十六.決戦(2)、そして…。

 

三月十八日金曜日午後二時、ユニオン事務所へ。もちろん有休を取っている。実は、本

来ならはずせない仕事があるのだが、止むを得ない。代わって市川嬢がやるというので、

くどくも辛くも、何があっても今日だけは休むなと釘を刺してきたけれど、まだ仕事の優

先順位とか重要性が腑に落ちていないのでちょっと心配。しかし、副主幹が付いているの

だから大丈夫か。我が身の一大事とどちらが大事かと言えば、それは我が身でもあるし。

今回は前回の反省に立って、リラックスできるファッション(普段の仕事の時のかっこ

うってことですね。)で臨むことにした。パンプスを履いてこむら返りを起こすという、情

けない話もあったことだし。

いつものように、事務所近くの神社に愛車を置かせてもらう。ついでに(?)お参りを

する。曰く、

『勇気をください。』

一拍二拍、ちょっとためらってから

『良い結果をください。』

いや、自分に取ってあまりに良い結果をお願いするのは虫がいいかという気もして、ちょ

っとためらいました、はい。なにせ、『苦しいとき神頼み』の精神の人間ですから。

でもお願いしたからと言って、良い結果が出ると現実には期待していない。『石橋を叩

いて、壊れた頃に渡ろうかな』という、気の小ささがここにも現れているかしら。

事務所には例によって三人の役員さんが待っていてくれる。さっそく報告。

「うちの課の課長、辞めるらしいです。」

皆、おやおやという顔。

「そういう人もいるわけだから、解雇対象が臨時職員と言ってもそれなり手順を踏まない

とね。」

「その件はこちらに有利に働くかもな。」

整理解雇をする前に希望退職を募ったりするので、それと同じ効果があるというのだ。

そうか、有利に働く、かなあ。

うちの会社はあまり総合的にはものを考えていないと思う。私の解雇は飽くまで解雇す

るということであって、課長が辞めた分で私を財政的に雇えると判断すると思えないのだ。

現状、経営に赤字がないのに経営が苦しいからと解雇理由にしているようなところだから

なあ。

委員長が確認書を見せてくれた。万が一会社が解雇を撤回したときに取り交わすことに

なる文書だ。

内容は『二月二十八日に岡元にした解雇の通告を撤回する、組合に加入しているという

理由で他の社員と差別しない、この件に関して組合は今損害賠償請求はしない。』の三件だ。

確認書というのは(お勉強したところによると、)『労働協約』なるものらしい。団体交

渉が妥協点に至ったとき、両当事者間の権利義務を明確にするために合意内容を文書化し

たもの、ということか。

呼び方は『確認書』でも『覚え書』でもいいらしい。これを取り交わすことで法規範的

効力(労組法第十六条はじめ種々の強い効力)が法により付与される、とある。

ここでは私の社内での立場を守る拠りどころとなるということかしら。

こういう確としたものがあった方がいい。うちの会社は朝決めたことを夕にはひっくり

返すことのベテランだし。

解雇の撤回がなかった場合には一度目の団体交渉でざっとした質問を深く詰めていく

ことになった。会社が前回最後に言った『前向き』な対応の中身を聞いて、それに納得す

るか聞くからね、と流れを打ち合わせていく。

 「撤回がなかったらどんどん質問していくから。うーん、どこから質問してやろうかな。

ワクワクするな。」

「ワクワク?」

「だってどこつついてもボロが出るとこばかりだもん。」

はははは。(少々冷や汗気味で笑っています。)あまりよくわかっていない私でも、うちの

会社大丈夫かと思えるくらいだからユニオンの強者のお兄さんたちには楽しすぎる相手な

のかも。

「弁護士には裁判費用を安くやってくれって声をかけてあるからね。」

委員長のお言葉。ううっ、話が一気に現実味を帯びたわ。確かにタイム・リミットまであ

と十二日。あっという間に裁判へなだれ込みそう。でも裁判も弁護士も未知の世界だ。ち

ょっとやってみてもいいかも…。不安と好奇心、量りにかけると、うーん、今は後者が勝

ち気味か?

