06静岡空港建設について

― 静岡空港・土地収用委員会での意見陳述

空港本体部分の立木の所有者で、今回の土地の共有地部分の共有地権者の竹内です。浜松市出身です。

 私は「空港の公益性」について陳述しますが、198712月を1つの焦点にしながら、この空港建設の決定がいかにでたらめな誘致であり、それが、現在に至るまでの政治暴力をつくってきた過程を話したいと思います。それをもって、「重大な瑕疵」を示したいと思います。

静岡空港の問題点をはじめにまとめたいと思います。物事というのは大体3つぐらいに分けて考えることができます。政治的には、政治的な利権によって空港建設が決定されたということです。経済的に言えば、ゼネコンに奉仕する土建県政によって空港がつくられ、そして今後赤字の経営というものがはっきりしている。そして3つ目には、先ほど来、話がありますように、オオタカも住めなくなるなどの環境破壊です。問題点はこのようなものだと思います。

私は、公益性についての陳述ということですので、最初に公益の前提になっている「公共の福祉」という概念について、議論の原点になりますので話をさせてください。

最近ではこの「公共の福祉」は、「人権と人権の衝突を調整するもの」として理解されるようになってきました。これは弁護士の皆さんは既にご存知のことと思います。つまり、公共の利益の名で、個人の権利・利益を無視できない、多数のために個人が犠牲になることを意味しないというふうに理解されるようになってきました。これを法学では、「一元的外在制約説から一元的内在制約説への移行」が行われていると言っています。これは人権の保障、人間の尊厳を大切にするという観点からいえば、国家権力が「公共の福祉」の名によって個人の権利を侵害してはいけないということです。

このような意味で、「公共の福祉」の概念というものが進化され、つまり国家主体の発想から人権を保障するものへと移行してきたと、私は理解しております。ですから「公益」という考え方においても、この「公共の福祉」の概念的な進化を前提にしたうえで、議論されなければならないと私は考えます。

 しかしながら、昨今の県のさまざま動きを見てみますと、非常に古い「公共の福祉」概念によって物事を考えていると私は判断せざるを得ません。ここの委員の皆さんも、最近の考え方を前提とした上で、審議されているとは思われません。ですから、ぜひ「一元的内在制約説」についてご理解をと、私は思います。このような形で、公開で審理がおこなわれるということ自体が、この「一元的内在制約説」に立っているものと私は考えます。

 さて、198712月に至るまでの概略を見ていきたいと思います。

 最初にこの静岡県で空港建設計画が始まったのは1960年代中ごろです。1970年代に入っても小笠山国際貨物空港構想という形で、小笠山に空港をつくりたいという動きがありました。しかし、この動きは袋井市などの住民の反対運動によって頓挫したのです。けれども、この中遠地域に空港をつくりたいと1980年代に入ると中遠空港構想ができました。そしてこの中遠空港構想を引き継ぐ形で、静岡県の空港構想が形づくられました。これが、静岡県における空港建設計画の歴史です。

そして1986年6月には14ヵ所の空港候補地が挙げられ、誘致運動を操りながら、9月には3ヵ所になり、12月には榛原での空港建設を決定したわけです。このように非常に短期間のうちに、この空港の建設決定が行なわれました。

 このような空港建設の経過について資料を紹介しますと、これは1970年の「郷土新聞」という掛川の市民新聞ですが、国際空港問題があったことを示す記事です。このような空港問題の経過のなかで、これは1987年の9月に袋井市の豊沢自治会連合会が出した「掛川空港に反対する」というチラシですが、次のように書いてあります。「さる昭和46年、当時の竹山県知事が提唱した小笠山国際貨物空港構想がありましたが、騒音公害と自然環境破壊、地域の特産であるお茶へ悪影響を懸念し、豊沢、笠原を通じる住民の壮絶な抗争が展開され、ついには市当局や議会はもとより、周辺市町村もこれに同調した一大反対運動となり、小笠山国際貨物空港構想は立ち消えとなり、今日に至ってまいりました。もとの平和に戻った小笠山は自然学術的に高く評価されており、環境庁から保護指定されたシダ類の群生地を初め数多くの貴重な動植物が生息していると言われ、東海道メガロポリスに残された唯一の自然環境地区として注視されているところであります。豊沢地区はこの小笠山の西山麓にあり、私ども住民は緑豊かな住みよいまち、快適で安心して暮らせるまち、心からふれあいに満ちたまち、健やかで思いやりとやすらぎのあるまち、農業と観光の調和のとれたまち」をつくりたいとあります。こういったまちをつくりたいと主張し、この掛川空港計画に反対の声を上げたわけです

