「日本政府よ!嘘をつくな!」

 

アブグレイブ収容所の米兵による(虐待、拷問)を、日本国内における人権感覚の再考の契機とするべきだと痛感している。アムネスティ・インターナショナルは米軍のイラクにおける人権侵害と同列に名古屋刑務所における、刑務官による受刑者への暴行、虐殺などを指摘した。

そういえば、イラクの米兵は、これでもか、という程の暴虐の限りをつくしたが、名古屋刑務所のように受刑者の肛門に消火用ホースで注水して殺したりはしていない。イラクでは水が貴重だからだろうか。それで自衛隊が給水に?まさか!

ともあれ、イラク人質事件に対する日本政府とたくさんの日本人による被害者バッシングにより、この国の異常な人権感覚が、あらためて世界中に知れ渡った。戦争可能な国、全体主義国家に加速するこの国の行く末を考える時、この国の人権を抜きには語れない。多くの人々が日常的に接するマスコミの情報を根本から疑わない限り“異常な国の人々”と呼ばれることを免れない。すでに私たちはおどろく程の虚構と、ほとんど見つける事が不可能な真実の世界に在る。

13年ぶりに日本に帰国したJICA理事長、緒方貞子(前国連難民高等弁務官)は日本人の指向が内向きになっていることに驚いたという。そして人質となった人々を村八分に扱って非難した日本人の反応が国際社会の評価をかなり落とした、とも。

いかに右傾化した社会であるかを、まだ続くバッシングで考えてみよう。曽野綾子は、女性セブンで人質救出にかかったとされる莫大な税金に関して「10年でも20年でも月賦で返せ」と発言。彼女の夫三浦朱門は文芸春秋で「自衛隊員がイラクで死んでくれれば、憲法改正の尊い犠牲になる」と語ったそうだ。

ペルー政府から告訴されているアルベルト・フジモリをかくまった曽野綾子は、かって笹川良一が会長を務めた日本船舶振興会の別の呼称「日本財団」の現会長である。この組織と密接な関係にあるのが「東京財団」で保守・右翼のシンクタンクと言われている。

「イラク日本人人質事件」と、その発端としての「自衛隊イラク派兵」が、情報操作の結果であることを告発する本が出版された。「日本政府よ!嘘をつくな!」(グローバル・ウォッチ編集 作品社2004.5

イラクの民主化運動リーダー、アブデル・アミール・アル・リカービ氏が200312月に来日、小泉首相と会談した際、日本政府が行なった情報操作と、人質事件において情報操作が行われたことが詳細に描かれている。人質事件では日本政府は何の情報収集力もなく、まったくの無策で三人の人質の命を危険にさらす無神経・無責任な発言を繰り返した。市民のネットワークが世界の市民ネットワークを通してイラク民衆のレジスタンス・ネットワークとつながり、アルジャジーラやその他のマスメディアよりも早く情報を入手、グローバル・ウオッチ・パリが日本にインターネットで発信。さまざまな市民団体のもとに転送され、日本の反戦市民団体は政府への抗議行動に取り組み、それがマスメディアを介してイラクや世界に発信された。世界市民による、もうひとつのネットワークが出現し、解放の一助になった。

「緊急時、国民は国に保護される権利があり、国は保護する義務がある。日本政府は(人質の3人を保護せず)ペルーのフジモリ前大統領に特別な庇護を与えている。国際刑事警察機構から指名手配されているフジモリこそ自己責任をとるべき」(グローバル・ウォッチ・パリ/コリン・コバヤシ)

リカービ氏はイラク民主的国民潮流(CONDI)のスポークスマン。1991年、CONDIは反フセインの22のイラク政党、政治団体により設立。「憲法制定国民会議」を提唱する。これは米占領当局やイラク統治評議会などとは対抗的なもの。リカービ氏は反政府運動で何度も投獄され1995年にパリに移住。反戦・反グローバル運動の国際会議に積極的に参加、イラク支援を訴えてきた。週刊ポスト(2004.1.9号)(26号)は、官邸筋からの情報として、「小泉政権はリカービ氏の仲介で、イラク南部の部族長たちに自衛隊のボディーガード代として100億円支払った」と報道。(2003.12.3)のNHKテレビニュースでは「自衛隊復興の予定地サマワのあるイラク南部出身の民主化運動リーダーが来日、日本政府に復興援助を要請」という内容。

