見えないものも存在する

 

過度に視覚情報が重視される現在、見えないものが正当に評価されてないことは言うまでもない。おそらく誰もが、たとえば、見えない事が巧妙に利用され信じ難い事実が進行している可能性を否定出来るほど、社会や世界を信用してないが、とりあえず「知らない事」によって仮の安心を作り出しているのだろう。よほど懐疑的でないかぎり。BSE、農薬、医薬品、アスベスト、放射能、電磁波.・・・。考えてみればほとんどが被害が発生してはじめて危険性が認識されるものばかりだ。それらは知らぬ間に身体の内部に侵入する。恐怖の最高の形態だ。しかしその危険性の評価は専門家(社会構造上多くが推進派とならざるをえない)と国家が独占するため、一般人にとって検証不可能な場合が多い。まさか国家が自国民を危険な目に合わせるはずがないという楽観を多くの人が持ちたいし、実際に抱いている。だからこそ何年、何十年にわたり安全と信じられてきたものが、実は嘘だったと暴露されるときの衝撃は計り知れない。国家規模の人体実験が行われているわけだ。

「身の安全」と表現されるように身体が個人の安全基準となる。身体の内部と外部環境をあえて意識せずにいられる状態がおそらく安全ということなのだろう。原始生命体の水中の記憶に由来するのかもしれない。身体という個の領域に侵入するものを、生物は本能で検問する。水、空気、たべもの、生殖器など。身体という領域における経済、つまり収入と支出(摂食と排泄)だ。コミュニケーションを発達させたことで人間だけがその判断を「公共」に委ねてしまった。安全と自ら判断するのでなく「皆が安全とする(とくに日本人)」から平気で生活できるわけだ。後述するが、これが第一の、脳のアウトソーシングだ。表現を変えれば、集団で生きるという前提を獲得したとも言える。こうして集団(公共)と個の葛藤がはじまった。

国際放射線防護委員会ICRPは、長い間、微量の放射性物質による内部被曝を過少評価してきた。身体的、または遺伝的障害の起こる確率が無視できる線量を超えないような線量限度を「ICRP勧告」として、各国が勧告を尊重しつつ被曝線量限度を設定しているが、この安全基準に内部被曝は考慮されてこなかったという。

「(ICRPはしきい値はない)としながら許容限度を設定。メカニズムの違う内部被曝と外部被曝を同等に扱い、内部被曝の脅威を正当に評価しない。このふたつの矛盾がずっと横行し続けている」(「内部被曝の脅威」肥田舜太郎、鎌仲ひとみ ちくま新書2005

著者である肥田氏は、自らが広島で被曝、以後60年にわたり内部被曝研究を続けている。内部被曝とは、微粒子状の放射性物質を体内にとりこみ、長時間にわたり、身体の内側から放射線を浴びることだ。恒常的被曝により遺伝子が傷つき、癌などを誘発する。

1949年米国ABCC(原爆障害調査委員会)が広島に設置され、被曝者を集め、診療、検査を行ない、治療はいっさい行わず、死者は全身を解剖、全ての臓器を米国に送り、放射線障害の研究資料とした。はじめは藁をつめた遺体が遺族に渡され、最後のころには親指だけになったという。敗戦直後、広島に入った京大医学部の研究記録はすべて占領米軍に提供させられ、日本の学会の調査、研究は禁止され、あるいは制約を受け、臨床の現場の医師には、原爆放射線被害に関する情報はまったく届かなかった。」(内部被曝の脅威より)

日本政府も1957年、被曝者援護法制定までなにひとつ救済の手を打たず、多くの被曝者が餓死に等しい状態で命を奪われてゆくのを放置、遺棄したという。また被曝者は米占領軍司令官の命令で、広島、長崎で体験したことを語る事、書く事の一切を禁じられた。そして、あろうことか被曝者は反米活動の危険があるとされ、警察の監視下に置かれた。

肥田氏の主張は、現在の医学では、放射線の人体への影響が不明のままであること、米国が被曝に関して治療も研究も禁止、放棄させたこと、米国ICRPがしきい値以下の放射線の内部被曝は人体に無害と主張し続けてきた事、などにより被曝の実態が何一つ解明されず、最悪の「内部被曝」が野放しにあるという。

