浜松を再び戦争の拠点にするな!

            AWACS浜松配備通告から10年

                           

AWACS[空中警戒管制機]を浜松基地に配備するという通告が浜松市になされたのは1994年の8月だった。すでに93年から浜松配備の動きが報道されていた。そのなかで反対する人たちの一部がいう、「浜松に来なければいい」「浜松が攻撃されることになる」という発想に対し、「AWACSそのものにNO!」「浜松を再び派兵拠点にするな!」という視点で活動をすすめてきた。

それは、浜松の基地がかつて陸軍爆撃隊の拠点であり、その侵略による加害の歴史をふまえる視点に立つことで、配備されるAWACSの管制指揮のもとで攻撃され死を強いられる人々を再びつくらせない、という想いがあったからである。

しかし、かつて浜松から派兵された空爆部隊がアジアで何をし、人々にどのような被害を与えてきたのかについて、明らかにされていることは少なかった。最近、三方原教導団という毒ガス戦部隊、飛行第十二大隊という満州侵略での派兵部隊について調査したものを記したのだが、中国・シンガポールそしてインドのカルカッタに至るまでの空爆の歴史について記すことは今後の課題となっている。

さて、AWACSは98年・99年と計4機が配備され、2000年には実戦運用が始まった。この年の夏には、日米の共同訓練に投入され、01年にはグアムへと共同訓練に送られ、03年にはアラスカで共同訓練をおこなった。この動きに並行して浜松に空自の広報館ができ、基地祭でのブルーインパルスの曲技飛行も再開されるようになった。それは新ガイドラインによる日米安保の世界化、有事法の制定の動きとともにあった。

いま、日本のイラク派兵がおこなわれようとしている。04年1月17日、17時から浜松駅北口でアピールをおこない、その後『イラク派兵を問う連続講座』をもち、そこで小牧基地の歴史と現状を愛知の仲間が報告する。現在何が問われているのかをともに考えていきたい。                         (竹)   2003.12