BLACK HAWK DOWN AGAIN

 

550足の軍用ブーツがロサンゼルス連邦ビルの芝生に並べられた。同時に数mの高さに積み上げられた子供や女性の靴。平和団体A.F.S.Cがイラクで死亡した兵士と市民の名前を数時間かけて読み上げる。シンボリックな反戦イベントだが、帰還する米兵の死体がひそかに空港に着き、家族に引き渡されることが日常化した現在、米国が最も嫌うのは、やはり「死体」そのものだ。自国民の死体ほど戦意を喪失するものはない。それこそがあらゆるプロパガンダを覆して戦争の真実をさらけ出すからだ。イラク侵略から現在に至るまでひたすら隠蔽し続けてきた「米国人の死体」が対テロ戦争の勢いを衰えさせかねない事態を招いている。イラクのファルージャで、米民間人4人が殺害され、焼かれて黒焦げになった遺体を群衆が取り巻き、履き物で打って喜んだり、切断された遺体が橋げたからロープでつり下げられて住民が歓喜の叫びをあげている様子が米マスコミで大きく報道された。また遺体はロバの荷車につながれて引きずり回された。石原慎太郎的に表現するなら「米国人なんか殺されたってあったりまえだあ」

クリントン政権下で1993年、内戦状態のアフリカ、ソマリアで米軍ヘリ「ブラック・ホーク」が撃墜され、18人が死亡。米兵の死体が引きずり回される様子が報じられ世論の反発で米軍撤退を余儀無くされた経験は、大義無きイラク侵略への疑惑が増す米国にとってイラク人の行動はソマリアの悪夢の再来を予感させるに充分だ。

10000人以上の殺されたイラクの人々には、その数倍以上の家族があり、それぞれが知人、友人をもっていることを考えれば、イラク中に反米の機運があふれることは火を見るよりも明らかだ。たった4人の米国人の死体をいたぶったくらいで収まるはずがない。44日ナジャフとバグダッドの反占領、反米デモ隊と占領軍の衝突はイラク民衆の怒りが連鎖反応する予兆さえ感じさせるものだ。占領側がどのような語り方をしようと不当な侵略を受けたイラクの人々の凄惨な悲劇と破壊された日常が戻ることはない。しかも膨大なイラク民衆の死者は、一部のマスコミにごく控えめな数字として報道されたが、死体としては報道されなかった。イラクの人々だけが同胞の死体を突き付けられ、世界がイラク人の死体を見る事はほとんどなかった。ゆえに米国の侵略が正当化され、(民主主義をイラクにもたらすために必要な爆撃)を米国がしたのであり、イラク側に(仕方のない犠牲者)が生じたことにされた。イラクの死者と占領軍の死者は明確に差別化されたわけだ。それにしても加害者の立場であるにもかかわらず、撃たれ、切断され、焼かれたイラクの人々を見る事も想うこともせずに済ませてきた日本人の多くは、ただでさえ思想・信条の自己表現を冷笑しがちなうえ、既成事実に疑問をもつことが苦手とあっては、対米追従一辺倒の小泉政権のイラク侵略支援を覆すことは無かった。戦争の大義を失ったいま、米国の侵略を支持、経済的にも人的にも援助を継続する日本の、加害者としての立場を考えないわけにはいかない。大義も目的も失った侵略だけが継続しているのだ。

「日本政府は大きな過ちを犯した。米国さえ出て行こうと画策しているいま、なぜ兵を送るのか?」(アルクドゥス・アルアラビア紙編集長アブデル・アトワン04.3.18朝日)

複雑な部族社会の在りようを米国は理解せず、徹底的に破壊してから日本のように傀儡政権によって復興させれば石油は思いどうりになる、とミスリードしたわけだ。今後、米国が離れて国連が介入しようとしても混乱はおさまるはずがない。思いきり振った後でパンドラの箱を開ける事がどんなことか思い知るだろう。

中東の人々が日本人をどのように考えているかを日本のマスコミがほとんど報道せず、日本人自身も気にしないという自己中心的生き方が侵略者日本に何をもたらすかを早晩知ることになるはずだ。言うまでもなく世界は米国製ではない。

