20065
駆逐艦シャウプ清水入港の経過・背景

 

 2006526日駆逐艦シャウプが清水に入港した。この入港が持つ意味を考えてみたい。

●リンカーン空母群

 シャウプはリンカーン空母攻撃群の駆逐艦として清水に現れた。空母リンカーンはワシントン州エバレットを母港とするが、韓国で米韓共同訓練をおこない、香港・タイ・シンガポールを経て、525日に佐世保に入港した。飛行甲板333メートルの巨大な姿を見て、ある記者は「海の要塞」と記している。リンカーンは85機の艦載機を搭載するが、この甲板からイラク戦争時にはのべ16500機が出撃し、160万発の弾薬が空からイラクへと投下されたという。随伴する戦闘艦はミサイル攻撃をおこなっている。空母攻撃群はアメリカの先制攻撃の中核部隊なのである。

リンカーン空母攻撃群は水上の駆逐艦や巡洋艦などの戦闘艦に加えて、補給艦・輸送艦などの補助艦や潜水艦とともに移動する。3月、佐世保には、弾薬補給艦シャスタ(3日)、貨物輸送艦ケープヤコブ(3)、測量艦ボウディッチ(6日)、ケーブル施設艦ゼウス(10)、燃料補給艦ウォルターSディール(11)、音響測定艦ビクトリアス(12)が入港している。燃料を輸送する大型チャータータンカーも5隻入港している。横浜ノースドックでは音響測定艦インペッカブルが34日に出港して53日に戻ってきている。これらの艦は米韓共同訓練にリンクして出入港したものがおおいとみられる。リンカーン空母群の動きに関係したものもあるだろう。

佐世保へのリンカーン入港は3週間前から準備が始められた。04年には約7週間前からの準備であったから、受け入れの迅速化が狙われ港湾の軍事利用と動員など、一連の入港関係契約が3週間ですすめられたわけである。3週間での展開を想定しての動きという。

労働組合・市民団体は、米軍が西太平洋での2空母攻撃群の配置をねらい、佐世保が空母の準母港となろうとしているとし、平和船団による抗議行動を展開するとともに、リンカーン入港に反対しての全国集会を持った。

今回、平和船団の抗議行動に対し、米警備艇の一隻は機関銃を向けて威嚇警備をおこなった。米軍艦船は米国財産とされ、周囲50メートルは米軍が警備をおこなうとされているが、警備艇の1隻は海上保安部の警備ラインを超えて抗議船団に近づき威嚇したという。 

さらに抗議船団がリンカーンと並走しているところに海自こんごうとまきなみが船団の真ん中に突きすすんできた。それは米軍の空母を護衛するかのような行動だったという。

●米韓共同訓練フォールイーグル2006

リンカーン空母群は米韓共同訓練フォールイーグル2006をおこなったのちに、日本へと寄港した。今年の米韓共同訓練の状況をみてみると、訓練は3月25日から31日にかけておこなわれ、アメリカ・ハワイ・沖縄の米軍約3000人、駐韓米軍の17000人が参加し、リンカーン空母群、佐世保や横須賀の艦隊、岩国の航空部隊も参加した。米軍だけで2万人を超える大規模な軍事侵攻訓練を展開したのである。その際、宇宙空間からの情報収集や指令、米AWACSや空中給油機を利用しての官制や給油もおこなわれただろう。

空母リンカーン群とともに、横須賀・佐世保から米韓共同訓練フォールイーグル2006に参加した艦をみておけば、横須賀・巡洋艦チャンセラーズビル、駆逐艦カーティスウイルバー、ジョンSマッケーン、フィッツジェラルド、ステザム、フリーゲート艦ヴァンダーリフト、ゲアリー、佐世保・揚陸艦エセックス、ジュノー、ハーパーズフェリー、掃海艦ガーディアン、パトリオット、救難艦セーフガードなどがある。この展開にみられるように佐世保は揚陸艦の拠点であり、LCACの整備場や揚陸艦用の岸壁の建設など、侵攻用軍港としての強化がすすんでいる。なお横須賀のゲアリーは新潟港経由でフォールイーグルに参加した。

