法螺話の製造物責任は?

 

スーパーや小売店で、寒天が品切れになっている。メーカー、問屋ヘの問い合わせも殺到しているという。またもや、テレビの効果だ。単に健康志向だけで済む話ではない。「健康帝国ナチス」が出版され、ファシズムと健康が、考えられている以上に合性が良いことも指摘されている。

それにしても健康雑誌が何種類も出回っているが、その新聞広告を見るたびに辟易させられる。

曰く「○○は△△に効く」「驚くべき○○の効果」「末期癌が完治」etc.しかもこれが何年も繰り返されているのだ。情報が流され、人々が動き、商品が売れる。市場原理だけで済まない問題だろう。なぜなら、こうした情報が正確に検証されたためしがないからだ。要するに、偽の情報がまかり通る社会ということだ。自分の健康に金を使って何が悪い?と開き直られそうだが、そんな人は勝手に消費者(信者?)でいればいい。問題は(情報の検証が甘い社会)にある。この国が上意下達の原理にあることは、再三、指摘してきたが、大仰な宣伝文句をまとってデビューするだけで、何の抵抗もなくあらゆる商品が受け入れられてしまう社会であることは確かだろう。誰も疑わないからだ。では、小泉政権とはどんな商品だろう?PL法(製造物責任法)違反は明確だ。そうと分っても、返品も訴訟も起きないならば、先程からのこの国の特性が当てはまるということだ。科学的、論理的思考をこれほど拒絶する社会とは一体なんだろう?

ところでMD(ミサイル防衛)システム運用手続きを定める自衛隊法改正案が614日衆院を通過した。北朝鮮が弾道ミサイルを発射すると10分程で日本に着弾するため、迅速に迎撃するには、安全保障会議や閣議を経て防衛出動を発令する従来の重層的手続きを省略するためだ。

「首都圏4ヶ所の基地に配備決定。有効な迎撃には各基地で5基の発射機を50キロ間隔で並べるため、適地が民有地なら確保する必要がある。民間機誤射を避けるには飛行禁止区域設定も不可欠。飛行機が飛んでいる状況でミサイル発射は極めて困難。レーダーの強い電磁波は市民生活に影響必至。(首都圏以外の)PAC3に守られない国民の問題は未解決。手続き変更で現場指揮官の裁量拡大、シビリアン・コントロール形骸化」(05615中日)血税1兆円を超える国防計画が、このていたらくだ。本来ならこれほど重要な問題は大論争を巻き起こすはずだが、多くの国民は興味も無いらしい。それほど情報操作がうまく働いているのか、そんな荒唐無稽な話よりも、目前の不況でそれどころではないのか…そんななか、まるで業を煮やしたかのように「北朝鮮のミサイルは射ち落とせるのか」(中富信夫 公文社2005)が出版されたが、静岡や豊橋ではよく見かけるのに気のせいか浜松の書店ではあまり見ない。まさか誰か買い占めているとは思えないが。著者は宇宙工学アナリストだそうだ。要するにミサイルなどの専門家だ。

「北朝鮮のミサイル問題は極めて外交的かつ政治的問題。全国民が自分の頭で判断すべき深刻な問題なのに、なぜか科学的視点が欠けている」という言葉がこの本の姿勢を表わしている。

以下、要点を述べる。

2005214日米国はMDの迎撃実験に失敗。これについて日本政府は、このミサイルは日本が配備するSM3PAC3とは違うもので、計画に影響を与えないという見解を出した。しかし224日、カナダはMD計画から離脱を表明した。カナダではMD計画反対が54%で、ケベック州では64%にものぼる。理由は(防衛システムは作動しない)(新たな軍拡に拍車をかける)からだ。

弾道ミサイルが成層圏に達するとおとり弾頭をいくつも分離させる。そのためMDシステムは、おとりと本物の識別能力が不可欠。実際には10%程度の確率しかない。

ところが、MITのテッド・ポストル教授によれば、システム受注企業TRW社は999%識別可能という虚偽報告をしている。ブッシュ政権は、根本的欠陥を知りながら同盟国(日本、カナダ)に売り込んでいた。

MDを日本が正式に受け入れた20021215日の閣議決定では『最近の各種実験等を通じて、技術的実現可能性が高いことが確認され』『純粋に防御的他に代替手段のない唯一の手段で専守防衛を旨とする我が国にふさわしい』としている」