米国は伝統的に「演説」によって政治が動いてきた。「現場で何が行われたのか」よりも「現場をどのように語るか」が重視されてきたということだ。だからこそコマーシャリズム、情報操作が異常に発展し、フィクションがノンフィクションと互換性を持つまでに至った。白を黒と言いくるめ、ネイティブ・アメリカンを大量虐殺しながら、正義を語り、武力を正当化した伝統は現在に至るまで変わらない。演説で民主主義を説くために、殺人現場を隠し、死体を見せず、なおかつ武力を正当化するという手法は、西部劇における小さな田舎町から最強の帝国に至るまで変わらない。ましてやテキサスのカウボーイが、好戦的な側近に囲まれながらキリスト教原理主義的に思考しているのだ。

戦闘を経験し、地獄を見てきた兵士が、その後も平穏に暮らせる保障は無く、ベトナム戦争後、湾岸戦争後と同様に、PTSDのため、精神を病み、自殺や殺人を犯す者が後をたたない。軍事構造の上部と下部は、地獄を見るか、何事もなく平穏に暮らせるか程の違いでありそれぞれのリスクとの距離の差は明白だ。

「イラクの前線における自殺はすでに21人、帰還者の自殺は7人にのぼっている。この一年に米兵11000人が前線を離脱、うち1000人は精神面の問題。心の変調も自殺も昨年5月の戦闘終結宣言後に急増」(04.3.25朝日)

さて、そろそろ日本人に順番がまわってくる頃か。イラクであれ、日本国内であれ、侵略者として参戦した以上、犠牲を生むのは必然だ。修羅場においてNHKは日本人の死体を放映するだろうか?切断され、ロバにひきずり回され、黒焦げになった○○さんの慟哭する家族にマイクを向けて「今、どんな御気持ちですか」と問うのだろうか?民放各社は、葬儀の日の丸、君が代について、うたわなかった者、立たなかった者を糾弾するだろうか?お笑い番組やギャグ連発のコマーシャルは自粛となるのか?

死者を奇貨とする政治判断の前に侵略から即刻手を引くべきだ。

2004.4.5 高木

人質事件

 

「政府関係者も寝食を忘れて解決に努力したのに、まだイラクでボランティア活動したいなどと言うのは、人質となって迷惑をかけたという自覚が無いことだ」小泉首相が416日、3人の人質解放後に語った。

小泉首相は、人質事件発生の第一報を48日夜、会食中の赤坂プリンスホテルで聞いた後も顔色ひとつ変えずビールとワインを飲みながらステーキを平らげた。そのうえ2時間後に対策室の設置された官邸には行かず、さっさと公邸にひきあげた。福田官房長官は犯人側の自衛隊撤退要求に応じない方針を示した。

事件後、日本政府の無策と対照的にさまざまなNGOが動き、インターネットなどにより、3人の人質がイラクのために活動してきたことや自衛隊派兵に反対していることを発信、アルジャジーラがそれらを報道した。おそらくそうしたことが功を奏して、人質事件犯人グループは明確に(占領側の日本政府)と(イラク側の日本人民間NGO)を理解し区別した。イラク・イスラム聖職者協会は、混乱の続くイラクに在りながら犯人と接点を持ち、反米の立場で日本人3人の人質解放の説得を続けた。

415日、3人は無事解放された。日本政府は終始一貫して、自衛隊はイラク復興支援に行っているのだ、と主張しつづけた。イラクの人々も犯人グループも撤兵を、と望んでいるのに。

事件発生当初から閣僚、与党幹部、官僚は(そもそも危ないところに行った3人が悪い)という態度だったという。

3人と、その家族の素性を洗え、という動きがあり、その情報源は官邸周辺。小泉首相の側近や警察の公安担当部門が記者たちに、調べてみろと圧力をかけていた。人質とその家族に共産党関係者がいる。政府首脳はこの情報を記事にしろと示唆した」(フライデー04.4.30

すかさず、週刊新潮、週刊文春が、その意図に沿った記事を特集した。ラチズム・ファシズムを持ち出すまでもなく日本という国は情報操作が簡単にできることは言を俟たない。人質3人の家族宅には「自業自得」「死ね」などの暴言や「チーン」という仏具の音が留守電に入れられたという。

