「韓国・朝鮮の遺族とともに 遺骨問題の解決へ」

2007夏全国集会参加記

韓国・朝鮮の遺族とともに 遺骨問題の解決へ」全国連絡会が企画した集会が2007年7月28日に神岡・高山フィールドワーク、29日に名古屋市内での全国集会のかたちでもたれた。 2000人以上の朝鮮人が
                                   連行された神岡鉱山
朝鮮人労働によって建設
された浅井田ダム

●三井神岡鉱山と朝鮮人遺骨

 1939年から45年の強制連行期、三井神岡鉱山では2000人の朝鮮人が強制連行された。三井神岡鉱山への電源供給のために神岡水電によって取り組まれた東町・牧の2つの発電工事でも、請け負った大林組と間組によって2000人以上の朝鮮人が動員され、そこには1100人ほどの連行者が含まれていた。連行期、神岡地域には鉱業や発電工事に4000人以上の朝鮮人が連行・動員されたわけである。

 戦時下の水力発電工事と鉱業の中で多くの朝鮮人が生命を失った。埋火葬許可証や厚生省名簿などから約50人の氏名が判明していたが、今回の集会にむけての事前調査の中で、神岡の寺院から約30体の朝鮮人遺骨が発見され、高山の寺院からも神岡からの移住者を含むとみられる戦後の遺骨46体が発見された。

これまで朝鮮人強制労働の調査や戦争責任の解決にむけてさまざまな取り組みがなされてきたが、朝鮮人遺骨の返還というテーマを軸に、これまでの取り組みが交差する形になった。未返還遺骨の存在は植民地支配の未清算を象徴するものであるからだ。

神岡調査では1965年ころの金蓬洙さんの埋火葬認許証調査を含む現地調査があり、その後、金賛汀さんの調査もあった。厚生省名簿の発見により、神岡鉱山への連行者の一部が判明し、その分析をふまえて水電と鉱山での強制連行の概要を示すことができるようになり、寺院での遺骨調査も取り組まれた。

2006年には強制動員真相究明ネットの下嶌義輔さんの努力によって、神岡水電工事現場で死亡した金文奉さんの遺族が済州島で発見され、今回の来日になった。また、韓国での真相糾明委員会の調査活動によって、神岡鉱山での強制労働体験者の金得中さん(全羅北道在住)の証言が得られた。金得中さんも今回来日して現地で証言した。

神岡での調査活動によって、死亡者リストを作成することができた。それをふまえた全国連絡会による飛騨市への真相糾明要求によって、飛騨市は戸籍受付簿から未解明の部分の住所の情報提供に応じた。遺骨と遺族の発見によって、史料としての戸籍受付簿の存在を明らかにできたのである。

飛騨市は両全寺に残されていた金文奉さんの遺骨の返還に向けて、文書発行などで協力した。

寺院では曹洞宗や浄土真宗大谷派が遺骨問題の解決に向けて積極的な活動をはじめている。曹洞宗は1992年に「懺謝文(さんじゃもん)」で戦争の加害への反省をおこなったことをふまえ、東アジア出身の遺骨問題の調査をすすめている。2007年の中間報告によれば、42の寺で350体・過去帳で510例を確認している。真宗大谷派は1995年の不戦決議を基に、「四海の内みな兄弟」という親鸞の命の尊厳と平等の教えを踏まえ、遺骨問題を大谷派自身の課題として捉えている。今年からは調査票を配布しての全国調査に入る。大谷派はこの調査を「宗門近代史の検証」として主体的に把握し、返還のみを主眼とせずに強制連行の実態調査とすることも確認している。

このように戦争責任を自覚しその反省を1990年代に行った宗派が主導するかたちで、全国各地の寺院での朝鮮人遺骨の調査活動がおこなわれるようになったのである。無縁とされた遺骨が寺院によって大切に保持されてきた歴史も明らかになった。これらの遺骨の返還に向けての、宗門から行政に対して情報開示・提供要求も出されるようになった。

