闘い、始めました。
岡 元 檀
嵐の前は静かだった、のか?
一.プロローグ
私にとって、それが始まったのは二〇〇五年十二月暮れのことだった。場所は某市繁華
街、かに道楽。私の会社には1部と2部とがあり、私が、私の所属している1部の田中課
長と同席しているところへ2部の木村課長がやってきたと思ってください。
ふとした話の流れから、木村課長が私に問いかけた。
「岡元さん、勤めて何年になるの?」
木村課長は市から出向している人で、この会社に係わって2年半と日が浅く、内部事情に
はあまり詳しくない。
「6年ほどですね。」
「ふーん。同期はいるの?」
「浅井さんと井嶋さんがそうです。」
「じゃあ今度は総入れ替えになるんだな。」
独り言のように、木村氏はポツリ。隣に座っている、1部の田中課長の相槌を待ってい
るようにもみえた。しかし、田中課長はというと、杯を手に苦い表情のまま、ウンでもス
ンでもない。
おやおや、である。
来年度の雇用に関して会社から話があるのは、例年ならば十二月というのが常だった。
けれど、この年は会計検査が入り、社員旅行も十二月に予定されていたのが一月へ延期と
なっていたので、この日まで何も話がなかったのも、そのせいで多少遅れているのかぐら
いに思っていた。
すると、大勢は、告げられないまでも固まっているわけだ。
忘年会、十二月二十日のことである。
二.さて、と。
ところで、私が働いているのは職員数三十一人の小さな団体法人だ。職種は建設コンサ
ルタントというところかな。正社員は十七人、臨時職員九人、他社からの出向三人、当地
の市役所からの出向が二人。臨時職員の中には、この会社を定年退職して引き続き勤めて
いる人もいるし、市役所をそれなりの地位で定年退職してから他社を2,3社勤めて、そ
の上で奉職している人もいる。 他にはアルバイトやら、派遣社員やら、シルバー人材やら、
いろいろ入り乱れているが、ここではまあ直接には関係ない。
私は一年の有期雇用の臨時職員として勤めて実質、ほぼ七年。1部の第2係に属して、コ
ピー、お茶汲み、そうじから来客電話応対、少し専門的な事務、とにかく何でもありで
日々仕事をしている。業務内容によって残業もあれば、休日出勤もあり、いわゆる正社員
と同様、時には以上の仕事をしていた。
会社の組織については1図を参照してほしい。社屋はJRの駅から徒歩8分、平成十四
年冬に竣工したばかりの建物で、それなりに快適な仕事環境だ。何より、トイレが男女別
になったのがファンタスティック! …って、新しくなる以前の社屋って一体…。
三.転 回
そういうわけで(どういうわけで?)二〇〇六年の二月十日である。
社からは来年度の雇用に関して何の話もない。周囲も取り立てて今までと変わらない。
誰かしら退職するなどのことがあれば身の回りを片付け始めるから、ごみ出しもする臨時
職員に判らないことはない。しかし、例の忘年会の木村課長の発言から推し量ると、私の
雇い止めはもう決まったことのようだ。
他に動きがないということは、雇い止めの対象は私だけなのか?
―――ふーん、である。そういう状態?