政府関係者からは、人質解放に血税を使ったのだから人質になった3人に請求すべき、いくらかかったかを公表すべき、などの声が挙がっている。自衛隊派兵がいったいどれだけ費用がかかっているかを忘れたのか。犯人グループは人質解放の条件として「自衛隊撤退」を要求し、415日の解放時にも日本国民が政府に「自衛隊撤退」の圧力をかけるようにメッセージを送っていた。さらに、今回は解放するが自衛隊が撤退しなければ、次の人質は殺す、とも。

そもそもイラク侵略をいち早く小泉政権が支持表明し、憲法違反のイラク特措法をでっち上げて派兵したことこそが、民間NGOが拘束される原因ではないか。ちなみに派兵しなかった中国も仏もすぐに人質は解放されている。

イラクの泥沼化が急加速したのは侵略戦争後1年が過ぎ、10000人以上のイラク人が殺され、現在も殺され続けているなかで、たった4人の米国人の死体の映像が、米国の反発をうみ、ファルージャの大虐殺が始まったことだろう。6001000人とも言われるイラクの人々が殺され、そのほとんどが女性、子供、老人という。サッカー場全体に急ごしらえされた粗末な墓が、米国のスタジアムならいったいどういう反応があるのだろう?憲法も何もない破壊された国の人々の拠り所であるモスクを空爆するというのは、米国ならさしずめホワイトハウスや自由の女神を破壊するのと同じではないか。もはや敵対を超えてシーア派、スンニ派の共通感情として「反米」「反占領」がある。ファルージャの報復は正当なレジスタンスなのだ。こうしたイラクの人々の怒りの前に「自衛隊は人道復興支援に行っているのだ」という語り方がどう映るだろうか?武装した軍人と、単独でイラクに入り、顔の見える関係を築こうとするNGOの人々とどちらが信用されるだろう?そもそも日本にいる私たちが劣化ウラン弾の悲劇を知ったのはフリージャーナリストやカメラマンたちの献身的行動によるものだ。民衆の交流が無ければ友交など生まれるはずがない。

官製の情報操作というフィルターを通した視点では私たちは世界の本当の姿など決して知り得ない。

イラク、ティクリットで起きた日本人外交官射殺事件は、実は「米軍の誤射だった」という説が指摘されている。米軍誤射説は、国会でも討論されたが、事件から4ヶ月もたっても完全に解明されてはいない。狙撃されたランドクルーザーは、最近やっと日本に運ばれ、警察庁が検証して45日に捜査報告書を出した。報道では「米軍の誤射ではない」とされたが、以前から指摘されていた疑問は何も解決していない。

「ボンネットの弾痕、フロントガラスの弾痕、右側の窓に弾痕が無いことが重大な疑問。テロリストのカラシニコフ(AK47)と言われてきたが、同じ口径(7.6ミリ)で米軍ハンビーに搭載している機関銃M240Bの可能性がある。

36発の弾痕がありながら、現場に薬莢がひとつも残されていないこと。カラシニコフなら周囲に飛び散る。M240Bは銃座の周りに落ちる。目撃情報にあるように車の窓から身をのり出してカラシニコフを射ったら道路に薬莢が散らばるはず。また、銃を射った高さが矛盾するが、背の高い米軍車両バンビーでなく乗用車の高さに整合させてある。

奥大使のパソコンは、2月中旬に外務省に戻されていたが、警察庁には報告されなかった。外務省がパソコンを秘匿している情報が警察庁に伝わり、同庁は激怒した。(あなたがたは証拠隠滅をはかる気か)外務省は渋々パソコンとデジカメを渡した」(週刊ポスト04.4.23

米軍は極度な緊張状態を強いられている。なにしろ大虐殺のあとを占領軍として見張るのだ。どこから反撃されてもおかしくない。たとえ老人、子供などでも音がすると引き金を引く有り様だ。それほど緊張した米兵の前をナンバープレートをはずしたランドクルーザーが猛スピードで疾走すれば射たない方がおかしいだろう。しかし対米追従の小泉政権にとって「米軍誤射」だけはたとえ事実でも絶対にあってはならないことなのだ。「なに、阿呆な国民なのだから簡単にだませるさ」くらいのものか。

新たな人質、2人の日本人ジャーナリストは拘束されたままだ。日本が米国側でいる限り、日本人に安全はやって来ないだろう。対テロ戦争は終わりが無いからだ。

2004.4.16 高木

「イラク人のことをきらいになれないんです」

 