さて、前回同様、午後三時半頃事務所を出て会社に向かう。今日は風が少し冷たい。

 「本来、あんまり波風立てたくない性分なんですけどねえ。」

と言うと、

「ケンカ売って来たのは会社だからね。」

と委員長。そうですよね。売られたからには買っちゃいますよねー。精神的にも正しい反

応、と思うのである。

 

第二回交渉が始まった。会社側の出席者は理事長、部次長、総務の俊原氏。前回と一緒

だ。と言ってもこれ以上上の人っていないのだが。

冒頭、書記長の確認から始まる。

「前回、前向きに考えるとお返事をいただきましたが、いかがでしょう。」

理事長の返答は次のとおり。

「解決金三か月分をお支払いして雇い止めとしたいと思います。」

どうもなあ。やらないと思ったのに。思わず笑ってしまう。

「岡元さん、それで納得しますか。」

「しません。」

と返事をしたところで打ち合わせどおり書記長は戦闘開始。私は心中で

《よし、裁判だ!》

お金をよこせなんて、誰が言ったの?

しかし、会社は解決金の金額のつり上げをしてくると想定していたのだろう。まさか質

問攻勢になるとは露思わなかったに違いない。その予想の甘さが露呈し始めるのだ。

「整理解雇ということですので、その部分の説明をしてください。それではお伺いしま

す。」

まず、役員とその報酬について、と書記長は口を切った。

整理解雇をするにあたっては、いきなり解雇をするのではなく解雇を回避するための雇

用調整手段を取らなければならない、らしい。(何せ自分に降りかかりつつある話なので、

交渉とともに知識を得ているから大体のことが《らしい》事ばかりである。)

