2009夏 沖縄

 沖縄へ行く楽しみの一つに本屋があります。リュウボウの7階に「LIBRO」があり、毎回、荷物を宿舎に預けると最初に行く場所です。『沖縄』のコーナーは特に楽しみで、今沖縄で何が話題になっているのかを感じ取ることができます。今回目に付いたことは、去年も少しありましたが【集団自決】に関する本が10冊ぐらい並んでいました。平積みされていた本の作家の名前だけ挙げますと、秦郁彦、小林よしのり、曽野綾子、鴨野守、林博史、栗原桂子、安仁屋政昭等々、あと出版社のものもありました。2000年高文研から出版された宮城晴美さんの本がきっかけになっているのでしょうが、「集団自決」は日本軍の命令であったのか、否か、が焦点になっています。
 この宮城さんの本の中に、母、初枝さんの「梅澤隊長は玉砕命令を下さなかった」と言っていたという一文がありますが、この一言が大江裁判、岩波裁判に利用されました。さらに、文科省はこの訴訟を理由に高校歴史教科書から「集団自決」の日本軍の関与・強制の記述を削除させました。宮城さんは多くの批判にもさらされたのでしょうが、何よりもこのようなことが宮城さんの本意ではありません。琉球大学大学院に入学し、真実は何か調べ、学び、この間にいろいろな新しい証言も現れたりし「母の遺したもの、新版」(高文研)を著しました。この本は去年も店頭に並んでいましたが、今年はそれを取り巻く本の多いことに驚きました。

 

辺野古・高江

 今回の沖縄行きの大きな目的は「辺野古に長く座っていたい」ということでした。2004年4月からですから丸5年が過ぎました。おじい、おばあの座り込み8年間を忘れてはいけませんが1949日目から1952日目まで座らせてもらいました。座り込みに参加している人数は減っています。知り合いの人たちも「最近はあまり行かなくなった」と言っていました。少し寂しい気持ちになりました。しかし、テントのなかの雰囲気は和やかで、また、来客も相変わらず多く、説明する人の数が足りなくなるような状態もありました。海上では今も環境アセスメントのための調査は行われています。
 しかし、以前のように体を張って阻止する反対行動はとっていません。海に潜って反対行動をとっていると、防衛施設局に雇われたプロで屈強な潜水夫たちが、調査を止めている人たちの潜水バルブを閉めるなど、何時死人が出てもおかしくないような状況になったようです。ヘリ基地反対協の人たちの「もし、死人が出たときに責任を取れない」というのが主な理由らしいですが、皆で協議の結果、他の方法で基地建設を阻止していく方針になったようです。

 そして、8月18日、「米軍普天間飛行場代替施設建設に伴う環境影響評価(環境アセスメント)」手続きに不備があるとして県内外の344人が、国に対し方法書や準備書作成をやり直すよう求める行政訴訟を那覇地裁に起こしました。ヘリ基地反対協や、アセス法や環境問題に詳しい専門家、普天間基地県内移設に反対している人たちがメンバーで、アセスメントのやり直しとともに、方法書、準備書について意見を述べる機会を侵害されたとして原告一人につき慰謝料1万円の国家賠償を求めるものでした。この裁判に勝てれば、もしくは長引かせることができれば、2年は稼ぐことができる。そうすれば、米軍はしびれを切らし新基地も断念せざるを得ないのではないか、というのが原告団のねらいのようでした。

 印象に残った言葉を記します。

     民主党が政権を執ったとしても、マニュフェストには、「基地の県外移設」は書かれていません。しかし、沖縄では「県外移設」をことばにしているのだから、私たちがしっかり実行させなければいけません。

     辺野古へ来る那覇防衛施設局の官僚は、3年間何も起こらなければ、東京へ帰って出世します。あの守屋武昌もここに来て出世していきました。だから彼らは辺野古へ来て「何もするな」と、反対派の人たちに向かって言ってきます。沖縄で起こっていることに対して責任を持って何かを変えていこうとはしません。こんな連中に我々の税金で、高い給料を払っているのかと思うと腹が立ちます。

     福井県から来ていた学生村(小学校高学年〜高校生)の生徒に「いやなことはいやと言えるようになってください」と、言っていた。

 

高江では1時間程度しか座り込みに参加できませんでした。昨年も書きましたが、高江にはあまり人が来ません。一人で来る日も来る日も炎天下の中、座っているのは本当に大変だと思います。佐久間さんは、「皆が言うほどでもありませんよ」と、笑っていましたが、「死ぬまでにはこんな生活はやめたいね」と、言っていました。本当にこんな闘いはしなくてもすむ世の中にしなければなりません。そして、佐久間さんの健康を願わずにはいられませんでした。

 

今回10日間の旅で、この他に「風の里」、「まーみなー」、「ひめゆり資料館」、「県立平和資料館」、「佐喜間美術館」、「コバルト荘」等にお世話になり、貴重な話を聞かせてもらいました。私流に言わせてもらえば、『Deep10日間』でした。この体験を少しでも浜松で生かしていけたら、彼らにも少しは恩返しになるのかなあ。9月から少しは元気に暮らせそうです。                                                  ( 池 )