リカービ氏夫人が報道を見て、夫が騙されて、米英のイラク占領肯定の宣伝に利用されていると激怒した。

テレビ朝日(ニュース・ステーション)でも、イラク占領に反対し、それゆえイラクに入れないでいるイラク民主化のリーダーが自衛隊派兵にふれないまま、日本の首相に人道復興支援を要請などと不可解な報道がされた。

リカービ氏は世界社会フォーラムなどで「自衛隊のイラク派遣は不必要かつ有害である」と明確に断言している。

リカービ氏は東京財団の佐々木良昭氏の仲介で小泉首相と会談する目的で日本政府に招待された。また岡本行夫首相外交補佐官は報道番組で田原総一郎に「岡本さん、この人を知っていますか?」と聞かれ、狼狽した様子の岡本氏は「知らない」とぶっきらぼうに答えた。しかし彼はリカービ氏を招待し、日程を仕切ったとされる東京財団の評議員である。

2004127日、リカービ氏から小泉首相への書簡。

「総理官邸スポークスマンが、日本政府がイラク派遣の軍隊に保護を提供してもらうため100億円をイラクの部族長に支払う。これはリカービ氏との間で契約が交わされた、とされるが、私たちは財政問題を一切扱わず、一円たりとも受領していない。軍隊を守るとも約束していない。この内容を新聞社やTV局に発表していないし、公表もしていない。責任は最初に情報を発した関係者にある。法的措置をとる」

イラクにおける自衛隊の駐留について、それを拒否することを宣言します。貴職の軍隊を占領軍と見なします

日本政府は6月末、イラク主権移譲後に新国連決議に基づく多国籍軍に自衛隊参加を検討しはじめた。治安維持の多国籍軍に参加なら何重にも違憲となる、米軍主導の多国籍軍は武力行使そのものということだ。

何が人道復興支援だ。すべての間違いの根本として「イラク戦争の大義」を正確にしなければならない。政府は最初の嘘を正当化するために次から次へ嘘を重ねる他ない。守るべき国民の命を担保にしながら…あなたは聞こえないか?「どうせ死ぬのは俺じゃない」

市民が世界大のネットワークを獲得した現在、「国益」とはいったい何だ?富の偏在を許し、殺される人々を特定する価値観が産んだのは、終わることのない暴力の連鎖でしかなかったではないか。私たちはこの国の政治を正視すべき立場にある。

2004.5.28 高木

戦場・銃後の「狂気」

 

肛門に蛍光スティックやほうきを挿入、電球の有毒リンをふりかける、犬の首輪をつける、指や性器に電線を付け電気ショックを与える、マスターベーションの強要、女性を強姦、負傷させて素人が傷口を縫合、ブーツで身体を押さえながら尿をかける、女性のパンティーを履かせる、これらの行為を写真やビデオで撮影する。