 雇用調整手段というのは残業カット、配転や出向による雇用の確保、新規採用などの中

止や定年退職者の不補充、一時帰休、希望退職の募集などの措置のことだ。役員報酬の削

減もその内に入る。

「常勤の理事は三人ですね。非常勤の理事の内、有給の理事は何名ですか?理事は全部

で十三人でしたね。」

「常勤は三名、非常勤は十名で非常勤の内、有給は七名、無給が三名です。」

答えたのは俊原君。先回は臨時職員の数を聞かれて答えられず、資料を取りに部屋を出た

のだから、今回は幾分かはマシかな。

「常勤の三名の報酬の引き下げをしたんですか。解雇をするにあたって。」

「しては、いない。」

これは部長の答え。

「前年度の資産の状況はどうなっていますか?過去の資産を取り崩しながら経営してきた

んですか?資産は減っているんですか?」

これは整理解雇をしなければならないような経営状況なのか聞いているのだ。人員を削減

するという方法を取らざるを得ない状況なのか知りたいわけだ。

「多少は減っている。」

「まちがいありませんか。」

書記長が突っ込む。俊原氏がちょっと戸惑ってから口を出した。

「現金部分は下がっていますが、全体的に資産は増えています。公益法人独特な言い方で

正味財産といいますが、これは増えています。」

そして、正味財産とは資産マイナス負債のことです、と付け加えた。

分かりやすい説明をありがとう。

 「資産は増えているんですね。部長のお答えと違うじゃないですか。」

「あ、いや、勘違い、していました。」

本当のところは分からないだろうと、ごまかそうとしたのか実際把握していないのか、そ

のあたりが確としないのがこの部長のいいところ(?)だ。

「然るべき経営状態であると思っていなかった、認識はしていなかった、ということです

か。」

「…。」

「お答え願えませんか。」

「…。」

「お答えなしということで。では、今年度、二千四年度はいかがですか。」

うーむ、間髪入れず、だわ。

「二千四年度は、」

と俊原氏が代わって答えようとした。

「部長に答えてほしいんですよ。」

書記長がやんわりと押しとどめる。

「人事権があるのは部長ですね。総務の人が資料的なことを答えるのはいいけれど。」

「はい。」

俊原氏、素直に引き下がる。

「さて、今年度の見通しは、資産の増減はどうですか。」

「赤字ではない。」

不承不承といった口調で部長が答える。これが答えられるのなら、さっきの回答はやはり

ごまかしだったのか?理事長と次長は黙って事態の推移を見ている。

「今年度も資産はプラスになるということですか。正味財産の総額はおおざっぱに言って

どのくらいになります?」

「プラスマイナスでゼロくらいです。」

答えになっていないですよ、部長。

「正味財産は、」

と俊原氏が言いかけて口ごもる。発言していいものかどうか、逡巡しているといったとこ

ろだ。

「正味財産は九億くらいです。プラスマイナスでゼロくらいです。驚かない程度の状況だ

と思います。」

まずは正直な数字だ。大体基本財産が三億はないとやっていけないという話を聞いている

から、うちの場合は悠々ではないかしら。毎年資産は増えているし。

 「今年度、解雇の必要を考えるについては昨年度ぐらいから経費節減に取り組んでいる

と思いますが、どのようなことをなさいましたか。」

部長から答えは返ってこない。

「お答えなしということですね。ところで、昨年夏にパソコンを十数台入れ替えているそ

うですね。それだけでも岡元の年収くらいになるのではありませんか?また、年頭に外注

に出したい仕事があれば設計書を早急に上げるようにという指示があったと聞きましたが、

この件についても伺いたいのですが。」

答えはない。普段からしゃきしゃきしゃべる人ではないけれど、やっていないことは答え

ようがないよなあ。

「お答えなしということでよろしいですね。」

 次に解雇回避努力について尋ねる。

「できれば解雇は避けることが経営者の務めです。解雇しないための、具体的な努力はし

たんですか?希望退職等は募りましたか?」

「立ち上がる事業が少なく、仕事が減ってきているので…。」

いや、聞いているのは具体的な努力の中味、だけれど。

 大きな事業がふたつ、終了間近というのは二〇〇二年にはすでに予定のついていたこと

だ。それを理由に十二月には三人について雇い止めの予告をしていたのだから。しかし、

二〇〇三年には隣の町の事業が二件立ち上がっており、他にも小さい所ながら今年立ち上

がる予定のある事業もある。

また、二〇〇二年十二月と二〇〇四年四月に臨時職員を新規採用している。仕事が少な

くなると分かっていての採用の挙句に今ここで私の「解雇」もないものだ。

 「仕事は市内の二事業だけでなく、周辺市町村にもいくつか抱えています。隣の町で立

ち上がったものは二〇〇三年十一月から十年間かけて行う予定ですね。」

これは私の発言。

「市内にしか仕事がないという状況ではないわけですね。」

「そちらの仕事は少ないので…。」

「解雇の回避策、雇い止めを避ける努力はしなかったのですか。」

改めて書記長が問いただす。

「…。」

 先にも挙げたが、解雇の回避策には様々なものがある。そのひとつひとつをうちの会社

はしただろうか?

配転 → 他の係、他の部へ移った先例はもちろんある。だが私に対して打診はなかった。

出向 → これはない。他社から出向は来ているが。

新規採用の中止 → 今年度、二〇〇四年度に臨時職員を採用している。

定年退職者の不補充 → 補充はしていないが、昨年度の退職者及び今年度で退職と

なる部長が来年度も残る予定だ。

一時帰休 → なし。

希望退職の募集 → なし。

役員報酬の削減 → なし。

うーむ。部長に代わって私が黙り込みたい。

 「労使協定の残業は減らしました。」

と俊原氏。それでプロパーは平均四百時間の残業か?

