愛知窮迫

 

自分の趣味や価値観を他人に押し付けようとは思わないが、いままでの経験では(私にとっては理解出来ないのだが)古生物、つまり化石などに興味のある人はほとんどいない。地球史や生命史をおおざっぱに説明したうえで、これが4億年前の珊瑚だ、と実物を見せてもピンとこない人が多い。「それが、どーした?」と浮かぬ顔をされるのがオチだ。それほど人の興味が多様ということなのだろう。それは、私がスポーツの話を聞かされてもあくびが出るのと同じ事だ。

愛知万博で冷凍マンモスが展示され人気だという。妙な話だ。ほんとうは多くの日本人は、たとえ数万年前のものであろうと、そんなものに興味などあるはずがない。なにしろたった60年前の出来事さえ忘れ去って平然としているのだから。本当は興味なんか無いものを、わざわざ金を払い、行列にまで並んで見に行くには、動機が必要である。それはこの国の人々がファシズムに抵抗感がないこととおおいに関係があるはずだ。自分だけの判断ならまったく興味無い対象が、自腹を切って長い行列にもめげずに行動する重要な対象になるためには、価値の変換が必要であり、場合によってはそのために思考停止さえ必要になる。為政者が用意するさまざまなもの(たとえ興味が無く、嫌いでさえあっても)に、疑問を抱く事も抵抗することも無く受容する感性だ。これを継続するには、思想、信条など邪魔だ。昨日まで「鬼畜米英」をスローガンに、特攻さえ神聖化して殺そうとしながら、敗戦の途端に親米を語って恥じない変身可能性とは、個を形成せず、それが何であっても全体に一体化してきたからだろう。

過去にさまざまなイベントが開催されてきた。昨年の「浜松花博」もそのひとつだ。見学者はきっと、それが植物の性器展であるなんて思いもしなかっただろう。もっとも国や自治体が動物の性器の博覧会を(大量動員可能であっても)開催することはないだろうけれど。ともかくさまざまなイベントの動員数にはいつも驚いたり呆れたりする。そして「みんなが行くから」というキーワードが、展示物への興味をはるかに凌駕する現実にこの国の体質をいつも痛感せざるをえない。個別の好き嫌いや興味をこえてとにかく集団であること、一体であることが前提となる。もちろん本質は問われないまま。

改憲論が日増しに浮上しているが、戦争可能にするための集団主義や全体主義は、戦前に通底する情念として少しも劣化することなく待機しているということだろう。為政者によるでっち上げイベントが成功するメカニズムがここにある。

衛星放送、インターネットなどメディアの多様化は選択肢の限り無い増加だ。誰もが、その道のエキスパートになれる時代ということだ。ところが現実には、その可能性が不発に終わっている。たとえば保守化、右傾化するマスコミが隠す情報を暴くべきなのに個別に分断されとじこもるばかり。ここには「豊富な情報」と「貧困なコミニュケーション」がある。本来、有機的ネットワークが必要な人間が、無機的な環境づくりに自ら加担するわけだ。そしてこれこそが個別に襲い掛かる大不況と失政の付けまわしに立ち向かうべき連帯を奪うことになっている。人々も細分化、断片化してゆく。コミニュケーション不全にあっては、深い感動を共有することなど有り得ない。純愛がブームになるほどこの国は病んでいる。むしろ頭を空っぽにしてスポーツなどに熱狂するほうが(たとえ一時的にせよ)満足が得られる。不況そっちのけの、その場しのぎのイベントなどもこの類いのガス抜きとなる。

ところで、現在の日本を確認しておこう。90年代に大企業救済策として総額140兆円、銀行救済策として38兆円もの公的資金(税金)が使われ、同時に高額所得者の大幅減税がおこなわれ、大企業には法人税減税、そして膨大な国債発行が行われた。もちろん軍事予算は世界第2位(03年度では61000億円)。底知らずの大不況下にもかかわらず、医療制度改悪、年金制度改悪、介護保険制度改悪、そして07年度には消費税18%に値上げが予定されている。そして憲法第9条改正となれば、さまざまな異議申立が封じ込められるだろう。国と地方の借金は1000兆円とさえいわれている。とても浮ついた政治が出来る状況ではないのだ。