「原爆ルポ60年ぶり発見」「GHQ、公表許さず」617日、毎日新聞は、朝刊の一面トップでロサンゼルス支局発の記事を載せた。発見された記事は、原爆の放射線による健康障害の実態を明らかにするものだったが、GHQの検閲で公表されなかった。それどころか米政府は「多数の被曝死」というのは日本側のプロパガンダだとして、米国世論を操作したという。記事を書いたロス支局國枝記者の取材のきっかけは3月にカリフォルニア州で開かれた原爆写真展において熱心に見ていた女性2人に「原子爆弾て何?」「広島、長崎ってどこ?」と尋ねられショックを受けたことだという。原爆自体を知らない米国人がいる。検閲がどれだけ恐ろしい結果を生むか思い知らされる話だ。そして検閲と情報操作は現在も続いている。

日本人はどれだけイラクを知っているだろう?湾岸戦争で300900トンの劣化ウラン弾が使われた。今回のイラク戦争では2000トン使われた。劣化ウラン弾が高温で燃焼しエアロゾルになるとき、たばこの煙の微粒子より小さくなる。これら一粒一粒がアルファ線を出している。ミクロン以下の微粒子は呼吸や食べ物として人体に侵入、肝臓、腎臓の防御機構を通り抜けて血流に入る。身体の外ならほとんど問題なくても体内の組織に沈着すると内部被曝が始まる。ちなみにプルトニウムは耳かき一杯で数百万人を殺害可能という毒性をもつ。微量放射線の内部被曝については不明な部分が多い。被曝量を計測するホールボディカウンターはガンマ線しか測れないため、体内の線量を計測することは不可能だ。イラクには莫大な量の放射能微粒子が浮遊している。「人道復興支援」と称して派兵された自衛官は内部被曝のリスクから逃れられない。ふりかえれば、すぐに因果関係を立証出来ないうえ、目にみえないものはことごとく悪用されてきた歴史がある。安全圏に身を置く責任者が断罪されたことはない。イラクに行かなくても日本は原発列島であり、日常的に微量放射線の被曝を避けることは不可能だ。1945年以降、被曝により癌で死亡した人は117万人とされるが、内部被曝を考慮すると死亡者数が6160万人になる。内部被曝が米国最高機密となり隠蔽されてきた理由がここにある。原因不明の病気や病死というカテゴリーの、かなりの部分が脈絡としてつながる可能性があるわけだ。

「人間は愚かな生き物、科学的裏付けがなされない限りたとえ危険性が指摘されても、安全と信じたがるもの。特に権力は必ずそういう考えに立つから、反対する人は必ず権力に刃向かうかたちになる。その結果、反対運動を担うひとは少数になりがち」(内部被曝の脅威より)

ところで連日のように個人情報の漏洩が発覚している。それも数万〜数百万の単位である。

少し前、S・スピルバーグはSF映画「マイノリティ・レポート」の撮影にあたり、科学者、哲学者、技術者など専門家を集め50年ほど未来の人類社会についてディスカッションした。さまざまな意見が出たが、唯一、一致したのは、(未来社会ではプライバシーが消滅する)事だった。そして現実は加速度をともなってその予見に近づいている。

日本政府は来たるべき電子政府に照準を定め、住民基本台帳の整備を急ぐ。しかし政府の宣伝とは裏腹に2005125日、愛知県春日井市の無職武藤誠(32)が、自由に閲覧可能な住基台帳から母子家庭の女子小中学生の住所を調べて襲い、強姦致傷罪などで逮捕される事件が起きた。住基ネットの不完全さはさまざまな指摘よりも、現実の漏洩事故によって破綻するだろう。この国の政府が個人情報を無防備にあずけることが出来るほど信用のおけるものかよく考えるべきだ。90年代から急速に進むIT社会化は脳のアウトソーシングであるとともに、第2の敗戦と呼んでも決して過言とは思えない。監視する側の監視が欠落していることこそ最大の盲点だ。

2005.7.1 高木

共謀罪

 

「どうしてそこまでやりたいのか。日本がこのまま行けば日常的に戦争をする国になるからです」「戦争が日常化し、階層間の格差はとめどなく広がる。言論・表現の自由も止めを刺されるだろう。周囲の誰も信用出来ない」(「治安国家拒否宣言・共謀罪がやって来る」斉藤貴男 沢田竜夫編著 晶文社2005

