「君が代不起立」を見て 2007・7・22

 

● 主人公の一人根津さんの行動をみてその処分について校長に怒鳴り込んだという中学生の少女の想いと行動に感動した。そのかの女が卒業し、昼間働き夜間高校に行くという。こうした人間にこそ手厚い教育を受けさせたいと思う。社会の格差が本来価値をもつ人間を排除していく現在を無念に思う。思うことを私自身の行動とできるのか、できないのか、自分を問う時間だった。                        (O)

● この社会が、通達社会、服務社会であり、人権社会ではないことを示す映画。本来、抗命権があり、人間の尊厳が大切にされるべきだが、実際は学校の前で民主主義は死ぬという奴隷社会だ。不服従が権利である社会でありたい。            (T)

● 天皇に見せたい映画。TVではさかんに金正日を讃える映像が批判的に流れているが、この「君が代」を批判的に流す映像を作るべきだ。      (I)                        

● 板橋で抵抗した高校生の意思などを考慮しない大人たちでいいのか。  (S)

● 保護者として不起立だったことがあるが、長い時間のように感じた。処分を前に座り続けることはすごいことだと思う。                (M)

●JRではバッジ着用で処分され、再雇用が拒否されることがある。遅刻や欠勤がなくても、実績ではなくたてつくものを処分するということだ。かの女たちを孤立させている労働組合とは何か、その責任も問われる。  (M)             

●人の痛みなどを感じない政治家が放言を繰り返す。彼らが歴史を否定する嘘をいっても逮捕はされない。君が代を批判すれば処分され、藤田さんのように懲役刑まで要求されるとはひどい話だ。イラク戦争下での政治弾圧と見るべきだ。         (Y)

 

「君が代不起立」上映後の学校現場からの報告

 はじめに「君が代」強制の経過についてみておけば、1989年に君が代が学習指導要領に折り込まれ、1999年には国旗国歌法が制定される形で強制されてきました。この1999年は新ガイドライン関連法(周辺事態法)が制定された年であす。つまり日米の共同作戦体制が作られていく中での愛国心の強制であるわけです。80年代後半では沖縄で、90年代後半には広島での君が代の攻防がありましたが、99年以後、これまで抵抗の強かった東京・神奈川・大阪などでの強要攻撃が強まりました。 

 東京での強制を象徴するものが石原都政の教育委員会による2003年の10・23通達です。イラク戦争が始まり自衛隊のイラク派兵が準備される中で、この通達の下で君が代日の丸強制がおこなわれていき、処分が乱発されるようになります。1万人教員がいても不起立者は200人という状況になり、さらに切りくずしがおこなわれていくのです。この映画では根津さんや河原崎さんのように自己の良心をまげず不起立を貫く人々や予防訴訟で闘う人々を描いています。私も不起立ですが、静岡では君が代日の丸がすでに強行されているので、静岡では特に問題にされていません。

 さてこのような強要の背景には、グローバリゼーションあわせた国家による教育再編があり、その柱は競争の強化と愛国心強制の2つです。民営化し、競争を強めて格差をつくり、戦争にも対応できるようにするというわけです。それにむけ、2006年12月には教育基本法を変え、この6月には教育関連法を変えて、免許制度の更新性を入れ、学校への主幹制の導入や教育委員会への国家の介入を強化しました。統制のために教職員評価を導入して現場での管理を強め、東京では賃金に反映しています。君が代による処分はこの教育再編に抵抗する現場の力を統制するためのものです。服従の学校を作り、戦時にも動員できるようにしているということもできます。

 静岡ではこの教職員評価は今年度から全県試行が始まりましたが、職場で反対署名をとっても多くの職員が署名し反対の意思を示します。私の職場では、日ごろ生徒に些細なことでパワーハラスメントを起こし、周囲に迷惑をかけて顰蹙を買っている職員が署名には非協力というのが特徴です。管理職も多忙となり、昨今の政治状況の中で内心では反対しています。賃金にまで反映する制度は職場の人間関係を悪くします。社会でより格差が強まれば、より問題が起きるのが教育現場です。グローバリゼーションによる新自由主義的な教育再編によって今の教育の問題が解決できると考える人は少ないのです。

 現場レベルでいえば、人間を信頼し、子どもとかかわりを深めることで信頼が生まれます。人間の命と尊厳が教育の核心です。格差を作ることや選別を強めることではなく、個々人の成長と自立のために教育があるわけですから、この地平から希望を作っていくことだと思います。