「日本の首相が彼らのことをテロリストと呼んだことが事態を複雑にした。彼らはテロリストでなく抵抗組織だ」(イスラム聖職者協会クバイシ氏)

「自衛隊はイラクに人道支援に行っている」と、いくら日本国内で声高に主張したところで、イラク人には占領軍側としか映らないことと似ている。

イラク人質事件の5人は、どうにか解放され日本に帰って来た。しかし、5人の共通項である「反戦」と「自衛隊撤退要求」によって、5人は日本政府から反体制勢力とみなされ、政府が仕掛けたネガティブ・キャンペーンにより、右派系マスコミやインターネットによる誹謗中傷が続いている。政府は事件発生から一貫して「自業自得」「自己責任」といった態度をとってきた。そのような視点が、またたく間に日本中に拡がった。被害者家族に「人に尻ぬぐいさせるな」「最初からヤラセだろう」「死ねばいい」といった電話やFAXが殺到したという。

飯島勲首相秘書官の「まいっちゃうよ。家族の中に過激集団がいてさ」という言葉が、保守的な日本人の偏狭な感性を一気に爆発させた。他人を救う事は苦手だが、貶めるのは大得意なのだ。

かくして帰国途上の3人は、人質事件以上に誹謗中傷によって重篤な精神状態に陥ることとなった。本来なら歓喜に包まれるはずの帰国が、極度の鬱状態で疲労困憊の状態だった。きっと、とんでもない恫喝を受けたに違いない。

「官邸も公安関係者も防衛庁幹部も(どうせ共産党の人間だろう)(事件が片付いたら、家族のことを徹底的に暴いてやる)(何様のつもりだ)と憤りを隠そうともしなくなりました」(週刊現代04.5.1

後発の人質となった渡辺修考(36)422日の民間FM放送で「犯行グループは派兵している国について責任はその政府にあるとしている。イラクは現在、派兵以前に危険な状態。自衛隊派兵は論外。陸自の増派が予定されるらしいが何が起きるかわからない。さまざまなボランティアを行なってきた人々には感謝している。政府の強行策に疑問を持っている。少し準備しなければならないが、またイラクに行くつもり」と語った。(J-WAVE.ジャム・ザ・ワールド)

人質拘束中にサラヤ・ムジャヒディーンが送った声明はアルジャジーラで放映されたが、日本で詳しくは報道されなかった。そこには「自衛隊撤退要求」が書かれていたからだろう。

人質事件によってこの国が国民を守らない事がはっきりとした。あろうことか被害者が物も言えぬ程にバッシングされることも。小泉首相は終始一貫、人質の家族の面会要求に答えず、会おうともしなかった。口にする言葉はポチの「ワン」のごとく「テロに屈せず」のみ。

49日小泉首相は自衛隊派遣を決めた責任についてどう考えるのか記者に問われ「私自身の問題じゃありません」と答えた。

そもそも問題をさかのぼれば、人質事件を発生させた「自己責任」は5人の人質を通り越して政策として対米追従を決定した小泉首相に行き着くのは明白である。もっともそれを理解しているのが日本人よりもイラクの人々であるのも皮肉な話だ。

決して自分たちは危険な目に合わないと思っている支配層と、危険を想像する能力の無い連中が、「イラクは日本で報道されている以上に悲惨な状態」と現場を見てきた人たちが話すことを妨害するのは当然だ。人質家族の井上綾子さんは「箝口令が敷かれているんです。私たちはいま発言することができないんです」と何度も訴えたという。自衛隊は政府が語る通りの「人道支援」に行っていることにしたいからだ。ましてや劣化ウラン弾の被害の生々しい現実などさわがれたら無防備で派兵している自衛官の被爆について責任問題になってしまう。湾岸戦争症候群のように発症してもすぐに因果関係がバレやしない。自衛官の安全なんか知ったこっちゃない。なにしろ初めての海外派兵をなんとしても成功させたいのだ。という程の目論見だろう。

それにしても日本人の、特に政府の情け無い程の貧困な感性が世界に知れたようだ。日本で沸いた「自己責任論」について海外の反応である。

「リスクを覚悟しなければ世界は前に進まない」パウエル米国防長官

「人質事件について日本政府の対応を鋭く批判」ル・モンド紙(仏)