● 7・28神岡フィールドワーク

 7月28日のフィールドワークはこのような現地での調査、遺骨と遺族の発見、連行体験者の証言収集がすすむなかでもたれた。今回の現地調査は高山別院での学習会の後、神岡に移動し、浅井田ダム、両全寺、洞雲寺での追悼、神岡鉱山現地見学などを行い、高山に戻り、本教寺での追悼行事で終わった。

金得中さんも現地調査に同行した。金さんは全羅北道益山出身、現在82歳。1941年に黄海道大同里の炭鉱に連行されたが逃亡し、群山の桟橋で米の荷役仕事をし、1944年2月ころに神岡鉱山に連行された。20歳のころだった。金さんは現場で発破をした石を砕いたり、ドリルで掘ったり、運搬する仕事をさせられた。金さんは落盤で死んだ朝鮮人もいたこと、連合軍捕虜も連行されていたこと、連行され母がとても悲しみ泣いたこと、南平には慶尚道出身の在日朝鮮人らが居住していたことなどを証言した。

神岡鉱山での採掘は2001年に終った。栃洞地区の建物の多くがすでにない。選鉱場近くから軌道を坑口へと向かうと途中で建屋が崩壊し軌道を埋めていた。高い柱にも草が絡みつき錆びた赤茶色の上部だけが露出している。南平の労働者居住区の建物の多くは壊され、草原になった段状の基礎跡が当時を物語る。

 神岡の両全寺には4体の遺骨がある。3体は子どものものであるが、1体が済州島出身の金文奉さんのものである。この遺骨を今回遺族の金大勝さんらが住職から引き取った。遺族は、寺院が遺骨を大切にしてきたことに礼を述べ、遺骨を子孫で永遠に守って行きたいこと、全国からの参加者の同席に感謝することを語り、最後に自分たちだけでなく他の家族の遺骨を探し出すことの必要性を涙ながらに訴えた。

遺族が判明した遺骨

 洞雲寺は毎年8月に神岡鉱山での殉職者の追善供養を行っている寺である。供養では4人の朝鮮人名が読まれているという。洞雲寺には2体の遺骨があり、過去張には13人の名が残されているという。今回の調査で戸籍受付簿から、遺骨のひとつ李道致さんの本籍地が確認された。今回おこなわれた追悼式では現在判明している神岡関連の81人の朝鮮人の氏名と死亡年月日が読み上げられ、それに合わせて全国からの参列者によって81本の花が捧げられた。戦後60年余を経て、鉱山と関係の深い洞雲寺で、判明分ではあるが神岡での朝鮮人死者追悼会がもたれたのだった。

新たに連絡先が判明した遺骨

 神岡の円城寺には神岡鉱山内にあった神岡寺(廃寺)の遺骨が預けられている。鉱山内の光円寺には6体の朝鮮人遺骨がある。遺骨の氏名や住所だけではなく、連行の実態を含めて、その真相が明らかにされるべきだろう。行政や企業側からの情報提供がもとめられる。

 高山の本教寺には戦後に死亡した無縁の朝鮮人46体分の遺骨がある。これらは1947年から1983年かけてのものである。この寺の近くには朝鮮人集落があったから、民団や総連の会館も残っている。寺の本堂を借りて会合が開かれていたこともあった。高山での戦後の集落形成は白川ダム、朝日ダム、神岡、萩原などからの流入によるという。前々住職が経済的に困難な人々の遺骨も差別せずに扱い、他宗派の朝鮮人遺骨もこの寺に集まってきた。独身者の遺骨が多く、2006年には日韓合同調査団も訪れ、高山市役所での調査で26体の本籍が判明している。骨壷の中には死体火葬許可証などの資料が入っているものもある。

 フィールドワークは多くの遺骨と対面し、それらの歴史と対話するものであり、濃密な時間だった。

 

●       7・29「韓国・朝鮮の遺族とともに 遺骨問題の解決へ」全国集会

 7月29日には名古屋市内で全国集会がもたれた。

集会の最初に、共同代表の内海愛子さんが朝鮮人の戦後処理の問題点について述べた。内海さんは植民地支配の責任を取らなかった例として、朝鮮人の引揚については連合軍に肩代わりさせ、援護法では国籍条項で排除し、朝鮮人の遺骨収集は放置されたことをあげ、現在の遺骨問題は日本の植民地支配の未清算を象徴するものとした。そして市民の力によって返還を実現し、植民地支配の清算をすすめることの意義を語った。