まぁどう転んでも『雇い止め』をするのなら、会社は少なくとも三月三十一日の三十日
前までに解雇予告をしなくちゃいけない。それは労働基準法で決まっている。さすがに即
日解雇はないだろう。
そのうち何とか言ってくるさ、とはのんきである。我ながら。
と、思っていたら1部の次長の水木がやってきた。私のデスクに、ではなく、第2係の
係長と副主幹を呼んで会議室に連れて行く。
あらまぁ、とピ・ピ・ピときてしまうのがつらいところだ。この時期に、この二人を人
の耳のない部屋に呼びつけるというのはね。
数十分して会議室を出てきた副主幹は明らかに様子がおかしかった。目元も少し赤くな
っている。そして私に小さな声で、
「岡元さん、今度の月曜日、係長と私と三人で飲みに行かない?」
「いいですよ。」
と私。
来るものが来たな。胸はバクバク状態。予想はしていても、あまり向かい合いたくない
ことにぶつかると実際動揺するよなあ。
さて、それでどう対処するか。
幸いにして、二月の十一日から十三日まで三連休である。考える時間はたっぷりある。
でも、有期雇用であっても何回か契約更新をしていたら、そう簡単に雇い止めはできない
んじゃなかったかなあ。うろ覚えである。
まずはそのあたりを確認しにいくとするか。どこへ――知恵の源泉、図書館へ、ですと
も。( インターネットでという方法もあるのだが、パソコン持ってないんです…いや、も
う。)
しかし、さすがに時代を反映してか、いろいろある。書架をチェックしながら感嘆して
しまう。リストラ関連の書籍のことだ。対応マニュアルから経験談までよりどりみどり、
会社側が使う実務書もあった。こうまであるのも哀しいものがあると思いつつ、三冊選び
出す。経験者は語る、相談対応者は語る、イラストで描かれたリストラされた時の対応マ
ニュアルの三冊だ。
自宅に戻り、さっそく眼を通す。
うーむ。骨子はいずれも『辞めません』と言いなさい、だ。もちろん、辞める意志はな
いのだからあたりまえの話なのだけれど、なかなか言えないことらしい。辞めろと言われ
るかも、と思うだけで胸がバクバクするくらいだものね。
もし、条件が整えば辞めてもいいと思っていても、『辞めない』と言った方がいいよと
マニュアルには書いてあるが、条件もなにも、私の場合、退職金なしの臨時職員である。
整ったとしてせいぜい会社都合退職となって失業保険が早々に給付されるくらいだ。整う
条件の中には次の仕事先の紹介なんてのもあるが、こんなのは望むべくもない。肝心の『有
期雇用のときの雇い止め』については、
「有期雇用であっても更新を繰り返すことで実質的に『期間の定めのない労働契約」に
相当すると判断される場合があり、この場合には契約を更新しないこと(雇い止め)は解
雇に相当するとみなされる』
とある。
私は六回契約を更新しているから『雇い止め』を言われたときには、「解雇」に相当す
ると主張できる状況なわけか?「解雇」であるとするなら、本には「懲戒解雇」「普通解
雇」
「懲戒解雇」はあり得ない。会社から制裁を受ける形で解雇されるものというだが、
そういう対象になるような事件を起こしたことはない。
「普通解雇」は出勤不良や業務拒否といった、本人の仕事上の問題を理由として解さ
れるもの。休日出勤や残業もバンバンこなしてきているんだから、これもないよなあ。
あったら怒っちゃうわ。
残るは「整理解雇」だが、会社の重大な経営危機による人員整理のためのもので、これ
は四つの要件を満たさなければ解雇できないとなっている。
会社の重大な経営危機というのにはちょっとうなづけないところがあるが、これだろう
か?
ここではた、とそれこそ重大なことを思い出した。
実は私は二〇〇二年度で一度退職した形になっている。これは改めて二〇〇三年度も雇
うからと会社に言われて受けたものだ。ついては年度の初めの週を休んでほしい、もちろ
ん有休とするとのことで健康保険証も返し、四月七日に新たに資格を取得したことになっ
ている。
これはどう解釈したらいいのだろう?
二〇〇〇年度から六回契約更新をしたとは言えないのか?2003年、2004年と二回の
契約更新となって、『何回も契約を更新している』という条件には当てはまらないのか?当
てはまらないとなると、「解雇」であると主張もできないのか。
有期雇用の労働者(臨時・契約・パートなど)の雇い止め、解雇については、さすがに
説明されている紙数は少ない。誰かに聞きたくても、こうしたことを友人たちと話した記
憶もない。
うーむ。どうしましょう。
そして、『辞めろ』と言われたらどう答えよう?会社が辞めろというときは飽くまで退職
を迫ってくるだろう。こちらの意志はどうあれ。その時私には何ができるだろう?
まずは……一晩寝て考えるか!あ、三晩か。
四.走り出す
二月十四日。世の中はバレンタインデーである。ある、だけで取り立ててこの日が何だ
ということはないので、ただの十四日である。誰かがチョコレートをくれれば、そりゃ食
べるけど。義理チョコはしません…それくらいなら自分で食べるよなあ。――色気のない
話だ!(本命は、などと聞かないようにお願いします。)
そんなのんきなことを思いつつ、第1係の係長、松永氏と副主幹の紫野沢氏との待ち合
わせに向かった。駅前ののっぽホテルのエントランスで合流。係長の誘導するまま、和食
の店に落ち着いた。
乾杯をして一言二言、世間話を交わす。
「お父さんは最近どうですか。」
と係長。
私は実家で両親と同居しているのだが、父はこの一・二年認知症が進んで今は要介護4
の状態だ。昨年は2回、外出先から戻れなくなって警察その他の方々のお世話になってい
る。
「まあ良くなるものではないから。」
副主幹(女性)はさっきから私の隣でちょっと憮然とした表情だ。
実は、と係長が切り出した。うん、来たな。
「実はこの間、部長の塚崎さんと次長の水木さんから話があって、今年の三月三十一日の
契約期間満了を以って臨時職員さんには辞めてもらうことになってね。」
なるほど。それで?
