「ウシやらニワトリやらモウケッコウ」

 

嘘か本当か知らないが犬の言葉が理解できるという商品が話題になったが、鶏や牛の言葉が今聞けたら、きっと耳を塞ぎたくなるにちがいない。

京都府で発生した高病原性鳥インフルエンザ問題で養鶏場側の通報遅れが発端となり、二次感染や長期化が懸念される。しかし、34日の毎日新聞記事以外は、すべて人間からの視点だけだった。

「生き物の命を軽視していないか。この機会に、食や動物を飼う意味を考えてほしい。モラルの問題です。死に始めた時期に15000羽を出荷。死因を腸炎だと思ったと言ってるが、腸炎は人の食中毒を起こす。現地に行くと業者は強制換羽(卵の産みが悪くなった鶏の鶏舎の照明を暗くし、餌をやらず断食させて産卵率を上げるもの。羽がすべて抜け変わり、ストレスで死ぬ鶏も出る)をかけていた。現場では強制換羽の鶏もバタバタと鶏インフルエンザで死んでいました。今、若者に対して教育が悪い、とか愛国心が育っていないと言われるが、それ以前に生きているものの命を大事にすることこそ大切。人間だけが優位な立場にいると考えるのは、人間同士の差別にもつながるのでは」(04.3.4毎日 大槻公一鳥取大農学部教授)

どこで起きるか分からず、拡大を防げない状態が梅雨ごろまで続く長期化が避けられないという。

発生源の浅田農産船井農場が記者会見で「鶏が調子悪い時は出荷するんだというのが、子供の頃からの常識でした」と語っていたが「工業化」した養鶏業者の常識が世間の常識とは次元が異なっていたことは言うまでもない。20万羽を処理するというが20万羽の命を絶つ事であるのが軽く考えられていないだろうか?

誰もが何事も無く過ごしている日常が、実はとんでもない非常識によって成り立っているとしたら、私たちは信じられない程のリスクを背負っていることになる。本当は報道されないものにこそ脅威があるはずだ。

私たちは、食べているものについてどれ程の知識があるだろう?日本ではすべての抗生物質が効かず、年間2万人も病人を殺している「耐性菌」が事実上野放しになっている。EUはほとんどの抗生物質を家畜の飼料に添加するのを禁止することを決めた。抗生物質の大量使用が耐性菌を生み出すという構図が認識されず、日本の病院では院内感染対策に力を入れているのに、医療以外で何倍もの抗生物質が使われており、規制は抜け穴だらけという。

人間には治療と感染症予防で使われている抗生物質が、家畜には(早く太らせる)目的で使われる。

「病院で100トン、投薬として400トン、鶏・豚・牛などの家畜に900トン、養殖魚に200トン、野菜・果物・稲に100トンというのが日本で使用される抗生物質の使用実態だ。官僚たちは、このような比較をされると新たな問題が出てくるので、数値を隠してきました。抗生物質を製造している製薬会社は、的の合った対策を立てられると、院内感染だけでなく、患者が家で飲む抗生物質や、畜産、養殖魚、農薬の分野でも抗生物質の使用・削減を迫られることになるので、実情を知らせないようにしてきたのです」(『食べ物からひろがる耐性菌』日本子孫基金編 三五館2003

32日、坂口厚労省大臣は会見の席で「ウシやらニワトリやらモウケッコウ」と語った。ふざけてる場合じゃあない。鶏インフルエンザ問題においても行政の対応は鈍く、政府の危機管理能力の弱さを露呈している。こんな時にパトリオットやJDAM、クラスター爆弾が役に立つだろうか?AWACSはウイルスに対応出来ない?制度においても現実面でも国家は国民の安全を守らない。安全の認識が間違っているからだ。防衛費の天文学的予算は現実の危機に対応していない。