こんな法螺話が通用するのが日本という国だ。カナダとの民度における差は歴然としている。

1997年ロシアは、おとりの識別能力を完全に無力化するSS−X−27トポルM型を開発。ジグザグに飛行して防衛システムをすり抜ける能力をもつ。(20041224発射実験)

MITのT・ポストル教授とG・ルイス教授は、湾岸戦争のパトリオットミサイル交戦映像を40回以上チェックした結果、イラクのスカッドミサイルを一発も射ち落とせなかったと結論ずけた。イラク戦争(2003)でもパトリオットが味方のF−16をロックオンする事件が起きている。さらに英国の爆撃機を敵のミサイルと間違えて攻撃、2名死亡の事故も起きている。

日本ではPAC3が一発5億円で、すべての高射群に配備できないので、当分のあいだ性能の劣るPAC2で間に合わせる。いずれにしても首都圏防空が主で、それ以外の地域は範囲外国民全員が守られるわけではない。MDは2006年本格配備予定である」

荒唐無稽な法螺話に国家として参加が決まり、莫大な税金が使われてゆく。

「北朝鮮の金正日総書記が17日、ピョンヤンで韓国統一相と会談した際、米国との国交が樹立されれば、ノドンやテポドンなど中長距離ミサイルのすべてを廃棄処分する用意がある、と述べた」(05621毎日)北朝鮮が国家の命運を賭けたサインを送ったとみるべきではないだろうか?以前にも同様なサインが送られたにもかかわらずブッシュ政権は無視してきたという。

日本政府も同じだろう。敵がいなくなったら戦争はできない。外交で決着したら儲からない。失業したらどうするんだ?とばかりに無視するわけだ。MDという法螺話はじつは国防などではないということに気が付かないと巨大なカタストロフィーを実現してしまうことになる。

NMDの口実とされるちっぽけな北朝鮮の亡霊は、本当の目的のごまかしに過ぎない。本当の目的は、宇宙兵器の開発と21世紀の宇宙志向の戦争の準備であり、あらゆる起こりうる紛争の戦域における米国の全面的な軍事的優位の確立である。これらのすべてにおいて、すでに最高を記録している軍産複合体の収益は莫大なものになろう」(「ミサイル防衛−おおいなる幻想」D・ロウチ カナダ上院議員 高文研2002

軍事的発想が、20世紀から21世紀にかけて人間が味わった悲劇を超克することは、いままでなかったように、これからも有り得ない。軍拡の末、手にした「核」という使えない兵器に言葉を失い、為す術を失ったように、「軍事」こそが、外交を含むすべてのコミニュケーションを無効にすることに気付くべきだ。もはや民間人死者数を正当化するいかなる言説も存在しない。

2005624高木

 

女性国際戦犯法廷

 

「日本人であることを誇りに思うか、それとも恥と感じるか」おそらく日常生活で問われることはないだろう。だが考えずに済んでいるのは(日本とは一体何か)という前提が曖昧にされているからにすぎない。知らぬ間にさまざまな場面で個人情報が奪われる時代だが、実は多くの人は、この国の出自も現状も明確に理解しているわけではない。それどころか、捏造を真実と思い込んでいるきらいさえある。

何よりも東アジアにおける歴史認識が今だに共有されない現実において、日本がどのような立場にあるかさえ自覚されてないわけだ。それゆえ、自らに都合の良い物語が、何の検証も無いまま流布されるこの社会は、当然都合の悪い部分を隠蔽し続けてきた。

その事がアジアの戦争被害者をどのような目に合わせてきたかを無視して、である。

(戦争責任の免責)と錯覚した60年は「敗戦」の節目さえ都合よく無効にした。結果として「戦争国家」が生き延びる条件付きの敗戦だった。入口の鍵を持たされて監禁されたようなものだ。

200012月、東京で開かれた「女性国際戦犯法廷」の記録を観た。この「法廷」こそ2005年に発覚したNHK番組改ざん問題で公共放送に政治家が圧力をかけたとされるものだが、観たものは,NHKのものではもちろんなく、「法廷」主催者側の改ざん無しの公式記録だ。

