治安悪化

 

「防犯」という言葉のかわりに「治安」が多用されるようになった。

「『治安』という言葉を使うことによって、およそ社会や人々の安全で静穏な生活を脅かすおそれのあるものの一切が排除の対象になる。/治安は悪いのか、良いのかなどという問いは、本当はどうでもいいこと、無意味な問いなのかもしれない。/『治安』が問題にされるのは、『治安が悪い』というテーゼからさまざまなバイオポリティカル(国家統治の在りようとして出生、健康管理、教育、労働、住居、移住など社会全体のあらゆるレベルの調整技術)な操作を引き出すための手段でしかないのだから」(「治安は本当に悪化しているのか」久保 大 公人社2006

悪名高い石原都政の中枢、知事本局治安対策担当部長(東京都緊急治安対策本部副本部長兼務)というポストを2005年に退職した人物によるタイムラグ付き内部告発とでも言うべき本が出版された。

右傾化する日本をリードする立場の東京都の元職員が、「治安悪化」のメインストリームを正確かつ冷静に分析、批判する。

政府の公式見解では「治安は悪化している」。犯罪白書が具体的データを示して「もはや、水と安全はタダではない。警察力強化とともに、国民ひとりひとりが自分の安全は自ら守る意識の必要がある」とされる。客観的データと主観的データ(体感治安悪化)により、警察力強化と、反論し難い社会的ムードが作られている。久保は、犯罪白書などの公式データ(客観的データ)の数字がきわめて意図的、恣意的に使われている実態を暴く。たとえば、刑法犯の認知件数の4分の1は交通事故であったり、凶悪犯が増加しているという言説では、約256万件の犯罪のうち約80%が窃盗や自転車無断使用などで、いわゆる凶悪犯は全体の0.40.5%にすぎないことを指摘する。死傷者数の大幅増加は、軽傷者数がこの9年間で約18,000人増加していることが原因だ。また、毎年1,400件前後の殺人事件・未遂事件が発生しているが、その85%は、家族や顔見知りによる犯行で、報道によるイメージほどには通り魔的無差別殺人が頻発しているわけではない。犯罪認知件数により、犯罪が増加しているとする公的見解があるが、数値がどれだけ実態を反映するかという意味で疑わしい。犯罪認知件数とは、客観的犯罪総数を示すものではなく、被害者からの届け出と警察の正式受理の如何によって変動するからだ。「少年犯罪や外国人犯罪の増加」は「検挙人員増加」を「犯罪増加」に読み替えて議論(共犯が無視される)されている。

2004年、警視庁による来日外国人総検挙者の65%、3人に2人は超過滞在など入管法違反で、犯罪被害者がいないにもかかわらず外国人犯罪にカウントされている。来日外国人の過半を占める窃盗犯は集団性、反復性の特徴があり、検挙した場合に、余罪をどの程度追求し、カウントするかで検挙件数も大きく増減する。「不法滞在者=悪」という構図が流布され、内閣府の世論調査でも「日本の治安は悪くなった」が86.6%、その理由は「外国人の不法滞在者が増えたから」が54.4%で第1位。これに対し久保は社会安全研究財団の調査にもとづき「あなたや家族がこの1年間に来日外国人から犯罪被害を受けたか」という質問に0.4%しかイエスがいないことを示し「そもそも不法滞在者を生み出す構造、さらにそのなかから彼、彼女らを犯罪に走らせる構造的要因にまで遡って考える必要がある」として、硬直した行政と、それを支える言説を安易に信じ込み、排除しか生み出さない社会を糾弾する。

「彼らが労働力バッファー(調整装置)として利用される限り、犯罪に走る危険とも背中合わせ」であり、「凶悪犯である不法滞在者」と「被害者である善良な日本人」という対立項が差別や収奪を正当化する、という。