「セーフティーネットを起点とする多重フィードバックは、重複進化により、調節制御の仕組みが進化することによって形成されてくる。調節制御の進化は、多様化や複雑化という性格を持ち、さまざまな環境変化への適応を広げてきた。(中略)生命体や経済のような複雑なシステムは、多重なフィードバック制御により維持されるがゆえに、それを無視して一方的に誘導する単純な数値目標やインセンティブを用いるフィードフォワード的な治療や政策は、一層不安定な状態や破綻をつくりだす。」(逆システム学 金子 勝・児玉龍彦 岩波新書)

現場主義とも言えるフィードバック重視は上意下達の否定であり、センサーと情報伝達と制御における対等な関係により初めて生物も経済も活性するということだろう。金子らが指摘する(グローバリゼーションは自己破壊のプロセスに入っている)は、まさに的を射た表現だ。

さまざまなセイフティネットが切断されて、社会全体が方向の定まらない漂流を始めている。しかも(銃後の守り)という泥舟で…。

直視すべき危機が隠されている。モラトリアムを決め込んで飽食を続けても、まさにそれ自体が危機を深化させているとしたら冗談では済まない。また、これこそが危機であると扇動されて本質を見誤る危機もある。

「一体何を食べたらよいのか?」の前に「食べ物とは何か?」「人間とは何か?」と問うべきだろう。

ミクロレベルでもマクロレベルでも安全保障の無い国に私たちは住んでいる。

2004.3.5 高木

予知は可能か?地震、有事

 

これから起きることが予知出来たら世界はまったく異質なものになるだろう。いくら科学が進んだといっても所詮「未来」は予測不能の領域を出ない。人間の安全保障については不可能とわかっていても予知が切実なのだが。

日本について考えてみると「国防」に関してのみ先手の策が組まれ、その他の問題は、ほとんどが後手に回ってきた。特に1999年以後の流れに関しては、平和を望んできた多くの人々の予測は完全に裏切られ、起こりうる最悪の実現とでも言うべき事態が継続している。しかし、その流れと無関係に起きるたとえば、SARSや鳥インフルエンザなどの感染症やさまざまな災害が出現するたびに安全保障の捉え方自体の根本的な誤りを思い知らされる。未曾有の不況下にあって、国家戦略の有り方そのものが問われているわけだ。

10年以上前の話だが、静岡県地学会(現在は退会)の講演に参加した。ほとんどが高校や中学校の理科の教員の集まりだ。演者が誰だったか忘れたが、ギリシャにおける地電流を使った地震予知の話だった。あらかじめ何ヵ所も地電流の測定器を設置しておいて観測することで微弱な電流の変化によりこれから起こる地震を予知する、というものだ。そしてそれが成功した例が語られた。学会の権威者の話に、一同なるほどと聞き入っていた。それから少し後に、私は静岡県地学会が地学に精通するにもかかわらず、当時に至るまで東海地震における浜岡原発の危険性を一度も公的に認めていない事に不信感を抱き、会長あてに質問状を出した。すると、個人的には危惧している、とする内容の丁寧な返事が返って来た。具体的な被害想定は専門家らしく現実感に満ちていた。つまり原発は壊滅するということだった。正しい科学は健在だったが、隠されていたわけだ。

1999年、英国の科学雑誌ネイチャーが(地震予知は可能か)について公開討論会を実施。ホームページ上で7週連続討論をしたが、ギリシャと日本は反論を恐れて、いわば敵前逃亡した。7週目の結論は、(地震予知はほとんど不可能で、本気で科学として研究するには値しない)というものだった。

現在、米国と欧州では、地震予知を謳う研究は、そのタイトルだけで研究費の審査で落ちる。つまり地震予知は研究に値しない、というのが世界の科学者の常識となっている」(公認「地震予知」を疑う 北大助教授島村英紀 柏書房2004

「地震予知可能という前提」で、1978年に福田首相の強い指示で大規模地震対策特別措置法(大震法)が成立。現在までの予知研究費は3000億円を超えるという。肝心な時に予知など出来なくて不意を突かれた阪神淡路大震災以後、政府は、研究室の名称からそっと「予知」を外した。あきれたことに、それにもかかわらず予算は増えたという。

島村氏によれば効果に疑問のあるプレ・スリップ検知のため(というよりは外圧のためか)米国製GPS受信機を1000台も買って日本中に設置、総額100億円にもなったという。

得体の知れない恐怖を煽り、対策にはこれが必要とデッチ上げれば、この国ではいとも簡単に予算がつくようだ。だがそれが的を射た、すなわち事実にもとづいたものならば正当化されるが、作為的なものだったら…

大体、確実に起こるとされる東海地震震源域のど真ん中に原発を稼動させ、あえて原発や新幹線の被災を除外して、地震対策に力を入れるとは何事だろう?

