六.走り出す(3)
さて。例の、会社を一度辞めている件が気になる。「辞めない」と言ったはいいけど、『解
雇権の濫用』を主張するには弱いところなのかしら?アドバイスが欲しい。
しかし、誰に聞けばいいのか。
そこに座右の書、(え?いつの間に座右に…)図書館で借りた本が登場する。
どの本にも巻末資料がある。厚生労働省関連の労働条件相談センター、弁護士の組織の
労働弁護団、労働基準監督署等々、さまざまな相談先が載っていた。
労働基準監督署や市関連の相談先はなあ。市・県と少なからず関係のある会社の勤め人
だけに、どこから情報が洩れることやら判らないのでパス!
名古屋の労働条件センターが夜8時まで相談を受け付けている。
電話し、一通りの状況と一度辞めている、と伝えると
「それは解雇じゃなくて単なる契約期間の終了だねぇ。」
そうなのか?実質六年半勤めていても?
「契約期間の途中で辞めてくれというなら『解雇』ですが。」
それならわかるけど。
納得がいかない。座右の書には自分と合うところを見つけなさいとも書いてある。もう
ひとつふたつ電話をしてみよう。
明日は第1係の応援でいつもより早い出勤、遅くなる退社時間。――明後日だ。
あ、言い遅れましたが、私、この時点でケータイを持っておりません。任意の場所での
電話ができないので、落ち着いて電話できるのは自宅にての夜7〜8時頃までなのだ。小
回りの効かない状況ではある。でも、少々深刻な話をその辺で、というわけにもいかない
けどね。
そして2日後、今度は以前から新聞の記事などを読んで知っていた名古屋ふれあいユニ
オンに電話をしてみた。名古屋ふれあいユニオンというのは、地域のさまざまな職種の、
勤め先に労働組合などを持たない、また、入ることができないといった状況にある人たち
が組織し加入している、名古屋に本部がある労働組合だ。
すると、二〇〇三年度の一度辞めた経緯について、
「うーん、なんでそんなことをするかねえ。」
と相談を受けてくれた男性が唸った。
「普通そういうことをするんなら一ヶ月くらい間を置くんだけどねえ。」
そうなのか?
そういえば、私の会社は2002年度に名称・組織を改め、事務所も移転したのだが同じ
臨時職員の渥美さんが新しく作られた2部に配置転換となった。その際にやはり一度辞
めてほしいと言われて間を一ヶ月置いて再雇用となったことがあった。
(この間、渥美さんは市のアルバイトの身分で2部開設のため獅子奮迅の活躍をしていたの
だった。)
さて、収穫はあり。
労働条件相談センターは問題にしなかったけれど、名古屋ふれあいユニオンは少々の疑
問を呈している。どうやら一般的な話ではないらしいと判っただけでも前へ進むことがで
きるというものだ。半歩でもね。
二月十八日。金曜日。副主幹に仕事が終わった後、時間を取ってもらった。
二月十四日に係長に『辞めない』宣言をしたが、その後特に上の人(人事権のある理事
長・部長・次長)からの接触はない。
係長が私の意向を確認したのはいいけれど、形だけの話でこちらの意志がきちんと伝わ
っていないのでは、うやむやの内に退職となってしまいそう。それは避けたい。実は二月
十四日の話が解雇の通告でした、なんてね。冗談ではない。でも、うるさい問題は部下に
押し付けて解決を図るのがうちの会社の常だからなあ。あり得ることなのだ。
副主幹は上に伝えたよ、と言ってくれた。そして水木次長から今後私をどのような仕事
に使うかなど文書にして提出するように言われたと話してくれた。
「二十一日に提出するつもりで準備しているとこ。そちらには何か接触あった?」
なし、と答えて名古屋ふれあいユニオンに相談した内容を話す。
「うん、一度辞めたところがネックだよね。」
副主幹は今回の会社のやり方を良しとしていない。自身も仕事上でいろいろあって、長
から降格されたこともあり、この会社を二十六年間見てきているからさまざまな思いがあ
るのだ。
「岡元さん、会社との契約書には仕事について何て書いてあるの?」
「うーん、業務補助と電話・来客の応対、だったかな。」
契約、契約と言っているが、厳密な意味では会社との間で契約書を交わしているわけでは
ない。だいたい年度内に次年度の労働条件通知書なるものを渡されるだけだ。
「特に向が丘と南平の事業のためとは書いてないのね。」
私もいろいろ調べてみるね、と心強い言葉をもらって今までいた店から出ると、さっきま
で強い雨風だったのが止んでいる。私は自転車通勤なので、
「ラッキー。」
レインコートを着て走らなくて済む。これはこの後の運の強さを暗示している、かな?