多くの日本人が公式データによる情報操作や報道の反復によって治安の悪化を感じさせられている。底無し不況と煽動される不安感が思惑通りの「治安優先社会」を育み、都合のよい国家責任放棄のかわりに自己責任論がまかり通る。伝統的に加害責任を無視する社会で、マスコミが、被害者に感情移入する心地良さをさかんにアピールして全体の構造を不可視で曖昧にする効果を生んでいる。治安悪化はビジネスチャンスでもある。監視カメラやGPS、管理型ケータイなどこれでもかと管理社会化が進んでゆく。戦時体制構築が、治安悪化という言説により合法的に進んでいるわけだ。

ところでイラク、サマーワに派兵されていた陸上自衛隊の撤退が続いている。小泉首相は撤退発表した620日、一発の銃弾も撃たず、犠牲者も出さなかった、と自画自賛したが、週刊プレイボーイ(7月17日)と週刊現代(7月15日)がスクープ記事としてイラク出兵自衛隊員戦死者5名(現代)、同6名(プレイボーイ)と報道している。5名と6名の違いは取材日時によるものと思えるが、いずれの内容も帰国後のPTSDによる自殺というもので、イラクにおけるまぎれもない戦闘地域に軍隊として派兵されたにもかかわらず、引き金もひけずに、ひたすらひきこもるという矛盾した苛酷な経験により、結果として自ら死を選ぶ他なかった痛ましい事実を報じている。自殺者全員が男性で、4人が陸自、1人が空自。中には演習場内で自殺したものもいる(現代)。

宿営地は何度も迫撃砲の攻撃を受けている。中には宿営地内に着弾し、コンテナを突き抜けたこともある。爆発音に慣れていない隊員たちが一時的にパニックに陥った。不安で眠れぬまま朝を迎え、朝礼で、隊長が全員を無事に連れて帰る、と訓示したのをきっかけにみんな泣き出した。それほど緊張が高まっていた(現代)。

米国防総省発表では、イラク帰還兵の1718%が精神的問題を抱えている。イラク派兵された米兵は約425000名だから、およそ7万名の帰還兵が悩まされていることになる(プレイボーイ)。

もちろん米国防総省のデータを、そのまま適用するわけにはいかないが、帰国自衛官のさらなる戦死者(自殺者)を否定することも不可能だ。わかっているのは、自衛官の戦死者が出ても、派兵の最高責任者小泉は絶対に自殺しないということだ。そしておそらく今後(改憲まで)も、口にするのは「自衛隊がいる所が非戦闘地域」だろう。イラク派兵を強行するために政府、マスコミは一体となり「人道復興支援」という虚言にすりかえ、水○トン、道路建設、学校建設、医療支援などと大本営発表してきた。その客観性を欠いたままの言説が、まんまと空自の活動拡大に連携され、さらに米軍の侵略への無期限兵站が約束された(米軍再編)。国内の治安悪化は世界の治安悪化に対応しているわけだ。自衛官の死を国民の責任として正当に受け止めなければならない。

77日朝日新聞は「7年ぶりに刑法犯が100万件下回る」と伝えている。しかし強調される「北朝鮮ミサイル発射」のかげにかくれてほとんど目立たないから、これからも日本の治安は悪化の一途をたどることだろう。

200677 高木

異なる視点

異なる視点を持たないということは、事実のある側面、全体のある部分のみ、しかもその真偽さえ不明なまま認識することだろう。対象の微妙な変化にも気付かず柔軟性を欠いたほとんど選択肢のない対応しか出来ないはずだ。しかし、それは管理・統制する側にとっては好都合この上ない。ジャーナリズムの危機的状況において日本人が世界をどれだけ正確に認識しているかという問いには、残念ながら最悪と自覚するほかない。「北朝鮮ミサイル発射」がMD(ミサイル防衛)をいっきに加速している。さらに額賀防衛庁長官や安倍官房長官などにより、敵ミサイル発射基地への先制攻撃の可能性を探る動きさえ出始めた。

危機が煽られるまま、巷の庶民まで武力行使の必要を臆面もなく口にして、アジアが最も恐れる事態の鳴動が始まろうとしている。愛知県で朝鮮人学校の学生がなぐられたという。日本にアルジャジーラが存在しないことが本当に悔やまれる。異論や反論が封じられるだけでこうも簡単に戦時体制が進み国家の進む方向が決定されてしまうわけだ。それにしても「窮鼠猫を噛む」を忘れたのだろうか?チキンゲームのリスクは破滅的なものだ。脳天気な「米軍が守ってくれる」レベルの話ではない。

