静岡の強制労働の現場を歩く

            鉱山・発電工事・軍事基地建設など

 

●静岡県と朝鮮人強制連行

 

静岡県では県内50箇所以上の労働現場に15000人以上の朝鮮人が強制連行された。

朝鮮人が連行・動員された現場としては、鉱山では天竜川上流の久根鉱山、峰之沢鉱山、伊豆半島の土肥鉱山、持越鉱山、河津鉱山、縄地鉱山、仁科鉱山、宇久須鉱山などがある。発電工事では大井川久野脇発電、日本軽金属富士川発電工事の工事現場などがある。

軍事施設の工事では海軍大井飛行場、海軍牛尾山施設、海軍藤枝飛行場、藤枝弾薬庫、陸軍富士飛行場、陸軍浜松飛行場拡張工事現場などがある。

軍需工場では日本軽金属、豊年製油、日本鋼管清水、黒崎窯業清水、東京麻糸紡績沼津、鈴木織機などがあり、地下工場建設では、中島飛行機掛川、中島飛行機三島、沼津海軍工廠疎開工事などがある。輸送関係では鈴与商店、清水港運送、日通静岡支店、日通浜松支店などに連行がわかっている。

また、鉄道兵、船舶兵、高射砲兵の形で連行された朝鮮人兵士があり、性の奴隷として静岡二丁町の遊郭、大井川久野脇工事現場、海軍飛行場近くへと連行された女性たちもいた。

 厚生省勤労局「朝鮮人労務者に関する調査」(1946年)の中に静岡県分の名簿史料がある。連行企業の名簿をもとに韓国での現地調査ができる。

県内各地には強制労働の跡を示す構造物が数多くある。

 

●強制連行の現場を歩く

 

@土肥鉱山跡 伊豆市土肥

 土肥鉱山での金の採掘のために朝鮮人が連行された。360人ほどの連行朝鮮人名簿がある。鉱山跡は観光用に整備され、坑道内に入ることができる。朝鮮人が居住した寮は土肥中学の校舎の南側の斜面を上った場所にあった。寮の跡には水槽跡のコンクリート基礎がある。

 伊豆半島には数多くの震洋や海竜などの特攻基地が建設されたが、その労働には朝鮮人軍属が投入されたとみられる。

 

A仁科鉱山跡 西伊豆町白川

 仁科鉱山は戦線鉱業によって経営され、ボーキサイトの代用鉱として明礬(みょうばん)石を採掘した。労働力として朝鮮人・中国人が連行された。北方にある宇久須鉱山でも連行朝鮮人・中国人によって明礬石が採掘された。両鉱山とも500人ほどの連行朝鮮人名簿がある。鉱山の整備にも多数の朝鮮人が動員された。白川川岸には朝鮮人飯場が建ち並んでいた。戦線鉱業の事務所跡地には「中国人殉難者慰霊碑」がある。

 

B峰之沢鉱山跡 浜松市天竜区龍山

 天竜川上流の日本鉱業峰之沢鉱山と古河鉱業久根鉱山では銅が採掘された。両鉱山とも500人ほどの連行朝鮮人名簿がある。峰之沢鉱山跡には選鉱場が残っている。朝鮮人は鉱山事務所北側にある「赤ズリ」とよばれたところに収容された。峰之沢鉱山へは中国人も連行され、近くの墓地には中国人追悼碑がある。

 

C日本軽金属富士川発電工事 富士川町芝川町

 日本軽金属蒲原工場では軍需用アルミが生産された。その電力をまかなうために富士川発電工事がおこなわれ、西松組・飛島組・大倉土木が導水用トンネルの建設などを請け負った。工事は静岡県から山梨県におよぶものであり、連行された朝鮮人は4600人を超えた。富士川支流の矢久保沢、吉津川、血流川、有無川、稲子川には導水路の露出部がある。サハリンの警察史料から工事現場からの逃走者名簿が発見されている。

 

D清水の工場地帯 静岡市清水区三保など

 清水区の工場地帯では、日本軽金属、黒崎窯業、日本鋼管、豊年製油、鈴与、清水港運送などに朝鮮人が連行された。日本軽金属以外は連行朝鮮人名簿がある。それ以外にも道路建設や港湾労働で多数の朝鮮人が働いていた。清水市北矢部の火葬場入口左側には無縁仏となった人々の骨を納める「清水市朝鮮人納骨堂」がある。清水の港湾には中国人も連行された。

 

E藤枝飛行場跡 大井川町上小杉

 海軍藤枝飛行場の建設は海軍施設部によっておこなわれたが、その工事を菅原組が請け負った。その配下には連行朝鮮人がいた。現在藤枝飛行場は航空自衛隊静浜基地として使われている。藤枝市瀬戸新屋に作られた弾薬庫建設にも朝鮮人が動員された。静浜基地周辺には朝鮮人飯場が数多くあった。

 牧之原市にあった海軍大井航空隊飛行場建設工事でも朝鮮人が動員された。大井航空隊専用の遊郭が金谷町におかれ、朝鮮人女性も連行されていた。

 

F大井川久野脇発電工事 川根本町

 大井川では久野脇発電工事がおこなわれ、間組と大倉土木が請け負った。その配下に2200人以上の朝鮮人が連行された。間組への連行朝鮮人350人ほどの名簿がある。下長尾の河原には「慰安所」もおかれた。境川ダム、長尾川の水路橋、水川川の導水路露出部、藤川竪坑、榛原川えん堤など当時建設されたものが数多く残る。観天寺の共同墓地には「三界萬霊塔」があり、そこには金金介・李春植・金弼純の名が記されている。

 

G中島飛行機掛川地下工場跡 掛川市本郷・遊家

 中島飛行機浜松工場はエンジンを生産していたが、空襲が激しくなったために掛川市の山中に疎開工場を建設することになった。この工事を清水組と勝呂組が請け負った。その下に2000人を超える朝鮮人が動員され、壕の掘削や道路の拡張工事をおこなった。本郷や遊家地区には地下工場跡の横穴が数多く残っている。桜木には飯場を改造した家屋が残る。本郷の共同墓地には「無縁供養塔」がある。静岡県内では中島飛行機の地下工場が三島にも建設されている。

 

H静岡市遊郭跡 静岡市葵区駒形通

静岡の安倍川近くの二丁町には遊郭があった。この二丁町の江戸楼と初音楼に1944年の7月ころ100人ほどの朝鮮女性が連行された。「慰安婦」として南方へ派遣される予定であったが、輸送事情の悪化による転送という。19456月の静岡大空襲によって焼け出され、一部は藤枝飛行場建設現場に送られたという。遊廓跡の大鳥神社の境内には遊廓の由来を示す碑があるが、空襲で破損している。江戸楼の跡には県の防災センターが建っているが、ここには性の奴隷とされた人々の歴史がある。