愛知万博のテーマは「自然の叡智」だそうだ。これは実は「土建屋行政の叡智」であり「開発の叡智」だろう。サブテーマは3つ。@宇宙、生命と情報A人生のわざと知恵B循環型社会、という。きっと@はMD(ミサイル防衛)、遺伝子組み替え技術、Aは戦争参加、グローバリゼーション、階級社会における格差拡大、Bは脳死臓器移殖医療や底辺労働者の使い捨て、ということだろう。

言葉は、抽象的であるほど嘘をつきやすい。身近でなく他人事だからだ。本気で取り組むなら身近な問題から始めるべきだ。具体的に語られる環境問題は地域問題であり、平和問題は個別の基地問題で反戦問題だ。

破綻寸前の日本経済において万博を開催することの意味をよく考えたい。もともと地元有力者が土地で儲けようとしたことから始まり、当初から反対論と対立してきた。1997年まではトヨタでも積極的でなかったが、この年、プリウス(ハイブリッドカー)を発表、21世紀は環境は最大の商品になるとして、国際的に環境問題をPRできるチャンスとして万博を重要視するようになったという。

地元陶芸家・荒川友雪氏は、会場近くに「祝!ペテン万博2005」の看板を立てた。さらにホームページでは「愛知万博はトヨタ主導、自然を破壊してパビリオンが建設され、時代おくれの大型公共土木工事の時代おくれな発想。莫大な税金投入に抗議する」と声明を出している。

愛知県は一人当たり約53万円の借金をかかえているという。万博が終わっても原状復帰して県に土地を返却しなければならないが、取り壊し費用の見込みもないとう。終了後に税金が上がるのは間違いない。

何よりも自然や生命などとうたいながら、たくさんの野宿者を排除して開催された事実が、ペテン万博の本質を物語っている。ちなみに愛知県ではトヨタ万博と呼ばれるそうだ。

さて、腐敗寸前のマンモスの端くれやロボットにあなたはどれだけ興味があるのだろう?それらを破綻寸前の日本経済において為政者が祭り上げることの意味をよく考えよう。

2005.4.1高木

遠隔操作で失われるもの

 

フィクションとノンフィクションは対立しない。むしろ重複し、流動的な階調を持ちそれゆえ厳密に一方に留まることがない。交換可能ということだ。だから視点が変わった途端に、嘘が本当になり善が悪になり「勝てば官軍」にもなる。

オウム関連事件で初の死刑が確定した。裁判に時間がかかりすぎるという声も挙がるなか、いったいオウムの何が真実で何が虚構だったかほとんどの日本人がわからないまま「死刑確定」を聞いている。あれよあれよと意表を突く事件の連続が、判断力を麻痺させたかのように、ひたすら成り行きを受容するだけの在りようが今も続いている。

1963年、史上初の衛星中継映像として米国モハービ砂漠の荒涼とした風景が流れ、臨時ニュースとしてケネディ暗殺が報じられた。日米の、映像を介したコミュニケーションが、意表を突いてこうして始まったことがその後を象徴しているように思える。映像から透けて見える恣意性が薄ら笑いしているのだ。ケネディ暗殺の虚構性は、犯人とされたオズワルドが護送中に射殺される映像で佳境に入る。世界中が注視するなかで殺人がおこなわれたのだ。テレビがモノクロームの時代で、粒子の荒い映像だった。40年以上たった現在までに、さまざまな陰謀説や推理が現われては消えていった。映画化までされたケネディ暗殺は、けっきょく曖昧なままで、どこまでがフィクションでどこまでがノンフィクションなのか不明だ。粒子の荒い暗殺シーン映像も今では記号化され無味乾燥の情報でしかなくなっている。ちょうど月面に降り立ったとされるアポロの乗組員の映像にリアリティが無かったように。

数十年前とは比較にならないほど大量の情報に翻弄される私たちだが、相次ぐ歴史的な大きな出来事の連続にもかかわらず、リアリティの無い日常が上滑りしてゆく。

「戦後日本は豊かになり、苦しみが目にみえるものから見えないものに変貌した。結果として、人々が自らの苦しみから疎外されてしまったのではないか。疎外は無関心やシニシズムを装う事が多い」(ノーマ・フィールド シカゴ大教授 0547朝日)

おそらくこの国の異常な無関心やシニシズムは、テレビ画面にすべてのリアルを封じ込めた結果なのだろう。預金したものが、勝手に使われてスッカラカンになった年金のように、気がつけば私たちの感覚が意図せぬまま変換されてしまっている。シナプスの誤作動だ。何をどう感じてどう表現したらよいかさえ解らなくなった人が現われはじめた。