 ところで突出した覇権主義を貫く米国を考えるとき、米国以外のサブカルチャーも見逃せない。できるだけ多くの視点が客観性を高めるはずだ。

デンマークのラース・フォン・トリアー監督に注目したい。「アメリカ3部作」に取り組んでおり、「ドッグヴィル」、「マンダレイ」がカンヌ映画祭で衝撃をあたえ3作目の「WASINGTON」が期待されている。前2作とも映画の常識を破り、巨大スタジオにほんのわずかな象徴的セットを配置しただけのミニマリズムで演出された。前衛的、演劇的とも言える演出もほとんど違和感無く、ラースの計算通りだった。

「ドッグヴィル」は、米国の小さな田舎町が舞台。閉鎖社会に暮らす人々のなかにグレース(ニコール・キッドマン)が訪れることで、さまざまなエピソードが紡がれてゆく。住人たちの表面的なやさしさや平静な様子は、醜い現実や暴力を隠したものにすぎず、若く美しいグレースは、無抵抗のまま、その闇の犠牲となってゆく。

終章はそうした無力な存在を反転するかのようにギャングの父親の迎えを受け、マシンガンで住人を虐殺する。この結末から数年経ち「マンダレイ」が開幕する。グレースと父親たちギャング団一行が、ある田舎のプランテーションに着く。高い鉄柵で囲まれたその農場では、なんと70年も前に廃止されたはずの奴隷制度が生きていることをグレースが知る。農場主の老女は死にかけていた。グレースは、力ずくでも奴隷制をやめさせる、と住民に告げる。米国の中東侵略のメタファーを思わせる展開だ。今まで奴隷として生きてきた住民は、急に自由や民主主義と言われてもとまどうばかり。長老ウィレルムはグレースに“ママの法律”という本が死んだ農場主のベッドに隠されていることを教える。本は奴隷たちを支配、統制するためのマニュアルだ。

農場で起こるすべてが“ママの法律”に従っていたため、グレースは、ひとつひとつを民主的に解決しようとする。しかし砂嵐にみまわれてせっかく植えた綿も被害を受け、病気だった女の子になけなしの食料を与えていたのに、ひそかに餓えた老女が食べ続け、女の子は死ぬ。事が発覚して女の子の親がグレースに公正な裁きを要求。グレースは迷ったあげく自らの手で老女を銃殺する他無かった。絶望するグレースに住民が告げる。「やっとあんたと思いを共有出来た。おれたちがずっと味わってきた絶望を」。災い転じて福となす、共感とともに予想外の綿の収獲により住民に大金が入った。

だが、喜びも束の間、金が盗まれ、あろうことか信頼していたティモシーがギャンブルで使ったことがバレる。絶望に打ちひしがれたグレースは、今日、父親が迎えに来ることから、ここを去る決心をし、意外な成りゆきで手もとにもどった金と“ママの法律”を返そうとするが、ウィレルムが“ママの法律”の秘密を明かす。かって奴隷制度廃止において、奴隷たちはどんな世の中になるか不安にかられた。そこで“ママ”が、マンダレイに残るなら生きてゆけるしくみを考えようとウィレルムに“ママの法律”を書かせた。“ママの法律”は、生活を保障し不満はすべて主人のせいに出来る、とされていた。外部の、自由とリスクのある生活を拒否した元奴隷たちはこうして生きのびてきた。

ママの死と引きかえにやってきたグレースがその秩序を破壊した。住民たちは再びマンダレイで生きる事を望み、民主的にグレースを新しい“ママ”に選ぶ。驚愕の事実を知らされ、絶望的になったグレースは逃げようと父親が来る時刻にマンダレイの門にかけ寄るが、置き手紙があるだけだった。「親愛なる娘へ。お前はまた父親を騙したな。フェンスの中で、お前は立派に事態を掌握していた。誇りに思う。いつの日か、新しいマンダレイについて聞かせて欲しい」。収獲の金とグレースの貞淑を奪ったティモシーを住民の前で激しくムチで打つグレースを、偶然にも父が見ていたのだった。映画のエンドロールが流れる。ビリー・ホリデイの「奇妙な果実」のように木に吊るされた黒人たちの死体、ベトナム、湾岸、アフガン、イラクにおける侵略戦争で消耗品として最前線に送られた黒人たち、キング牧師などの公民権運動、すべて実写の記録写真が流れてゆく。