住民基本台帳ネットワーク(国民総背番号制)、通信傍受法(盗聴法)、監視カメラ網、「生活安全条例」「迷惑防止条例」「安全・安心まちづくり条例」など国民管理の制度やしくみが、なんの批判もないまま実現され、いよいよ「共謀罪」が決定されようとしている。それが何を意味するか、知らされぬまま。

2000年、「国境を越えた組織犯罪の防止に関する条約」が国連で採択され、日本も署名。この条約に加盟する条件として、国内法で「共謀罪」か「組織的犯罪集団への参加罪」のどちらかを規定する。共謀罪は、仲間内で犯罪を計画しただけで、実行しなくても罪になるというものだ。(共謀があった)と認定するのは警察で4年以上の懲役・禁固に当たる罪(対象となる犯罪は600以上。道路交通法など日常生活に関係するものもある)を「団体の活動」として「犯罪実行のための組織」により行おうと共謀した場合、犯行前でも罪に問える。

そもそも「団体の活動」の定義が曖昧で、警察が主観的に運用可能なため組織弾圧が懸念される。

「日弁連や刑法学者は、何の行為もないのに合意だけで処罰するのは、刑法の基本原則を否定、思想を処罰することにつながる、と批判する」(毎日0575

たとえば、労働組合員同士が、経営者側と交渉する前に「社長を簡単には帰さないようにしよう」と話し合うと共謀罪が成立する。何よりも共謀罪かどうか判断するのは警察、検察、裁判所である。すでに共謀、すなわち意志連絡は、明示でなく黙示で足りる(会話でなく目配せでOK)とされているため、話し合うことすら不要となる可能性もある。

共謀罪の政府案では「実行に着手する前に自首した者は、その刑を減刑し、又は免除する」としている。ようするに密告(チクリ)の奨励だ。猜疑心に満ちた相互監視とスパイの暗躍する社会が実現するだろう。一連の管理強化策を敷衍すれば、戦前の思想弾圧をはるかに凌駕する社会が完成することになる。管理社会でかならず引き合いにされる「1984」どころか「マイノリティ・レポート」の未発生犯罪の検挙が可能となり、格差拡大は文字どうり支配者と奴隷の構造に行き着くだろう。異議申立ての消滅した社会では、環境悪化は必然となり、さまざまな事故が続発するが被害は必ず隠蔽される。もっとも今でもそれに近いのだが。

たとえば童謡を思い出したり、耳にする折に、そんな風景はとっくに失われていると自虐的に冷笑するほかないように、そういえばつい最近まで「平和憲法」なんてものがあったのだが…とため息をつく日が必ずやって来る。

自由、人権、民主主義などを他人事のようにとらえていた社会がそれらを失ってはじめてその価値に気づくことができるわけだ。思想傾向ゆえに失業したり、なおる見込みのない公害病の子供の苦しむ姿にも何もしてやれず、ウツになるか、自暴自棄になるか、それとも無思想無思考の奴隷に甘んじるかという選択肢のなさは、政治への無関心と無行動こそが実現してくれる。

これからの話でなく、現在日本社会がどのような闇をかかえているか多くの人が知らない。週刊金曜日71日号は、全警察にはびこる「裏金問題」を告発、抗議した2人の警察官の談話を紹介している。