それにつけても会社が私の意向を確認しているという証が欲しい。座右の書に載ってい
たように、解雇(雇い止め)の撤回を求める通知書を会社あてに出しておけば、少なくと
もうやむやにはされないだろうか。でも二月十四日の話を「解雇の通告」としていいんだ
ろうか。うーん…。
出そうか、どうしようか。直接口では言えないし。ああ、気が弱い。
とりあえず下書きでもしておこう…。
七.走り出しちゃった
二月二十一日、先日電話した名古屋ふれあいユニオンに紹介された、静岡ふれあいユニ
オンに電話してみる。留守録になっていたので、一応一言残して受話器を置いた。しかし、
どうも電話は苦手だわ。人の顔を見ずに話すというのはね。それも未知の相手と、相手の
現在の状況が判らない状態で。やっぱり相談をするなら顔を見て話したい。
うん、待てよ、と思いつく。静岡にユニオンがあるなら、この町にもあってもいいんじ
ゃないか?あまり聞いたことがないけれど、もしあるとすれば電話のひとつやふたつはあ
るはず。
めったに使ったことのない、企業・業種別の分厚い電話帳を引きずり出し、「労働団体」
で探してみた。
おお!するといろいろあるではないか。ある。あるけどなあ。ほとんど企業の組合だな。
眼についたのは、イラスト広告を載せていたふたつみっつ向こうの町のユニオン。『一人
でも加入できるところだよ』と、その目的・内容は明確で私の希望どおりだ。電車で三十
分くらいかかる町だけど、休暇を取って行ってみようか。
それとも、この町でただひとつユニオンと名の付いている《連帯ユニオン》に行ってみ
るか。ここは電話番号のみの記載なのでそういう性質の所なのかどうか、何とも判らない。
連帯って、何か特定の政党絡みかしら。昔(今も?)『連帯』ってあったよなあ。…ポー
ランドか?
どっちに行ってみようかな。
悩んでいてもしかたがない。ちゃっちゃと動かないと一月なんてあっという間に過ぎて
しまう。まず電話してみよう。とりあえず、この町。
二月二十二日の昼休みに連帯ユニオンに電話をしてみた。誰も出ない。どうせ通勤ルー
トだ。帰りにちょっと様子を見がてら寄ってみよう。
そういうわけで場所を確認してみたら、なあんだ、けっこうしょっちゅう走っている道
沿いのビルの一角だった。なわばりの内と言ってもいい。だけど、町の一番の中心部で我
が愛車(自転車ね。)を停めておくところがない。安心して置くなら近くの神社かな。つい
でにお参りもして来よう。めったに初詣にも行かない私の信奉する諺のひとつは《苦しい
時は神頼み》、である。
さて、ここだろうか。
入り口と思われる、ビルとビルの間に挟まれた、ようやく人ひとりが入ることができる
くらいの間口のドアの前に立つ。ガラスのドアの向こうはすぐ階段。無愛想だわ。
ドアを開ける――いきなりガリッとドアが下のたたきを噛む。ううっ、押しちゃいけな
かった。
改めてドアを引き、中に入ると左手壁に三つの郵便受け。その中のひとつに《連帯ユニ
オン》の文字がある。けれど、その下に違うユニオンの名も書かれている。はて、これは
企業関係のユニオンだったのかしら?
はずしたか、と思いつつ階段を上り始めた。
一階か二階上がれば事務所があるかと思いきや、人気のない迷路のような階段を上がり
切ってしまった。現れたのはオフィスというより、隠し部屋と形容した方がいいような空
間だった。
誰かしらいるようだ。声をかけてみる。
「はい。」
応答があって、閉じられていた引き戸が開き、男性がひとり、顔をのぞかせた。
「あの、こちらは連帯ユニオンでしょうか。下のポストには違うユニオンの名前も書いて
ありましたけれど、企業内のユニオンなんでしょうか。」
企業内のユニオンであれば私はお呼びではない。その男性、後から自己紹介してくれた鈴木さ
んが何と答えたのか、実はあまりよく覚えていない。しかし、
「今日はどういうところなのか教えていただこうと思って、資料を持ってきていないんで
すけど。」
という私を部屋へ招き入れて話を聞いてくれた。
一週間前に係長と副主幹から会社の意向を聞かされたこと、今の会社に勤めているいき
さつ、現在の様子等々、例によって一通りの状況を話した。鈴木さんにはいろいろ確認さ
れた。
「そういう処遇を受ける心当たりはありますか?トラブルとか。」
うーん、あんまりないけどなあ。あるとしたら、せいぜい総務係主事の俊原氏がこの際だ
からと私を出したくてがんばるだろう、くらいのことか。
総務係主事の俊原氏は三十歳ほどの青年、2001年に途中入社した正社員だ。もとは
信用金庫勤めだったと聞いている。
二〇〇四年夏、彼は来客対応中で書類をコピーしようとやってきた市川嬢を自分の席に
呼びつけた。
『市川、これコピー取って。』
市川嬢ははい、と素直に受け取ったが、何部でもないこととはいえ、お客様を待たせてい
る状況なのだ。それもわざわざこの日に来てくださいとお願いして、都合をつけていただ
いた上で手続きをしている最中である。
それは私がやるからお客様を優先して、と俊原氏の資料を受け取り、市川嬢をお客様の
ところへ返した。そしてコピーを取り、
『彼女は接客中だから。』
と俊原氏に資料とコピーを渡した。
私がここで口を出したのは、お客様に失礼だったことが第一。だって、そうでしょ?デ