「その他には何か?」

「…。」

 人選基準についても質問していく。

「今回の解雇の対象は正職員ではなく、臨時職員ですか。」

「そうです。」

「臨時職員九名の内、二名解雇とのことですが、岡元でない他の方はおいくつぐらいの方

なんですか。」

「…六十九歳だと思います。」

「その方は年金受給資格があるでしょう?年金をもらっているんじゃないですか?」

「もらっていると思います。」

「元、市の職員ですね。」

「そうです。」

「岡元の係には他に臨時職員は何名いますか。」

「二名、います。」

二〇〇二年十二月と二〇〇四年四月に採用された二人だ。

「臨時職員九名の内、六十九歳の方以外の八名の中で六十歳以上の人または年金受給者は

いますか?」

「六十歳を出たばかりの人が一名いる。」

「他の人はもう少し若い人ですか。」

「若い人です。」

年齢の幅は二十二歳から四十五歳くらいまでかな。六十歳の人は昨年部長職で定年退職し、

再雇用された人だ。

 さらに質問していく。

「岡元の係の職員は第1係の仕事はできないのですか。」

「第1係の方には彼女がやって来た業務、登記関連の仕事はない。」

「第1だろうが第2だろうが、違うのは地権者の方だけで仕事の根幹は同じものですから、

もちろん私にはできます。」

大体が正職員の指示に従って仕事をしているのだからできないわけはない。最も登記関

連であれば私は指示を待たずに仕事できるけれど。

労働契約も業務の補助としてある。それは第1係の臨時職員も同じことだ。係が担当す

る事業の名前が違うだけの話だ。

 「第1係の仕事は岡元にはできないと思って、辞めなければいけない理由のひとつとし

ているのではないですか。岡元は他の業務もできると言っていますが、いかがですか。」

「ある部分は共通している。仕事自体ができないということではない。」

「担当といわれる事業以外の仕事もしていると認識されてらっしゃいます?」

私もつい確認したくなる。この間も第1係の応援に行って来たばかりだし。

「いつもということではないので…。忙しい時は各々応援する。」

「市から委託された仕事もしていたことは?」

「係でやるとなった仕事は係で処理することを基本としている。」

 おや。向が丘と南平の事業は私が受け持った仕事というより、係が担当したものですよ

ね?特に南平はそれまで総務が持っていたもので、職掌変更で第2係が担当となったもの

でしたよね。それで係の中でいつの間にか副主幹と私が主に切り回すことになっていたの

だけれど。

「向が丘と南平、特に南平の事業は膨大でしたよね。」

部長たちもそれは分かっている。二〇〇三年度末で私を切れなかったことがそれを物語っ

ている。後は忙しかろうが何だろうが、放っておいただけだ。いや、見てみぬ振りか?(ど

うにも忙しくてデータを調べに行けないから、総務の臨時職員、もともと第2係だった人

を貸してもらってくれと頼んだのを二ヶ月黙殺されてタイムリミットになり、見切り発車

で通知を出す羽目になった恨みは忘れないからね〜、部長…。おまけに〈早くやらなきゃ

だめだ。〉のお言葉も付けてくれたんだったわねぇぇ…。恨めしい…。)

 「勤務・業務状況についての認識は今述べたようであると、そう理解してよろしいです

ね?」

「…。」

「お答えなしということで。それから解雇の対象者が複数いますが、解雇の基準は何です

か?」

「臨時職員の仕事がなくなって来た、担当している仕事がなくなって来たので雇い止めと

した。」

「実際やっている仕事が減っているといいますが、岡元の分はなくなる、しかし第2係の

二名の臨時職員の仕事はあるのですか?引き続いてやっていくということですか?岡元は

他の仕事もできます。担当している人の仕事がなくなりそうだから担当者の契約を打ち切

るということですか。」

「…。」

答えはない。

「性別・年齢は関係ありますか。」

「そういうことはない。」

そうだろうか。二月二十八日の「解雇通告」の、『上がってほしい』という言い方にその年

令だから辞めてほしいというニュアンスを感じ取るのは私の考え過ぎだろうか?二月十四

日に松永係長の『若い人の方が〜』発言もあったけどなー。

 「経験、習熟度、業務全般に対する評価は基準にならないのですか。判断材料ではない

のですか。」

「特別、判断には入れていない。」

なるほど。二〇〇三年十二月の時点では、当時の戦力状況では切れないと判断したけど。

「人事考課にはスキルの判断はあるのでしょう。労務管理上、そういう部分はないのです

か。自己申告制度はないのですか。」

「ないです。」

「他の臨時職員の方には打診しましたか。雇用を打ち切るに際して、臨時職員八名の方に

三月一杯で辞めてもらえないか聞いたのですか。岡元には業務外の席で打診していますね。

ご存知ですね?」

部長と次長が顔を見合わせる。

「そんなことしたか?」

ということは、それではやっぱり二月十四日の件は係長が副主幹の手前、形を整えただ

けのことだったかな?部長たちは意向を確かめてこいなどとは言っていないわけだ。

「特に何も聞いていない。」

「会社として、岡元に打診はしましたか。」

「特にしていない。」

「他の人たちに会社の状況を説明して打診しましたか。」

「してはいない。」

「こうした会社の状況について、職員に対して文書を出すなどしましたか。」

「文書は出していない。係長以上の会議では話をしているが、一般の者には話していない。」

「岡元には話しました?。」

「話していません。」

「岡元を解雇することに決めた理由は何ですか。」

「前回説明しましたが、二件の事業が終わり、会社の収益が減ってくるということで担当

者の岡元さんに辞めていただくことにした。」

担当していたのは係であって、私個人じゃないですよ、部長。明示されたこともありませ

んよ?

