浜松基地人権裁判2011年3月結審へ、署名へのご協力を!

2005年11月、浜松基地自衛隊員のAさんは先輩Nによる度重なるいじめ・人権侵害によって死を強いられた。Aさんは第1術科学校の第2整備課動力器材班の隊員だったが、暴言暴行によって「うつ」状態に追い込まれていた。

自衛隊側が謝罪しないことから、2008年4月に遺族は静岡地裁浜松支部に提訴した。同年10月には浜松基地自衛官人権裁判を支える会が結成され、傍聴席を埋める取り組みや集会、署名、街頭宣伝などによる支援の活動をおこなってきた。裁判はすでに19回の口頭弁論がなされ、証人尋問も終了した。2011年3月には結審を迎える。

この裁判の特徴をあげれば、第1に、原告である父親は沖縄出身の元自衛官であり、サイパンでの戦争の中で母が自身を守ったように自分は息子を守れなかったと語っていることである。サイパン移民、戦争、自衛隊への就職、そして人権裁判と、そこには沖縄のひとつの歴史が体現されている。

第2に、自衛隊側が謝罪なしの小額の見舞金ですませようとし、Aさんの悪口を語ってその責任をとろうとしないことから、親族に自衛隊員がいても、家族で裁判にたちあがったことである。それは自衛隊側の隠蔽と無責任な体質を象徴するとともに、原告の故人への熱く深い想いを示すものである。原告の証人尋問ではその想いを感じさせる発言が続いき、傍聴者を感動させた。

第3に、佐世保「さわぎり」と横須賀「たちかぜ」などの裁判の蓄積によって、浜松の術科学校側の事件報告書や供述調書の黒塗り部分のかなりを裁判で公開させたことである。自衛隊内文書の情報公開がすすみ、自衛隊内での暴言・暴行の実態をあきらかすることができている。

第4に、自衛隊側は2010年12月にAさんの公務災害を認定した。パワハラによる精神的な圧迫を認めざるをえなかったのであり、自衛隊内での「自殺」も労災として認定されるようになったのである。

第5に、それらの裁判のつながりで遺族間の連帯が形成されたことや元自衛官が原告の側に立って動じることなく「自分自身にけじめをつけたい」と勇気ある証言をおこない、自衛隊員のなかにも支援の声が生まれていることである。パワハラやセクハラのない職場を求めるという人権意識の共有が自衛隊内外を貫いてすすんでいるわけである。

現在、支える会では公正判決を求める個人署名と団体署名を集めている。浜松基地人権裁判への支援を呼びかける。