ここであげられていることがらは、榛原の坂口の地域でも共有できる言葉ではないでしょうか。私はこのような掛川空港に反対して豊沢自治会が出した文章は、1970年代からの環境を守ろうとする市民の思いが結実したものと思いますし、これらの言葉は榛原の人々にも共有できる言葉であると思います。

 ところで、中遠の空港構想ですが、1985年に静岡県民間空港開設研究会が設立され、西部の浅羽への誘致計画が立てられました。その後、中遠に空港を作りたいという圧力が1986年6月に入っての、斉藤県知事の空港設置取り組み表明となります。経過を調べてみると、空港建設の出発は中遠にあります。1987年の2月には、遠州灘空港問題研究協議会が設立され、87年の9月には浜松や磐田や掛川の商工会議所が主導して県西部地域空港設置問題協議会の準備会がつくられたのです。

 これは浅羽町が出したチラシですが、1980年に中東遠地成長期計画策定調査報告書が出され、あるいは85年には静岡県民間空港開設研究会が設立されたということが、ここにも書いてあります。このようななかで、県中部にも空港をつくりたいと静岡にも組織がつくられました。

これは当時、遠州空港をつくりたいという人々が作ったポスターですが、小笠山空港計画以来の遠州に空港をつくろうという運動が、ここに示されています。けれども、住民は「空港なんていらない」という声をすぐに発しました。そういう声に押されて掛川の榛村市長は、これからの掛川市の主要課題を挙げ、空港ができたときのデメリット、メリットを記した紙を市民に公開するかたちで、空港をつくったらどうなるかを市民に示しました。掛川市ではこういう議論が行われていました。

ではここで、県はどんなことをやったのかについて、1987年の話をしたいと思います。

これは1987年9月11日の、浅羽町の文書です。ここには県が浅羽町に示した文が書いてあります。文書の3に、臨海案では漁協の確約をとり、協力を取りつけてほしいとか、いろんな指示をしています。8のところを見てください。「反対運動その他、地元の動きはよしあしを問わず細大漏らさず報告されたい。いずれ政治の場に移る、すでに移りつつあるが、政治的な問題の発生はないか、以上について9月いっぱいまでに回答されたい」とあります。

「中間検討結果」というような形で、このように県が浅羽町に対して指令したわけです。地方自治の観点から見れば、このような指示自体がおかしいと思いますし、町に住民の反対などの動向を調査させて空港建設を決めること自体、やっていいことなのかと思いますが、このようなことをやっていたのです。そして浅羽と掛川は×、榛原は○というような形で空港予定地の絞り込みが行われました。

ところで、これは12月8日についての記事ですが、ぜひここに注目してほしいのですが、12月8日に自民党の静岡県連が榛原を対象地にしたことが書いてあります。中東部の議員のほとんどが榛原を支持していることも書いてあります。このような段階になると、もともと浅羽を中心にして空港をつくろうとしてきた歴史があるわけですから、当時の栗原浜松市長はこんなふうに言っています。「空港は拡張の可能性がある浅羽が客観的に見て最適。西部と中東部が網引きをし、政治問題化しているのは遺憾である」と述べています。このような記事もあります。中部の政治経済界がある衆議院議員を立候補させないために知事に榛原の決定を迫ったとか、来年の自民党の県の三役を自民党の東部に幾つか与え、そのえさを利用しながら中部への空港予定地決定の綱引きに東部を参加させていく、このような記事が毎日新聞にあります。

