11・17満月まつり浜松コンサート

11月17日16時から浜松市甘露寺で満月まつり浜松コンサートがもたれた。この日は快晴、17
時ころには満月が姿をあらわした。月桃三線団・高校生のグループ・地引浩・NO!NO!BAND・
オショーズ・尺八団・ボリビアの笛吹きなどのグループや個人が演奏し、80人が参加した。

浜松の虚無僧寺で作られ現在に伝承されている尺八の曲、ケーナ、サンポーニャ、チャランゴ
で演奏されるアンデスの民の歌、花や豊年音頭などの沖縄の曲、反戦平和の歌などが境内に響
きわたった。

いつの時代にも支配するものたちに都合のいい情報が流される。とりわけ戦争報道の時代には
それが顕著だ。海のかなたですすむ戦争と参戦の中で日米共同訓練の内容はほとんど報道され
ない。今回の満月まつりは沖縄・韓国など各地でとりくまれ、日本の軍事が「専守防衛」「自衛隊」
の概念とは違う行動をとり、現実の参戦の隠蔽がすすむなかで持たれた。各地で音楽の場が共有
され、示されない現実を見抜き、基地のない平和な社会への想像力と志が語られていったといえ
るだろう。

地引浩は、われわれはクズでもゴミでもない人間だとし、言う。

「耐え抜いて 志捨てずに 人でいる 人でいる」と。

                        NO!NO!BAND(T)


11・24浜松基地平和広報活動報告

1月24日11時から、浜松基地航空祭に抗議し、平和広報活動をおこなった。参加は12人。

今年の基地祭は浜松基地開庁50周年とされ、T4・19機が大編隊を組んで空中に50の文字
を描き、ブルーインパルスの曲技飛行もおこなわれた。航空祭前の数日の間、背面、尾翼振り、
低空、集団飛行などの訓練をおこない、浜松基地上空には騒音がひびきわたった。

当日は8時すぎから、T4やAWACSが低空で飛行し、9時すぎにはF15やF2が大気を切り裂
くような金属音と重低音をひびかせた。F15は低空で各方面を旋回したためこの音には多くの市
民が耳を覆った。基地正門には抽出による車両点検やボディーチェックをおこなうという看板まで
出された。

正門横に反戦平和の幕をならべ、その後基地正門にいき、基地へと要請書をわたした。基地
側は事前の折衝で対応拒否回答や要請日変更などをもとめてきたが、結局、要請書を受け取っ
た。

要請の後、基地正門から基地広報館に向かって行進した。自衛官や基地祭参加市民に向か
って、AWACSはいらない、有事法はいらない、子どもたちを戦場に送るな、自衛官を戦場に送
るなといったコールが響いた。

平和広報の後、基地内を歩いた。AWACS配備後、警戒航空隊の建屋周辺は「基地のなかの
基地」となり、航空祭は基地北側でおこなわれるようになった。基地内での施設の新設工事もす
すんでいる。太陽電池の警報ポストが鉄条網ちかくに置かれ、警報用コードがその周辺にはりめぐ
らされている。 

 基地内の資料館内は展示ケースなどが新調されて見やすくなった。戦死者や特攻隊を展示す
る場所は「栄光の間」とされ、靖国のポスターまで貼ってある。資料館の横には陸軍爆撃隊発祥
の碑があり、そこにはアジア各地を攻撃し「特攻隊」にもなった歴史が肯定的に刻まれている。か
つて「国土防衛」の名によっておこなわれた行動を、アジアの民衆の立場から見つめて侵略とする
視点はなく、「特攻」という自爆攻撃を誤りとする表現もない。戦争責任の視点も皆無だ。

その基地の中に集まった人々の数は基地側によれば10万人。平和広報に参加したメンバーは
ひとり1万人を相手にしたことになる。表現の自由・請願の権利など、市民の権利は行使することで
その表現領域を拡大していく。

なお、11月19日に浜松市長は防衛庁を訪れ浜松基地への空中給油機の配備除外を要請した。
 今後は市長が導入配備反対へとその意思をたかめることを望む。   (T)