イラク反戦日誌5
2005年1月 現状・課題
1 2004年後半の記事から
報道記事を集めてみると、イラク戦争への派兵とそのもとでの戦時下の軍拡が加速していることがわかる。
イラク戦争では、アメリカが「大量破壊兵器の発見」を断念したこと、11月からのファルージャ攻撃の開始がこの間の特徴である。「大義」なき戦争が継続し、戦争犯罪が繰り返されている。
日本国内での軍拡については、憲法「改正」に向かう動きの強化、自民改憲案に現職自衛官の関与、国民保護法施行と協力機関の指定、「国民保護の基本指針」の公表、武器輸出三原則の緩和、ミサイル防衛への1400億円予算案、集団的自衛権行使の解釈の緩和、新防衛大綱の決定、イラク派兵の延長、朝鮮有事5055計画の存在報道等、改憲、国民動員、海外での日米軍事同盟強化についての動きが、加速していることがわかる。
国民意識でいえば、拉致事件を口実としての排外主義と「生活安全」の名による相互監視(表現の自由の否定と派兵・軍事同盟の容認)がすすんでいるといえる。
言い換えれば、人権と平和の放棄である。
2 憲法改悪問題によせて
以前ある学者が、「日本国憲法はすばらしい憲法だ」、と無条件に擁護した。彼は天皇制をどう評価するのだろう、とそのとき思った。不十分さを踏まえたうえで、改悪に対して反対したいというのなら、わかるのだが、さまざまな限界を語ることなくして、ただ「守れ!」と語るのは学者としては批判的知性の欠落のように思う。
法は、権力と民衆との関係性あるいは階級関係によって規定されているのだから、現憲法では、戦後における王制に関する力関係のなかで、天皇制と9条が併置的に存在している。平和と人権の諸条項は民衆の側の権利闘争が弱くなれば、権力者の都合のいいように制限され変えられていく。最近の戦時下での派兵とビラ配り検挙のような状況は、憲法の平和と人権条項の停止状況といってもいいものであり、これに歯止めをかけることなくして、「護憲」はありえない。
広く憲法の危機を宣伝する必要はあるのだが、ちいさな具体的な権利が奪われていることを問わずに、平和と人権があるといえるのだろうか。さまざまな人権条項を共有する活動のなかから、本当の意味での「護憲」があるように思う。
3 海外派兵の恒常化の動き
報道によれば05年の春には海外派兵を本隊業務とする自衛隊法改正案が出されるという。防衛庁の省への格上げや三軍を統合しての司令体制の確立もすすんでいる。年末には派兵恒久法の提出もあるかもしれない。また、首都圏の部隊の即応集団としての再編成も狙われている。この背景には、新たに再度日米安保を定義しなおし、米軍の世界各地での展開に追従して自衛隊の海外派兵を強化していこうとする政治意思がある。05年はグローバリゼーション派兵にむけての法整備とそれへの対抗、そして歴史認識をめぐっての攻防の年となるだろう。
グローバリゼーションによる派兵の拡大は、世界各地での反戦反基地行動のネットワークを生むだろう。それぞれの現場での運動状況を理解し、つなげて行くことも大切な課題となるだろう。日本国内での反派兵・反基地の運動のネットワーク化も課題である。
スマトラ沖地震への派兵は、アメリカの行動を追い、アメリカと共同し、三軍を統合して運用し、イスラム圏への反テロ展開をもおこなう訓練の様相を呈している。なんでも利用して、派兵行動につなげようとする身勝手さがある。
4 国民保護という戦時動員
有事法制の核となるのは戦時での国民動員である。国民保護法は戦時での民衆統制のための法律である。この法が成立したことにより、県議会での国民保護法関連の条例制定が焦点となる。すでに04年9月に法務省が通達を出している。また各種機関が指定され、保護法に対応しての就業規則の改悪もあるだろう。それらの現場での不服従の意思表示も求められている。
海外派兵の拡大は国内での「反テロ」統制の強化となる。「生活安全」をテコとしての民衆統制がすすむ。
04年は海外派兵がすすんだ年だった。派兵は全国規模で行われた。各地の基地からどのような派兵があったのかをまとめ、派兵情報を集めて共有することから、派兵に反対する声をねりあげていくことも必要だろう。自衛隊員に対しても人間としての呼びかけが求められるように思う。
2005年1月