今は危機ではないが、将来の危機を回避するため、という解雇は《攻撃的な解雇》にな

るため、人員削減の必要性は認められないという判例もあったなあ。

 「このような理由で本人が納得できると思いましたか。紛争にならないようにするのが

一番良いと思うのですが。」

「納得していただきたい…。」

どう納得しろというのか、聞いてみても良かったかしら。

 じつは答弁している部長自身が当のこの会社に整理解雇されたことのある人なのだ。や

はり仕事がなくなったからとクビにされたと、私は本人の口から聞いている。その時の憤

懣の残った口調だった。

会社自体は声をかけられた者がその後、運営を続けて現在に至っている。水木次長や田

中課長はこの時の生き残りだ。(昨年は水木氏が1部次長で現部長は課長だったのだが、今

年は次長を飛び越えて部長に昇格している。これは今年は彼が定年退職ということでの、

明らかな情実人事と推測できる。この時のいきさつが働いているのだろう。)

部長は解雇後、民間の建設会社で働いていたが、向が丘と南平の事業が立ち上がり、業

務が忙しくなったため、社が彼を呼び戻したということだった。(そうしたやり方をしてお

いて、呼び戻すかな?)部長は一緒に解雇された人に連絡してみたそうだ。

『そういうわけなんだが、戻っていいだろうか。』

ああ、いいよとその人は答えたと言う。

そうした経験がありながら、今回は対象が臨時職員とは言え、(そういう捉え方もあま

り感心しないが。)なぜ同じことをするのだろう?自分の経験に照らして、より誠実に対し

た方が後々トラブルがないなど、思いが及ばなかったのだろうか。自分がそんなことで辞

めたのだから、これでいいと思ったのか?いつか確認してみたいものだ。

 