「自己責任論に基づく批判は、イラクの惨状を伝えようとし、子供たちを助けようとした若者たちへ態度とは思えない」バクダッド大サルマン教授

「無事に帰国した人への批判がでている日本の雰囲気に違和感を覚える」韓国外交当局者

「政府に都合の悪い自衛隊派遣問題、人質事件に関して、被害者を非難することで政府責任の回避を図っている」南ドイツ新聞ヘンリック・ボーク東京特派員(04.4.23静岡) 日本は裸の王様か。

NGOの活動やフリージャーナリストの取材が無ければ民衆の姿や侵略の現実を私たちが知ることは不可能だ。改憲を称え、海外派兵に賛成したマスコミが、むごたらしく殺されたイラク市民の姿を報じただろうか?大規模な空爆の下の阿鼻叫喚を伝えただろうか?好戦的主張は戦争の実態を避ける事でしか語れないはずだ。すでにこの国はポストに反戦のチラシを入れただけで逮捕、拘留され、トイレに「反戦」と落書きしただけで懲役を食らう程の戦時体制にある事を再認識しよう。国家という括りで、国民という立場で語られるものがどれ程世界の現実から乖離したものか、日本人は半世紀前に思い知ったはずではなかったか。この国の常識が世界の非常識であることがあちこちで露呈している。

思考停止してしまった日本人が支配層の意のままに管理され操作されている。何事につけても場当りな反応しかできず、意味のないランキングに右往左往する。平和志向の価値観を構築出来ぬままひたすら不安を再生産し続ける…

そんな日本が海外のランキングで先進国21ヵ国中、21位と2年連続で最低の評価を受けた。米外交専門誌「フォーリン・ポリシー」による先進国が途上国の貧困問題解決のためどれだけ貢献しているかを示すCDI(開発関与指数)ランキングだ。

小泉首相の「コクサイコーケン」が「対米貢献」にすぎないことのひとつの傍証かもしれない。

人質を経験した5人の、人質となるまでの情熱や行為を理解出来ぬまま国際貢献や人道支援を口にするのは完全に間違っている。

2004.4.23高木

匿名の暴力刀剣友の会

 

「自衛隊のイラク派遣に公然と反対した人もいるらしい。そんな反政府反日分子のために数十億円もの血税を用いることは、強烈な違和感、不快感を持たざるをえない」自民党柏村武昭参院議員が26日の参院決算委員会で、イラクで人質にされた日本人について語った。堂々と胸を張る全体主義がここにある。

「丸」という軍事雑誌が刊行されている。この分野では「軍事研究」とともに草分け的存在だ。以前から違和感を感じているのは、太平洋戦争当時の事件(侵略)や事象が、現在の軍事関係の記事と、時系列を無視するかのように併記されていることだ。たとえば最新式のMD(ミサイル防衛)システムの次の頁には、ゲートルを巻いた旧日本軍の兵士の姿があったりするわけだ。旧日本軍への強烈なノスタルジアが息づいている。太平洋戦争は日本が惨敗し、2000万の命に対する償いとして二度と戦争をしない事を誓った平和憲法第9条の下に軍事とは異なる民主的な選択をしたはずではなかったのだろうか。ここ数年、特に「9.11」以後において軍事関係の雑誌は、さながら百花繚乱の様相を呈している。まるで氷結が溶け、日陰にあったものに陽が当たり始めたように。

自衛隊のPR誌も威勢がいい。全体に感じられるのは(水戸黄門テレビドラマシリーズのように)現実の戦闘の惨状が欠落している事だ。そこにはいわゆるフリージャーナリストやフリーフォトグラファーによる足で稼いだ生々しい戦場の現実が無い。広河隆一や森住卓、石川文洋などの視点は人間による人間へのまなざしだ。被害者や弱者、殺される側に立った視点は戦争遂行には邪魔でしかない。ゆえに飛び散った肉片、血液、焼死体などは本質的に軍事雑誌が受け付けない。死を指向するはずが死を排除するという矛盾(虚構)はフィクションに寛容になる。だからこそ、この分野に、ごっこ遊びでしかないサバイバルゲームが親和性を持ち、どこまでが現実で、どこまでが虚構かという境界をあいまいにする。恣意的な世界が、所詮殺人でしかない戦争を美化し、憧憬の的にさえしてしまう。時系列さえ流動的になり、ドイツなら出版禁止になる程のナチス賛美も日本では可能だ。