ジャーナリズムの腐敗した日本において、これを知らずにこの問題を語ることは不可能だ。

ベトナム戦争の責任を問う「ラッセル法廷」は、B・ラッセルやJP・サルトルらによって開かれ、国際的に注目された民衆法廷だが、「女性国際……」も世界中から注目され、たくさんのジャーナリストが取材のために来日した。前述のように「法廷」は日本の隠蔽したい部分であるため国内メディアは、あえて無視するかの扱いで、ごく一部メディアを除きその存在すら報道されなかった。メディアの翼賛状態が明白だ。なにしろ「従軍慰安婦という性奴隷問題」「昭和天皇の戦争責任問題」を裁くのだ。そして「女性国際……」とあるように、内容もアプローチもジェンダーを問うものである。戦後民主主義の虚構がばれてしまうわけだ。

百数十人の報道陣で三分の二を外国人ジャーナリストが占めたのは、いうまでもなく60年間の日本のタブーが解明されようとしているからだ。しかも公的隠蔽による存在否定に対して、民衆が国際連帯して問題を暴露、認知し、被害者の人間の尊厳を回復しようとするものだ。さらに2000万人以上の犠牲者を出した戦争責任を昭和天皇に問うものでもある。

2001年「法廷」は「天皇有罪」「元慰安婦に対する国家謝罪」を裁決して歓喜のうちに終了した。世界がその経緯を注視し、反対に日本のメディアは沈黙した。「民衆法廷」の成功と国家の沈黙は、日本が国家主体として、戦争犯罪についての国際的謝罪の機会を放棄したことを意味する。

4年が経過し、法廷ドキュメントであるNHKETV2001「戦争をどう裁くか」における改ざん問題が、NHKチーフプロデューサの内部告発で明らかになった。「上意下達」がまかり通るファシズム国家では、民主的契機は民衆の側がつくるしかないということだ。敗戦後の60年間とは、日本というシステムのあらゆる部分で、トップの責任を不問にする原理が大手を振ってきた。もちろんこの国だけの話だが。その後、内部告発にもかかわらず、NHK報道番組への政治介入(圧力)がなぜ起きて、具体的にどのようなものであったかを追求すべきはずが、取材をめぐる(「NHK」と「朝日新聞」のどちらが正しいか)、という問題にすり替えられた。まさに情報操作である。結果として巷では「天皇の戦争責任」など話題にもならなかった(!)わけである。この国のメディアは右翼製造装置として立派に機能している。

あろうことか「法廷」つぶしは、その後、反戦・平和市民運動つぶしに発展している。

「法廷主催のVAWWNETジャパンをはじめ、関係者が北朝鮮につながっているかのようなデマが流されているという。“法廷は北朝鮮の拉致問題を沈静化する謀略だった”」(ピープルズ・プラン No.302005

「日本会議は片山総務大臣に番組について、公正に、と申し入れをしている。安倍晋三、中川昭一、古屋圭司、下村博文、平沢勝栄らは(日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会)メンバーであり、(日本会議国会議員懇談会)にも所属。この三者は、慰安婦問題に否定的なグループで、教科書から慰安婦問題を削除しろ、と言い続けてきた」(P.P 、No302005

 肝心のNHK番組制作段階の改ざん指示は「松井やよいのインタビューを消せ(韓国人被害者が描いた絵を示しながら、なぜ法廷を開くかを語ったもの)」、「天皇有罪の判決シーンをナレーションに変えろ」など、具体的なものだ。

60年間真偽を問われなかった物語に依拠し続けて、戦争被害者を国家として無視しつづけてきたが、はじめて民衆の手で真実が明かされるわけだから、右派の焦りは相当だったにちがいない。それにしてもミャンマーや北朝鮮のように国際的孤立を続ける国ならまだしも、仮にも先進国(?)などと呼ばれることもある日本が、この国でしか通用しない(じつは国内でも通用しないのだが)物語に、いつまで固執出来るものだろう?内弁慶としか思えない。

情報通信、物流、人的交流などすべてが世界大となり、国境さえ意味を失いつつある実質的な開放系において、ひたすら閉鎖系であると信じ込むのは、もはやオカルトと呼んでも差し支えない。