「アメリカに行ったことはない」と語るラースが、デンマークに居ながらにして、正鵠を得た米国批判を表現している。ハリウッド映画
50本に1本くらい、それも地方ではほとんど観る機会の無い欧州映画にはかくも貴重なメッセージがある。世論形成に果たす米国文化偏向がこうした非対称によって可能となる。地方ほど米国化しているわけだ。

私は以前からスポーツは代理戦争だ、と言ってきたが、映画などさまざまな表現を代理戦争として設定出来たら、おそらく日本は下位に並ぶに違いない。少数のすぐれた才能を否定はしないが、多くの日本人が異なる視点を持たないからだ。

米国発の視点で失われている例は、たとえばイスラエルとパレスチナに関しての情報だろう。大半が無実のパレスチナ人9000人がイスラエルに拘束されたままだが、それはニュースにもならず、たった一人のイスラエル兵士がパレスチナに拘束されたことが、大きく扱われ、それによってイスラエル軍の空爆と戦車による侵攻さえ正当化されながら。もし、イスラエルによって殺されてゆくパレスチナ人の1人についてドキュメントが可能なら、中東に対する世界のまなざしが変わる可能性もある。まさに表現の可能性だ。

「韓流」などと煽られて熱狂した日本人の中年女性たちは、情欲の消費に熱心な割には(歴史認識も含めて)知性も教養も貧しいゆえに、あっと言う間にブームが去ったが、本来、正当に人間を描くドラマは
1人の人間の価値を豊かに表現しうるものだ。その価値(評価)がブームごときで変動するような国の文化は、きわめていいかげんなもので、それゆえ簡単に敵を作りだし、自覚するしないに関わらず自らも相応のリスクを負うということだろう。この国の、雰囲気で何でも可能という曖昧さは、おそらく主権放棄によるものだ。だから言葉が軽薄だし、論理も曖昧だ。いずれにせよ相手に死を突き付けるなら、自らも死の覚悟がいる。生と死、命についての深い認識の無さが無責任で軽はずみな言動を生んでいる。

戦争は殺人という原理のオルタナティヴは可能だろうか?人類史は、表現の歴史でもある。もしスポーツ、映画、演劇、音楽、美術といったもので代理戦争が戦争を超克できたらと心から願わずにいられない。                     2006713高木

徴兵制など必要のない本当の理由

 

諸悪の根源と評される米軍だが、兵士たちの個人事情について私たちはほとんど知らない。それは米国の階層社会の最下層の若者たちが、選択肢を断たれたまま、そして意思表示の機会も手段も持たぬまま、最悪の職業に平行移動するだけのことだからだ。その多くがアフリカン・アメリカンやヒスパニックである最下層の米国人や不法滞在労働者の子供たちは、親たちの貧困を決定的に相続することになる。最良の教育が最良の人間を育むならば、最悪の環境と教育が彼らに用意するのは、せいぜい逮捕されるか、されないか程度の違いでしかない。法が救えない者にとって法は無いに等しい。限りなく犯罪に近い生活が常態化するなかで、巧妙な語り口の兵士リクルーターの甘い罠が彼らを捕獲する。入隊してしまえばもはや自分の意志は無いに等しく、上意下達の絶対的命令系統である軍の消耗品となるしかない。