 ここで、この12月の経過をまとめます。125目ですが、静岡県議会の環境企業委員会と総合交通対策特別委員会で、県が初めて細かな資料を提示しました。その内容が翌日の新聞に掲載され県民にも知らされました。県民が空港建設の細かな実情を知ったのはこのときが初めてです。12月8日、自民党県連の幹事長が知事に県連の意向を示し、1212目には県空港建設検討専門委員会が建設予定地・榛原を内定します。この県空港建設検討専門委員会は非公開でした。そして1216日、県知事は各議会の各会派の代表者会議で榛原の決定を通告しました。議会での議論はほとんどないのです。県議会の各会派の代表者会議で知事が榛原にすると言って、この空港建設は決まったのです。これは知事の専断決定と言うしかありません。住民への説明はほとんどなく、議会の審議も抜きだったわけです。

 ですから、中遠地域に空港をつくってほしいと言ってきた浜松の商工会議所会頭は新聞記事ではこう言っています。「将来、国際空港、フルタイム空港、貨物空港などになり得る可能性のない場所に決まり、税金のむだ使いに感じる。産業の多い西部としては、利用価値はない」。このようにはっきりと発言しているわけです。

 この記事は新藤宗幸さんという当時専修大学助教授の意見です。これは以前、地権者の松本さんもこの場で紹介しましたが、新藤さんは非常にいいことを言っていますので、ぜひもう一度みてほしいと思います。新藤さんは言います。新地方自治のあり方から言っても本末転倒であるし、余りにも県民を無視している。県民に具体的データを示さず、建設地の選定作業を進め、詳しい資料を公開して、決定までにわずか11日しかないというのは異常だ。反対運動の強弱などの政治的な要素まで考慮するのは踏み込み過ぎではないか。複数の候補地を挙げ、互いに誘致合戦をさせるというのは、行政側がよく使う手だ。賛成の声ばかり先行し、そのほかの意見は押さえ込まれてしまう。つくられた誘致合戦だ。静岡県に本当に空港が必要なのか。もっと根本的な議論を尽くすべきだ。財源についても県側はわからないと言っている。他県の空港建設と比べ、普通でないことが多い。なぜそこに空港をつくるのか、どんな手順でそれが決まっていったのかを、地元の人たちにちゃんと示すべき、というのが、成田空港建設が示した教訓だったのだ、と。

 このような決定の仕方ですから、1215日に榛原町の人々が、250人で反対デモを起こしました。これも前々回に紹介されたのですが、付け加えたいことがあります。これは朝日新聞の記事ですが、記者がプラカードやスローガンの内容をここで紹介しています。私が重要だと思うことは、最初に書いてある言葉です。「でたらめな誘致をするな」。それからプラカードには、「政治暴力を許すな」。「自然と緑を守ろう」と書いてあります。ここにある「でたらめな誘致」、そして「政治暴力」というものが今も続いているのだと、私は思います。

 話をまとめれば、県内予定地各地で住民の反対の声が挙がりました。しかし、県民の声を無視して県は建設を決定しました。1991年の第6次空港整備五箇年計画への盛り込みをねらっての決定の強行だったわけです。資料を公開して11日間で建設地を決定し、地元住民への細かな説明会はないまま、とくに騒音の説明もなければ、地権者に対する説明もなく、また、先ほど言いましたように必要性についての細かな議論も全くないのです。自民党議員の東部・中部と西部との利権の綱引きによって建設地が中部になりました。榛原が少し西部寄りであることが中部側の配慮というわけです。

これが静岡空港建設の決定の特徴であると私は思います。なぜ必要で、どういう手順で決めるのかという議論がないまま、榛原へと空港が押しつけられていったのです。まさに政治的な利権と談合と粉飾、この国の土建国家状況を象徴するす空港建設地の決定であったのです。ここには開発を優先して環境と文化を軽視するという、この国のありようがよく示されていると私は思います。

