神戸

二〇〇〇年九月、神戸で強制連行調査ネットワークの集会がもたれた。集会では、はじめに兵庫で強制連行などの朝鮮人史を研究してきた鄭鴻永さんを偲ぶ会がもたれ、その後、神戸港、七尾港、敦賀港、安野発電工事、日本製鉄、土谷クロム、大江山、兵庫県、静岡県、茨城県など、各地の調査報告がなされた。翌日は討論集会の後に、神戸港などのフィールドワークがおこなわれた。

神戸では、神戸港における戦時下朝鮮人・中国人強制連行を調査する会が結成され、現地調査がすすめられている。神戸船舶荷役へは全北の金堤や忠南の錦山から連行された人々が多いが、その連行者のひとり、金堤出身の李南淳さんの証言も現地でえている。

フィールドワークでは、神戸電鉄工事朝鮮人労働者の像、強制連行者が多かった川崎重工と三菱重工の近く、連行中国人の収容所であった新華寮、連行中国人を診療した隈病院、朝鮮人無縁仏がある東福寺などを見学した。

神戸の強制連行前史としては、神戸電鉄の敷設工事がある。この工事には、一九二七年から二八年の神戸有馬電鉄による神戸と有馬温泉を結ぶ有馬線工事と一九三六年から三七年の三木電鉄による鈴蘭台と三木を結ぶ三木線の工事の二つがある。一九四七年には二社が合併して神戸電鉄となっている。

これらの工事はともに山間部での難工事である。この工事を請け負ったのは日本工業合資会社だった。工事には一〇〇〇人を超えるの朝鮮人が集められ、死者も出ている。現在判明している死者数は一三人である。一九二七年の朝鮮人の争議には一〇〇〇人を超える朝鮮人が参加し、在日本朝鮮労働総同盟も支援に駆け付けた。

神戸電鉄の朝鮮人の歴史調査をおこなうなかで、一九九四年には神戸電鉄敷設工事朝鮮人犠牲者追悼会がもたれた。一九九六年には追悼の意を込めて碑が朝鮮人労働者の像が置かれた。

強制連行された朝鮮人については厚生省勤労局名簿から多くの連行者の氏名、出身地が判明している。

神戸地域では、川崎重工兵庫工場・葺合工場、三菱重工神戸造船所、神戸鋳鉄、神戸製鋼、阪神内燃機、大阪ガス神戸支社、中央ゴム、日本制動機、鐘紡神戸造機、川崎車両、川西航空機甲南、神戸船舶荷役、神戸貨物自動車などへの連行が確認できる。残されている名簿だけでも五三〇〇人を超えているから、連行者総数は七〇〇〇人を超えたであろう。

川崎重工・三菱重工関係で五〇〇〇人を超える朝鮮人が連行され、港湾荷役などの運輸関係でも連行がおこなわれた。

中国人は神戸の港湾労働に一〇〇〇人ほどが連行された。連行は七次に及んでいる。神戸から函館、七尾、敦賀へと転送された中国人もいた。この間の調査で、連行中国人の収容所であった新華寮、連行中国人を診療した隈病院などが確認されている。

連合軍捕虜は五四〇人ほどが神戸に連行され、川崎重工、昭和電極などの軍需工場や神戸船舶荷役、三井倉庫、住友倉庫、三菱倉庫、上組といった港湾運輸関係の現場で労働を強いられた。

神戸港の鉄鋼・造船と港湾・運輸の現場で、朝鮮人・中国人・連合軍捕虜の強制労働がおこなわれたわけである。

このような神戸は米軍の空襲を受け、多くの市民が生命を失った。そのなかに動員された朝鮮人もいた。一九四五年六月の神戸大空襲ののち、川崎重工や神戸製鋼で働いていた朝鮮人の遺骨が約五〇体分、神戸の東福寺に持ち込まれた。遺骨は日本人のものとともに寺の仏舎利塔に収められている。

鄭鴻永さんは資料などについて伺うと、笑顔で丁寧に教えてくださり、後に資料などが送られてきた。神戸新聞の記者が鄭鴻永さんについて「知らない者には寛容に、知ろうとする者には粘り強く、どんなときも全身で語ってくれた」(二〇〇〇年三月七日記事)と記しているとおりである。鄭さんの孫たちが集会で上映されたビデオで鄭さんの書かれた本を読みます、書きます、と語っていた。鄭鴻永さんは『歌劇の街のもうひとつの歴史 宝塚と朝鮮人』や『地下工場と朝鮮人強制連行』に姿を変えて、笑顔とともに生き続けている。                   (二〇〇〇年九月調査記事に追加)

 

  平和の碑

二〇〇九年七月二四日から二五日にかけて神戸で第四回在日朝鮮人運動史研究会・日韓合同部会が開催された。二四日には韓国での強制動員被害への支援状況、占領期の在日朝鮮人政策、三井財閥と強制連行についての報告があり、二五日には神戸港平和の碑の見学がおこなわれた。

神戸港には戦時下、朝鮮人・中国人・連合軍捕虜が連行され、労働を強いられた。神戸の市民グループはこの強制連行の問題の共同調査をすすめ、二〇〇四年に『神戸港強制連行の記録・朝鮮人中国人そして連合軍捕虜』という本にまとめた。

二〇〇八年七月には、日英朝中の四ヶ国語で、神戸の港湾と造船などで苛酷な労働を強いられ多くの人々が犠牲になったこと、それを心に刻み平和と共生を誓うことを記した「神戸港平和の碑」を建てた。碑は神戸市中央区海岸通りの神戸華僑歴史博物館が入っているKCCビルの前に、「非核神戸方式の記念碑」とともにある。        (二〇〇九年七月調査)

 

参考文献 

神戸電鉄敷設工事朝鮮人犠牲者を調査し追悼する会『鉄路にひびくアリランの唄』一九九六年、同会『神戸電鉄敷設工事と朝鮮人労働者資料集』一九九三年、

神戸港における戦時下朝鮮人・中国人強制連行を調査する会『神戸港強制連行の記録・朝鮮人中国人そして連合軍捕虜』明石書店二〇〇四年、同会『アジア・太平洋戦争と神戸港』みずのわ出版二〇〇四年、『人権歴史マップ(神戸版)』ひょうご部落解放・人権研究所二〇〇五年、飛田雄一「アジア・太平洋戦争下、神戸港における朝鮮人・中国人・連合軍捕虜の強制連行・強制労働」『世界人権問題研究センター研究紀要一四』二〇〇九年