マスコミもほとんど取り上げない米兵への直接インタビューにより、「最悪の米兵」を演じ続けるために、人間性を剥奪され、自らの意志に反して、さらに精神を崩壊させながら人間を殺す仕事に従事せざるを得ない現実を生々しくリポートした(『アメリカ弱者革命』堤 未果 海鳴社
2006)が出版された。反戦の立場では、戦争の被害者の声を聞き、伝えようとするのが常だが、加害者の意識や事情もまた知るべきであり広く伝えられるべきものだろう。なぜなら、「戦争が殺人である事」から最も遠い場所で口角沫を飛ばすのが政治であり、どのような美辞麗句で語られようと「殺人」は「殺人」でしかなく、しかもその現場は兵士と被害者だけで構成されるからだ。事後にせよ事前にせよ「殺人」について最も詳細に語る言葉と資格を持つのが、その両者つまり当事者であることは言を俟たない。たとえ死体となっても、である。階層社会(格差社会)が決定的に「兵士という消耗品供給」を果していることを構造的原理としてとらえれば、すでに擬似米国社会を呈する日本が、あえて徴兵制を口にするまでもなく、格差固定を計れば済むという話だ。ましてや改憲を控えネガティブ情報は禁物である。

多くの州の学校で「創造説」が教えられ、国民の41%がダーウィンの進化論より「創造説」を信じるキリスト教原理主義国家、米国について、堤のレポートは大変興味あるものだ。

ゲイのダニエルは、「9.11」は政府が関与した、と疑う友人の文化人類学者が突然消え、新聞記者の友人はFBIに家を荒らされ、身の危険を感じて家族を置いてコスタリカに逃げた。ツインタワーがあんな形で崩れるのは構造上おかしいと言っていた建築家は不審な事故で死んだ。3人は資料のコピーをダニエルに送った。ダニエルは「次は僕だ」と恐怖に陥り、テロリストでなく自分の国の政府から身を守るため生まれてはじめて銃を買った。「9.11」以後の米国の「テロとの戦い」物語は世界を一変したが、米国内の不協和音がこうして整理されていることは、マスコミでは伝わって来ない。だからこそ、たまにこうしたエピソードが洩れることで疑惑は確実に深まってゆく。

米軍は16才の子供にまで入隊の勧誘を行なっている。ある日突然携帯電話がかかってきて、リクルートセンターに連れて行かれ、ビデオを見せられる。大音量のラップが流れるなか、やせっぽちの黒人少年がいろんな怪物に襲われるが、地面の銀色の剣を拾いあげたとたん少年の服が米軍の制服に変わり、次々と怪物たちをやっつける。画面いっぱいの星条旗とともに金色の文字が現われる。「Be What You Want to Be!(なりたいものになれ!)」嘘だろうと、思わず叫びそうになるが、きっとこれが下層の少年たちを納得させる標準的モデルなのだろう。かくもすさまじい差別と誘導が実際に成果をあげていることに驚くばかりだ。それにしてもラップは世界中でグローバリズムの負の指標となったようだ。2002年、ブッシュ政権による教育改革法「落ちこぼれゼロ法案(No Child Left Behind Act)」が成立。すべての高校は、軍のリクルーターに生徒の個人情報を渡さなければならない、とされる。

リクルーターの誘い文句の定番は「大学に行ける」だ。しかし、
10年で50%以上値上りした授業料を払いきれず、中退する者が多い。「世界の富の25%を所有する米国人の8人に1人が貧困生活を送る。貧困児童数は1300万人で先進国トップ。98年国連食料機関の調査では、米国内の飢餓人口(次にいつ食べられるかわからない状態)は中東と北アフリカを合わせたより多い。慢性飢餓状態の国民は3100万人にのぼる(アメリカ弱者革命)」たとえ志願制であっても、絶望を選ぶか、軍を選ぶかという状態なのだ。でも元海兵隊のリクルーターをはじめ、在イラク米兵や帰還兵に危険を冒してリクルーターの手口を告発する動きが始まった。

兵士はほとんど劣悪な環境から逃げたい、大学に行きたいという理由で入隊している。入隊時、戦争がどんなものか知らなかった。知っているのはビデオゲームか映画だけだ。訓練キャンプでは、敵はイラク人やビン・ラディンだけじゃない、イスラム教の奴等全員だと教えられる。全員、同じ言葉をリズムに乗せて何度も繰り返し叫ばされる。「その女を殺せ!その子供を殺せ!殺せ!殺せ!全員殺せ!」
1日に何度も両手を背中で組んで叫ばされる。声が小さいと腕立て伏せ500回、頭を固定されて残酷な映像を何時間も見せられる。敵は人間でないという洗脳教育。ものを考えない殺人マシーンに仕立て上げる。