元群馬県警警部補大河原氏と愛媛県警巡査部長仙波敏郎氏である。大河原氏は1996年、裏金づくりに使うニセの領収書作成に抗議したため県警本部から交番勤務に飛ばされた。その後、尾行や身辺調査で監視がきびしくなり公安が介入。Nシステムなどにより24時間監視される。自らが拉致されそうになった状況について「口実は何でもいい。やろうと思えば、できないことではない」「逮捕するため罪をデッチ上げるのは実に簡単なんです。公務執行妨害罪なんて、本当にそのために都合良く出来てますから」と証言する。また一般には知られないNシステムの監視は2種類あり、「一つは通信司令室でシステムがある場所を通ると瞬間的にブザーが鳴る。もう一つは別のセクションにデータが流れて鳴るんです。後者では、国会議員や県議会議員は全部把握されている。しかも目的は警備でなくプライバシーを洗って弱みを握るため。これはNシステムの「裏」なんです。だから国会でも県議会でも警察を追求できないんじゃないかと思う。公安なんてそんなもので始終人のあら探しをしている。彼らは尾行して、人が落とした紙まで拾う。そこから指紋や筆跡を探ったりするんです」とも語った。ここまで書いたところで「英国ロンドン同時多発テロ」のニュースが入ってきた。定石どうり、アルカイダが犯行声明を出したという。またもや一般市民が犠牲になった。酷い話だ。反グローバリゼーション及びイラク、アフガンの報復ならターゲットは8人のVIPであるべきはず。ニュースはそのまま信じる事は出来ない。テロやアルカイダのように実態の不明なものを捏造しつづければ「対テロ戦争」体制はずっと継続可能だ。アルカイダがCIAのもうひとつの顔という可能性だってある。9.11以後の「対テロ戦争」という原理で再構築した世界を確固にするには、時折「テロ」が必要だから誰かが実行することになる。大嘘で始めたイラク侵略という弱みを引きずるブレアにとって英国におけるテロはおそらく自己正当化のために必要なはずだ。もちろんそうでない可能性だってあるのだが。いずれにしても信用のおけないメディアが真実を伝えているとは思えない。そもそも支配層がいつも安全圏にいるのはおかしい。「俺はいいけど、おまえはだめだ」「俺のものは俺のもの、おまえのものも俺のもの」という非対称があるかぎりテロはなくならない。「対テロ戦争」と「テロ」は相互に依存しあっているのだ。

2005.7.8 高木

ハンビー

 

大雨をもたらした前線が去り、晴れ間がのぞいていた浜松とは打って変わって、御殿場は風と霧で肌寒さを覚えるほどだった。「710富士を撃つな!東富士・沖縄104号越え実弾移転訓練反対」のための抗議行動である。集合場所の公園に着くとすでに20人程の警官がそれぞれ長い棒を手に植込みや草むらを捜索している。武器や爆発物の発見ということか。なにしろ「テロ警戒中」であり、英国のテロ直後だ。イラク派兵の最中、「反戦平和行動」はテロと同義であり、参加者は「不審者」、過激な行動に出る可能性はことごとく排除するというわけだ。

それにしても、せいぜい10数人の抗議行動に、その34倍の警備動員は、いつもの事ながら呆れたものだ。世界の潮流「もったいない」の正反対ではないか。参加者の中高年の胸中がいかに熱かろうと、まさか胸のまわりに爆弾巻いてるわけでもあるまい。

先回のデモは終始、上空から県警ヘリで監視されたが、事故で1機墜落した事と、この濃霧では出動の意味も無く、地上の警備のみだった。シュプレヒコールをくりかえしても霧のせいかのどは痛くならなかった。それにしても現在の地方都市に共通する閉店した個人商店の連なる街路を目にするのは忍びない。まさに政治的風景そのものだ。地元からの参加者の話では、自治体予算が少ないなかで、たとえば公共施設を建てると多額の補助が防衛費から流れるので地元の人間があからさまな反対を口に出来ない状態という。良心や生活基盤が金で買われているわけだ。まるで水戸黄門の世界だ。「防衛庁、おぬしもワルよのう」

デモの後、東富士演習場で自衛隊と米海軍キャンプ富士に申し入れのため移動した。あいかわらず霧が濃い。

腹に響く威圧感のある走行音とともに霧の中からその異形は現われた。通称ハンビーと呼ばれる米軍の戦闘車両は、旧型ジープをはるかにしのぐ大きさと性能の共通プラットホームに兵員輸送や機銃などさまざまな架装をほどこされ戦場に投入される。世界中の戦場経験からフィードバックしたハンビーは、各戦場に合わせた迷彩色に塗装される。我々の前に現われたのはイラクのものと思われた。最低地上高の異様な高さは、もちろん戦場の凸凹をクリアするためで、巨大なタイヤも同じ目的だ。2名の白人兵がこちらを見遣りながら押し黙ったままゆっくり移動してゆく。

この東富士で訓練する沖縄米海兵隊は、イラクに向かう。つまりイラク攻撃の最終訓練地ということだ。自衛隊富士学校からもイラク派兵されている。最近、東富士には市街戦用の模擬建造物がつくられ自衛隊初の市街戦訓練がマスコミに公開された。冷戦時代の野原や山間地ではなく、時代は「対テロ戦争」で戦場は市街地となったわけだ。たとえばファルージャのような。