パートで買物をして包んでもらおうとしていたら、そこの店の従業員が横から
『これ、私が買ったんだけど、先に包んでちょうだい。』
と品物を差し出したと、そういう話なんだから。客の私は怒っちゃうのだ。
第二には、俊原氏が普段から総務の人間は総務以外の仕事はしないんだ、他の係の人間
は心得違いをしちゃいかんと豪語していたこと。小さな職場だから量的に、人手的に応援
を頼まねばならない時というのは折々に発生する。通知を封筒に入れるなど、十分もかか
らないような簡単な仕事に総務も他の係もないが、それすら断って、紫野沢氏に負担を掛
けたことがあったので、そういう総務が接客中の他の係の人間を呼びつけて自分の仕事に
使うのかとカチンときたのである。ちなみに俊原氏のデスクからコピー機まで三歩である。
誇張ではありませんので、念のため。紫野沢氏も自分の仕事で総務係の手を借りようとし
たのではなく、第1係担当のはずの仕事を押し付けられた、至急の事だったので、念のた
め。
さて、私がその日、俊原氏の早引きに気づいたのは残業を始めた時である。夕方四時頃
にはいなくなっていたらしい。
なぜに、と後で係長に聞いたところによると、そのコピー騒動(騒動なんていうほどの
ものじゃないけど?)に関して俊原氏は第2の係長、すなわち私の上司にクレームをつけ
たらしい。そして、
『おまえ、私情でものを言うなよ。』
と逆に係長にたしなめられ、だーっと(だーっと、らしい。)事務所を飛び出し、三十分ほ
どしてようやく戻って来たらしい。(これって職場放棄?)それから早引きしたらしい。( そ
れも職場放棄じゃ?)田中課長に
『あいつは席の後に荷物を積んでいてみっともない。』
と言いつけて。(翌日、副主幹を通して片付けるように指示があった。今処理中の仕事の書
類なんですけど。)
と、まあこれくらいが私の思いつくトラブルの顛末だ。他には、もっと以前に、当時在
籍していた総務課長が事情もろくに聞かずにお客さんをたらいまわししようとしたのを阻
止したこととかあったけど、いまさらなあ。
それにしても、業務終了時間まで一時間ほどなのに、三十にもなる男が、上に言いつけ
て挙句に早引きしたりするんじゃない、というくらいにしか特に感慨はなかったんだけど
な。文句があるなら直接言えよ…。(あ、三十にもなる男がって、これ、二重差別?)
「そのくらいかしら。」
顛末を話し終えると、
「判りました。それでは、役員に連絡をつけますから、相談は改めて役員がお受けするこ
とになります。具体的にユニオンが動くとなると、ユニオンに加入してもらうことになり
ますが、いいですか。」
と鈴木さん。
「はい。」
「ユニオンとして動く時にユニオンの名を出しても大丈夫ですか?」
「かまいません。」
中には同じ会社で働き続けるときにユニオンに入っていることを知られると、会社から
不当な扱いをされると憂慮する人もいるのだろう。それでこういう確認もされるのだろう
な。
私自身はそこまで深く考えていなかった。
というより、今から解雇の撤回を訴えても年度末までに事は解決せず、撤回もないだろ
うと踏んでいたので、会社に勤め続けるということは最初から念頭になかったのだ。どう
せなら堂々と加入宣言した方がいい。
「ユニオンは解決金を目的としては動きません。いいですか?」
「はい。」
返事はいいけど、これはあまり意味が分からない。解決金て、何?尋ね返す頭がないのが
つらいところ。
「それでは役員に連絡させますから。」
「はい。よろしくお願いします。」
ということで引き上げる。事務所の急な階段を降りながら気分はちょっと上昇方向。話を
判ってくれる人にこの状況を聞いてもらって、事態がそれなりブレークするかも、と肩が
軽くなった。帰ったら会社に出す通知書を仕上げよう。文をチェックしてほしいと鈴木さ
んにお願いした。明日にでもポストに入れておこう。うん、足も軽いな。
八.走り出しちゃった(2)
二月二十三日夕方7時頃、電話がかかってきた。連帯ユニオンの委員長さんだ。低音の
声であまり愛想のいいしゃべり方ではない。どんな人なんだろう。
「通知書が届いているというので見せてもらったけど、ひとりでやらない方がいい。相
手は会社だから。それでなくとも女性なんだし、たちうちできるもんじゃない。ひとりで
やれるって言うんならやってもいいけど。」
(すみません、やれません。)
「今、もうひとりの役員が風邪をひいてダウンしちゃってるので、もう一度改めて電話し
ますよ。それでお話をうかがう日を決めましょう。」
後日連絡をもらい、二十七日の日曜日夕方にユニオンの事務所でミーティングという段
取りになった。それまでに資料を整えておかなければ。
座右の書片手に集めた物を見易いように整理する。うーむ。事態が現実になっていくな。
ところで、この時点ではまだ、母に事情を告げていない。急に何やらひそひそと電話を
したり、眼を憚って本を読んでいるから、きっとおかしいなあとは思っているだろう。今
までは読んでいる本のタイトルがどんなに奇妙でアブなくても隠したことはなかったのに
ね。けっこう大喰らいだったのに、ごはんも食べなくなったし。
言わなくちゃねえ。でも、うーむ、心配させるし、クビだなんて話、自分のプライドも
ちょっとあったりするし、認知症の父を相手に日々ストレスの溜まっている人にどう言え
る?