ともかく世界中でM8の想定震源域内で稼動するのは浜岡原発だけだ。最近は東海地震単独発生でなく、東南界地震や南海地震と連動して、超巨大地震として同時に起きる可能性が指摘されはじめた。いつ起こるかはわからないが、やはり確実に起こることが科学的に立証されているようだ。

「地震予知」などと日本でしか通用しない概念をふりまわすのでなく、起きた時の対策を考えるならば、まず原発を止めるしかない。有事立法が成立したが、有事は人為である。ゆえに有事の阿鼻叫喚は避けることが可能だ。もちろん武力で解決などするはずがない。人為であるがゆえに、事前に予知可能であり、対話などさまざまなコミュニケーションによる解決が選択肢としてあるわけだ。ところが現実には毎年91日の「防災の日」が限りなく「国防の日」に近づきつつある。災害を儲けのチャンスとたくらむ輩が画策するのは実は国亡なのだ。イラク派兵というチャンネルの切り換えにより強引に敵を創り出した日本は、同時に敵として攻撃される可能性もうみ出した。だが、考えてもみよう。となりのイランでは200312月にM6.3の地震で4万人以上の死者が出ている。

米国のデッチ上げによる侵略で1万人以上の死者を出したイラクに「ジンドーシエン」で派兵しながら、イラクには「ジンドーシエン」しない理由は何だろう?それは利権のためのでっち上げだからだ。

有事は武力行使以前に回避可能だが、M7、M8クラスの地震は不可避だ。

阪神淡路大震災においても政府は無力だった。予知などまったく出来なかったし、起きてからの対応も後手にまわった。多くの死者は国家に殺されたと言っていい。

私たちは自分の行く末を予知出来ないが、少なくとも小泉政権に委ねることが誤っている事は知っている。「鹿児島県桜島にある小学校校庭に石碑が立つ。1913年、有感地震が頻発。人々は桜島の噴火を疑った。しかし村長の問い合わせに気象台長は、噴火はしない、と答えた。気象庁の予測に反して桜島は大噴火。住民の多くが犠牲になった。石碑には(科学を信じてはいけない、危険を察したら自分の判断で逃げるべきだ)と記されている」(公認「地震予知」を疑う 島村英紀柏書房2004

2004.3.12 高木

「息子のまなざし」

 

泥だらけの少年が、怯えと懇願の入り交じったような表情で佇んでいる。生きてゆくための他の道が無い事を少年は無言で訴え、職業訓練所の木工教師オリヴイエが少年にむけるまなざしで交わす言葉なき了解。

たとえば、どしゃ降りの雨の夜、ドアを開けると濡れた小猫が震えながらこちらを見ているような感覚。

日常とは、決して過剰な言葉で隅々まで説明されているわけではない事を気付かせてくれる映画がある。カンヌ史上最少の台詞で最優秀男優賞を獲得したJ・ピエール&L・ダルデンヌ監督「息子のまなざし」は、殺人の加害者と被害者がどのような可能性を持っているかについて、双方の言葉と沈黙による関係を極限まで緊張させて描いた作品だ。抑制された展開、計算された説明不足によって、異様なまでに集中力を喚起させられるそのストーリーとは、少年院を出所したフランシスを担当する事になったオリヴィエは、おそらく子供が殺されたことがきっかけで離婚している。そうした不幸がよりいっそう彼を寡黙にした。偶然のいたずらなのか、子供を殺したのはフランシスだった。オリヴィエだけがその事実を知り、フランシスは自分が殺した子供の親に木工を教わるなど夢にも知り得ないままに職業訓練が始まる。オリヴィエの並はずれた距離測定の感覚に驚き、親からも見放された孤独な身の上も手伝ってフランシスはオリヴィエに親近感を抱くようになる。唐突な「後見人になってくれ」というフランシスの申し出にオリヴィエは動揺を隠せない。何しろ不可抗力であろうと自分の息子を殺した少年なのだ。