最終訓練地では、兵士の生死をかけて訓練が行われているはずだ。「人権」や「平等」といった民主主義の概念は、ここには無い。「奴等」「ぶっ殺せ」「糞」「FUCK」といった単語が公式に飛び交い、差別と憎悪を助長、合法化して、殺人を技術的、精神的に可能にする訓練だ。披露困憊して思考が止まり身体がただ条件反射的に動くように「殺人」をルーチン化するのが目的だ。

御殿場市街地デモと東富士自衛隊滝が原駐屯地および米海兵隊キャンプ富士への抗議行動を終えて帰路に付いた。西に向かうほど空が明るくなり夏の風景が戻ってきた。仲間に紹介され、帰りに浜松市内のギャラリーで現代美術の女性作家の個展に立ち寄った。ドイツでの個展の記録、ヨーゼフ・ボイスについて、ドイツの印象などが、ドローイング作品やトレーシングペーパーの立体作品などと展示されていたが、何よりも印象に残ったのは、ナチの捕虜収容所の数枚の写真とそれに関する文章だった。本人によれば「私、3人の子供がいるんで生と死の風景は強烈に感じてしまうんです」そして文章も、アーティストである前に、人間としてあの究極の風景に関わった印象を素直に表現していた。勝手な意味付けを許さないジェノサイドの記憶を前に呆然と建ち尽くすしかなかったことを。

12年前、浜松でアウシュビッツ展のスタッフとして関わった際、私はポスターで「見る事」を強調し、強要した。あの頃、誰が日本がイラク侵略戦争に参戦することを予見できただろうか。ジェノサイドの記憶の実体が展示され、多くの人がその前を通りすぎた。この種のイベントで浜松にしては異例の盛況だった。にも関わらず、その後の反戦平和運動は衰退の一途を辿っている。究極のジェノサイドの記憶を目の当たりにして、ひとびとはいったいなにを見ていたのだろう?

過去は現在とつながっている。そして未来にも。かってワイツゼッカーが言ったように、過去に目を閉ざすものは現在にも盲目となる。もちろん未来にも、だ。過去を直視できなかった国がふたたび過ちを犯すのは言うまでもない。目前の風景が何を意味しているのか、私たちは時折忘れたり、深く考えずに済ませてしまう。だがこの国が現在参戦しているのはまぎれもない事実だ。イラク民衆10万人以上の「死」について私たちは侵略者側としての責任を負っている。にもかかわらず日常の風景が何事も無いかのように繰り返されてゆく。だとしたら東富士の米海兵隊員のように「殺人」がルーチン化して少しも気にならない状態と変わりがないわけだ。ひとりひとりは良心な人たちなのに…ファシズム国家とはおそらくこうした有り様なのだろう。御殿場の東富士演習場が文字通りイラクと直結していることを忘れてはならない。そしてイラク民衆に向けられた銃の後方に私たちがいることも。

腹に響く威圧感のある走行音とともにハンビーが走る。後から後から無数のハンビーが続く。次の「ファルージャ」に向かって…。

2005.7.14 高木

「チェチェンって何?」

 

今時の若いカップル。女「チェチェンって何?」男「チェーン店じゃない?」女「何の?」男「ロシアの100円ショップとかの…」

急に現われた中年男。「新聞を読め!パソコンだってあるだろう」女「誰よ、あんた?」中年男「勉強しろ!」

ラジオとテレビで流されているパチンコ店のCMだ。日本の世相がうまく表現され、大笑いしながら寒気を覚えるものだ。断絶を冷笑するほかないという現実について、である。

情報社会と言われるが、正確には情報管理社会だろう。子供から大人まであらゆる欲望が解放され、何でも手に入る、という幻想を与えられた社会だ。歴史上、最も平和が謳われ、民主主義を享受している、かの幻想である。もちろん現実は正反対に歩みながら。ところで「現場」とは一体何か?

教育が侵略史を隠蔽し、敗戦を「潔白な再出発」ほどにしか刷り込まなかったことと、戦争体験者が死滅してゆくのをひたすら待ち望むことはパラレルであった。ともに目指したものは「記憶」の消滅だ。戦争の現実感の喪失が、聖戦神話という仮想現実を可能にしたことは言うまでもない。かくして戦犯が消え英霊がタブーでなくなる。

「現場」のリアリティを欠いた例を考えよう。国会や選挙がそれだ。最も公正であるべきものが、もはや滑稽なほど嘲笑の対象に貶められたうえ、そこにおける言葉が、現実から遊離してさえいる。言い方を変えれば機能停止した言語空間だ。これほどの機能停止を演出し、コントロールできることこそ、まぎれもなく恐怖政治であるということだろう。