ちなみに、一連の政治圧力の中心人物、安倍晋三について俵義文は(P・P、No302005)において、2005327日の「日本大勉強会」講演を紹介している。

「一月には、朝日新聞の政治的テロがあった。中川氏や私を葬ろうとする政治的テロであり完全に捏造記事だ。(中略)これらは朝鮮総連と地下水脈で繋がっている勢力がグルになって仕掛けた行為である。(中略)米大統領選は、ブッシュ共和党の大勝であった。現在、(リベラルであること)は世界のなかでマイナスのイメージになっている」

元慰安婦(サバイバー)を一日でも早く復権し、彼女らが望むように「国家」が謝罪すべきだ。ユーゴ国際戦犯法廷の担当者は「国家の謝罪がサバイバーのトラウマを解く鍵となる」と語る。オランダ人女性サバイバーが涙を流しながら「私は、女としてのよろこび、性のよろこびを奪われた。記憶がそれを奪ったのです」と訴えた。補償金やうわべの謝罪で済む問題でないことを彼女らが証明した。たとえば町村外相のように「ODAやったじゃないか」といった開き直りが、彼女たちにどのように聞こえるか想像しよう。仮に、安倍、中川ら政治家の娘が慰安婦にされたらどう感じるのだろう?そのような仮定さえ許さないほど、自分には関係無いという感覚がこの国を覆っている。

法廷が指摘した「差別」が、この国には戦前、戦後一貫して存在することがわかる。陰湿ないじめの原理を国家が胚胎しているのだ。都合のよいモラルを強調するものが、実はもっともモラルから遠いところに在る。

アジア蔑視は、日本を「神の国」と錯覚するほど深い。

日本の歴史観、戦争責任などに関してアジアと共通認識が形成される日は、まだ遠いようだ。だが、それが日本の孤立を意味することは言うまでもない。ましてやこの状態で米国の侵略戦争加担を継続するなら、世界の民衆は決定的に日本を排除するだろう。軍服で出かけても、観光旅行でも帰国は死体袋という状況が現実となる。まじめに働くごく普通の日本人が、日本人というだけで攻撃対象となる。「日本とは一体、何か?」とその時考えても手後れだ。多様な価値観とともに生きてゆくしかないという21世紀の原理を、この国はまだ理解出来ないでいる。

 

2005..17 高木
 

「罪を憎んで…」なんて孔子は言ってない

 

 国会答弁で小泉首相が、A級戦犯合祀問題について「罪を憎んで人を憎まず、は孔子の言葉」と語った事について、中国文学者一海知義氏が朝日新聞紙上で反論した。50年以上の中国古典専門家としての意見だ。曰く「孔子はそんなことを言ってはいない」そうだ。そして「彼ら戦後リーダーに欠けているのは、中国の古典文化に対する敬意であろう」その上で、小泉首相が中国古典のさわりを、自分に都合の良い部分だけ抜き出して引用するという中国で古来軽蔑される手法を好むが、孔子の思想を理解するには論語全体を読む必要がある、と断じる。そのうえで「(罪を憎んで…)は、加害者だった側が使うべき言葉なのか。首相は中国民衆の立場を無視している。目の前で日本兵に親を殺された体験を持つ人々に(罪を憎んで)と説教しているのである」(05.5.31朝日)

要するに無知、無教養の首相が国会でしゃべるのだからこの程度の結果を見るのは当り前なのだ。そして多くの日本人もまた、それを指摘する程の教養も感性も持たないからバランスしているということだ。傲慢な日本人がアジアで孤立している。サッカーで北朝鮮に勝って「ニッポン!」「ニッポン!」と叫ぶ群衆は小泉首相と良いコンビということか。それにしても政治への異常な沈黙とスポーツへの熱狂が、この国の全体主義を見事に表現している。しかも多くの人がそれを自覚しないという危機的状況だ。

考えてみると戦後歴代首相は、代を重ねるごとに無知・無教養が深化しているのではないだろうか?この国だけでしか通用しない言説があまりにも多すぎる。まるで世界は米国と日本だけで出来ているかのような。親の七光りと資産を除くと何も残らない人物が一国の支配層を形成しているのだから国際性を望むのははなから無理かもしれない。

だが、米ブッシュ政権を見るまでもなく、私利私欲にかられた無知・無教養が国家を支配することの危険性を放置するわけにはいかない。彼らは民衆の命を消耗品としか考えないからだ。