米韓訓練では、空母リンカーン群は韓国の東側の浦項沖で訓練に参加した。揚陸艦のエセックスやハーパーズフェリーは沖縄のホワイトビーチで第31海兵遠征隊を乗せて浦項にいき、そこから韓国の西側の泰安沖へと展開している。30日には泰安郡万里浦海岸で米艦合同上陸演習がおこなわれ、泰安沖からの上陸がおこなわれた。

その際、市民団体が、この訓練は朝鮮半島での戦争の危機を高めるものとし、阻止行動を展開した。この上陸訓練を米韓連合司令部は「作戦計画502704」の第3段階第2部を適用する訓練としている。それは朝鮮北部への侵攻と大規模上陸を意味したものである。この訓練では岩国の海兵隊のFA1838度線近くまで飛行して訓練をおこなったようである。

●米軍再編とすすむ日米一体化の下での民間港利用

この米韓共同訓練を前後して、米艦による日本の民間港湾の利用がすすんだ。この動きは米軍の世界的再編と日米の軍事同盟の一体的強化がすすむなかでの港湾の利用であり、朝鮮での戦争を想定した訓練である。

3月までの民間港への入港をまとめてみれば、2006年1月には名古屋に第7艦隊旗艦のブルーリッジ、2月には室蘭にチャンセラーズヒルとブルーリッジ、鹿児島にジョンSマッケーン、長崎にステザム、3月には新潟にゲアリーが入港した。特に2月には室蘭や長崎の自治体長が入港の回避を要請したにもかかわらず、自治体の意向を無視して入港を強行した。2月には呉に掃海艦ガーディアン、パトリオットが入港した。

米韓共同訓練が終わると、佐世保の揚陸艦は浦項から沖縄を経て佐世保に戻った。横須賀の戦闘艦は4月に横須賀に戻ったが、カーティスウイルバーは大阪を、ステザムは秋田を経ての横須賀帰港だった。

リンカーン空母群は、タイでの演習を経てシンガポールに寄港し日本に向かった。この空母群の随伴艦シャウプが清水に、ラッセルが宿毛に、モービルベイが横須賀に寄港した。5月には和歌山にカウペンスも寄港している。

当初はモービルベイの清水寄港が予定されていたが、直前になってシャウプに変更された。清水・宿毛への訪問理由をアメリカは「親善」としたが、それが港湾の軍事利用目的であることはあきらかである。ここからさらに太平洋への出動を図り、そのための港湾利用と民間動員がおこなわれているのである。

宿毛に入港したラッセルの艦長は記者にこの寄港の目的を、東アジアへのアメリカのコミットを示し、そのコミットとは日本と一緒にオペレーション(作戦)することと、その本質を述べている。

     米艦入港と民間動員

米海軍(横須賀)は横浜の大興産業へと入港手続きを依頼する。大興産業は米海軍の代理店として各港の代理業者に、水先案内人、ロープ取り、給水、食料調達、燃料供給、汚水処理、移動車両などを依頼する。米軍から海上保安庁に入港予定地が連絡され、各地の保安部から港湾を管轄する自治体に連絡が入るようになっている。

高知県へと高知新港の使用の依頼があったのは425日のことだった。しかし県は民間船の接岸予定があるとした。その結果、寄港地は宿毛へと変更された。高知県は「県の港湾の非核平和利用に関する決議」(1997)によって、51日、核搭載の有無について、外務省と駐大阪神戸米国総領事館に12日までに回答するよう照会した。それに対し、米総領事館は口頭で10日に説明した。県は米に非核について文書での提出を求めたところ、米は16日付メールで回答した。そのメールの要旨のみを県は公表したが、核については、その照会先は外務省であるというものだった。宿毛港の使用権限は宿毛市に委譲されていたため、県は入港の最終判断の権限は市にあるとした。

宿毛では600キロの食料調達、2000馬力以上のタグボート、役所との折衝、ホテルや交通機関の紹介を市が正式に許可する前からすすめられていった。海事代理店が港湾使用許可を市に申請したのは15日のことだった。