「インターネットで遠隔地の銃を操作して家にいながら動物を撃つオンライン・ハンティング計画が米国で持ち上がった。ライブ・ショットというサイトで、牧場内に設置したライフルをインターネットで操作し動物を撃つ。会員は20分で10発の銃弾が予約可能。羊、アンテロープ、野生のイノシシなどで倒した動物の肉を届けるサービスも」

(5.    47朝日)

驚く事はない。戦争はすでにかなり遠隔操作化されている。いまや最前線の兵士から司令部までを貫く発想は、「いかに戦争のリアリティを無くすか」であり、コンピュータが欠かせない。遠州磐田市北部でよく無人ヘリコプターの試験飛行をしている。農薬散布用に開発されたヤマハ発動機製2ストローク250ccのそれは軍事用に改良されてイラクサマワ上空で監視任務を継続中だ。危険な作業の無人化がすすむ。

ブッシュ政権のネオコンにしろ小泉政権の2世議員にしろ、なぜ強行策が可能かというと、戦争の(殺人という)リアリティが欠如しているからだ。彼らは血を浴びないし死体の臭いも嗅がず殺される心配もない。石原東京都知事の桁外れの傲慢は、リアリティの欠如がもたらす絶大なる自信によるものだ。そこには弱者を想う回路は初めから無い。そんなものは彼のアイデンティティを脅かすものでしかないからだ。

為政者と国民の(リアリティの無さ)がファシズムを可能にする。すでに民主主義、人権が堂々と踏みにじられる状況がある。

月刊誌「創」(054月号)、「世界」(053月号)、週刊金曜日(0541)などが一斉に公安警察批判を展開している。すでにビラ投函で逮捕される時代でありそれを大手マスコミが話題にもしない社会にわたしたちは住んでいる。

例えば、天皇が移動する前に危険な人物を事前に逮捕、無罪になると判っていても裁判に6年かかるから起訴する。噂話まで拘留状や逮捕状の根拠にされ裁判所もその請求に応じている。普通なら微罪のケースでも政治的意図で家宅捜索する。保釈もなかなか認めず、起訴後も接見禁止を解かない。市民運動潰しの嫌がらせで暴力で挑発して逮捕、必要もないのにガサ入れ(家宅捜索)をする。

「公安は自らの存在意義を示すために事件をつくります。とくに今は、過激派なり外国人テロ組織に動きがないからよけいに一所懸命になって事件をつくってます。ビラ配り逮捕がその典型」(週刊金曜日05.41)

森達也は自らビデオカメラを回している時に偶然、警視庁によるオウム信者への不当逮捕を撮影した。「初めてカメラに記録された転び公妨」である。

狙いをつけた人物の目の前で、警官が自ら転び、オウム信者に暴行を加えてから公務執行妨害容疑で逮捕、さらに傷害罪まで加えた。しかも衆人環視の前だ。警官と信者の押し問答のあいだ「やれやれ!」「殺してしまえ!」などの怒号が群衆から絶え間無く起こり、信者が路上に押し倒された時には歓声や拍手まで沸いたという。そのテープを弁護士に渡し、信者は即座に釈放された。しかし報道するメディアは一社もなかったという。(ドキュメンタリーは嘘をつく 森 達也 草思社2005

権力が潰したいと望む相手を「過激派」「オウム」「北朝鮮」「テロリスト」などと名指すだけで社会全体が排除にかかる。あとでデッチアゲや嘘だったことがわかってももちろん修正などしない。カルトの盲信にも等しいものがここにある。

リモート・コントロールは便利だ。リスクが格段に小さくなる。しかしリアリティは決定的に失われる。少女たちはすでにリアルを求めてリストカットさえはじめた。

大半の大人がそれを理解出来ないままだ。

「不平等の弊害のひとつは想像力の欠乏です。自分とかけ離れた境遇の人間の痛みが分からない」(ノーマ・フィールド 『教養の再生のために』 加藤周一、ノーマ・フィールド、徐京植 影書房2005

2005.4.8高木

戦後生まれの涙 

 社会全体があるものを「悪」と名指す時、何が可能になるだろう?私たちはいったいどこから来て、どこに向かうのか?この2つの問いを日本人は60年留保してきた。歴史認識のモラトリアムが60年の漂流の果てに暗礁に乗り上げた現在、明確になってきたのは、戦争責任を含む日本近代史全体を日本人自身が解き明かす事だろう。自分に都合の良い物語が、外部(アジアで日本の閉鎖性が生じさせるものとしての)にとってどのようなものであったか、つまり事実がどのように歪曲したのかを知らずにアジアの一員として生きてゆくのは不可能ということだ。