オリヴィエは、フランシスを連れて木工材料を仕入れに材木倉庫に行く。倉庫で「おまえが殺したのは私の息子だ」という衝撃の告白。反射的かつ本能的に逃げるフランシス。「何もしないから戻れ!」という制止もふり切って森に走る少年をオリヴィエは必死に追う。やっとつかまえて少年を組み伏せる。

さっきまでは、信頼を寄せた相手には無防備に腹を見せる動物のようでさえあった少年が、今はオリヴィエに完全に捕獲され、復讐も可能な状態にある。オリヴィエが少年を押さえ込んだまま激しい息づかいが続く。一度は首に手をかけさえしたが、オリヴィエはうめくように少年から離れてゆく。オリヴィエの苦悩が画面に充満する。加害者と被害者の激しい心理状態が公平に提示される。観る者は、どちらに思い入れる事も出来ないまま、宙吊り状態におかれる。場面が変わり、放心したようにトレーラーに材木を積み込むオリヴィエ。ふと、ふり返るとフランシスが立っている。冒頭のシーンである。圧巻だ。しかも何も語られない。加害者と被害者はかくあれ、などという押しつけがましい道徳的な胡散臭さなど微塵も無い。黙々とオリヴィエの材木の積み込みを手伝うフランシス。「コトッ」と材木どうしが当たる小さな音。濡れないように材木にかぶせるシートのゴワゴワした音。まばたきするほどの短い時間でさえこれほど豊饒だったとは・・・不条理な破壊(殺人)、そして言葉を超えた寛容による再生は、決して完全ではないが緊張を孕んだまま生きてゆく道をかろうじて示した。オリヴィエは息子を失ったが、フランシスという息子を得た。

世界のさまざまな存在はいつも正確にその役割を演じているだろうか?そんなことは決してない。ほんの少し立場が変わったり、認識が違ったりするだけで、世界はいとも簡単に姿を変えてしまう。現実は、うめき声を挙げる程の緊張が隠され、変化し続けているにちがいない。言葉にならないものを信じて生きることで、おそらく濃密な人間関係がくりひろげられることになるだろう。相手に手のとどく距離で、最小限の言葉による最大限の交感が可能となり、加害者と被害者という立場さえ受容する自由とは、そんな風景にはじめて存在するのかもしれない。二項対立という分断により失うものはさまざまな可能性だろう。人間は善ではなく悪でもない。その両方の混在する存在だからだ。

「視覚は遠隔的である。見るためには距離をつくり出す足が必要なのだ」海野弘は現代を視覚の帝国主義と呼ぶ。視覚中心の文化だ。遠距離からのぞき、操作することが可能な社会。世界がリアルタイムで把握される。米国が用意した映像で世界を見せられている。

「遠隔的なミサイル攻撃は、あっという間にイラクを制圧した。ところがどうもそうはいかなかったらしい。ゲリラ戦がつづき、自爆テロによる被害がひろがる。これは<足の戦争>だ。アメリカは足の戦争に苦しんでいる」(足が未来をつくる−視覚の帝国から足の文化へ 海野弘 洋泉社新書 2004

「息子のまなざし」の加害者と被害者という関係を、単純に敵対関係と固定しないで、受容という最大限の選択肢を含んでパレスチナ問題や北朝鮮問題を考えると、決定的な違いがある。それは距離だ。遠く離れたまま相手を名指し、意味を与え憎悪をふくらませるのは簡単だ。文字通り一方的に意のままになるからだ。相手の目をみることもなく、血を流すこともない。たとえば北朝鮮の人と北朝鮮憎悪の立場で同じ空間で同じ時を過ごせるだろうか?相手の息づかいが伝わる程の距離で。どのような相手であれ、距離を置くかぎり、正当かつ正確なレスポンスが失われてさまざまな可能性は閉ざされてしまうだろう。ましてや、いつも自分が正しいとは限らない。自らの事を棚に上げて相手を一方的に非難するのはたやすいが双方向性に欠ける。つまり民主的でない。