1994年以降、NAFTA(北米自由貿易協定)のために米国内で多くの工場が閉鎖され90万人の雇用が失われた。/アブ・グレイブ刑務所でイラク人捕虜の虐待事件で拷問に関わった若い兵士たちもまた職を奪われた元工場労働者たちだった。/米国では20041月、2月の2ヵ月で約76万人の失業保険が打ち切られ、貧困および飢餓状態の3100万人に少しづつ加わっている。医療保険未加入の米国人は4500万人にのぼり、個人破産の半数は高額医療費が原因。そんななか米軍は入隊と引換えに大学費用、医療保険などを条件に新兵を勧誘する(アメリカ弱者革命)」2004年、陸軍の調査では、イラクの米兵6人に1人が重度の精神障害。イラク駐屯の述べ人数100万人。国防総省の予測では精神的治療が必要になる兵士は10万人を超す。PTSDを抱えて帰還すると社会復帰出来ずホームレスになる。2004年米国ホームレス協会によると米国内のホームレスは約350万人。そのうち50万人が帰還兵。

帰還兵イヴァンは、はじめてのイラクの戦闘でパニックのうちに少女を殺す。我に返った彼は、まわりが、正気か?といぶかるなかバラバラになった少女の身体をカメラで撮影した。彼の魂が壊れてしまったこの日を生きている限り永遠に忘れないために。彼は日本でイラク戦争を語るために来日、広島の原爆資料館でショックを受ける。「焼け焦げた子供の写真を見た時、イラクの少女と重なったんだ。その時想った。僕はもう壊れてしまった。僕と一緒にいた兵士も。でもこれから生まれて来る子供たちは?一番幸せなのは戦争のない世界だ。僕が経験したようなことを子供たちが見ないですむような場所。そのために僕は残りの人生を捧げようって決めた。そうすることでアーヴィンや他の兵士たち、イラクの人々の死がはじめて無駄にならず、価値を持つんじゃないかって思うんだ」イヴァンの立ち上げた「イラク帰還兵反戦の会」は急速に会員が増えているという。

米国の高校には武器持ち込みチェック用金属探知器のゲートがあるが、地下のJROTCの軍事教練の部屋にはさまざまな種類の銃があり、生徒たちに撃ち方を教えている。陸軍のオンラインゲーム「アメリカズ・アーミーU」が出て登録者は200万人を越えた。リアルな戦闘体験ゲームだ。ユーザーの個人情報は軍に送られ、どのレベルに達しているか把握出来るしくみ。「ゲームをしていると戦争がカッコいいものに思えてくる」あの手この手の巧妙な勧誘が仕組まれるが、高校生にも戦争の現実に気づきはじめて反戦活動する者が増え始めた。

2004
年、イラクで息子が戦死したシンディ・シーハンは、反戦の母として有名になった。「何も考えずに生きてきたことのツケがこうして廻ってきたとしたら、あまりにも酷すぎる」同じく息子が戦死したスー・ニーデラーは「世界中の親に共通することは、どんなことがあっても決して親は子供を埋葬してはいけないってことです」と語る。「忘れちゃ駄目よ、私たちの手が繋がってるんだってことを」という言葉は「兵士たちを撤退させよ」という運動を続ける母親キム・ロザリオのものだ。

派兵という現実に無頓着で、イラクから一部が「無傷で帰ってきた」というプロパガンダに高揚し、戦争が、敵も味方も身も心もそして未来もすべて破壊するという現実をすっかり忘れた社会が、米国の複製と化す前に、米国下層社会の真剣なまなざしと切実な訴えに気付くべきではないか。

2006.7.20 高木

リバーベンドを聞け

 