出発点が無ければ過程も無く、到達点も無い。親の歴史(人生)が無ければ子供の歴史も存在しないように、すべては連続した時の流れとして在る。

敗戦後生まれの世代にとっては、戦争責任を果たさなかった世代の負の遺産を加算した戦後責任があるということだ。世代間の記憶の正確な継承がなされずに来たことは、加害者と被害者の溝が時間によって深められたことでもある。こうして「戦争責任」と言われてもピンとこない日本人が圧倒的に多くなってしまった。

韓国、中国で反日運動が激化している。日本政府は相変らず、論点そらしと場当りの対応を繰り返している。すなわち応答のそぶりも見せない。そして多くの日本人が、なぜ過激な反日運動が広がるのか、理解出来ずにいる。素直に右傾化の流れに身をまかせる人々は、国家と同化して反発さえ感じていることだろう。それ程、日本は孤立している。要するに内弁慶にすぎなかったわけだ。

近代史が封印され捏造されたのなら、現在の日本人は自らの来歴を知る術はない。ましてや歴史教育の現場が事実の歪曲に手を貸せば、なおさらである。

国旗・国歌法の成立、つくる会教科書検定合格、小泉首相の靖国神社公式参拝、相次ぐ戦後補償裁判における原告敗訴は、それを憲法違反とも異常とも判断しない日本社会によってのみ可能だった。

200012月、東京における「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」は、アジア諸国と乖離し続ける日本政府とは一線を画する民衆法廷として、国際人道法というグローバル・スタンダードによって、国民国家の限界を超える試みだった。その成果に脅威を覚えた政府自民党とNHKは、法廷ドキュメントを無効にすべく画策して記録改竄に及んだ。かくもこの国は自分の過去を正視するのが恐いのだ。

財政難で“たんす預金”に目がつけられているそうだが、日本人のたんすの奥や仏壇に仕舞われた古いセピア色の写真がたくさん残されているはずだ。陽の目を見ない、というよりは人目を避けたそれらの写真にはつくる会教科書が隠蔽したかった驚愕の事実が潜んでいる。

ある女性に聞いた話。「偶然見つけたんだけど、仏壇におじいさんの兵隊の頃の写真があって、びっくりした。軍服姿のおじいさんの足許に切断された首がいくつか並んでいたの」

どう考えても異常である。問題は、現在なら犯罪でしかない事実が、公然と行われていたことだ。ほんの60年前まで、この国では「敵」とされた人間の首を堂々と切断し、記念撮影さえしていたということだ。そこには個人的感情をはるかに超越した集団の意志が働いていた。それゆえに被写体となって兵士であるおじいさんも撮影者も公的に免罪されていたということだ。人間の首を切断して罪の意識を逃れる価値観は、公式に糾弾も弾劾もされぬまま日本中のたんすの奥にしまわれ続けているわけだ。

ごく普通の人々が、人間であることを否定する程の熱狂的イデオロギーに染まった時、容赦無い価値観の崩壊が起り、想像を絶する残虐が可能になる。暴力と性が解放され、例外を許さないあらゆる残虐を試みる。それに見合った犠牲者を生みながら。

若い頃、東京で行きつけの喫茶店で顔見知りのヤクザが戦争中の武勇伝をとうとうと語った。中国で行く先々で女を犯しては殺したという。日本刀を抜いて脅し、強姦して最後に首を絞める。その男には罪の意識のかけらも無かった。あろうことか堂々と誇示してもその場も社会もそれを咎めもしなかった。連続強姦殺人犯はこうして日本で生きのびた。帰国後、ヤクザになって何度も修羅場をくぐったらしいその男の手の内側の何本もの傷あとは、刀や短刀で斬られそうになり、素手で刃をつかんで反撃したためという。戦争がこの男をこしらえたのか、この男が戦争を可能にしたのか…。ともあれ、決して他者の痛みを理解しないのはその男ばかりでなく、日本社会も同じだ。理解しないことで残虐が可能だったし、現在もそれを貫こうとしている。

