さえ拒絶する程、集団に埋没している事だろう。

 ところで米国ではナマズ料理が大人気という。伝統的に国内産のものでまかなっていたが、このところベトナム産の安い(半値)ナマズが進出してきた。国内のナマズ業者がピンチでつぶれる業者も出始めた。そこで議会は対抗処置を考え始め、レストランではベトナム産のナマズはナマズと呼べないようにして罰金を課すことを決めた。世界に向けて自由貿易拡大を謳いながら、自らは保護貿易に走るという(米国は特別)という相変わらずの奢り。

 「神の下で一つの、不可分な国」という「忠誠の誓い」を子供の頃から強制されるアメリカ人だが1954年連邦議会がそれまで無かった「神の下で」という言葉を入れることを決めたという。

 権力者が国家統治する手段として宗教的、原理主義的になるのは洋の東西を問わないようだ。政教分離はキナ臭い世の中に根づくはずもない。

 「私たちはイラク、その名はサダム。私たちは愛、その名はサダム。私たちは人民、その名はサダム。私たちはバアス、その名はサダム」子供用フセイン賛歌だ。

 1983年12月20日ラムズフェルドはレーガン政権の特使としてイラクでサダム・フセインと握手をした。フセインがテロリストを支援し、核兵器を製造する意図をもつことを米国は知っていたが、79年のイラン革命が拡大するのを恐れ、「敵の敵は味方」としてイラン・イラク戦争でイラクの味方をした。1988年の停戦までの5年間、軍事援助を続けた。戦車、コンピュータデータベース、ヘリコプター、偵察用TVカメラ、化学分析装置、炭疽菌など大量の細菌類である。(資料:Newsweek9.25)

 1990年8月、フセインがクウェート侵攻するまで米国は静観したままだった。1991年湾岸戦争が始まる。圧倒的な米国の勝利だ。元司法長官ラムゼイ・クラークによるとイラク兵の死者は12万5000人から15万人、さらに空爆によって15万人の市民が死んだという。そしてその後の経済封鎖によって現在もイラク市民は殺され続けている。イラクの国連代表によれば経済制裁によりこれまでに160万人が死亡。そのうち70%が5才未満の子どもだ。大量に使われた劣化ウラン弾の放射線により生まれる子どもの3%が先天異常ですぐに死ぬという。

 WHOによれば栄養失調と医薬品不足で毎月5000人の子どもが死んでゆく。湾岸戦争において日本人は一人10,000円程の税金により戦費協力した事を忘れてはいけない。敗戦後初めて自衛隊が掃海艇を派遣したばかりでなく金も出していた。にもかかわらず米国における印象は薄く、その経緯を利用して例の「ショー・ザ・フラッグ」発言が起こり、なしくずし的な戦争参加の道を開くことになったわけだ。この過程で無視されてきて、現在またもや無視されようとしているのがイラク市民の命だ。映像の時代に映像にならなかった事の意味はとても重いはずである。氾濫する見なくても良い映像の背後にかくされた殺されるイラクの人々の姿や叫びこそ私たちの想像力が試されるのだ。

 世界一貧しい国アフガニスタンの荒れた国土をさらに徹底的に破壊した報復爆撃の次の舞台にイラクが選ばれようとしている。世界における例外的に特別な何をやっても良い事になっている米国が正義のために行う空爆により今までも殺され続けてきたイラクの人々は人間の尊厳などかけらも残らぬ程に殺し尽くされようとしている。米国の本音は「イラク人なんか興味はない。欲しいのは石油だけだ」「年に一度くらいのペースの戦争を仕掛けないと我々が食べてゆけない」という程度のものだろう。

 相手の身になって考えることをまったくしない米国は被爆者の心を逆なでするように19回目の臨界前核実験を行った。

 米国における原爆展は拒否するが、原爆を使う事ならためらわない米国ではの行為だ。

2002.9.27高木