話は年休、年次有給休暇の件に移った。

 「厚生労働省からも年休は完全に消化するよう、指導されていると思います。岡元を辞

めさせると決めた時に年休消化については考慮したんですか。」

「…。」

答えなしが続く。まあ、そりゃ、してないし。

「先回お聞きしたら、年休は一人当たり十五日前後残っているということでしたね。職員

二十数人で年間三百日くらい残っていることになります。三百日の年休を消化するにはお

およそ一・五人の人員が必要になるはずです。人を減らすどころか増やさなければならな

いでしょう。」

おおよそ八〜十人が残業年平均四百時間だし。

 「人を増やすことはできない。仕事がなくなって来ているし、会社の解散という事態も

あり得るから人を増やすのは難しい。」

「それは経営の放棄でしょう。労働省の考え方に従えば、一人ないし二人の人を増やさな

ければならない。年休の完全消化についても考慮しないということですか。改善はできな

いと理解していいのですか。」

「努力していくしかない。」

 その努力の形がまったくないのだが。今までを振り返っても。

「年頭に、仕事を外注に出してよい、ついては一月十一日までに設計書を提出せよと指示

しましたね。」

「一月にはある程度のものがあったので…。最終的にはもっと減っていたが。」

こらこら。十二月には金額はほぼ確定していたじゃありませんか。

「岡元の雇用と繋げて考えることはできなかったのですか。岡元の経費は年間四百万円ほ

どです。要員需給の関係は七月頃に行う、とおっしゃいましたね。この指示があったのは

今年の一月、岡元への解雇通告は二月ですよ。常識的にはリンクして考えると思うのです

が、考えなかったのですか?」

「…。」

「市からの補助金はあるんですか。」

「それはない。」

そんなことはないでしょう。

「普通、解雇となれば、まず経費を節減しますよ。外注に出すということは黒字を減ら

すということではないんですか。」

「…。」

「お答えなしということで。」

そのとおりとは、とても言えないよなあ。

「二月二十八日に解雇通告があったわけですが、第2係の上司にはその話をいつされたん

ですか。一月二十日の時点では副主幹から、この先もお願いね、と言われたようですが。」

部・次長はまた顔を見合わせている。

「いや、もっと前には上司に言ってある。」

 ふーむ。少なくとも係長にはね?それで私に説明する時間も十分あったというわけだ。

また、私が辞める辞めないが直接仕事に係わってくる副主幹にぎりぎり二月十日まで説明

しなかったのは、業務のマネージメントをするについて問題だろう。

係長は二月十四日に《副主幹は感情的になるが、俺はそうはできない。》と言っていた

が、どういう感情を持つかはともかく、先立って聞いていればそれは戸惑いも少ないだろ

う。

「年休消化させることは考えなかったのですか。」

「今まで年休を取れなかったので、考えてみなかった。」

どう考えたのか、解釈できないんですが…。

「あの、解雇の通告の時点で私の年休が何日残っていたのか把握はしていました?」

部長、沈黙。

「年休を差し引いても、仕事の引継ぎが可能だと判断したんですか?当然、総務に問い合

わせると思いますが、確認をしましたか。」

「確認を受けたことはありません。」

と俊原君。いや、君は会社側なんだから黙っていてもいいのよ。

「年休の管理はでたらめですね。年休は二年間有効なんです。前年度分十五日、今年度二

十日とすると年休は三十五日あることになります。仮に三十五日とすれば、一ヶ月の勤務

を二十一日として一ヶ月半あまり休むことになるでしょう。当然その日数を考慮して話を

しなければいけない。」

「…。」

 三十日前に予告すれば、それですべての問題はクリアーだと思っていたのだろう。臨時

職員の雇い止めというのはその程度の認識なのだ。

「会社の説明には納得できませんね。」

委員長がここで発言。

「解決金が三ヶ月ですって?六十歳定年まで働くと考えて、十年分の解決金とでも言うな

らともかく、どちらにしろ裁判となれば相当なお金がかかりますよ。今うかがったような

事も全部表に出る。もう一度考え直してもらえませんか。」

「私にも一言言わせてください。」

 先回の交渉でも、今回も今まで黙っていた副委員長が口を開いた。

「私も今まであちこちの団体交渉に出てきたけど、こんな不誠実なところは初めてだね。」

 曰く、経営が逼迫しているわけでもなければ、それなりの措置も取らず、基準もあいま

い、理由は飽くまで一般論。

 「自分が解雇される立場に立てば、簡単に解雇すると人に言えない。もう少しまじめに

対応してください。これでは岡元が分かりましたと言うわけがないでしょう。」

解雇の撤回はいかがですか、と委員長が促す。会社側は何とも返答しない。

「撤回がないということなら岡元はもう時間がないわけだから、私たちはこの足で弁護士

のところへ行きます。地位保全の仮処分の申請もし、必要なら本裁判もします。私も最高

裁まで闘ったことのある人間だから方法も分かっているし、弁護士にはもう話は通してあ

ります。陳述書その他の書類も準備はできています。紛争になったとして、そちらには良

いことは何もありませんよ。費用もこの人の年収なんか眼じゃないだろうし、場合によっ

ては市の議員さんにお願いするつもりもある。」

私が新聞社の知り合いに取材させる気もあったりして。

「私たちも本来争うつもりはない。しかし今こういう状況ならばそうせざるを得ない。

どうしますか、それとももう一回交渉しますか。」

委員長が迫る。

もし交渉をするなら、と書記長が手帳を開いた。

「いろいろ抱えているのでね、なかなか時間が空いていなくて。次回二十三日、いや、こ

の日はだめだな。うーん、そうすると…、」

「私たちは撤回していただけると思って確認書も用意して来たんです。」

委員長が確認書を持って立ち上がった。会議室南側に並ぶ理事長、部・次長に手渡す。三

人がざっと回覧する。

「さて、何日にしますか…、」

と書記長。

「いや、ちょっと失礼していいですか。」

理事長、部・次長が立ち上がり、あわただしく部屋を出て行った。

 三人が会議室に戻って来たのはほんのわずか後のことだった。

 「解雇の通告を撤回します。」

え?耳を疑う。

「会社もこれから厳しくなっていきますが、確認書の案でいきたいと思います。」

撤回する?ちょっと待て。すると私の《裁判するぞ!》はどうなるの?せっかく書いた陳

述書は?お蔵入り?弁護士さんとお知り合いになるチャンスは?法廷に入る機会は?

「経営が苦しくなった時は平等に、早めに職員に話して皆でやっていきたい。」

「そうですか。それではお互いに確認書を取り交わすということで、ここに署名と印をで

すね…、」

委員長が嬉々として手続きをしている。この展開は…何?