高橋哲哉が「靖国問題」(ちくま新書)で、台湾人の高金素梅(ガオチン・スーメイ)の事に触れている。彼女は、旧植民地統治下、高砂族と呼ばれた先住民族「タイヤル族」出身の歌手、女優を経て立法議会議員に転身した人物だ。

「旧日本軍軍属としてアジア太平洋戦争に動員され戦死した台湾人遺族ら、236人が、首相、国、靖国神社を相手取り、訴えた。2004513日、大阪地裁は請求権棄却の判決を下した」

日本統治下、207000人の台湾人が戦争に徴用され約30,000人が死亡した。先住民族は高砂義勇隊として動員され、戦死して靖国神社に合祀されている人も少なくない。

高金素梅が原告団に参加したきっかけは、タイヤル族勇士の首を切断する日本兵の写真を偶然知ったことだった。戦後生まれの彼女が判決を聞いて涙を流して「不当判決」と訴えた。

日本軍は「台湾理蕃」(台湾の野蛮人を征伐する)と称して先住民族を制圧した。高金素梅はセピア色の、同胞が首を切断される写真によって自らのルーツを知った。

「靖国神社の背後には、そこに合祀された約250万の戦死者の(血の海)が存在したということ、そしてこれらの人々を含む数百万の日本将兵がつくり出してしまった数千万のアジアの死傷者たちの血の海が存在したことが、とかく忘れられがちなのである」(『靖国問題』高橋哲哉 ちくま新書2005

敗戦後生まれの日本人が、各家庭にひっそりと匿われたセピア色の記憶に触れたとき、つまり自らのルーツを知ったとき、どのような感覚を抱くだろうか?何も感じないとしたら、私たちは世代を超えてファシズムを継承したということだ。

2005.4.15 高木

ビラ入れは「住居侵入罪」

 「自衛隊が行くところが非戦闘地域」という非論理的思考は、ビラ入れを住居侵入罪にするほどのでたらめで乱暴な社会を生み出している。

20041216日、東京地方裁判所八王子支部は「立川反戦ビラ事件」について被告人無罪の判決を言い渡した。

事件は2004117日、立川の防衛庁宿舎のポストに自衛隊イラク派兵反対のビラを投函したとして市民グループ「立川自衛隊監視テント村」メンバー3人が住居侵入(刑法130条)の容疑で、227日令状逮捕され、テント村事務所他6ヶ所が家宅捜索をうけたものだ。

2004年3月3日には、共産党機関誌号外を、休日や祝日に勤務先とは関係なく配布した男性(社会保険調勤務)が、国家公務員法102条の「政治的行為の禁止」にあたるとして逮捕、起訴された。(国公法弾圧事件)

20041224日、東京都葛飾区内のマンションで、共産党の「都議会報告」「区議会報告」などを配布した男性が「住居侵入容疑で現行犯逮捕」され、起訴された。(亀有マンションビラ配布弾圧事件)

2003年4月17日、杉並区わかば公園の公衆トイレに戦争反対、反戦などと落書きした男性が「器物損壊」容疑で逮捕。家宅捜索。検察はその後「建造物損壊」に格上げ起訴。懲役1年6ヶ月の求刑などを経て最高裁に上告中。

毎日、何も変わらぬ日常が繰り返されているわけでは決してない。この国は正真正銘の「戦時下」にあり、国家権力による弾圧が堂々と行われているのだ。

「戦時下」という認識ですべての日常を問いなおす必要がある。金持ちのマネー・ゲームに一喜一憂し、韓国、中国の反日運動への対抗的煽動報道も疑うことなくうなづき、根拠無き治安崩壊デマゴギーで厳罰主義に賛同し、大不況の本質的理解のないまま茶番政治に翻弄される日常の仮面の下には、米国とともに世界侵略を画策する軍拡路線が胎動している。たとえば、スマトラ沖地震、津波災害において、日本ははじめて陸、海、空の3軍統合運用で災害派遣した、とされるが、米軍再編に関連した日米共同軍事作戦に向けた恰好のシミュレーションであったことを、マスコミは知ってか知らずか無視を決め込んだ。海外派兵のためにアラスカの多国間軍事演習コープ・サンダーに自衛隊のF−15やAWACSが参加している。どう考えても平和、人道などの美辞麗句はうそっぱちでしかない。

