2009・11・12 天皇在位20年・奉祝に異議あり!静岡集会

 

11月12日、天皇在位20年の「奉祝」に抗議して、「異議あり!静岡集会」がもたれ、50人ほどが参加した。集会は、侵略上映委員会、歌人集団「月光」静岡、中部地区労働組合、横浜事件再審ネット、ピースサイクル静岡、人権平和浜松などによる実行委員会の主催でおこなわれ、実行委員会構成団体による挨拶の後、異議あり!共同行動の桜井大子さんが『象徴天皇制と日本社会は今』のテーマで講演し、浜松のNO!NO!BANDが「反奉祝歌」などを演奏した。


 

以下、桜井さんの講演を要約しておく。

 

 こんばんは、静岡の皆さん。反天皇制運動連絡会、異議あり!共同行動の桜井です。きょうは東京で奉祝に反対する集会とデモがおこなわれ、180人が参加しました。

象徴天皇制が始まって64年、アキヒト天皇制から20年の現在、今日はこの「天皇制民主主義」の問題について考えてみたいと思います。

戦後は、天皇制と「平和」や「民主主義」が結託することで始まりました。いま、日本社会は象徴天皇制を「民主主義」と呼び、戦争国家を「平和主義」とし、監視社会を「安心・安全な社会」とみなしています。とくにこの20年は「平和と護憲」の名のもとで海外派兵と貧困が進みました。それは欺瞞とペテンの20年でした。

まず、この国の「民主主義」についてみてみます。

天皇による園遊会や叙勲などがおこなわれていますが、そこでは天皇がすべての権威を超越した最高権威者として現れます。そのような存在からのお褒めの言葉を、嬉々として受け止める「民意」があります。このような「民意」の特徴は、戦時下の天皇制の暴力を批判せず、無抵抗なまま現在にスライドさせているもの、あるいは戦前からの身分制度を批判できないという体質によるものといえます。

天皇の「お言葉」についてみれば、「より天皇の思いが入ったお言葉」を求めるという発言に対し、「不敬」といった批判が出されています。けれども、天皇の国会への出席や「お言葉」自体が本来、民主主義に反するものであり、憲法違反です。

天皇・皇后は日本記者クラブ40周年パーティに出席し、そこでは日経新聞の専務取締役が、自由な言論の砦として歩む旨を述べています。しかし、マスコミは天皇一族に対して、天皇族用敬語を使用し、差別を繰り返しています。それは不自由のなかでの「自由な言論」です。

最近の奉祝をめぐって、政府式典の実施、都道府県議会での『即位20年賀詞』の動きなどをみれば、天皇賛美の「全体主義」的な空気が蔓延し、それを受け入れていく社会的な雰囲気があります。それは天皇制の下での「平等」「民主主義」を示すものです。天皇制に反対するものへは、右翼が襲撃し、警察が監視・弾圧してきます。異議を唱えるとその暴力が現れるのです。天皇制の「慈愛」というものは、暴力と排外主義がセットになっているものです。

つぎに天皇制の下での平和主義についてみてみます。

ヒロヒトは戦争責任をとらないまま「平和天皇」となって地位を維持しました。かれは戦争の記憶を貼り付けたまま、戦後の「平和」と「復興」の象徴になります。日本社会の多数はヒロヒトが「実は平和を愛していた」というペテンを受け入れるのです。公的責任と人柄を混同させることで免罪がおこなわれたのですが、そこには、最高責任者を免罪することで自らを免罪するという天皇と民衆との共犯関係があったと思います。

さてアキヒト天皇ですが、グローバルな戦争の展開とそれへの派兵・戦争国家化がすすみ、グローバルな格差形成と貧困、環境破壊がすすむなかで、アキヒトは「平和」「民主主義」「環境」の天皇として登場してきました。かれは皇室外交をすすめ、ヒロヒトの後始末をおこない、新たな派兵にむけての外交をすすめてきました。この20年は、慰霊と派兵のための法整備がすすめられた歳月でした。アキヒトは、「平和」を語りますが、それは派兵のなかでの平和であり、かれが語る「慈愛」は差別を隠蔽するものです。社会の民主化のなかで天皇自身の発言の領域も広げられてきましたが、それは本質を隠蔽する役割を広げてきたということでもあるのです。

最後に最近の天皇制の特徴をみておきます。ひとつは「外交天皇」として実際には元首として政治的な役割を担っています。また「民主天皇」として「開かれた」天皇を意識します。さらに、「慈愛」を強調し、過酷な現実を隠蔽する形で「祈る天皇」として現れます。また女性天皇を認めるという議論もでてくるでしょう。

これまでの右翼的な天皇制からは訣別し、平和と民主を強調する天皇制に変わっていくでしょう。他方、天皇制の暴力的な側面は草の根右翼・排外主義の形で強まっています。かれらは歴史的事実を無視し、デマと口汚い言葉やときには暴行をもって反天皇制の運動に敵対しています。

象徴天皇、平和と民主主義の天皇なら問題はない、跡継ぎもなくそのうち滅びるだろう、という意見もあります。しかし、天皇制の存在は、民主や尊厳、道義や正義に反するものであり、差別や排除を生むものですし、欺瞞と虚構そのものです。今生きているものとして、象徴天皇制の問題点を見極め、真の意味での民主主義と平和を実現するためにも、天皇などいらない、の声をあげ、天皇制を廃絶する活動をすすめていきましょう。(以上要約)


 アキヒト天皇制の20年はグローバル戦争と格差・貧困拡大の20年だった。この国は過去の戦争責任については国家無問責を語り、新たな海外派兵を繰り返し、君が代を強制し、労働者の権利を侵害し、派遣拡大・大量解雇を繰り返すようになった。本当に、「民主」を語り、「慈愛」を示すのならば、アキヒトはその地位を放棄すべきだろう。天皇制の存在そのものが差別であり、他者の尊厳を侵害し、隷属精神を生んでいくものである。それは差別・侵略・抑圧の体系である。近代150年のなかで、天皇の名によって死を強いられた人々のことを忘れてはならない。 この天皇制によって形成されてきた「呪詛」は消すことのできないものであると思う。                                                              (T)