「静岡県国民保護計画(案)」に対する意見書ならびに        

「静岡県国民保護計画(案)」の撤回を求める要請書

静岡県知事様 

静岡県国民保護協議会各委員様            2005年10月19日

                             

●「保護計画」は憲法の基本的理念に反するものであり、撤回すべきである

 結論からいえば、有事法制の国民保護法によって県が作成した「静岡県国民保護計画(案)」は、国民を「保護」するものではなく、市民を有事等の戦争へと「統制・動員」するものであり、日本国憲法が保障する人権・平和原則を侵害するものである。この計画は憲法の基本的理念に反するものであり、撤回すべきであると考える。

●「避難・救援」は統制と動員であり、平素からの態勢づくりは人権侵害を生む

 計画案は、総論・平素からの備え・武力攻撃事態への対処・復旧・緊急対処事態の5点から構成されているが、要は、平素から武力攻撃と緊急対処事態(すなわち戦争状況)にむけての態勢づくりと戦時での市民の「避難・救援」をおこなうことにある。この県民の「避難・救援」は市民や労働者の統制と動員なくしてはおこなえないし、また平素からの態勢づくりは市民への監視などの人権侵害を惹起せざるをえないものである。

●戦時には県のいう人権・情報提供等の留意事項は無視される

 県は計画の留意点において、基本的人権の尊重、国民の権利利益の救済、情報提供、平素からの関係機関の連携、強制のない形での国民の協力、表現の自由への配慮、高齢者等の保護、従事・協力者の安全確保、などをあげているが、戦闘状況となれば国家緊急事態となり、県があげているこれらの留意事項が無視される可能性が高い。

●戦争国家へと自治体を従属させ、防災の名による訓練となりかねない

 この計画案は、自治体を戦争国家へと従属させ、政府が自治体を利用しながら市民を有事において統制して動員することを、その本質としている。2005年の第1回県国民保護協議会の議事を見ると、これほど重要な問題に直面しても、委員からは質問・意見がだされていない。この内容から見て、県防災局が担当しきれるものではない。県職員がこのような業務につく必要はない。また防災を口実としての有事(戦争)訓練はおこなうべきではない。

●自治体権限は戦時には国家に統制される

2003年、中部圏知事会は国民保護制に関する緊急提言をおこなっている。そこでは、国の責任が不十分、国民の直接的な説明が不十分、武力攻撃以外の緊急事態対応の不十分性、避難・交通体系の不整備、原子力施設の不安全などをあげている。ここでは知事の権限強化や交通整備を要求しているが、戦時となれば、国家が主導することとなり、権限委譲は無理なことがらであり、全国の交通整備は不可能であるだろう。

●この計画は憲法理念に反し、アジアの緊張を高める

戦時においては、軍事作戦が最優先され、そのために輸送・医療・放送が動員される。表現の自由・言論の自由などの人権は制限され、戦争に反対することが犯罪とされる。平素からも態勢をとることは、この国をいっそう戦時国家に組み替えていくことになる。このような計画は、人権保障と平和主義をとる日本国憲法理念に反するものであり、アジアにおける緊張関係をいっそう強めることになる。

●計画は仮想敵をつくり排外主義を煽る

県知事及び県協議会は憲法の原点に立ち返ってほしい。憲法にあるように戦力や交戦権も否定し、人間の尊厳と人権の不可侵を掲げることが、国際平和の原点である。国民保護計画が対象とする事態をみると(P15)、陸上侵攻、ゲリラや特殊部隊による攻撃、弾道ミサイル攻撃、航空攻撃、NBC攻撃、原子力発電所への攻撃などがあげられ、ほかに小型核爆弾、生物剤攻撃などありとあらゆる攻撃があげられている。このような攻撃があるとすれば、敵を想定することになる。そのような対応はこの国に残る排外主義・民族差別をつよめることになる。排外主義の克服は行政の仕事のひとつであり、それを強めるような作業をしてはならない。

アメリカの戦略に従えば、ソ連崩壊後は中国や朝鮮が仮想敵国となる。しかしアジアでは、過去の戦争を肯定するかのような動きが強い日本こそ、もっとも危険な国との指摘さえある。この60年の間に、戦争でNBC兵器を最も使用してきたのはアメリカであった。このような国の戦略に従い、過去の戦争を正当化し、さらに仮想敵をつくり、戦時を想定して避難・移動訓練をおこなう必要はないと考える。

●戦時での国民保護・避難は実質的に無理

有事法制は軍事優先である。そこでの国民の保護の内実は、戦争への動員と統制である。戦時を想定しての監視国家化がすすむことになり、「予防拘禁」さえ復活しかねない。実際に戦争となれば、現憲法は停止され、人権は制限され、情報は隠される。国民の避難は、現交通体系・人口状況から、実際には無理な面が強い。戦時での「国民保護」は実現できない。地上戦となれば、軍隊は国家を防衛することが第1義となる。市民の生命は守らない、これはこの間の戦争からの市民が得た教訓である。

●自治体による平和外交こそ県民の保護

武力攻撃事態にならないようにするのが、政府の役割である。しかし現政府はアメリカの戦争を支持し、さらにイラクへと派兵を繰り返し、浜松や富士からも自衛官が派兵されている。また、この間、国民保護法を含む有事法制を制定してきた。この法制の本質は、国民を戦争に動員し統制することにある。このような動きの中でつくられる計画は、戦時を想定してのものであり、人権を侵すものとならざるを得ない。政府とは一定の距離を持つことが市民の安全となる。

地方自治体が平和友好にむけて、独自の自治体外交をすすめることも、近年すすんでいる。中国・朝鮮半島での自治体レベルでの国際交流はそのひとつである。6カ国協議が行われてきたのも、戦争を防止しようとする国際協調によるものであり、自治体にも友好活動が求められている。

●県民の声、特に反対意見や労働者の声を集約すべき

今回の保護計画に対して、県への市民の意思表示はほとんどないという。計画の詳細はほとんど知られていない。県による県民への直接的な説明はなされていない。「保護」対象の市民が、このような有事での動員・統制の計画案に対して無知なまま、4回の県の協議会で策定されてしまうことは民主的ではない。より広くこの計画を検討し、県民の意思を問うべきである。とくに、運輸・医療現場で働く人々の声やこの間、有事法制に反対してきた人々の声が、反映されるべきである。動員される労働者や政策に異論を持つ者も主権者県民であり、その意見は尊重されねばならない。「国民保護」を語るのならば、すべての主権者の意思が十分反映されなければならない。

●自治体による市民の安全保持の原点に立つこと

地方自治は市民の安全を守ることにあるという原点を踏まえ、自治体による民主教育や平和・友好政策にこそ費用をかけるべきと考える。現在の静岡県国民保護計画案なるものは不要であり、撤回すべきと考える。当面、その内容を県民に説明し、このようなものが本当に必要かどうか、県民の意見を広く聞く態勢をとるべきである。

  意見表明・要請団体 人権平和・浜松