こうした明白な構造に国内は異様に鈍感で、反対にアジア諸国が敏感になっている。すなわち自覚無きファシズムが進行しているということだ。確認しておこう。日本国憲法はまだ改悪されてない。憲法第9条(戦争放棄)、第19条(思想、良心の自由)、第21条(表現の自由)も機能しているのだ。

「立川反戦ビラ事件」の地裁判決は憲法第21条の趣旨に照らしてテント村への正式な抗議、警告など無いまま、いきなり検挙した捜査当局と検察を厳しく指弾した。この事件は、(反戦という)少数意見を主張、表現する事に対して、すでに日本社会がきわめて不寛容であることを露呈させた。サラ金、不動産屋などポストに投函されるさまざまなビラが野放し状態のなか、「イラク派兵についていっしょに考えて反対の声をあげよう」と国策に異論を称える行為が否定される社会に私たちは住んでいる。民主主義は多数決ではない。少数者の意見を対等に尊重することこそがそのキーワードであるはずだ。そもそもイラク派兵については、世論調査でも賛否が2分していた。戦争終結宣言がなされてはるかに時間が経過したいまも大量破壊兵器など見つからず嘘の情報だったことを当の米国が認めている。大義名分のない大量虐殺で10万人以上のイラク人が殺された。その侵略者側として日本が加担してきた。ここではすでに論理は失われている。だからこそ国策遂行には暴力的強制に頼るほかなくなっているわけだ。そのひとつの例が「立川反戦ビラ事件」としてでっち上げられた。国家意思に反対するものを権力が強引に封じ込めようと暴挙がおこなわれた。そしてマスコミの多くが事件を無視し看過している。

人権も言論の自由も否定される銃後の社会。そこでは自衛官が一人の人間として、家族の一員として派兵について真剣に悩むことも許されない。命令を下すものは絶対の安全圏に止まりながら、最大のリスクを現場の自衛官に押し付けるのだ。上意下達の絶対的命令系統では、人間は対等ではない。傲慢にそびえるピラミッド上層から「死ぬのはお前たちでわれわれではない」という確信が伝わってくる。こうした構造を機能させるには民主主義を否定するほかない。巧妙に民意を擬装しながら。

湾岸戦争以降、この国は憲法のなし崩し的無力化を図ってきた。とくに第9条である。おそらく世界で日本でしか通用しないロジックで解釈改憲の極点が画策されあろうことか9条そのままに海外派兵が可能になってしまった。憲法第9条のロボトミーといえるだろう。時折、聞こえる国連中心主義の声のなんと都合のよいことか。憲法第9条との絶対矛盾である自衛隊を、憲法を迂回して認知させ、国際性を付与することで存在を確立させようというものだ。

米軍再編への合流、海外派兵の恒久化、そして改憲への加速は、形骸化した9条でカモフラージュした日本軍そのものの合法化だ。

三崎亜記「となり町戦争」(集英社)がヒットしているという。

ある日、広報室でとなり町と戦争が始まることを知るが、なんの実感もないまま偵察員に任命される。戦闘シーンは一切無く、ただ広報誌で死者数だけが増えてゆく。地元説明会で、なぜ戦争かと質問しても、住民が「もう戦争は始まっている。いまさらそんなこと」とかわされる。戦争は公共事業なのだ。「僕はこの戦争で何一つ選び取ってこなかった。戦争のはじまりも終わりも分からないまま言われるままに動いてきた。戦争はいつのまにか始まりいつのまにか終わっていた」

34才の著者は、敗戦後生まれで戦争体験もなくおそらくゲーム世代だろう。戦争はもちろんのこと反戦のリアリティも曖昧なはずだ。日本の歴史教育の成果がここにあるのかもしれない。他者、弱者への想像力が決定的に欠落した社会において、彼の表現は、漠然とした不安感とあきらめムードを問い直そうとする貴重な試みだ。

経済界も政界も敗戦後生まれのU世ばかりになってきた。彼らは戦争も知らず下層市民の生活も知らない。弱者への想像力と感受性を決定的に欠いているために独善的な「力の論理」だけが優先する社会しか志向できない。彼らの共同幻想には21世紀のリアリティが無い。多文化共生、多様性の理解を欠いている。「戦争の世紀」と呼ばれた20世紀の記憶も反省も無い。そのうえ現場や当事者の感覚を知らない。口角泡を飛ばす好戦論でさえリアルではない。稚拙な想像力が描くのは人命や人権よりも国家が優先する社会だ。いずれにしても想像力が問われている。

2005.4.15 高木