個別に、野放しの欲望の充足幻想を与えられた様子は、政治参加という視点からは、まるでデジタル信号のように霧散した意志であり、現状肯定も否定も無いために結果として旧態依然の上意下達社会が横たわる。体制迎合が胸を張り異議申立てが少数派となり、階級格差の拡大はとどまることを知らない。

生物種が絶滅前に変化を受け入れようとせず保守化する如く、寛容を失った社会の未来は当然、暗黒でしかない。

PLAY BOY」(2005.9. No.367)は、ボブ・ディランとプロテストソングを特集した。中でも、「ピーター・バラカンが選ぶ時代を動かしたプロテストソング50曲」は、NHKの番組において「政治的発言はしない」と明言したP・バラカンの、きわめて明確な政治的発言と言える。もちろんそれが、季刊「前夜」創刊号における「抵抗の歌10」という彼の意志表明の継続であることは言うまでもない。1951年、ロンドン生まれの彼は、私とそれほど年令が離れているわけではない。「1968年」世界同時抵抗世代として現在まで生きてきた。記事は当然「ヴェトナム戦争」で始まる。CCRやC・S・N&Y、マーヴィン・ゲイ、B・スプリングスティーン、ボブ・ディラン、ジョン・レノン、ランディー・ニューマンなどを挙げ、「人種差別」のコーナーでは、ビリー・ホリデイの名作「奇妙な果実」を筆頭に挙げる。「飛び出した目、歪んだ口」「縄に吊るされて皮膚が焼け焦げる臭い」という内容は、この曲が書かれた頃、南部では黒人がリンチを受け殺されるのが日常だった背景がある。「奇妙な果実」とは、木に吊るされた黒人の死体のことだ。米国の人種差別は当時よりはましになったが、現在も消える事はない。米国支配層の極めて少数の黒人とイラク侵略戦争最前線の黒人という非対称が証しだ。脱げそうなパンツで粋がりヒップ・ホップやラップを聞く日本の若者の何%が、このような差別と抵抗の歴史を知っているだろう?

他にピートシーガー、サムクック、ニーナ・シモン、J・ブラウンを挙げる。「アパルトヘイト」では、ランディー・ニューマン、ピーター・ゲイヴリエル、アーティスト・ユナイテッド・アゲインスト・アパルトヘイトなどを紹介、A・UA・AはB・スプリングスティーン、B・ディラン、ボノらが参加した。P・ゲイヴリエルの「ヴィコ」は、南アフリカの反体制活動家スティーヴン・ヴィコが官憲に拷問され殺されたことを歌ったもの。その他のジャンルは「階級・平等」「偽善・不正」「女性」「環境・原子力」と続く。一連の選択で、プロテスト・ソングが社会の現実とリンクしてこそ同時代性を表現出来るという当然の印象が、「プロテスト・ソングとは何か?」をあらためて考えさせる。極端な比喩をすれば、(武器は戦場で使うもの)だ。

P・バラカンの選択は当然と言えるものだろう。それぞれの曲がその時代において「抵抗の現場」として作用することが可能だったこともわかる。その上で、あえて考えたい。

「抵抗の現場」と「抵抗の歌」について、である。

PLAY BOY」というスノビズムによって再構築された「古き良き時代の抵抗の歌」たちは、抵抗の対象と抵抗者が同時に存在する時空間においてこそ最も価値(意味)あるものであることと、抵抗の意志も手段も失った者にとって「抵抗の歌」とは一体何か?というきわめてアイロニカルな問いを投げる。かって反体制的とさえ見なされたビートルズが、教科書に載るほど毒が抜かれた時代である。同じように「PLAYBOY」が特集したアーティストも、かっては抵抗者であっても、現在は芸能人だ。繰り返すが、抵抗の対象と抵抗者が共存する時空間だけが「抵抗の歌」の震源になりうるはずだ。

金持ちがインテリアとして購入した額縁入りの絵画のように「愛でる」対象と化した往年の「抵抗の歌」が、現在に及ぼす効果は期待出来ない。もはや音楽史のひとつのエピソードとさえ言える。さて私たちの現実に戻ろう。弱者の苦しみ、叫び、怒りと連帯した歌の生々しさが欲しい。抵抗の困難な時代の抵抗の歌にこそ、血と汗と涙で描かれた人間の姿がある。私たちに必要なのはサロンでなく、現場なのだ。たとえば沖縄の民衆の歌は私たちに沖縄の現実を訴え、ゆえに私たちの有り様を問い掛ける。自らの表現として沖縄の抵抗の歌に連帯する時私たちも沖縄の現場を共有できるはずだ。