「世界中の人たちは、わかっていないと思う。/なぜ自爆者になるか。それは、もはや生きるに値しない人生に対し、国内あるいは外国のテロリストによって暴力的に人間的なものを奪われてしまった人生に対し、復讐して結末をつけるのだ」 ハンドルネーム「リバーベンド」は、バグダード在住の20歳代後半の女性。彼女のブログの邦訳(「バグダッド・バーニングU いま、イラクを生きる」リバーベンドブログ翻訳チーム アートン2006)は、イラク侵略者側である日本人が、イラクについてどれほど無知、もしくは偏った知識しかないかを思い知らされる。もっとも「大本営発表」が堂々とまかり通り、自衛隊の海外派兵を「人道復興支援」などと言い換えることで、何食わぬ顔をして被害者の味方であるかのようにふるまうには、国家ぐるみで偏向するほかないのだが。それにしてもインターネットの時代に、稚拙きわまりない情報操作が可能であること自体、情けない民度を表わし、だからこそ2世、3世議員による腐敗政治が継続するのだろう。えっ?次は安倍首相だって!?

戦時体制構築期でありながらとりあえず「死体を見なくて済んでいること」を良いことに戦争に対する想像力を完全に欠落させている社会にとって、一日に数十人の無辜の市民が殺される国からの「言葉」はあまりにも重い。家族の死に絶叫し、いつ降りかかるかわからないいわれなき拘束と拷問の恐怖が止むことのない日常と、侵略者側でありながら平穏で何事も起きていないと勝手に錯覚し、政治論争を避け「お笑い」や「スポーツ」に対する異常な思い入れや熱狂がごくフツーである社会を直結する回路は、当然無い。人権の確立していないこの国で「人命」や「人道」が高らかに謳われるときは、正反対の事態が進行中であることを自覚すべきだ。リバーベンドは、その教養と感性で読む者を驚かす。これが米軍が地獄を展開する現在のイラクに住む女性の言葉か、と。

圧殺され封殺される表現情況にありながら、淀みなく言葉を紡ぎ続ける勇気は並大抵のものではない。日本人なら発狂するか自殺するであろうほどの、耐え難い恐怖にさらされながら、機知に富み、繊細かつ明確な論理で、侵略者を正面から見据え糾弾する姿勢はまぶしいばかりだ。なによりもパターン化したイラク報道で、嘘っぱちの理由で一方的に始められた侵略の泥沼が、他人事のように聞こえている社会に、ごく普通のイラク市民の日常生活が理不尽に破壊され、リアルで具体的な人間の痛み、苦しみ、叫びとして伝わることは、硬直し、偽善に満ちた日本人の世界観を根底から覆すものだ。さまざまな要因が示唆する、確実にやって来るであろうさらなる不況と混迷する社会にあって、リバーベンドのごとく表現し続ける日本人はいるだろうか?いや、これからもこの国で「人間であること」が可能だろうか?

リバーベンドの評価は、2005年、ベルリンにおいてルポルタージュ文学に授与される世界で唯一の国際的な賞であるユリシーズ賞の3位に入賞というすばらしいものだ。もともと米軍のために考案され進化してきたパソコンとインターネットが、反米、反戦のツールとしておおいに利用されるという皮肉は、侵略され、飲み水や電気というインフラばかりでなく表現やコミュニケーションを奪われ、命まで危険にさらされるイラクの人々が、勝手に歪曲されひとくくりにされた報道によって不当な存在に貶められるという二重被害による呪縛のブレークスルーとなるだろう。彼女の表現力がイラクの人々の息づかいまで伝えるリアリティを持つことが、たとえば日本でしか通用しない「人道復興支援」という錯覚を検証するうえで有力なものとなる。

明晰なリバーベンドの言葉はイラクの人々にとっても、侵略側の日本にとっても対等で正常なコミュニケーションを要求するものであり、イラクの真相を知るための重要な情報だ。それは「大本営発表」という虚構でも、偏向した
CNNでもなく、まぎれもない被侵略者(当事者)の言葉だからだ。米兵の個別情況について指摘したように、戦争の当事者の声は、いつも安全地帯で昂ぶる政治家のそれよりも圧倒的に重要だ。イラク派兵の自衛官の声(本音)も同様の価値を持つ。対象が不明であるにもかかわらず、煽られるままに「体感治安の悪化」におびえ、民間防衛を強化する小学生の学芸会のごとき日本社会の極端な偏向と民主主義からの逸脱を、渦中で指弾しても圧倒的な流れにかき消されるばかり。それはこの社会が閉じているからだろう。この光速インターネット時代においてさえ、である。自由度を与えられながら閉じるという有り様は、個別の規制が機能しているということだ。