 そうこうしている内に会社とユニオンが確認書を取り交わし、交渉が終わった。

「ありがとうございました。」

「よろしくお願いします。」

立ち上がって礼を言う。時、三月十八日金曜日午後五時四十五分。

 私の闘争はあっけなく終わった。

「裁判をやり損ねたねー。」

との委員長のお言葉を残して。あらー……。

その後について

 二〇〇五年三月十八日金曜日に《解雇》を撤回された一週間後に、交渉を行った会社会

議室で二〇〇五年度の「労働条件通知書」をもらいました。今まで「雇い入れ通知書」と

いう形でもらっていたものと若干違う部分がありました。

それは契約の更新の部分と時間外労働についてです。

契約の更新については、いままでのものは特に記述はありませんでしたが、今回のもの

『更新することがあり得る』 『会社の経営状況による』

の2項目が入っています。時間外労働については、今までは月三時間程度させることがあ

ると記載されていましたが、今回はこの「月に三時間程度」ということわりがなくなりま

した。

今春(2005年四月)、理事長と1部の部長、課長、市から出向していた2部の課長

及び他社へ出向していた臨時職員(例の六十九歳の人です。)、計五人が社を退職しまし

た。そして市を定年退職した方が二人、新しく理事長、1部の課長として就任されました。部

長は専門監という肩書きで再雇用され、これで昨年やはり再雇用された元部長と合わせて

二人の定年退職者が在籍することになりました。そしてプロパーの内、社全体で七名が昇

進を果たしています。

退職者の再雇用、出向者の据え置き、七名の昇進、年頭の黒字を使い切るようにという

指示、これらの事実をもし裁判となったときには会社はどう説明するつもりだったのか、

聞いてみたいところです。私を辞めさせる理由は

《二つの事業が終わって仕事がなくなり、財政の悪化が予想されるから》

でした。財政を引き締めなくてはいけない、一人辞めさせてしのげるような状況であると

言うのならば、まずは定年退職者の再雇用ということは考えるところでしょう。とりあえ

ずは臨時職員よりは給料は高いし、現実の仕事に対応するわけではないし。もちろん、こ

の状況は少なくとも二・三年前から予測できたことですから、財政状況を言うのであれば

新規採用も控えて当然の話です。仕事がなくなって過員が生じたなどと言うのは、要員需

給の完全な誤りです。それを個人に転嫁されたのではたまりません。

新規採用時の個人的な事情も耳に入ってくるのですから、私を解雇する理由のどこにどう

いうごまかしがあったのかも推測できてしまうのが何とも情けない話です。

また、昇進による昇給がどの程度であったのか、これは確認したわけではありませんか

ら何とも言えないところではありますが、昇給があったのだとしたら、これも財政の悪化

という印籠はどこにあるのだと言いたくなる要素です。経営的なからくりをよく知らない

のが何ですが、この二〇〇四年度もまた会社の資産自体は増えているのです。

 解雇の撤回がされたのはいいけれど、この先仕事がどう続けられるかということも不安

のあるところです。これを書いている現時点で、仕事について指示はありません。

社内では一応担当とされた仕事については稟議が回ってきて、判を押していくのが通例

ですが、直接関わりのない人の判の欄はあっても私の欄はありません。(しかし仕事に関係

するので、眼は通さなければいけないのです。)とりあえずは忙しかった南平の、まとめ切

れなかった仕事をファイルする事などを中心に日々過ごしているのが現状です。

 それでも、行けるところまで行ってみようかと、やっぱりのんきに考えています。闘わ

なければ無かったはずの1年であり、せっかくユニオンに勝ち取ってもらった時間なので

すから、会社が何をどうしていくのか、見ておけるものは見ておこうと、少し意地悪な気

分半分でいるのです。また何かしらご報告する日があるというこ
とはあまり望みませんけ

れどね?

 最後に、見も知らない人間のために、仕事が終わってからの時間や休日の日をも費やし

て交渉に臨んでくださったユニオンの方々、自分の立場を省みずに応援してくれた友人、

何も言わずに見守ってくれた母、ご助力をいただいた全ての方々に最大の感謝を捧げます。

こういう時にこんなにも周囲から無償の愛情をもらっているって、「闘うわたし」は

実はものすごく幸せなやつです(実感!)。いつの日かこの「幸せ」を同じように闘ってい

る人たちに還元するぞ!と決心しつつ、ますます強く楽しく生きていくことを誓うので

した(笑)!

ちなみに、母に事情を話すことができたのは解雇撤回がされてから十日後のことでした。

お母さん、心配させてごめんね。話した時に一緒に怒ってくれてありがとう。嬉しかったよ。