 地域住民の参加なき用地決定が、現在の紛糾を生んでいると私は思います。地権者説明会があったときには、県の対応に非常に強い抗議の声が出ました。地方空港は冬の時代だと宣伝されながらも静岡空港の建設が強行されてきました。このような箱物財政をやる中で県の財政は赤字になる一方です。日経新聞には、静岡県の経済界も3割が反対や凍結であるというような記事が出るようになりました。

 空港建設決定は20年前のことです。10 年ほど経過したとき、もう一回住民の声を聞いたらどうかと住民投票の声が強まりました。その声に押されて石川県知事は住民投票をやると言いました。しかし知事に再選したとたん、議会が否決したから住民投票はやらないと言いました。ところが静岡空港の建設前に、名古屋に中部新国際空港ができました。これは最近、浜松で配られた遠鉄のチラシです。「乗り換えなし、空港へ直行バス・e-wing、浜松から120分、インターから85分」と非常にアクセスのいい状況がうまれています。

一方、静岡県は静岡空港について、このように「輝く静岡の未来を拓く」「牧の原の自然とともに」と宣伝しています。空港の宣伝で、私が一番驚いたのは「生態系に配慮した新開発事業静岡空港環境レポート WITH ECO」という雑誌を見たときでした。「エコ」ではなく利権にまみれたという意味で「ウィズ・エゴ」と言ったほうがいい。

空港建設現場にはこのような看板が立てられています。よく見ると大林・戸田・大石特定建設工事共同企業体とか、鹿島・三井・住友・橋本特定工事共同企業体と書いてあります。所長さんの名前もしっかり書かれていますが、最近では大林、鹿島、水谷建設も、談合で大きな問題になっています。空港の建設現場に行きますと、このように、木の死体が山のように積まれているのです。とても「ウィズ・エコ」などとは言えない状況です。ビジターセンターの道にはコンクリートではなく木が敷き詰められています。それがエコロジーであるかのように語っています。しかし、破壊された里山の木々を敷き詰めることが、本当にエコロジーであると言えるのでしょうか。

 建設現場ではこのように大きなダンプが走り回っています。よく見ると車体の価格が1.6億円もする巨大なダンプカーで、タイヤも1本220万円もする。水谷建設の散水トラックも走り回っています。まるで工事車両は兵器のような独占価格です。

県民からは、「県民無視のゼネコン空港であり、こんなものは要らない」という声が、ずっとずっと、この20年間消えることなく、出されてきたわけです。住民投票実施の声を無視し、地権者への不誠実な態度を繰り返してきました。また、赤字財政を進行させ、経済界の中からも批判の声が挙がっています。さらに空港の運営は民間会社に丸投げをし、そして「地方空港は冬の時代」という中で静岡空港が建設されようとしています。

本当に静岡空港は「公益」なのでしょうか。それは、先ほども意見が出ましたように、「一部の利権が『公益』を仮装しているにすぎない」と私は思います。

空港建設に群がってきた政治的な利権、あるいは経済的な利権、あるいは偽の環境保護宣伝、このような政治的・経済的な利権空港、環境が破壊されての空港建設に対して、トラストの立木も成立しましたし、共有地もつくりあげられてきました。それは私にとって、また県民にとっても正義の表現であると思います。

 もう終わりますが、もう少し聞いてください。

今から100年前に、田中正造はこんなことを言っています。「公益公益と叫ぶも人権を去って他に公益の湧き出るよしも無之と存じ候」。「公益」を語っても、人権を破壊しておいて何の公益だと、100年前に田中正造は語っています。さらに有名な言葉があります。「真の文明は山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし」と、語っています。田中正造の生家のある地域には田中正造大学という市民団体もあり、100年前の言葉がこのようにチラシにもなっています。

高尾の山は崩され、坂部の川はなくなり、あるいは死んだ川になり、村は壊され、まだ人は殺されてはいませんが、共有地あるいは立木を強制収用することは、私たちの良心を殺し奪うことです。それは人を殺す一歩手前のことであると私は考えています。