マスコミが報じない、というよりもグルになって重大な事態が進行している。「9.11」という好機をとらえた日本政府は、国内外のテロ対策を最重要課題と位置づけた。

あらゆる法制度、社会制度を(テロ対策)の文脈で読み替え、組み替えた「対テロ戦争体制」の構築をはかろうとするものだ。無限増殖する監視カメラ、GPS関連機器、住基ネット、ICカードなどの脈絡がプライバシーを際限無く奪ってゆく。

実は何をテロリズムとするか、の国際的合意は無い。そのうえ反テロ法制は、過去の犯罪でなく将来のテロ行為についてのものだ。ゆえにそれを認定する権力の恣意性が大きく作用する。こんなに支配者に都合の良い武器は無い。濡れ手で粟が永続し、反抗も根絶やし出来る。新設されようとしている「共謀罪」は、なんと事件が起きなくても(!)2人以上の雑談や、話の内容が処罰の対象となる。対象は、集団の目的を問わず、一切の団体活動だ。当局が危険人物とみなす人物を常時監視する体制により、差別と分断、組織の徹底的破壊を狙う。要するに、監視、密告社会を構築して思想・表現・団結を統制するためのものだ。(02724福田官房長官によれば、有事立法において武力攻撃事態での権利制限について「思想・良心・信仰の自由が制約を受ける事はある」と明言)

これで反戦運動、労働運動、市民運動を根こそぎ破壊することが可能になる。

「共謀罪の新設は、明らかに憲法第19条(思想、および良心の自由)、第20条(信教の自由)、第21条(集会、結社、表現の自由)、第28条(勤労者の団結権、団体交渉権、その他団体行動権)、第31条(法廷手続きの保障)に違反します。憲法違反の治安立法です」(「共謀罪と治安管理社会」足立昌勝 社会評論社2005

共謀罪なんて初めて耳にする人が多いだろう。それほど「大本営」の情報コントロールが効いているということだ。もはや情報をマスコミに頼ることはファシストへの道に等しい。日本中、いたるところに「テロ警戒中」の看板が目立ってきた。マスコミが治安悪化を煽る。藤枝では民間ボランティアが50台の車両にブルーの回転灯をつけて自主パトロールに乗り出した。他にも個人の乗用車に「不審者パトロール」と言うステッカーを貼ったり、トラックの後部に「不審者発見!それっ110番」というステッカーを見たことがある。巣箱型の新型監視カメラも急増している。ところで不審者とは誰だろう?地方都市で誰が何のためにテロを強行するのだろう?

1999年以降の犯罪増加と検挙率低下とは、警察不祥事事件、捜査ミス多発で世論の激しい批判で被害届を積極的に受理するようになり、その結果、事件件数が急増した。その結果、犯罪認知件数は急増、検挙率は急落した。そこで警察は(治安危機)を煽ることで、一挙に総治安国家化、警察国家化を目指した。それは警察不祥事事件以降の警察批判を封じ込める手段でもあった」(「グローバル化と監視警察国家への抵抗」角田富夫 日本の治安は良好である 樹花舎2005

実際には凶悪犯、粗暴犯は明らかに減少しているという。犯罪件数を押し上げているのは、自転車盗など軽微な犯罪だ。具体的検証のないまま警察発表とマスコミ・キャンペーンにより、体感治安の悪化が煽動されているわけだ。「なんとなく感じるけど証明なんか出来ない」人たちが世論をつくってゆく。いうまでもなく「00が健康に良い」とTVで報道されるだけで客が殺到する日本社会は、論理よりも雰囲気で動いている。マスコミ・キャンペーンが本当は何を意図するか、などと考える事なく治安悪化のムードが高まってゆく。人権感覚の希薄な社会で、そうなることが何を意味するか、ほどなく私たちは理解することになるかもしれない。

論理を軽視する社会のエピソードをひとつ。

「青山学院高等部入試の英語長文問題で、沖縄戦に動員された元ひめゆり学徒の戦争体験の証言が(退屈で飽きてしまった)とする文章を出題していた」(05610中日)

正直でいい、というものではない。呆れるばかりだ。無知、無教養は首相ばかりではない。そもそも、憲法違反の法案をつぎつぎと新設可能な国である。失政のツケが国民に押し付けられている。政治家の資格も能力も欠いた人物が現役でいられることを問うべきだ。年間35000人の自殺者を出して平気な政治こそまぎれもないテロではないか。

2005.6.9 高木