どうしようかと思いながら神奈川在住の三十年来の友人に電話した。一月に会ったとき
に解雇になるかもと話はしていたのだ。
闘うことにした、と告げる。しばらく一緒に遊べないけど、とのんきなことを言うが、
市の職員をしていた彼女は市や関連組織でさまざまな場面に遭遇し、また自身にいろいろ
振りかかった経験があるので、理不尽さを共有してくれる。
体に気をつけてがんばって、とエールをもらった。
他にも、今回解雇になるかもという状況を心配してくれた友人たちにも、闘うことにし
たと連絡を入れる。夏までにはきっと片がつくから、終わったら前々からの約束通り、ど
こかへ遊びにいきましょうと約束する。
何をするにしても、先に楽しみがなくっちゃね。
二月二十四日はリフレッシュ休暇を取る。この日を含めてリフレッシュ休暇はあと2日、
年次有給休暇に至っては十七日もある。闘うにしてもゆうゆうと休みを使えるというもの
だ。
もっとも、この休暇も二十五日に取って三連休にしたかったのだけれど、金曜日は副主
幹が第1係の応援で一日留守になってしまうので、留守番をするつもりだ。いないより、
いた方がましな程度ではあるが。
昼過ぎに法務局に出かけて会社の法人登記事項証明書を取得する。これには会社の住所
や設立の目的、役員の住所氏名や会社の資産状況が記されている。ユニオンに会社につい
て説明するのにこれ以上の資料はない。全部事項証明書なら千円、要約事項証明書は五百
円。 要約書は現在有効な部分しか載ってこないから、多少の時期の幅の記載がある全部
事項証明書の方がもちろん使える。
法務局の申請カウンター前の待合スペースに座ったら、十ヶ月くらいの赤ちゃんがおか
あさんにだっこされてとなりの席に座っていた。あやすと笑うのでついついかまってしま
う。少し尖っていた気持ちがまあるく、やわらかくなる。ほっとする。
登記事項証明書を取得しておかあさんと赤ちゃんにお礼を言い、法務局を出た。
さあて。
帰宅後、さっそく登記事項証明書を読んでみる――な、なあんと!(次章に続く――)
九.走り出しちゃった(3)
なあんて、おちゃらけている場合ではない。ないのだが、ついショックを和らげようと
して、ワンクッション入れてしまうのが身に染み付いてしまっている。困ったものだわ。
会社の法人成立の日が一九六二年四月四日。目的はまあ省くとして、役員が十三人。
十三人て、あなた。うちの会社の社員数は他社からの出向を含めて三十一人ですよ?もっ
とも、その中に役員(常勤理事)が三人含まれているけれど。
この十人の非常勤理事のうち、三人は市の関係者で七人は会社に事業を委託してくれて
いる組織の理事長さん。お客さんがうちの役員というのも何か妙。そういうことって、普
通にあるものなのか?
役員の数と内容にも驚いたが、一番驚いたのは資産総額の記述だった。増えているので
ある。二〇〇二年から二〇〇四年にかけて。登記事項証明書に載ってきている範囲しか確
認できないが、ここ十年くらい調べてみたら面白いかも?
しかし、これはどういうことでしょう?私は二月十四日に雇い止めの理由を建前として
も、何と言われたんだっけ?
向が丘と南平の二事業が終息して仕事がなくなり、過員が生じて来年度の財政の悪化も
予想されるから、だったか?