「向が丘と南平の二つの事業が終了して仕事もなくなるし、来年度は財政の悪化が予想さ
れることもあってね…、」
ちょっと待て。これはどこかで聞いたセリフ。
そうだ。二〇〇二年の十二月だ。二〇〇三年度で雇い止めとしたいと、私、浅井、井嶋
の三人を前にして言った時の当時の課長(現部長)のセリフだ。そうして、『以後は中の
人で仕事はやっていく』
と言葉は続いたのだった。二〇〇三年度には、この二つの事業が終わり切れずに契約は更
新されている。(最も、一度辞めてくれとは言われて、そうしているわけだが。)
「三人とも?」
と聞いたのはその事実もあったし、昨年暮れの2部の木村課長の発言もあったからだ。
「あ、いや、岡元さんだけ。」
ふーん。
「総務の浅井さんはやることがあるし、井嶋さんは第1係の仕事が忙しいということで残
ってもらうことになりました。」
三人とも、と尋ねてちゃんと浅井嬢と井嶋嬢の名が口に上ってくるのは、今回の雇い止
めの対象として認識しており、二〇〇二年十二月の通告も三人に対してしたことを忘れて
いないということだ。
前述したが、私が働いているこの会社には9人の臨時職員がいる。男性が3人、女性が
6人、男性の内、1人は他社へ出向していて、1人はこの会社を昨年定年退職した人。定
年時は1部の部長だった。残る一人は二〇〇二年十二月に、勤めていた会社が倒産したの
で1年だけ、と採用された人だ。今もいますが。第2係に。
女性6人の内、私を含めて3人が一九九八年九月に、1人が同年十月に採用され、二〇〇
一年四月と二〇〇四年四月に残る2人が採用されている。
一九九八年九月に採用された3人の他は、二〇〇二年十二月の雇用の話のときに「あと三
年やってほしい」と会社から言われていた。もちろん、私たち3人とは別の席での話だ。
「来年度残ったとしても、岡元さん、この先やる仕事がありますか?」
係長の話が続く。
向が丘と南平の二事業は私がいる第2係が担当してきた。他に市外の根津と井伊寺の二
事業も受け持ち、そこに市などから受託した、ある意味飛び込みの仕事もこなし、他係の
応援もしていた。
その中で向が丘と南平は事務処理が主な仕事のため、副主幹の紫野沢氏が舵を取り現実
的な仕事は私が引き受けてきた。今年度でこの二事業は終了するはずだったが、種々の片
付かない問題があって今年の一月には来年度への事業延長が決まっていた。
しかし、である。私はこの二事業をほぼ担当としていたからといって、その終了までと
いう契約を結んでいたわけではない。
「まだ終息へ向けての仕事もあるわよねえ。」
その後の仕事についてコーディネートするのは上の仕事じゃ?私が見つけなければいけない
ことか?それに、根津と井伊寺の仕事がこれから忙しくなっていくはずなんだけど?
俄か勉強が《係長の言い方はおかしいよ》と頭を突く。
「まあ、でもそれはもう、大した仕事じゃないので…。」
係長と副主幹は私の意向を聞きたいと言う。
「私は辞めないで残りたいわ。」
これが三晩寝た後の、私の答え。『闘うわたし』誕生の瞬間である。
五.走り出す(2)
係長と副主幹は私のどういう態度・言葉を予想してきただろう?
