山本英夫写真展「沖縄・辺野古 この海と生きる」によせて
2009年2月16日から22日にかけて、山本英夫さんの写真展「沖縄・辺野古 この海と生きる」が東京・東中野のPAOギャラリーで開かれた。山本さんは2005年から09年にかけて計13回の現地取材を繰り返している。21日の夜にはミニコンサートと作者のトークの場がもたれた。
展示は、1ああ美しい海、2ひとびとはこの海に集う、3日々、これたたかい、4辺野古を取り巻く基地再編、5この海と生きる、の順に構成され、50枚ほどの写真が展示されている。
作者は、「青い海」から「この海」へと認識が深化したという。辺野古に通い、人々と出会い、海に出て、そこで基地を建設する側と対峙した体験が、海とともに生きる思いをより深めることになった。それは、傍観しての「青い海」ではなく、自らのいのちを支えている「この海」を自覚してのことである。
展示されたものに、キャンプシュワーブで訓練する2人の米兵の姿や水陸両用戦車の写真があった。ミリタントな風景にはそれ自体、力があるのだが、これらの写真が他の写真の群のなかにおかれると、そのような風景に力を感じること自体への問いを発するようになる。本当は黒サギやミサゴ、干潟に暮らす生物たちとともにあり、それらに心を寄せるはずの生が、いまでは、どれほど疎外されるようになってしまったのだろう。
辺野古の河口には干潟がある。キャンプシュワーブの鉄線に目が行ってしまいがちだが、山本さんはいのちを育む干潟をしっかりと捉えている。この干潟から世界を捉えかえしていくべきなのだろう。
写真の中には2008年に54歳で亡くなった活動者でうみんちゅの「ひさ坊」や2007年に亡くなった命を守る会の代表金城祐次さんの姿がある。船主の「ひさ坊」の死を追悼して、かれを送る船や若者の姿も写されている。この地へとさまざまな生が集い、この海を自らの命の根源として捉え、この海を破壊するものと格闘し続けてきた。写真はそのような多くの生の存在を静かに告げ、死者の果たせなかった想いを継承することを呼びかける。
辺野古の海上基地建設のたたかいは、カヌーを漕いでの海上戦だった。カヌー2隻が調査船を阻止する写真がある。海に出るためには毎日のカヌーの手入れが不可欠だ。海に出る仲間を送り、おじいやおばあが来訪者に語りかけ、人々が心と心でつながる。写真はそのような日々を切り取っている。
展示された写真を見つめ、写真展で弾き語られる歌を聴いていると、この海に寄せて言葉が浮かんでくる。
海につどう、海に生きる、海に語る、海に浮かぶ、
海はつながる、海はつつむ、海は育てる、海はいやす、
海はたたかい、海はいのち、
想いを見つめ、心を澄ます、
いのちの海に、基地はいらない。 (竹内)