そりゃあ今よりは悪化するかもしれない。だけど、現時点では会社の経営は何も大変じ
ゃないってことじゃないの?まして、今年(平成十七年)の冒頭に外注に出したい仕事が
あれば一月十一日までに設計書を上げろと会社は指示を出している。これは今年度中に使
い切ってしまわなければいけないお金が相当額あるということでは?――つまり、お金も
ここへ来て余っている。
人を整理解雇するということは、会社の経営上十分な根拠があること、解雇をしないと
経営続行が危うい、そういう状況にあることが、確か要件のひとつだったはず。
この全く赤字さえない最近の状況で、私ひとりを解雇するというのは、うーむ。
眉間にしわが寄る…。
二月二十五日、夜、副主幹から電話があった。この日、副主幹は一日外で仕事、帰社も
遅く、会っていない。
状況は、と聞かれ、特に誰からの接触もなかったので、相変わらずと答える。ただ社内
メールに二月二十八日(月)の午後から係の打ち合わせが入っていたので、そろそろ一ヶ
月前でもあるし、この前後に何か言われるんじゃないかしらと告げた。そんなことないん
じゃないの、と副主幹は言うが、この時期の打ち合わせとなれば当然来年度の話になる。
会社の意向を聞かされている係長がそれに沿った人員計画を作っていないわけがない。
まあ、来るものは来ればいいが。
「ところで二十七日の夕方は空いていませんか?」
ユニオンとのミーティングに誰かしら一緒に聞いて記憶をフォローしてくれる人が欲しい。
兄弟も考えたのだが、忙しい兄に時間はない。弟は勤め先で企業内労働組合の役員をして
いるらしいが、活動はしていないというので役に立ちそうにないし。(もう、せっかくお姉
さんが危機に遭遇したのに、もったいないやつ…。)
同じ臨時職員でよく会社の問題点を話す渥美さんにはまだ状況を話していない。
副主幹をそこまで巻き込むと後々かなり立場を悪くするだろうとは思ったが、二十一日
に上へ上げた文書をこころよくプリントアウトしてくれたし、思い切って切り出してみた。
「二十七日?日曜の夕方ね?いいよ、大丈夫だよ。」
うーん、ありがたい。
「お休みの日に申し訳ないんだけど、連帯ユニオンの人たちが団体交渉を一緒にしてくれ
ると言うのでミーティングをするんです。一緒に聞いていてもらいたいんですけど。」
快諾を得た。良かった。ちょっと一息つく。
お休みといっても、私は二月十六日に続いて第1係の応援で早朝から出勤だ。つまり休
日出勤。何だかなあ。辞めろと言う割には使うよなあ。
十.ミーティング
早朝から郊外の北浜へ。地権者の方々への個人説明会だ。私は記録係を勤めるが、さす
がに今日の夕方の件が気になって散漫気味。
となりで地権者の方々に説明をする第1係の村松氏が
「岡元さん、今日で終わり?」
思わず、この会社に出勤するのも今日で終わりかと聞かれたような気がしてドッキリする。
「うん。でも次はまた副主幹が来るからね。嬉しいでしょ、村松さん。楽しくて。」
冗談でやり返す。
いけない、いけない。考え過ぎ。他人がそうは私のことなんて気にしないって。
会場は午後五時に撤収だけれど、地権者への説明状況によっては長引いたりする。約束
した時間に間に合うよう終わってと祈るような気持ちだ。
幸い、何とか予定時に撤収できて、会社には午後六時過ぎに到着した。
約束は午後六時半だ。副主幹との待ち合わせ場所に急ぐ。ううっ、それにしても今日は
寒い。また真冬に戻ったようだ。
待つこと五・六分、副主幹がやって来た。彼女はコートとマスクの完全冬装備だ。
「実は二十五日に一日北浜に時間を取られちゃったから、今日は出勤して仕事してたのよ。
第1係が帰って来る前に引き上げたけど。そうでもしないと仕事が片付いていかないか
ら。」
お疲れさまです。
そのお疲れのところを申し訳ないのだけれど、隠れ家のようなユニオン事務所に案内す
る。私もようやく三度目だけど。
「こんばんわー。」
と声をかけると、
「はーい、どうぞぉ。」
と気さくな感じの応答あり。たたきに靴が二足。
引き戸を開けて中に入ると男性が二人。まあ中年かな。人のこと言えない年だけど。
「お世話になります。岡元です。」
あいさつして、一緒に来てもらった、と副主幹を紹介する。すると
「ああ、知らないとこへ女性一人じゃ危ないからね。」
とその内の一人がにこり。
いいえ、決してそういう意味ではございません。
お二人に名刺をいただく。
めがねを掛けた、白髪混じりの小柄な方が電話をくれた委員長さん。(あっ、想像と全然
違う…もっとこう、いかにも『おじさん』な人かと思っていたら、少年っぽい雰囲気すら
