山本英夫写真展HUTENMA 2010・4

 

東京・東中野のギャラリーで山本英夫写真展HUTENMAが開催された。昨年は辺野古がテーマだったが、今回は普天間である。写真展は、1 この現場から始まった 2 沖縄戦・占領から65年 3普天間基地・海兵隊 4 日常を覆う事件・事故 5基地撤去を迫る人々 6これは沖縄問題か で構成されている。

1で山本は、普天間基地の内部に奪われたままの亀甲墓をみて「胸郭が震えた」と語る。国家暴力が墓地を収奪して基地をつくるという行為は、日本が朝鮮半島でもおこなってきたことでもあり、ドイツがユダヤ人の墓石を破壊して道路に敷き詰めた例もある。このような国家による祖先の存在さえも破壊していく行為を眼前にすることで、自らの表現行為の根源が問われ、「胸郭が震えた」ということなのだろう。それは、撮る者に対して、死者の声がその歴史を語ることで、その表現を問いつめたといってもいい。

2では戦争で破壊された浦添の城跡、沖縄戦での醴泉の塔、青丘の塔、収容所跡の民家などが提示される。大山地区住民の1400人のうち405人の名を刻まねばならなかった人々の悲しみはあまりにも深い。このように沖縄戦のなかで地域そのものが破壊されていったことについては、幾度もふりかえり、一人ひとりの死の地平から、その歴史を学んでいかなければならない。青丘の塔の沖縄戦に動員され、その氏名さえ不明のままの朝鮮人についても同様である。また、地域復興の歴史が散在する遺骨を収集する中ですすめられたことも想起しなければならない

3では海兵隊基地の実態が示される。2014年までにCH46がMV22オスプレイの変更される動向、KC135のタッチアンドゴー、ホワイトビーチの強襲揚陸艦エセックス、高江でのヘリパッド、上陸訓練の兵士など、海兵隊が海外に派兵され、攻撃を加えるという侵略の部隊であることがわかる。KC135は空中給油機であり、巨大な機体である。それが住宅地上空でタッチアンドゴーをおこなうことは危険であり、おおきな騒音をもたらす。ヘリの騒音も大きいものである。これらの写真は幾度も訪れる中で切り取られた風景である。

このような基地のなかの沖縄では、4に示されるように事件事故が絶えない。住宅街の窓に鉄の格子がはめられている風景や普天間高校の入り口に英語でグランドは生徒のみ使用と記されている風景は異様であり、この街が米兵による侵入事件の歴史を幾度も経験してきたことを示している。沖縄国際大学のヘリ墜落現場の写真も示される。この事故処理の経過は、沖縄の所有者がアメリカであることを示している。近年話題になり、その大枠が明らかになりつつある密約問題をみれば、アメリカによる間接統治が継続したままであることがわかる。

5では、このような状況で基地撤去を求める人々の姿が示される。そこには、浦添の金曜集会、普天間騒音訴訟団の結成、保革の首長が共同して組織した反対集会、2010年名護市長選での勝利、普天間野嵩ゲート前での集会、市民演劇の場面などがあり、基地の即時撤去をすがすがしく語っている市民のまなざしも示される。これらの風景は、基地の撤去に向けて沖縄の戦後の歴史を清算し、この大地を沖縄人自らのものにしようとする大きなうねりがあることを感じさせる。

6では東京を中心に反戦運動の風景が示される。アメリカ大使館前や防衛省前での行動などが示され、武力をふりかざす自由と民主への問いが発せられる。また、沖縄国際大学のヘリ墜落事故で焼けた木のモニュメントの前での東京の学生の姿が未来への希望として示される。

この展示全体を通じて、山本は「沖縄に向き合うという質」とは何かを問う。今回の展示は、墓地さえも奪われたままの沖縄の歴史的現在から出発した。前回の展示では「青い海」から「この海」へと主体の転回を示したが、今回は、人間の存在が歴史や文化から切断しえないものであり、それを切断している国家暴力・基地の存在を示した。この歴史や文化は存在の深い地点での抵抗の根拠であり、破壊してはならないものである。写真展からは、沖縄戦をはじめ国家暴力によって切断された死者の声、墓石の声を聴くようなまなざしで、あらたな平和の文化を創造すること、そのような課題の提示を感じた。またそれは、蓄積されてきた歴史や文化の水脈につながり、それらをどのように切り取って表現するのかという問題提起を含むものである。     

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