 B級ポルノでさえもっとまし、と思えるおぞましい行為をイラク占領軍がイラク民主化のために行なっていた。ニュースがR−18指定になりそうなイラク人虐待事件は、占領軍の掲げた正義、人権、民主主義が低俗ポルノ以下であることを暴露した。C.I.Aが関与した疑いといわれるが、もともと人を欺く為の機関だから疑いが晴れたところで信用できるはずがない。さらに軍事組織は上意下達の典型だから、直接の関与があろうとなかろうと、上層部の意志の反映であることは言を俟たない。アフガニスタンからキューバのグアンタナモ基地にさらわれたままのテロリスト容疑者にも、同じかさらにひどい状態が予想される。彼らはきっと空爆で死ななかった事を後悔しているに違いない。ともあれまったく理由も無いまま家族や友人を殺され、家を破壊されたイラクの人々が、死にも等しい屈辱を受けて、米国、英国、そして何があっても米国支持の日本をどう思うだろう?イスラム聖職者協会のアルクバイシ師は、虐待した者は人間でなく動物だ。報復に値する、と明言した。超大国の力任せのイラク侵略を許す事が何を生むかについて世界は考えが及ばなかった。嘘っぱちの、民主主義という言葉に簡単に騙された。特に日本人は想像力の貧困を自覚すべきだろう。初めての3軍による参戦を果たしたが、侵略も占領もでたらめの大義でしか無かった。「ジンドーシエン」なんて言ったところで駐留し続ける理由がもともと無いのだ。圧倒的武力を誇る米軍が、圧倒的に貧困な想像力を行使した結果が現在のイラクにある。もはやなすすべがない状態として。

米国はファルージャのたった4人の米国人傭兵の死体映像に激情、節操もなく老人、子供、女性を問わず大量殺戮を行なった。国内ではABCテレビによる721人の米戦死者の氏名と顔写真の読み上げ放映、また、タブーであった米戦死者の本国帰還基地、ドーバー空軍基地に情報公開請求により星条旗に包まれた棺の写真を入手、ワシントンポスト紙が報じた。戦争のリアルに触れて米国民がゆれている。米世論のこうした動きにつくづく感じるのは、救いようのない鈍感さである。しかしこの独断と偏見に満ちた鈍感を、残念なことにただ笑うわけにはいかない。言うまでもなくそんな愚鈍な帝国に、何の疑問も持たずに大金を送り自衛隊を送って追随しているのが日本なのだ。間違いなく世界は苦笑している。

戦争について米国民はどれほど具体的、現実的にとらえているだろうか。直接米国人の死体を見せられるまでは、死を隠蔽したプロパガンダ通りにしか考える事がなかったのだろう。まるでTVコマーシャルをそのまま信じて買いつづける消費者のように。そのような人々が、イラク民主化のためのイラク人虐待を思い描けなかったのは容易に察することができる。要するに知性も教養も想像力も無いということだ。 

戦争で敵を殺すのはスイッチを切るように簡単ではない。相手を死に追いやるまでの、考えうるすべての可能性(方法)と過程を考える必要がある。人間の善の可能性は情け無い程小さいのに、悪の可能性は無限と言ってもいいほど底無しだ。特に日本の歴史を考えれば自明だろう。アブグレイブの虐待なんか目じゃない。レベルが低すぎる。

銃弾が一発で急所を貫くのはもっとも短い過程だ。肉体的、精神的に延々と苦痛を重ね長期にわたって人間性を奪ってゆく過程が今回暴露されたイラク人虐待事件だが、公表された以外にもっと凄まじいものがあるはずだ。そもそもCIAの目的も手段も民主主義とは正反対であることは言うまでもない。そんな情報機関が国家を左右しているのが米国なのだ。最近出版された「監視と密告のアメリカ」(ジム・レッデン04.4.1成甲書房)が的を得た表題であるように、一部の特権階級のために超監視社会が仕組まれ、国民同士が密告し合うという「1984年」を超えたものが米国だ。 

余談だが、全体主義的超管理社会を描いたSF映画「華氏451」は30年以上前に観たが、鮮明に記憶している。「ボーリング・フォー・コロンバイン」のマイケル・ムーア監督の新作はそれに因んで「華氏911」だが、ディズニーが配給を拒否しているという。ますます楽しみだ。「頑張れマイケル!くたばれブッシュ!」。

さて、99年以後の日本の急激な変化、すなわち実戦可能な軍事体制構築と社会構造の二極化(勝ち組、負け組)は全体主義的超管理社会の別の言い方だ。モデルとしているのは言うまでもなく米国。社会保障の凄まじい綻びにより福祉や医療から見放された貧困層。「生存」「生活」を餌にして軍事的に貧困層を活用する社会。厳しい軍務を全うさせるには弱みを握ればよい。兵役を終えれば金が入る、学校に行ける、国籍が取得出来る…。わかっていても反論や異議申立てが不可能な社会がそこにある。

