2011春 沖縄の旅

2011年3月31日から4月4日まで沖縄に行った。今回は4泊5日の短い沖縄への旅であった。旅といっても、那覇へ2泊、名護へ2泊。どこを見るではなく、辺野古へ行って海を見ていただけであった。もう何度も見ている辺野古の海であるが、こんなに静かで穏やかな海は初めてのような気がした。沖縄は、春はあまり天気のよくない日が多かった。が、今回は程良く暖かく、昼寝をするのにもってこいの日和であった。テントの中も一時に比べ来訪者は少なく、静かであった。私は二,三日の滞在で帰ってきてしまうが、テントを維持している人たちは、毎日あの場所で座り込みを続けている。本当に大変なことであろうと思う。防衛施設局員は毎日仕事として、そのような彼らを監視し続け、彼らが疲れるのを待っている。座り込みは4月19日で8年目にはいる。

辺野古の海岸から写真の被写体になっていたあの鉄条網が消え去った。土台をコンクリートで固め、その上に金網を張るらしい。いったい何のために?そんなものがなくても、だれも気持ちの悪いキャンプシュワブなどに入りはしないのに。5000万円かかるそうだ。そのような無駄なお金を使うことが目的なのだ。しかもシュワブ側にあったとはいえ、沖縄では少なくなってきている手つかずの海岸をボロボロにしてまで。なげかわしいことである。

福島原発から逃れてきた人たちがいて、マンスリーマンション、ウィークリーマンションには人が入っているようであった。私が毎回お世話になるコバルト荘にも一組の夫婦と、二人の男性が避難してきていた。その夫婦は避難してきてから二週間ホテルに泊まっていたが、お金が心細くなってきてコバルト荘に来たと言っていた。この話を辺野古のテントですると、「生命まで貧富の差がつくのか」と嘆く声が出た。

わずか五日間の旅であったが、気候が穏やかだったせいもあり、大変のんびりした気分になれた。しかし、このようなのんびりムードも、嵐の前の静けさに過ぎない。七月から高江はまた大変な状況になるだろう。辺野古も五月には日米安保協議会委員会2+2が開催され、昨年五月の「日米共同声明」を再確認するという。
『辺野古の海、この静かで美しい海に軍事基地は似合わない』         [池]