韓国の真相糾明委員会の朴聖圭さんは、真相糾明委員会の被害者認定、真相糾明、遺骨調査などの活動を紹介し、市民運動との協力の重要性を示し、この集会を政府と市民団体が協力していく出発点にしようと呼びかけた。

「恒久平和のために真相究明法の成立を目指す議員連盟」幹事長の近藤昭一さんは真相究明のための法律をつくり、人道上の問題を与野党の壁を超えて取り組んでいくことを語った。

続いて、神岡に連行された金得中さんが証言し、遺骨を受け取った金大勝さんが心境を語った。

ノリパンによる巫儀の追悼舞踏の後、上杉聡さんが基調報告をおこなった。基調報告では2005年6月の日本政府の遺骨調査の開始以後、すでに2000体の遺骨情報があることを示し、曹洞宗や真宗大谷派の調査状況を紹介した。そして、さらに調査をすすめること、死亡者のリストを作り、行政や企業、韓国政府の協力を得て返還実態を確認すること、戸籍受付帳によって神岡での80人中50人の本籍情報を得ることができたことから、この戸籍受付帳から全国各地の朝鮮人死亡者のリストを作成できるとした。戸籍受付帳が法務省の管轄であり、政府自身が死亡情報を持っている。この史料の全面開示によって身元確認が可能になり、それによって遺族への遺骨の返還が可能になると今後の展望を示した。また、民間と政府との協力により、遺骨問題を友好運動とし、遺骨返還から本格的な植民地支配に清算に向かうべきと呼びかけた。

 曹洞宗の人権擁護推進本部からは500人分を確認したが、身元が判明したのは21体であり、返還には政府の情報開示が不可欠とした。真宗大谷派の解放運動推進本部からは、宗門の近代史の検証活動として位置づけ、冊子を作って教区ごとの取り組みを始めていくことが紹介され、返還だけでなく、どのように生きどのように亡くなったのかという経過も糾明し、アジアとの新しい関係をつくっていきたいとした。

 集会では最後に北海道、長崎、愛知からの報告がなされた。

 北海道からは北海道フォーラムの殿平善彦さんが、浅茅野陸軍飛行場工事での90余の朝鮮人死者とその遺骨の発掘活動を紹介した。殿平さんは、遺骨が札幌、室蘭、美唄、根室、赤平、浅茅野、幌加内、鷹泊などにあるが、国家の責任で返還してほしいという遺族の思いに早く政府が答えるべきであり、遺族の思いに答える運動をすすめようと呼びかけた。

 長崎からは山下直樹さんが高島で亡くなった沈載?さんの歴史を紹介した。沈さんは佐賀の潜龍炭鉱に連行され、8・15を大村飛行場で迎え、高島で生を終えた。遺骨は今も高島に残されている。山下さんは、遺骨が返還されれば強制連行の問題が終わるのか。三菱高島炭鉱には遺骨はないが、その戦争責任が問題。在日朝鮮人に希望ができるような遺骨の返還をすすめるべきとした。

 愛知からは朝鮮半島出身者遺骨調査会の趙賢さんが東山霊安殿の朝鮮人遺骨問題への取り組みを紹介した。趙さんはこの問題の解決を通して、歴史を明らかにし在日が堂々と生きていくことができる契機としたいとし、遺族調査、納骨状況の改善、追悼式の実行などを課題とした。

 集会ではさまざまな思いと解決の問題提起がなされた、最後に集会決議が採択された。そこには政府に対して、戸籍関係資料や年金・供託名簿を公開すること、死亡までの経過を調査すること、遺族への返還の費用を人道面から負担することなどの要請項目が含まれている。

 戦後60年を経て始まった朝鮮人遺骨返還の取り組みが今後一層すすみ、真相が究明され、その活動が友好平和の基礎となることを願う。      (竹内)