エネルギー保存の法則を思い出してほしい。差別構造の極端な社会で育まれた膨大なストレスは消して消滅などしない。イラクの戦場に送られる兵士たちは抑圧社会において充分過ぎるほど充電されている。戦場で一挙に花開くわけだ。

「虐待事件が明るみに出たアブグレイブ刑務所の任務を終えた帰還兵によると、一日12時間の交替勤務で休日無し。ストレスで飲酒、自殺未遂、ケンカが常態化。うつ状態を解消するためストレス管理部隊が兵士に抗うつ剤を大量にばらまいていたという」(0457朝日)そら見たことか!ストレスは「狂気」のエネルギーなのだ。

戦場の「狂気」はすでに銃後の社会で育まれている。それに気付かない社会が、死体で帰還する兵士を目の当たりにしても我田引水のごとくさらに狂気を増幅させてゆく悪循環に陥る。「わたしは誰?ここは何処?みんな何をしているの?」

アブグレイブ刑務所で米兵が70歳代のイラク人女性を「ロバ」と呼び、四つん這いにして背中に鞍を載せその上にのって歩かせた。お年寄りを大切に。

おそらくハリウッドは数年後に「地獄の黙示録」を超える映画を公開するだろう。しかし、その頃日本は、地獄の真っ只中にいて映画どころではないはずだ。

2004.5.7 高木

いよいよ「華氏451」の時代か…

 

「書店に読みたい本が無い」という声をよく聞く。同感である。

 しかし、裏返すと「書店には読みたくない本がたくさんある」ということだ。そして、夥しい読みたくない本によって書店の経営が成り立っているという現実がある。同様のことがテレビ、ラジオにも言える。

日本には北朝鮮のように思想統制されていないから、さまざまな情報が手に入るはずだ。言論の自由も表現の自由も保障された社会であるはずだ。それにしては書店の様子がおかしい。

大きな書店はともかく、中小の規模の、普通の街の当り前の本屋さんをのぞくと(言論の自由)(表現の自由)の対極を見る思いだ。タレントの本、癒し系、あきれる程細分化されたファッション誌、そして温泉ものと競う勢いの右派保守系ジャーナリズム、多様性を欠き、硬直した内容の品揃えの書店に足繁く通えば自然に週変わりのトレンド情報が手に入るかもしれないが、中東もアフリカも世界全体も、そして何よりもこの国が不明になってしまう。社会的に重要な優先順位が逆さまになっているのだ。つまり、(どうでも良いものの氾濫)と(緊急課題の喪失)とでも言うべきだろう。

「無益なことに考えを誘導し、仕事から離れた時も人々をコントロールせよ」(チョムスキー・21世紀の帝国アメリカを語る N・チョムスキー 明石書店2004

“参戦下”もしくは銃後の風景として考えれば、なるほどと思わざるを得ない。おそらく書店の需要と供給のバランスは狂っていないのだろう。この季節、書店に「知」の多様性を求める方が認識不足ということかもしれない。日本の軍隊が兵站を受け持ち燃料を供給した占領軍がたとえばイラク民衆の結婚式の集団を空爆し、老人や子供たちを殺戮している事実を「ジンドーシエン」と解釈して、滞り無く毎日を過ごすためには「DAYS JAPAN」などの雑誌を目にしてはいけないのだろう。ましてや反戦を口にするような反日分子のように、米国人でなくイラク人に思い入れるなんてとんでもないこと…ということか。

自衛隊派兵の必要性を国会で説明した石破防衛庁長官は「自衛隊は自己完結型の組織である」と強調していた。まさにイラク、サマワにおいて自衛隊は宿営地に引きこもり、現地の人々には何をしているのかわからないまま自己完結している。

これは日本社会の、たとえば書店の状況などと共通のものと言えないだろうか。大きな流れを読み違えて、自己満足的(本人は決してそうは考えていないが)に完結してしまう。思考停止で右にならえ、なら「いかに在るべきか」という問いは出てこない。