係長は辞めてもらうことになって、の言葉の後に
『これは会社の決定事項なので変更することはない、と部長たちに言われたんだけど、』
と続けていた。
私の意向を確認したいというのは、ノーと言うならそれなり上に働きかけるつもりがあ
るのだろうか?いや、そんなことはない。これは一応直接の上司として体裁を整えようと
しているに過ぎない。
そうでもなければ、次にこの言葉は来ないわよぉ。
「岡元さん、この先のことを考えていますか。」
たった今辞めないと言ったのに、辞めた先のことなんか考えてないって。ていうか、リ
ストラのマニュアルに沿って無理やり話を進めようとしているわね、係長。
「この先の仕事についても微力ではありますが、力を貸しますんで…」
おとなしく辞めろってか?そんなわけにはいきませんてば。
「私はどうしても納得がいかない。」
唐突に副主幹が口を開いた。
「今そういう理由で岡元さんを辞めさせるなら、何で市川さんを入れたの?」
市川嬢は昨年の三月に短大を卒業し、新卒で臨時職員として入ったお嬢さんだ。第2係
に配属されて、私たちと一緒に仕事をしている。むろん、彼女は来年度も残るのだ。
「別に市川さん個人がどうこう言うんじゃないのよ。会社のやり方に納得できないの
よ。」
市川嬢が入ってくる前に、副主幹は水木次長から話を聞いている。
『彼女は来年の就職が決まっているので、その前のこの一年だけ雇う。』
一年しかいない人にどう仕事を教えていけばいいの?、と副主幹は戸惑っていた。
当時副主幹と私は向が丘と南平の二事業完了に向けて寄席来る仕事の大波小波を必死で
掻き分けていた。しかし人を入れてほしいと会社に要望したことはない。人手としてはこ
の仕事に慣れた、十年来のアルバイトさんが二人いたので、なんとかやっていたのだ。
そこへまっさらな人を入れられ、アルバイトさんを一人に減らされて、市川嬢は来客電
話応対を主な仕事とした。つまりこの一年、向が丘と南平の仕事は実質的には人を減らさ
れた状態となって、進まない仕事は私と副主幹がさらに残業をしてこなすしかない状態に
なっていたのだ。
それがこの年度途中で
『市川さんはずっといることになった。』
挙句に今回私のみを解雇するということは、
『忙しいとこはやってもらっちゃったし、後は若いのを使いたいから出て行って、おば
さん。』
てことかしら?
何やねん、それは!(注 私は関西人ではありません。)
「なぜ市川さんは残すの?」
「それは、若い人の方が長く働いてくれるから…。」
まんま、年齢差別な発言、でしょ?
ところで、と念のために聞いておいた。
「これって会社都合解雇なの?」
「そうです。」
係長はうなづいた。せめてもの情けということか。それとも自己都合退職、単なる契約期
間の終了として、トラブルを起こさないための策?
どちらにしろ、『会社都合』による解雇であれば「整理解雇」と理解していいわけだ。「整
理解雇」の四要件を満たさなければ解雇権の濫用として、解雇の無効を訴えることができ
る。「整理解雇の四要件」とは、以下のとおりのことだ。
ひとつには経営上の十分な根拠があること。解雇をしないと会社の経営続行が危ういとい
うようなことだろう。
ふたつめは会社が希望退職や配転、出向など、解雇を回避する努力を十分にしたか。
みっつめは解雇の基準が明確で、人選が公正であり、解雇がその会社の慣例慣行からみ
て妥当なものか。
よっつめは事前説明や協議が十分行われること。
会社はいずれも、何にもやっていない。俄か勉強が頭の中で立ち上がる。
「あのね。私のようなケースだとそう簡単には辞めさせられないのよ。」
係長は判らないといった顔だ。
「私も詳しくないのでうまく説明できないけど。まあ、今回はケーススタディとしてく
ださいな。」
平たく言えば勉強してくださいなってことである。いずれ上の立場に立つ人だもの。人
数がいないから必然として、だけど。(ああ、皮肉。)
しかし、係長もコネ入社だったとは、この酒盛り(?)で初めて知った。中途入社とは
知っていたが。
うちの社は市と密接な関係があるので、どうしても関連の方の入社が多い。第一、会社
の長たる理事長が市を定年退職してきた人だったりするのだから(俗に天下りというが。)
無理もないところか。
それでも、この人たちがコネにあぐらをかいて仕事をしないとか、イヤなやつだとか、
そんなことはないので気にはならないが、いや待て、肝心の仕事のための人間を採用しな
いということは、将来は構想されていないってこと?(出向で間に合わせています。)
もっとも、私も専門知識を有していて採用されたわけではなく、市からアルバイトとし
て来ていてよく仕事をするし、ちょっとした製図作成の腕もあるしと拾ってもらった身だ
けれど。
私と浅井嬢と井嶋嬢、浅井嬢は求人に応募して採用され、井嶋嬢はコネある身。私は特
に何もなしの身だから放り出すにも躊躇はないよなあ。
でも、解雇の本音がそのあたりにあるというなら、そんなわけにいくかい、と言わせて
いただきますとも。係長に勉強してもらうだけでなく、私もしっかり勉強させてもらいま
す。はい。