浜松大空襲で生き残ったプラタナスの下の反戦平和のメロディー

浜松駅前、平和アピールの報告

●10月8日

 アフガンへのアメリカの報復攻撃の日、10人でチラシまき。インターネットでみて豊橋から2人が参加。「学生時代以来のチラシまき」とのこと。説明をうけたインドネシア人は「趣旨に賛成」という。アピールに賛同する市民が多くいた。なかには攻撃は「当然」という若者もいた。SBS静岡放送で放映され、翌日の中日新聞にはチラシまきとインスタレーションがカラー写真で紹介された。浜松在住のパキスタン人にインタビューをしたところ、「ここにすんでいる私は日本人のよさを知るが、パキスタン現地の人々は日本に対し反感をもつようになるだろう。過去アメリカがやってきたことをみれば攻撃はあやまり」と発言。

●10月13日

 木元茂夫さんを招いての集会の前に宣伝行動。高校生が声をかけてきてくれた。10人参加。

●10月21日

 この日は基地前での行動。インターネットをみて一人の女性が参加。静岡からも支援に参加。

●10月26日

 バイオリンの演奏に足をとめ聞き入る人も多かった。NO!NO!Bandの三線団も演奏。中日新聞に紹介記事が掲載された。通りかかった女性が「こういう活動をする人がいないかとまっていた。募金をしましょうか」といってくれる。10人が参加。

●11月3日

 この日は雨。5人で短時間ではあったけれど、横断幕を広げて、平和アピール。

●11月17日

 市民の木の前はフォルクローレの演奏グループが占拠。横の方で幕をひろげ、演奏の終了後、市民の木前へと移動。浜松基地周辺住民がインターネットでみたと激励の言葉を残して去った。8人でチラシまき。テロ対策法NO!をアピール。

●11月25日

 国際平和集会ののち韓国・ネパールのゲスト、在日アメリカ・イギリス人も参加して15人でアピール。静大の学生がじっとチラシを読み込む姿も。アルゼンチンから来日してきた沖縄出身者がバンドの三線のメロディーに聞き入っていた。クリスマスツリーの下での平和アピール。このあと、インド料理店で交流会。

●12月1日

 高校生が声をかけて去った。浜松大空襲の体験者が近寄ってきて「俺は戦争反対。浜松のここらへんは艦砲射撃などで死体がごろごろしていた。肉片が飛び散っていた。小泉は本当の戦争を知らないからあんなことを平気で言えるんだ。今の若者は戦争になったら逃げるというが、国がやっている戦争でそんなことはできるわけがない。がんばってくれ」と発言。5人でアピール。

 署名用紙をみて「あとで投函します」という女性。女子高生5人が署名用紙に連名し、派兵に反対するメッセージを書いてその場で渡してくれた。

●12月15日

 この日は寒かった。三線をひきおえ、韓国料理店で夕食。アフガン空爆、テロ対策法、日本の参戦(出港、空輸、給油)、PKO法改悪と9〜12月はこの国が戦争・参戦国家へと大きく展開した季節となった。

    

12月末には「不審船」への攻撃・交戦・撃沈とこの国が参戦体制をとるなかでの戦闘がくりひろげられ、有事立法制定への一大キャンペーンが「北朝鮮」脅威論をバックにくりひろげられている。アメリカの軍事情報⇒防衛庁の「不審船」追跡指令⇒海上保安庁による威嚇攻撃・交戦・船中央への攻撃・撃沈、それも公海上で。TVでは「正当防衛」による攻撃の字幕とともにそれが流される。

 海上保安庁に「武力行使」をさせ、海上保安庁では不十分だから海上自衛隊による「武力行使」を、「有事立法」をとの宣伝がおこなわれている。2002年、反戦平和の活動がますます必要になってくる。

(井+池+森+竹)