無意識に内なる権力に明け渡された日常がそこにある。ゆえに主権者意識の欠落は自明なのだ。善悪の判断以前に、まず全体への「同化」が優先する社会は民主主義になじまず、前近代的精神を涵養するばかりだ。論理的思考を好まず、情緒的反応に終始する日本社会が「人権」をどのように考えるかは、都合良く誇張される人権と完全に無視される人権の特異な非対称にあらわれている。閉じた社会で、「大本営発表」の虚構を維持可能なのが、まさに閉じることによるならば、リバーベンドの言葉は虚構そのものを解体することになる。内側で鍵をかけて、偽りの外の世界を説明していたら、突然、外側から鍵を開けて入り込み、外はそんな状態じゃない、と告げるのだ。

痛快ではないか。侵略で荒廃したイラクから丸腰の若い女性が語りかけることで、経済大国、先進国などと呼ばれていた国家の物語の嘘を暴くのだから。

「みんな、どこにいるの??なぜ黙っているの?/いったいどうして、この一大事に一言も発言しないのだろう。/イラク人は絶対に忘れない。決して。残虐と非道のきわみ、大虐殺だ。アメリカがやったのだ。/なぜ全世界は知らぬ顔を決め込んでいるのか」

「どうして、外国人がロンドンやワシントンやニューヨークで爆弾を爆発させたら『テロ』なのだろう。外国人が、なんら問題のないイラクの町を爆撃すれば『解放』とか『作戦』なのに。私たちはそれほどどうでもいい存在なのか」

リバーベンドは、「9.11」にイラク人が一人も関わっていないのに10万人(現在では12万人)を超えるイラク人の命を奪う、悲惨な現実を正当化することがどうしてできるのか、と詰め寄る。終わり無きリバーベンドの独白は、彼女の破滅的日常が終わりを見せないことに対応する。暑さ、渇き、予告無しの爆発、襲撃、耐えがたい日常は、ロックやジャズを愛する世界中の若者と少しも違わない女性を翻弄する。かって、さまざまな宗派の違いにうまく折り合いをつけてきた日常が、侵略者にめちゃめちゃに破壊されてしまった。イラク人がイラク人を殺すはめになった現在、リバーベンドは、煽動され誘導される「敵視」という陥穽を見破り、真の敵は侵略者であることを警告する。

「私たちみんな、刃の上にいるような緊張を感じていた。/教育を受け、教養あるイラク人は、お互いに相争うようになるのを恐れているし、そんなに教育を受けていないイラク人でさえ、これがもっと不気味な企みの氷山の一角であることをしっかり意識している。/私たちは、どんな形にせよ宗派や民族で人を区別することは−肯定的であれ、否定的であれ−遅れていて無教養で下品なことだと感じるように育てられてきた。いまもっとも心配なのは、宗派による差別が一般化したことだ」米国追従しか考えず、能無しジャーナリストたちに、常に現場から遠い場所で勇ましい声を挙げるだけの日本人政治家が、直接リバーベンドに対峙して持論を展開できるとは到底考えられない。

嘘がまかり通り、虚構が可能なのは、真相が隠され、現場から遠く、誰も疑わないことだろう。かくして被害者の声の有無が歴史の捏造を決定的なものにする。閉じた社会は自らも、世界も歪めてしまう。

「爆弾は恐ろしい。すぐ傍らにいたとしたら、最初耳が張り裂けそうな轟音がして、次にガラス、爆弾の破片、その他さまざまな鋭利な破片が降り注ぐ音が聞こえる。続いて甲高い音がいくつも響き渡る。救急車の鋭い金属的なサイレンと近隣の車の警報装置の音。最後は、瓦礫のなかから死者や瀕死者を探しだそうとする人々の泣き叫ぶ声」              
                                 
2006727高木