迫撃弾が飛ぼうが、銃撃戦があろうが、同じサマワでオランダ兵が手榴弾で殺されようが、小泉首相が非戦闘地域と言ったら非戦闘地域なのだ。

自衛官がサマワの小学校に出向いて小学生たちに日本語を教えていた。自衛官が「ともだち」と言うと小学生が一斉に「トモダチ!」「ともだち」「トモダチ!」…。このニュースを見て「植民地時代」の記憶が蘇ったのは私だけではないはずだ。かっての「南方のヘイタイサン」は今では「中東のヘイタイサン」なのだ。

泥沼のイラク、非戦闘地域に銃を構えて立てこもるジンドウシエンは(拷問、虐待)そして虐殺というイラク全土の現実に対してなんと無力なことか。

「サマワから帰国した陸自隊員も、宿営地内の活動が多く、市民から歓迎されている実感はなかったと振り返っている。」(04521朝日)

人質事件の高遠さんは、戦争被害に苦しむ人たちを考えると、今こそ武器を持たないNGO中心の人道支援が必要と言う。同じ人間として丸腰で現地に接した切実な思いだろう。

イラク人と関わる占領軍、そしてNGOの人々の何が違うのか?それは「差別観」ではないか。どんな言い訳をしようと、それは「世界には死んで良い人間と死ななくて良い人間がいる」という結論に帰結する。アブグレイブ収容所の拷問、虐待の事実がリークしたが、厳格なトップダウンの軍におけるいかなる出来事もトップが責任を取るべきだ。例外は無い。トップが罪を逃げてきたのが歴史ならば繰り返すべきではない。公正を実現出来ないならば軍など解体すべきだ。ブッシュやラムズフェルドに差別観があればこそ下部にまで浸透していたわけだ。生活のために入隊した貧困層出身者はそれまでに自ら体験した差別が転嫁可能であることに気づいたのだろう。差別が差別を生んだとしたら結果としてそれを利用したトップの罪は大きい。何度でも言うが民主的な軍隊などあり得ない。だからこそ派兵される自衛官の苦悩が深いということだ。

イラク人に対して差別観が無ければおそらく拷問も出来ず、殺せないだろう。いくら自衛官でも訓練は可能かもしれないが、目の前のイラク人を殺すのはあまりに重大すぎる。第一、それが国を守ることや家族を守ることではないだろう。

貧相な書店の風景を嘆いたが、もちろん例外が無いわけではない。小さな本屋でも9.11から日本国憲法などのコーナーを揃えたうれしい本屋もある。どのような本を揃えるかはオーナーの意識の高さと経営努力の葛藤であることも伝わってくる。たとえ小さくなっても平和への意志という火を絶やさない心意気はうれしいものだ。豊橋の某書店は、書店を特集した本によると東海一を誇るそうだが、近頃まれにみる正統派だ。特に人文関係の充実は目をみはるものがある。昨年1月に「チョムスキー9.11」の映画を静岡で上映するスタッフとして参加した際に、映画のポスターを頼んだところ快く貼ってくれた。上映後に御礼をかねて「チョムスキー」の手づくりのパンフレットを渡したのだが「9.11チョムスキー、アフガン、イラク侵略」のコーナーをつくって、関係書籍を集めてそこにパンフレットを置いてくれた。現在でもそのコーナーにあるのだが、上映に尽力したスタッフの女性がNGOで滞在するボリビアから一年ぶりに里帰りしたのでそのことを話すと大変喜んでいた。ちなみに彼女はボリビアで出産した子供をボリビア国籍にする決心をしたという。この一年間、日本から伝わってくるニュースがそう決意させた。

日本人である以前に人間として生まれて良かったと思える社会。どんなに考えても軍事で実現は不可能だ。イラクのレジスタンスが日本人のNGOの意識に共感、連帯したことは何よりの証左だろう。

非武装、丸腰の人間しか信頼されないということだ。

2004.5.21 高木