視覚偏重は距離感を喪失し、仮想現実を錯覚する。言うまでもなく、身の丈に合う感覚が忘れ去られて久しい。実は人間は進化などしていないどころか、視覚に依存する分だけ退化し続けている。この小さな惑星で生きてゆかなければ逃げ場などないという重大な原点は、実は(11)という身体感覚を取り戻すことによってのみ再生の可能性があるのかもしれない。それにしても、やりなおしの可能な社会がうらやましい。               2004314 高

客観性

 

「イラク!サダム!関連を見つけ出せ」「アフガンにはいい標的がない。イラクにはいい標的がたくさんある」9.11直後のブッシュとラムズフェルドの言葉をR.クラーク大統領特別顧問が証言した。「対テロ戦争」は「ブッシュの戦争」であったことがバレ始めた。いうなればイラクの10000人以上の人々がブッシュのために何の罪も無いまま殺され、現在も殺され続けているわけだ。ラムズフェルドが9.11WTCビルの破片と飛行機の破片を記念品として持ち帰っていたという。ネオコンらしい発想ではないか。だが、他人の死ごときに動ずることなく自らの計画を遂行する冷血漢は日本にもいる。「イラクの復興支援を商機ととらえ、インフラ整備の受注に向けて動きだしていることを三菱重工社長が明らかにした。」(04.3.13毎日)

石破防衛庁長官が三菱重工の株を10625株所有しているという情報は、休刊する「噂の真相」4月最終号の貴重な遺言となった。

ひとつの視点では世界は読めない。客観性の欠如が時には人を死に追いやることさえあるならば、徹底して異なる意見に耳を傾けるべきだろう。遠隔殺人と情報操作を可能にしているのは死体の隠蔽である。死体との物理的距離を縮めるのは想像力しかあるまい。たれ流される情報の洪水を(人を殺してはいけない)というキーワードで整理してみよう。派兵という現実は、殺す可能性と殺される可能性の両義性なのだ。

スペインの列車爆破に続く政権交代は劇的だった。1000万人の追悼デモの姿は列車爆破のみならず、それを招いた原因であるイラク派兵をも問いただす真摯な情景をうみだした。スペインの苦い歴史から学ぶ大切さを知っている人々の姿と言えるかもしれない。これからスペインがどう動くかは未知数でしかないが、オランダも含めて、対テロ戦有志連合に亀裂が走ったことは確かだろう。

イラク派兵下において、日本人が好むと好まざると描かなければならないのは爆破されたスペインの列車と「のぞみ」の車両のコラージュである。

3. 20国際反戦デーはイラク攻撃1周年だ。浜松でも声を挙げようと「市民の木」に集まった。デモの前にビラ配りをしていると20代の女性が「浜松でもこういう運動があるんですね。頑張って下さい」と声をかけてきた。それにしても観客民主主義とはよく言ったものだ。去年より、かなり少ない参加者だ。参加、カンパ、署名以外は観客でしかないはずなのに。この日、20代前半の女性が反戦デビューしてデモの後に「はじめて行動する側の立場がわかった。ビラを受けとらない人たち、無関心に通りすぎる人たちが多いですね」と感想を語っていた。表現を放棄した日本人よりも戦争への怒りを隠さない彼女にこそ弱者への連帯の可能性がある。反動教育を乗り越えた国際性に拍手だ。

デモが終りに近づいた頃、当日「ヨサコイ○○」とかいうイベントに参加した集団がすれ違った。その中の一人がデモを見ながら「けっ!あんなことやっておもしろいのか」と吐き捨てるように言った。浜松らしい反応である。