 最近、ある雑誌の記事を読み感じたことがあります。ここには「蜂の巣城」と書いてありますが、1957年ころの筑後川上流のダム建設計画のときの話です。当時、村原さんという人がこう言っています。「公共事業は法にかない、理にかない、情にかなうものでなければならない」と。静岡空港はどうでしょうか。法にかなっているでしょうか。理にかなっているでしょうか。情にかなっているでしょうか。すでに50年ほど前に、このように言われているのです。静岡県はなぜ理も情もないこの空港にこれほど情熱を傾け、法の名で強制収用までやろうとするのでしょうか。

 土地収用法第20条にはこう書いてあります。「起業者に十分な意思・能力のあること。土地の適正、合法的な運用に寄与すること。公益上必要であること」。しかし、静岡県に経営能力はあるのでしょうか。利権のための強制収用であり、それは非法な利用行為ではないでしょうか。強制収用が「公益」というのなら、運輸省は空港と地域との共生を言っていますが、空港と地域との共生が本当にあるのでしょうか。建設が地域住民の要求ではなくて、自民党の県会議員の綱引きで決まったことを、私は今日述べてきました。地域住民の要求で空港が建設されたと断言できる人はいないと思います。

静岡空港は「公益」ではない。土地の強制収用は公権力の乱用であると考えます。

 私は、県民として、共有地権者として、赤字を我が子孫に残すことを認めることもできません。収用委員会は良心をもって、私益を公益のごとく仮装する、この県政の横暴を糾すべきです。それが収用委員会の公正中立な対応というものではないでしょうか。

権力に屈することなく、大地とともに生き、そして抵抗している4人の農民こそ、その精神と行動において、静岡県が世界に誇るべきものだと私は思います。さまざまな意見や評価はありますが、土地の強制収用を行ってはいけないという声は絶えてはいないのです。

 最後に、1枚の写真を紹介して、私の話を終わりたいと思います。これはポーランドのクラクフという古い街、かつてはポーランドの首都だったところですけれども、そこにある墓石の写真です。これはナチスドイツがポーランドを占領したときに、ユダヤ人の墓を皆壊してしまいました。そして壊した墓石を道路に敷き詰めて石の替わりにしました。戦争が終わると、生き残ったユダヤ人たちは破壊された墓石を拾い集めて、壁に塗り固め、保存したのです。ナチスドイツにとってはこの墓石は単なる石でした。利用価値は道路に敷き詰めることでした。

 静岡県は立木トラストの木々は用材林地のものであって、その立木に精神的・文化的な価値はない、それは特殊な価値であり、補償する価値はないとしています。私にとっては共有地も、あるいは立木も、この空港建設というものに対し、建設はおかしいし、住民の意向をまったく無視したものであるという意思を示し、それに対抗する精神的な文化的な価値のあるものです。その価値を何ら見ることなく、単なる用材である、用材林地であるという論理は納得できるものではありません。共有地、トラストの立木は、非民主的な行政に抗する市民的正義の表現です。それは平和的、非暴力の形で権利の意思を表示するものです。それは精神的・文化的な共同の価値を示す存在であると私は考えます。それは私にとって、ひとつの文化の象徴にほかなりません。

 最後にまとめたいと思います。もう少し聞いてください。

 1987年の12月をテーマにして私は話をしました。12月5目に初めて細かな資料が出されて報道され、12月8日に自民党県連の幹事長が知事に榛原を推し、そして1212日には県の空港建設検討専門委員会が、この委員会は知事による人選で構成されていましたが、会議は非公開のまま内定し、1214日には最終答申が出ました。 1216日、県知事は県議会の各会派の代表者会議で「榛原の決定」を通告します。まさに政治的な綱引きによる政治空港でした。それは住民にとっては、無茶苦茶な、でたらめな誘致だったわけです。そして、そのでたらめな誘致に対し、おかしいと声をあげ続けたものに、土地の強制収用という政治暴力が襲いかかろうとしています。

 私は地方自治というものは、知事の専断・独断で動いてはいけないと思います。空港建設が決まってもう20年がたちました。人間の物の考え方も少しは進化します。土地の収用委員会がこのように存在し、そして県民の議論を聞いて運営するということは、まさに「公共の福祉」が調整によって成り立つということを、この場が証明していると私は考えます。虚飾や談合や粉飾によって公共事業が進められていいのでしょうか。県の借金は既に2兆円を超えたと言われています。これ以上赤字を未来の子どもたちに残していいのでしょうか。誘致・建設は県税でするけれども、今後の赤字も県民として負担しろ、それでは納得できません。