ある人だった。)丸っこい顔の方が書記長さん。しゃきしゃきとしゃべる人だ。
「じゃあさっそく始めましょう。時間がないから。時間がないというのは岡元さんに時
間がないということです。今年度一杯で解雇を言われているんでしょう。あと一ヶ月しか
ありませんからね。どんどん行動していかないと。」
それで会社はどこですか、と尋ねられて登記事項証明書を提示する。二人がざっと眼を
通し、
「これ、コピーしてもいいですか。」
その他、給料明細・健康保険証・雇用保険証・副主幹が作成した、上へ上げた文書・雇
い入れ通知書等々も提示し、委員長がコピーを取っていく。就業規則も渡す。これは社員
ひとりひとりに配布されているものだ。
「うーん、給料安いな。」
「あ、やっぱり?そうじゃないかなと思ってはいたんですが。」
「これじゃ独立して暮らせないでしょう。」
「暮らせません。」
何たって基本給が十五万だ。手当てで付くのは交通費だけで、社会保険料を差し引くと
実は生活保護をもらって暮らす方が裕福かも。独立どころか、親の年金に寄生していると
いうのが現実だ。
「でも、これから先、こういう低賃金の人が増えていくんだろうなあ。」
一握りの正社員とその他の派遣・臨時・契約・パート社員という分別で、後者がより
増えていくという話だ。
「で、何年勤めているといったっけ?」
「平成十年の九月からだから実質六年半かな。」
「それで初めからこの額?」
「この額ですね。」
「一度も上がらないの?」
「上がってません。」
あきれられている。まあ、さすがにね。
「一度辞めてくれって言われたのは何なの?いつのこと?」
例の二〇〇二年の十二月に通告されて、二〇〇三年度の初めに雇い止め〜新規採用とさ
れたいきさつを話す。
「四月の第一週を休みましたね。保険証を返して、会社の指示通り国保への切り替え手続
きをして。次に出社するまでの間に休んだ日はもちろん有休とすると言われました。」
ちょっと待て、と声がかかる。
「有休としますって、会社が言ったの?そりゃ違うだろう。有休っていうのは労働者の権
利で、会社が勝手に使っていいもんじゃないんだよ。そんなこと言っちゃいけないな。じ
ゃあその年の四月分の給料明細はどうなっているの?もしくは五月。有休ついてる?」
給料明細をつき合わせる。うーん、うちの給料明細に有休残日数の欄はあっても、記載
はない。給料額ほかは特に変わった記載はない。
「そこのとこのいきさつはメモしておいて。会社が何を言ったかとかも詳しくね。覚え
ている範囲でいいから。そのほかについてもね。それと当時の有休消化状況を調べられた
ら調べて。」
「はいっ。」
委員長から指示が来る。メモ、メモね。それと有休の状況。
「それから保険証。資格取得日が確かに平成十五年四月七日になっているね。この年度末
から一週間の間は国民健康保険に入っていたわけ?」
「ええ。会社の保険が切れている間に何かあったらいけないということで、」
「保険料は払ったの?その間の分だけでも。」
「いいえ。すぐに入り直すってことで、払わなくてもいいと、」
実際、四月・五月の給料から社会保険料は引かれている。
「でも、社会保険事務所から国保料を払うよう、電話がありました。しばらく経ってから
ですけど。社会保険事務所には事情を説明して、四月から社会保険料がちゃんと払われて
いると確認してもらいましたけれど。」
「雇用保険は一九九八年九月に入った時のままだね。こういうやり方はないな。第一、国
保に一週間でも入っているのに、払わないんじゃ違法だよ。会社がそういうことをしてる
ってのはねえ。」
そうなんですか?とは、我ながら困ってしまう無知さである。しかし、あの当時、総務
の俊原氏があちこちに問い合わせていろいろ手続きを組み立てていたのを覚えているけれ
どな。社会保険事務所から電話があった時もどこかしらへ電話を入れて、オーケーと言っ
ていたし。
「二月十四日に通告があったというのはどこで?会社?」
「いえ、係長と副主幹が話があると、お酒の席で。」
「宴会中?」
「ええまあ。会社からこういう話があったと。」
当日のいきさつを話す。
「係長って、人事権は?酒はけっこう飲んでから?」
「人事権は、まぁないかな。お酒は乾杯してから一口、二口というところで、そんなに酔
ってはいない時点ですね。」
「人事権のない人の話だからねえ。『解雇通告』じゃなくて『退職勧奨』だな。」
会社の財政が悪化するから、という理由は会社の経営上のことなので『整理解雇』に当
たるという。