我々は、おもしろいからデモをしているわけじゃない。彼はヨサコイ○○におもしろいから参加したのだろう。集団遊戯であるそれは最近各都市で催されているらしい。保守的な舞踊のポップな翻訳とでも言うべきか。ユニフォームとリズムと動きの一致だが、思想のみが欠落した強力なプロパガンダだ。個の否定と集団性の強要であり、まさしく監視カメラと親和性をもつ。それにしても、いったい公空間とは誰のものだろう?そして表現は誰のものか?派兵という現実に背を向けたまま、銃後の守りが確実に実行されていると言っていい。軍事都市における銃後の守りとしての政治的マスゲームは、(いかに政治を問わずに政治に参加させるか)という意味において、北朝鮮のものと同質ではないか。公共からの逸脱やノイズの否定。「揃う」という機能がトランス状態の意識により共有される。「上意下達」に思想はいらない。ゆえに「おもしろいから参加する」のだ。それに比べて反戦デモはボトム・アップそのものだ。主体は各個人であり、その情念、ルサンチマンだ。ゆえに反戦が自己満足であるはずがない。世界大で共有する客観性にもとづく、と言うべきだろう。多様性の認識は開放系と表現すべきかもしれない。20世紀に世界が学んだのは純血主義の破綻ではなかったか。時代は国家や民族という閉鎖系の限界を思い知り、開放系に向かっている。つまり世界大の客観性こそが民主主義の糧になるということだ。混ざり合えばいい。対等に情報を共有することで、どれだけ友好が進むことか。

破壊と殺戮しか能がないブッシュやシャロンを馬鹿にする資格は日本人にはない。「フジモリ問題」は日本国内と世界では大きな差があることを多くの日本人が知らない。フジモリ元ペルー大統領は「ペルー人として」1990年から2000年まで軍事独裁政権を掌握し、憲法を停止させ「テロリスト撲滅」の名の下に虐殺などの人権侵害、議員買収、公金横領などを続け、憲法違反の大統領三選を強行。汚職を追及されると国外逃亡、日本にやって来て「私は日本人」と居直り現在も居座り続けている。日本政府も文化人もフジモリを優遇している。多くの日本人はフジモリが英雄で、ペルーに帰れば殺される、フジモリに罪はないなどと無責任に理解しているが、アムネスティー、ヒューマン・ライツ・ウオッチ、WOLA、国際人権連合、TI他さまざまな団体、さらにラテンアメリカ議会、アンデス大統領会議も声明を出し、20033月には国際刑事警察機構が国際逮捕手配書を発行した。他にもカーター元大統領、オスカル・アリアス元コスタリカ大統領、ギュンター・グラス(独ノーベル賞作家)なども引き渡し支持表明している。そのような国際犯罪人フジモリを橋本龍太郎、曽野綾子、三浦朱門石原慎太郎、渡辺恒雄、徳田虎男、読売新聞、サンケイ新聞、日本テレビ、フジテレビなど右派保守系文化人が手厚く歓迎している。呆れたことに「アルベルト・フジモリ、テロと闘う」など三冊の著書を出版さえしている。1980年5月から200011月までにペルーの国内紛争の死者、行方不明者は推定70000人、その3割が軍・警察によるとされる。日本で知られていない事実として「不妊手術推進政策」がある。フジモリ政権は人口抑制のために強制的に不妊手術を実行した。ピークの97年には120000件に達した。数値目標とノルマが課せられ「不妊手術フェスティバル」と名づけられた貧しい人々への差別的姿勢だった。このような非人道的政策にUSAID(米国政府国際援助局)が関与していた。ペルーの国家予算の4分の1を対外債務支払いにまわすという事情がそのような介入をうみ、日本政府と銀行が筆頭債権者であることは重要だ。(資料;フジモリ元大統領に裁きを

現代人文社2004) 

マスメディアが右傾化し銃後の守りとして報道管制するなか、私たち自身がどのような存在なのか不明になりつつある。北朝鮮拉致問題と同じ関心をペルー人被害者と加害者フジモリに示すべきだろう。                  2004.3.25 高木