本物と見誤る程のミリタリーグッズが通販やネット販売で簡単に手に入り、限り無く戦争肯定の雰囲気を醸成してゆく。戦争可能な社会、憲法第9条の無視は実は50年以上かけて日本がひたすら育んできたものだ。イラク人質事件の被害者が言葉を失う程、まるで加害者のごとくバッシングされる異様な社会は、旧軍隊と臨戦体制にある自衛隊と、集団主義、全体主義に何の疑問も持たず思考停止した人々が共有する国家意識が正当性を与えているものに他ならない。

国際的には、日本政府と右派ジャーナリズム、そして多くの大衆によるイラク日本人人質事件被害者バッシングは異様に受けとられているようだ。

言うまでもなく(人権、民主主義の成熟度)の問題なのだ。日本の教育も政治も社会もひたすら避けてきた民度の判定結果を、事件を通して世界が知る機会となったわけだ。そして少なくとも、戦地であるイラクに「人道支援」という名目で武装した軍隊を送った日本に、5人の人質となった、国境、人種、文化、宗教をも超えて人間としてイラクの人々のために活動しに行く勇気と責任と実行力を持つ人たちがいたことを知る機会にもなっただろう。

5人に対して行われているひどいバッシングが匿名であることは重要だ。不況下の日本という管理社会の閉塞感が巨大なエネルギーとなった可能性があるからだ。インターネットや電話、FAXなどは匿名の暴力を行使する道具と化した。アンフェアな政治はアンフェアな社会をつくる。

アーレフ(旧オウム真理教)道場、社民党、外務審議官宅、野中広務事務所、加藤紘一事務所などに実弾を撃ち込んだり、実弾を郵送したり、擬似爆弾を仕掛けたりして逮捕された村上一郎被告(55)は主催する「刀剣友の会」のメンバーとともに匿名の行為を続けた。軍国主義はおそらくこうしたイデオロギーが支えるのだろう。

429日朝日新聞によると、擬似爆弾の報道を受けて石原慎太郎が「爆弾仕掛けられてあったりまえだ」と語ったことに対して村上被告は「あんな立派な人が我々のやったことを肯定してくれている」と感銘したという。

国家を至上とし、異論・反論には耳を貸すことなく暴力で封じ込める。そのためには合法・非合法を問わない。村上被告や石原慎太郎に共鳴する日本人は、もしかしたら5人質事件の被害者を擁護する人々よりも多いかもしれない。敗戦後の日本社会は人権、民主主義について個々のケースが国際的に論証され、ひろく認知されることがなかったのかもしれない。画餅とはこのことだ。

人質事件は、国家と個人についてさまざまな問題を提起した。全体や集団が気になる人々には上意下達として「自業自得」や「自己責任」の大合唱を、5人の人質の立場を理解する人たちには愕然とする程の日本の貧困な民主主義の実態をさらけ出していた。関東大震災における、扇動された民衆による朝鮮人や社会主義者の虐殺が再発する可能性は充分すぎるほどだ。自覚も反省も欠いた全体主義が鳴動している。

イラク侵略は、まだ終わっていない。それどころか混乱が増すばかりだ。イラクの人々に本当の平和が訪れるまでに長い時間が必要だろう。人々の中に入ってゆき、顔の見える関係で支援するNGOの役割はますます大きくなるだろう。イラクの人々も必要性を強調しない自衛隊員が負傷したり、殺されたり、イラクの人々を殺したりしてからあわてるのでは遅い。百害あって一利なしと言える占領軍の存在は、国際的にも正当性のかけらもない。いったい石油の無い国で同じことが起こっただろうか?

米政権の失敗のツケをイラクの人々が払うのは不条理でしかない。軍でなく民間の力が今こそ必要だ。だからこそ5人の人質となった日本人の正当性を回復すべきだ。「決して謝罪などしないでほしい。あなたたちは被害者でこそあれ、何ひとつ悪いことをしていないのだから。私たちはあなたたちのような勇気のある市民を持ったことを誇りに思う」(04.4.30朝日 上野千鶴子東大教授)

2004.4.30高木