伊藤和也さん(ペシャワール会)

が私たちに残してくれたもの 

 

2008年1117日、掛川市役所で開かれている『大地に緑を!アフガニスタンへの想い 〜伊藤和也さんを偲んで〜』という写真展に出かけた。月曜の午前中だというのに、年配の人たちを中心に多くの人が熱心に見学していた。

31歳で非業の死をとげた伊藤和也さん。5年間のアフガニスタンでの活動の中、彼の撮った写真が説明文とともに展示されていた。写真家でもないのに、どうしてこんなに見て温かい気持ちになる写真がとれるのだろうかと不思議な感じがした。多分、現地の人々や子どもたちへの彼のまなざしが、そうさせるのだろう。

 

伊藤さんがペシャワール会のワーカーとしてアフガンでの活動を志した時の自筆の原稿が、写真展の入口に掲げられていた。その時の決意が力強く若々しい字体で書き表されていた。

 

 「・・私は現地の人達と一緒に成長していきたいと考えています・・アフガニスタンを元の姿、緑豊かな国に近づけたい、これは一年二年で出来ることではありません。もちろん今現在の食糧に関しては大切です。しかし目先にとらわれ、化学肥料ばかり使用すれば、今の子供達が大人になるころには、へたをすると現在より酷いことになっているかもしれない。今見えることだけでなく、子供達が将来食物に不足しなくなるような環境に少しでも近づけることができるよう、力になればと考えています。このことは考えが甘いかもしれないし、行ったとしても現地の厳しい環境に耐えれるのかもわからない。しかし、現地に行かなければ、何も始まらない。そう考えて、今回日本人ワーカーを希望しました。」(2003,6月)

 

そして伊藤さんは現地で用水路の建設に数ヶ月従事した後、ダラエヌール渓谷の農場で農業支援活動にあたることとなった。磐田農業高校以来ずつと学び続けてきたものが、きっと存分に生かされたにちがいない。農作業に取り組んでいる時の真剣な様子、収穫物を手に喜ぶ現地の人たち、子どもたちの何とも言えぬうれしそうで生き生きした顔・・・全ての写真が、5年間の伊藤さんの活動がいかに価値ある素晴らしいものであったかを、確かに語っていた。

この展示会の写真に出てくる農作物をメモしてみた。さつまいも、稲、ぶどう、大豆、除虫菊、茶、アルファルファ、ソルゴー、菜の花、そば、燕麦・・まあ実に多彩だ。現地の人々の生活を豊かにする農業支援とはこのようなものなのだと、これらの写真を見て初めてわかった気がした。

 

ペシャワール会現地代表の中村哲さんの伊藤さん追悼の言葉は感動的なものだった。

 

「アフガンの村に溶け込み、アフガン農民の一人になりきって、全ての人々に愛されました。次第に砂漠化してゆく大地、餓死と隣り合わせにある農民たちの状態に胸を痛め、文字通り、人々と苦楽を共にしました。・・・・

和也くんは、決して言葉ではなく、その平和な生き方によって、その一生を以って、困った人々の心に明るさを灯してきました。成し遂げた業績も数々ありますが、何よりも、彼の、この生き方こそが、私たちへの最大の贈りものであります。

平和とは戦争以上の力であります。戦争以上の忍耐と努力が要ります。和也くんは、それを愚直なまでに守りました。

彼は私に代わって、そして、全ての平和を愛する人々に代わって死んだのであります。」

 

 

もちろん誰もが、伊藤さんのように、戦争や貧困の現地へ出かけ活動することなど出来るものではない。しかし国家の大きなプロジェクトとして、ペシャワール会のような活動を大々的に起こして、伊藤さんのような技術と志を持った人たちを、世界各地が必要とする現場へ派遣することは、決して不可能なことではないだろう。

日本政府はアメリカのアフガニスタン、イラク攻撃を、世界の世論に反していち早く支持し、巨額の資金援助と自衛隊による給油、輸送、給水活動などの米軍支援活動を行ってきた。莫大な資金と労力を提供して、大量殺戮と破壊を続ける米軍を支えてきたのだ。それは決して現地の人々を豊かにし幸せにする手助けではない。

でも、もし日本の国がその持っている力を、伊藤さんが身をもって示したような活動に注ぎ込むなら、どんなに多くのことが出来るだろう。米国の経済制裁が続く困難な状況下でも、各国に1万人を越す医師を送り続けてきたキューバという良い手本もある。

 世界に類例のない、「戦争放棄」の平和主義憲法を持ち、高度な生産力、技術、知識を持つ日本が、本当は何をしていくべきなのか、伊藤和也さんの生き方は、大きな示唆を与えてくれたように思う。                                                           山村