(よしよし、係長が会社都合解雇とも明言しているから、この解釈でいいわけだな。)
「会社の他の人たちは今回の件を知っているの?何か言ってる?」
「うーん。知っているとは思うけど、私も取り立ててどうこう言ってないし。」
「特に何とも思っていないんじゃないかしら。皆、自分のことじゃないから。」
と、副主幹。何とも思っていないのは正社員の人たち、じゃないかな。臨時職員は下手を
すれば我が身のことだから、何か言いたくても微妙なところだ。
まあ個人的には気の毒に思っても、社の決定に楯突くことは思いも寄らないって程度だ
ろう。
十四日の『退職勧奨』以来、特に会社に動きはない旨を説明して、副主幹が二十一日に
上へ上げた文書を見てもらう。書記長がちょっと真剣な眼で字を追っている。そして副主
幹に、
「これはあなたが書いたの?」
副主幹がうなづく。
「僕らが使っても大丈夫?」
「ええ、上に書けと言われて出したものだから。」
「あ、それじゃいいな。」
書記長が私を振り向いてにこりと笑った。
「いい友人を持っていますね。」
本当に、そう思います。ありがたい友人です。
さて。この先は、まず『退職勧奨』について会社に通知を出し、団体交渉を申し入れる、
原案は書記長にお願いするというふうに進めていくことになった。
「もし退職となったらすぐ生活に困る?」
「あ、それは大丈夫です。」
裁判を一年やるなんてことになったら、ちょっと辛いかもしれないが。
ミーティングは午後八時三十分頃に終了。あっという間に時間が過ぎていた。
「何か動きがあったら、どちらにでもいいからすぐ連絡しなさいよ。」
ありがたいお言葉をいただいて事務所を後にした。
そう、明日だ。三十日前。
嵐、来る。
十一.賽を投げる
翌日、二月二十八日月曜日である。
午後一時から第2係打ち合わせ。メンバーは係長、副主幹、主任、三人の臨時職員と他
社から出向して来ている工事担当の二人の、計八人だ。
文書が一枚配られる。来年度の仕事の分担について簡単に記載されたものだ。
私の名はない。むかっ。
他の人にはもう一枚文書が配られるが、私には配られない。仕事上の注意事項その他が
書かれているようだ。もう一回、むかっ。誰もまだ辞めると言ってないわよ。正式に通告
さえされていないわよ。むかむかっ。
話が《我が闘争》から微妙にずれてしまうが、この打ち合わせで私はさらにもう一回む
かっとしている。
係長は上からの指示として、仕事先へは社の車で行くように、社の車がない時は公共交
通機関またはタクシーを使用するようにと伝えたのである。
工事担当の人たちは特にこまめに仕事先の現場を動き回るので、車でなければ仕事にな
らない。そのため、社の車が出払ってしまったときは自分の車で出かけているらしい。ま
た、仕事先で遅くなる場合などは、一度社へ戻るより現場に至近の自宅へ直帰したいとい
う事情もあるようだった。
「タクシーでいちいち現場なんて回っていられないっすよ。」
と出向の荻さん。
「香川さんなんて家が現場のすぐ近くなのに、夜遅くなってもここまで戻って来いってわ
け?」
香川さんは同じく出向の人だ。
余計な疲労を溜め込ませるだけだよね。
自車を使うときの取り決め(燃料経費・事故の扱い等についてとか)を定めて運用する
とか、いくらでも方法はあると思えるのに、ちゃんとした理由も提示しないで、ただ、
『上の指示なので』
はないよなあ。おまけに
「岡元さんも乗ってたよね。」
って、何?辞める人間扱いはするけれど、注意対象としては口の端に乗せるってか?むか
っ。
「それ、いつからの話ですか?今まで乗って来た人は乗り得ってことならずるいじゃな
いですか。」
と荻さん。
「うん、まあ明日からってことで…。」
明日からなんて言う話ならさっきの発言は取り消して下さいよ、係長。第一、そういう
指示を出したと言う上の人たち自身が自車で仕事先へ来ていたのをつい昨日、私は見たば
かりですよ?北浜の説明会場のことだけど。私と第1の係長だけが社の車使用でしたが?
それについてはどうなの、と問うと
「まあ日曜日だから、家が近い人とかはその方が…」
(さっき家が近くても社の車で仕事をしろと言ったばかりじゃなかったか?)
「日曜日は世間の話で、皆、超勤を出して仕事に行ったんでしょ?」
遊び半分で行くわけじゃなし、日曜日は通勤手段がなくて会社へ来られないなんてことも
当然ない。ついでに言うなら、当日の会場と家が近い人はいなかった。
自分の適当な思いつきや都合で物事解釈しちゃあいけないわ。そういう指示をするので
あれば、きちんとけじめをつけなくちゃね?