ラッセルが入港する予定の宿毛港池島岸壁には23日までに、米軍の要請を受けた海事代理業者によって、艦から150メートル以内には近づけないようにと有刺鉄線が張られた。県警の要請によって、県は岸壁北側の埠頭用地すべてを立ち入り禁止とし、有刺鉄線とフェンスを張った。

入港に先立つ427日に「米海軍犯罪捜査局保安専門官」らが、宿毛の海事代理業者とともに港湾の調査をおこなったように、港湾の使用に向けて米軍自身によって調査活動がおこなわれた。入港によって、港湾の形状、水深、岸壁の広さ、強度、受け入れ側の対応、休養する場所の状況、飲食店の価格などさまざまな調査がおこなわれ入港報告書に記載されていく。2002年のリンカーン佐世保入港の際には弾薬の一部を青森から佐世保へと輸送させ、輸送ルートの確保とその輸送の民間利用さえおこなわれていた。

米艦の艦員は税関のチェックも出入国の検査もない。日米地位協定により、簡単な入港届ですむという。手荷物検査を米軍側がおこない、上下船のチェックは日本の国内法の下にない。入港日を1日遅れて24日に入ったラッセルは、行き先を告げることなく、海上保安部の巡視艇に守られて、1日早く出港していった。

●清水港へのシャウプ入港

日米新ガイドライン安保の強化とともに、清水港へは1998年にカッシング、2001年にジョンSマッケーン、2004年にカウペンスと米艦が入港してきた。今回、米軍は5月23日のリンカーン随伴艦の巡洋艦モービルベイの清水入港を要求し、直前になって変更し、26日に駆逐艦シャウプを入港させた。 

かつて静岡県議会は新ガイドライン関連法制定の際に、「一方的に地方公共団体の役割が定められることには、地方自治の観点からも深い危惧の念を抱き、容認することはできない」(1999年)と反対の意向を示した。この観点からも、今回の入港には強く抗議すべきだが、県知事は反対の意思表示ひとつおこなわず、また県港湾局にはこの問題に対する危機意識が感じられなかった。

市民団体は519日と525日の県への要請をおこない、その際に、以下を強く申し入れた。

今回の入港は米韓共同訓練を経ての米艦の日本各港への分散展開であり、軍事行動の一環であること、核の持ち込みがおこなわれている可能性が高いこと、入港は新ガイドライン安保と米軍再配置の下での民間港の軍事使用にむけての調査・実行であること、港湾法は平和利用を趣旨とするものであり、軍艦の入港はその趣旨に反すること、自治体は港湾管理権によって軍艦の入港を拒否できること、独自の平和政策・論理を持ち、市民の安全確保の視点から入港に抵抗すべきであること、日米地位協定自体に問題があり米艦の横暴な入港は不当行為であり、「親善」は口実にほかならないこと、県は米軍に直接、非核証明を請求でき、今回はそれを実行すべきであること、県は市民感情や安全を重視して反対すべきこと、県が対抗する姿勢をもつことで、県民の平和と安全が維持できること。

入港当日の526日には、市民団体の連名で、静岡県知事が米艦シャウプの清水への入港を認めたことに対する抗議文を、興津第2埠頭入口で県港湾局長に手渡し、今後は清水港の平和的利用のために軍艦の利用を一切認めないこと、県が日本政府と米国政府へと清水港への米艦入港を今後おこなわないよう要請することを求めた。

入港するシャウプに対しては、集まった市民団体が埠頭の外側からであったが、共同して「清水を軍港にするな!」と大きな声で抗議した。

  シャウプが入港すると、タグボートを始め、食料・給水などの業者の車がつぎつぎにシャウプに向かっていった。米艦内をマスコミに公開し、「親善」ムードを振り撒き、乗組員はホームステイや三保海岸の清掃などをおこない、宣撫工作をおこなった。だが最新鋭のイージス艦であるシャウプの本質は、戦争マシーンであり、先制攻撃のための道具にほかならない。

 

  参考 リムピースHP、高知新聞ほか各紙報道記事                             

                            20066・1(竹)