中日新聞(05728)が関西出身のロックバンド「ソウルフラワーユニオン」の新アルバム「ロロサエ・モナムール」を紹介している。「ひしゃげた夢を掲げて憤怒の声を上げろ、とのろしのように立ち上がる声。ボロをまとったおやっさんやパンチドランカーへ注ぐまなざし。それらが渾然一体となってタフなうねりを生む。中川敬(39)は、自分が情熱をもって誠実に歌える歌しか作れない。そうゆう言葉を紡ぎだそうとしてきた、と話す。バンドのもうひとつの顔『ソウルフラワーモノノケサミット』は阪神淡路大震災で急遽結成。なつかしいな。ええな。楽団てええな、と『篭の鳥』を弾く腕をつかまれ、『アリラン』を日に何度も請われ、『安里屋ユンタ』に合いの手が響いた。新作『ロロサエ・モナムール』はかっての日本の占領地東ティモールへの思いをこめたという。2002年東ティモール独立コンサートに日本代表として出演。大虐殺を受けた町でも住民と一体で祭りを開いた。

モノノケを知る永六輔さん(72)は、ロックグループはあらゆる意味で反権力、反体制でいい。敵が見えにくい今という時代に悪戦苦闘している一人が彼ら。唖蝉坊で止まらず、もっと深く歴史や過去の諸先輩に学べば行く道が見えると助言する。」

「抵抗の歌」について(うまい)(へた)という視点は的外れだ。それは抵抗の現場で吐き出され、投げつけられ、ブチまかされる魂の叫びだ。世界中の抵抗の現場で今日も「抵抗の歌」が歌われている。プロテストソングは徹頭徹尾、現場主義である。

2005.7.28 高木


アスベスト

 

いつのまにか夏休みの恒例となった「夏休みこども電話相談室」がはじまり、ウンザリする暑さになすすべを知らない大人たちを尻目に、われもわれもと好奇心が競い合っている。甲高い子供の声を、うるさいと思えばそれまでだが、さまざまな事物に対する飽く事を知らぬ好奇心や探求心を喧騒とくくってしまうのは、ひょっとしたら大人たちが、とっくに失ってしまったものに嫉妬を覚えているからかもしれない。

あとからあとから湧き出る疑問を、何のてらいもなく表現するのは大人に真似出来るものでなく、こどもだからと決めつけるのが関の山だ。しかし私たちは、素朴な疑問を表現することも解決することもしないまま、消去し続ける日々を送ってはいないだろうか?

「なぜ、戦争をするのか?」「なぜ、イラク人がころされるのか?」「なぜ、世界一の地震列島に53基もの原発を稼動させるのか?」「なぜ、平和憲法と自衛隊が共存可能なのか?」etc

こどもは世界を知りたくて疑問を抱き、自分がどのような存在で世界とどのような関係なのか、ゆっくりと理解してゆくのだろう。反対に大人はさまざまな限界を思い知らされながら、少しずつさまざまな可能性を捨てて行くのかもしれない。そうだとしたら、なんとさびしい事だろう。ひとつの生き方を強要されたり、考え方を押し付けられるなど誰も望まないはずなのに、現実には意に反して自ら不幸な選択をしているような気がする。

さて、日本は「テロ警戒中」である。「なぜ、テロが起きるのか?」問うことは許されないが、「対テロ戦争」には参加が強制されるという奇妙な図式だ。しかも、発端が「大嘘のでっち上げ」だったことがばれているのに。嘘も公共となれば許されてしまうわけか。

過去(歴史)を勝手に捏造したまま、あたらしい物語が語られようとしている。

古生物学では、出所の不明な化石は“ただの石ころ”とされ、採集地の詳細な情報がその化石の価値を決定する。どのような時代に、どのような環境で棲息していたか明確になれば、何千万年、時には何億年という過去がかなりの精度で再現可能だ。人類史は地球史、生命史のタイムスケールに比べて桁違いに新しい。そのため、リアルな再現が可能だ。まして近、現代史はほとんど「現在」と考えて差し支えないだろう。