「じゃあそれはまた上に聞いておきます。」
ちなみに、私の自車というのは前述したとおり、人力二輪車、通勤に使っている自転車
のことである。近場まで足がちょっと欲しくなったりした人たちは私にこの車(!)を借
りてお使いに行ったりしているのである。なんなんだかねー。
このほかに何か言いたいことは、と聞かれて思わず、解雇の正式な話も説明もされてい
ないのに、『辞める』扱いは何事かと抗議しようとしたが、それより先に荻さんが
「この、会社らしい服装をしようとかいう幼稚な話は何ですか?いまさら改めて言われな
きゃならんことじゃないですよ。それから係長止まりになっている件、あれはどうなった
んです?」
お、おやおや。違う意味で雲行きが怪しくなってきた。
「岡元さんと市川さんは席をはずしてくれますか。」
係長の拝むような声。見ていたいなあ。
一応退室したが、ほどなく主任が打ち合わせをしていた会議室から蒼白な顔で出て来た。
息荒く、胸を押さえて、
「あの、ちょっと、下へ行って休んでいるから、」
何事?
後で副主幹に聞いた話によると、担当業務のやり方をめぐって荻さんが主任を一喝した
らしい。それで主任が、平たく言えばビビッたということか。
岡元さん、見ていればよかったのに、と副主幹。見たかったとも…。
件の騒ぎが収まった午後四時頃、水木次長が席にやって来た。私は電話を取った直後で
第1係の工事担当に宛てて伝言メモを書いていた。
「岡元さん、ちょっといいかいねえ。」
ピン、とくる。
ついに来たわ。心拍数が跳ね上がる。
落ち着け、落ち着け。このときのために参考書(?)を読み込んだんだし、ユニオンへ
も足を運んだんだし。
誘われるまま、会議室へ入ろうとすると、総務の俊原氏が入室するところだった。何で
こいつが?まだ総務に用はないぞ。(あ、言葉が悪くなって来た。)
会議室で水木次長、俊原氏と相対して座る。
「本来なら塚崎部長も同席するところなんだけど、電話が長引いているので、先に始め
させてもらいます。」
水木次長が切り出した。
「向が丘と南平の二事業が終わって、仕事もなくなるので、岡元さんには申し訳ないけ
ど上がってほしい。」
「私、労働組合に入ったんですよ。ですからそういう話は組合の人と一緒に聞きます。」
あ、しまった。これは最後のセリフだった。『解雇』ということですか、と確認しなけれ
ばいけなかった。しっかり飛んでしまったわ。
だが飛んでしまったのは次長と俊原氏も同様だったようで、一瞬鳩が豆鉄砲を喰らった
ような表情になり、
「あ、あ?そうですか?それじゃそういうことで、」
と狼狽もあらわに、二人してそそくさと部屋を出て行ってしまった。この間、5分にも満
たず。あらまあ。
いやいや、とうとうサイを投げちゃったぜと思いつつ、席に戻ってさっきのメモの続き
を書いていると、俊原氏がやって来た。立ちはだかるように右横手、後ろ側に立って、
「岡元さん、労働組合の名前を教えてください。」
言葉も口調も顔色も青いぜ、にーちゃん。(ああ、どんどんガラが悪くなっていく。)
「その内連絡が来るから分かるわよ。」
「教えられないんですか。」
「今は忘れないうちにメモを書いてしまいたいから、後でね。」
「書き終わったら教えてくれるんですか。」
「後にしてね。」
「わかりました。教えられないということで、上にはそう言っておきます。」
やっと離れていく。やれやれ。フロックだとでも思ったのか?
後で副主幹に顛末を報告する。
「え、やだー。いつのこと?」
「だから、さっき、四時頃。」
副主幹がほんのちょっと席をはずしていた間のことなのだ。彼女が私の雇い止めに反対し
ているのは分かっているから、いない隙にとも思ったかもしれない。
帰宅してからユニオンの委員長に連絡を入れた。
『三十日前の予告をしてきたね。』
と言って委員長、ふっと黙り込む。この沈黙は、ちょっと不安。
「えーと、大丈夫ですか?」
大丈夫って何を聞いているんだ、私は。パニックを引きずっているなあ。
『ああ、会社に出す通知の文面を考えていたんだけどね。通告があったということは少し
変えなきゃいけないから。』
明日夕方、事務所に寄って通知書の文面を確認することになった。
うーむ、大丈夫か、私は。
この日、全く未知の場に足を踏み入れたのだ。
未知の場って?法に則って自分の権利を主張すること。平たく言えば楯突いたことのな
い『お上』(?)に楯突く道に踏み込んだってことだけど、会社とユニオンを巻き込んだ時
点で『大丈夫か』もないもんだ。
まあこれは自分自身に喝を入れつつの確認てことで…。