 「国際線」もあるなどという誇大な宣伝が行われていますが、出入国管理のゲートをどうつくるのかというような話は全く聞いたことがありません。大成や鹿島の談合も報道されていますし、常に特定の企業体が空港の建設を受注してきました。生態系を破壊しておいて「ウィズ・エコ」、このような県のやり方はまさに虚飾と粉飾ではないでしょうか。

 私は、静岡空港の中止を今進めることこそ、県の名誉の回復になり、県政の信頼の回復になっていくというふうに考えます。私は収用委員会の皆さんの良心に訴えたい。県の職員も、悪代官の手先になってたくさん派遣されています。しかし胸に手を当てて、本当にこんな空港が必要か、斉藤県政のときに一方的に決めた空港建設の後始末をさせられ、そんなことでいいのか、本当に県民のためなのか、これはおかしいと、ぜひ県職員としても声をあげてほしいと思います。

立木というものには、繰り返しになりますけれど、文化的・精神的価値を体現するものです。大げさな表現かもしれませんが、私にとって、それは類的な正義の表現です。ナチスにとってユダヤ人の墓石は単なる石ころでした。県にとってはトラストの立木も単なる用材かもしれませんが、その文化的・精神的な価値をぜひ考えてください。

 ある外国人ジャー-ナリストはこう言っていました。「日本は政・官・財が談合している泥棒国家だ」と。私は、静岡県のこの空港建設は、「政・官・財(ゼネコン)が結託した泥棒建設」ではないかと思います。人間は岐路に立ったとき、その真価が問われるといわれます。野蛮の側に立つのか、誠実の側に立つのかが問われているのではないでしょうか。県の職員の皆さん、そして収用委員会の皆さん。

収用委員の皆さんの中には弁護士の方が多いそうです。弁護士は人間の尊厳を守るためにあるのではないでしょうか。例えば、凶悪な犯罪があっても、その犯罪がなぜ起きたのかを問い、その罪は憎むが、その人間は救済するというのが弁護のありようではないでしょうか。

 私は以前、大石弁護士という、浜松に住んでいた弁護士で、日弁連の役員もやった人の本を読みました。その人は刑事犯罪人を心から弁護して、その刑事犯罪がなぜ起きたのかを追及し、人間を救済する、そのような立場で弁護活動をしたといいます。私はこの話にとても感動しました。増田会長、あなたも弁護士です。ぜひ、この人間の尊厳を守る立場に立ってください。そして立石委員、牧野委員、大石委員、斎藤委員、鍋田委員、福田委員、皆さんも人間だと思います。

ここで述べてきたように、198712月の決定ですすめた空港建設を、今こそもとに戻すべきときではないでしょうか。先ほど「七人の侍」話がでましたが、「十二人の怒れる男たち」というストーリーもあります。「重大な瑕疵」を委員が感じ「瑕疵がある」という声が共有されれば、建設はできないのです。委員の皆さんがぜひその重大な瑕疵一つ一つを心にとめて、この空港建設の誤りを、是非それがわかるような形で話を進めてほしいと思います。

 長く話しましたが、収用委員の皆さん、私は皆さんにもうひとつお願いがあります。現地に立ってください。私は歴史を勉強していますが、歴史の物語を書くときの第一歩は現地に立つことです。そこに立って風の音を聞き、大地と人間を見るのです。そこから歴史の物語が始まるのです。皆さんはそれぞれ、まだ空港建設の現場の破壊された現場を充分に見ていないと思います。私は皆さんに訴えたいのです。現場を見て、そこから本当に人間の尊厳の立場に立ち、そして本当に県政が県政として機能していくような判断を下してほしい、歴史に残る裁決をぜひおこなってください。お願いします。

  (静岡空港関係・静岡県収用委員会での意見陳述20061011日に加筆)