私の部屋にかなり錆付いた鉄製の鋤簾がある。三角形の厚い鉄でできたそれは、なにも説明がなければ、錆びた鉄のかたまりにすぎない。それは天竜川の秋葉ダム近くの旧峰の沢鉱山跡の沢で見つけたものだ。中国人強制連行により苛酷な労働で銅を掘っていたが、いまでは当時の姿はない。当時峰の沢に住んでいた老人に話をきいたが、やせ細った中国人にこっそりと残飯を渡したという。鋤簾を見せると「たしかにこんな道具を使っていたね」と感慨深そうにながめていた。錆付いた鋤簾が強制連行の事実を雄弁に語る。当時の情景が蘇る。何人がこの鋤簾で命を削った事か・・・連行された中国人のルサンチマンが鋤簾を介して私たちの現在を問い続ける。

「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書が公立校で採用された。この教科書では60年前に負けた戦争は日本を守るための戦争で、アジアの国々の独立に役立ったと主張する。そして「大東亜戦争」と呼び、アジア侵略を「解放」と偽り、戦争が人々を苦しめた事実に触れることなく、国民は良く働き良く戦ったと賛美する。原爆の被害実態や犠牲者数も書かず、15万人も虐殺された沖縄戦もたった2行半の記述だ。中国、韓国に対する侵略を正当化、南京大虐殺、731部隊、強制連行、「慰安婦」、東アジアでの労務者強制動員、植民地朝鮮、台湾での同化政策、天皇への忠誠強制などの加害事実にはほとんど触れていない。「つくる会」教科書では民衆がほとんど書かれず、日本に近代国家が出来たのは天皇を中心とした支配者によるものとされる。さらに日本国憲法は占領軍に押し付けられたもので、改正されて当然とする。基本的人権の前に、国民の義務や人権の制限が強調され「大日本帝国憲法」の復活を示唆するものだ。戦争の反省ではなく、賛美はこれからの戦争動員に至るもので、過去の事実を隠蔽し、「出所の不明な、ただの消耗品としての国民」を創出するためのものだ。

いかにこの国が国民を消耗品と考えているか、最近の例を示そう。

「厚生労働省は労働安全衛生法で義務付けている胸部X線検査を来年にも廃止する検討を始めた。理由は(医学的根拠がないため)だ。厚労省検討会では、○1検査で肺癌発見率は低く、見落としが多い○2検査より症状が先に出るので検査の意義が薄い○3X線被曝の害のほうが心配という。先進国のなかで日本の癌患者は右肩上がりで増えている。日本の病院には、職場健診で年間3000億円〜4000億円の金がおちている」(05720日刊ゲンダイ)

結局、国家規模の被曝人体実験をやってきたわけだ。利権が発生すると、悪いとわかっても止めるわけにいかないということだ。

もうひとつはアスベストである。アスベストの発ガン性は72年にWHOなどが発癌物質と認定したが、75年当時国内累計使用料380万トンで、危険性がわかっても使い続けて、現在1000万トンになっている。肺に突き刺さったアスベスト繊維はずっと周囲を刺激しつづけ、肺癌や中皮腫を起こす。村山武彦早稲田大教授によれば中皮腫による国内の死亡者は、2040年までに10万人を超える。

西博義副厚労相は衆院厚労委員会で「事実を分かりながらフォロー出来なかったことは取り返しがつかない。決定的な私ども省庁の失敗だった」と国の落ち度を認めた。

だが、全面禁止は2008年という。この国は安全と言う概念がないようだ。

アスベスト使用建造物の解体は2020年〜2040年にピークをむかえる。民家の飛散防止策は困難だろう。潜伏期間が2050年と長期のため労災請求権を失効してしまうケースも多いという。

「国土交通省は、アスベスト使用建造物の再調査を都道府県に指示した。担当者は(解体作業員のリスクは高いが、病気になれば厚労省の労災で対応させる)と責任を回避する。公立学校でのアスベスト対策は、設置者である地方自治体にまかせっきり」(05721静岡)

教育現場では「国を愛する」ことを強調するという。国民を人体実験したり、危険性がわかっていても無視し続けるこの国をいったいどうしたら愛することができるのだろう?長く暑い夏は、まだ始まったばかり。子供に負けず疑問を持ち続けよう。人間をやめないために。

2005.7.22 高木