10・2「東アジア歴史・人権平和宣言」発表大会

2011年10月2日、東京で「東アジア歴史・人権平和宣言」発表大会がもたれ、300人が参加した。この集会は、奴隷制を「人道に対する罪」とした2001年のダーバン会議を受け、東アジアでの植民地支配の清算を求めて開催されたものであり、会場には「植民地支配は人道に対する罪!」の大きな幕が掲げられた。

はじめに、前田朗さんが経過報告をおこなった。前田さんは、2001年のダーバン会議での宣言以後、その東アジア版をめざしてきたこと、2011年1月には国際法に関するシンポをもち、7月には日韓共同の検討会、8月にはソウルでの検討会をおこなってきたこと、その間、インタビュー講座も続けてきたこと、今年の10月にはインタビューと東アジア宣言を合わせての出版を予定していることなどを話し、日本の過去の清算なくして東アジアの平和はありえないと呼びかけた。

連帯アピールを生方卓さん(現代史研究会)、崔善愛さん、中原道子さんから受けた後に、シンポジウムがもたれた。連帯アピールで、崔善愛さんは、21歳で指紋押捺を拒否し、その後の裁判で見えてきたもの、それは、もの申せば、再入国を不許可とし、日本に住む権利を奪い、すべてを平気で奪おうとするこの国の姿であり、在日の現在の状況には、過去の植民地責任を取ろうとせず、天皇の戦争責任も問えないでいることが反映されていると話した。

パネルディスカッション「植民地主義を超えて―平和連帯の東アジアをつくるために」では、徐勝「東アジアにおける脱植民地主義」、阿部浩己「国際法の暴力を超えて」、金東椿「過去事清算と日本に問われる課題」、岡真理「日本とイスラエル―植民地主義の歴史的責任をめぐる否認の同盟」の順に問題提起がなされた。以下発言要旨をまとめる。

徐勝さんは、近代500年は奴隷化と植民地化の歴史だったが、2001年のダーバン宣言では、植民地支配を人道に対する罪とする問題提起がなされたことを紹介し、この問題は最大の国際的人権の問題であり、東アジアでは、日韓の共同の作業で終えなければならない課題であるとした。そして、今日は始まりのための集まりとし、次のように話した。

「奴隷制・植民地主義は個人や集団の肉体的・精神的人格の抹殺であり、人道に対する犯罪である。アヘン戦争以後、過酷な侵略・略奪・破壊・奴隷化がなされ、日本では天皇神話がつくられ、他民族への人種的劣等性が語られた。近年、植民地近代化論が出ているが、そこには反共至上主義があり、「親日は愛国」の論もある。しかしこの論は、奪われた者の権利の回復という原則に反し、植民地と奴隷化をすすめた帝国主義の論理の正当化するものである。この間、民主化のなかで正義を回復する要求が被害者から提起されてきたが、過去の清算が最大の課題である。ダーバン宣言を受けての東アジアでの歴史・人権・平和宣言が必要であり、「東アジア真実和解委員会」が設立されるべきだ。この委員会は、NGOの連絡情報センター、運動の文献保存、調査委員会による調査と調査報告書に作成、学術研究の組織、各国への勧告、国際化と国際機関へのアピールなどを担うものとなる」。

阿部浩己さんは、「国際法の暴力」性を問いかけ、過去の清算を求める声を受けて、国際法を民衆の潮流へと転換させること提起した。阿部さんは次のように語った。

「国際法の知のあり方がいかに暴力的に作用してきたのか、物理的な暴力のみならず知のありかたの暴力性が問題だ。国際法の暴力は日本の国際法学のなかに制度的に埋め込まれてきた。歴史の描かれ方をみれば、先住民への虐殺、奴隷制度、ナクバ、日本による虐殺は人権保障の原動力にはならず、ユダヤのホロコーストが世界人権宣言につながった。国際法は西洋的価値であり、植民地支配を合理化するものだった。しかし、脱植民地化の動きは国際法の変革につながった。それは、改良主義的な、エリート中心主義の知を、民衆の視点から人権保障を問題にする言説へと組み換えることでもあった。ダーバン宣言の法思想、最大の眼目は奴隷制と植民地支配への責任の明確化である。不遡及原則は強者を支える論理として機能しているが、それをどう超えていくのか。伝統的な国際法の認識枠組みを根本から変えることが求められている。植民地主義への非難とその再発防止への営みを理解し、沈黙を強いられてきた声や価値を今日の正義の射程で再評価することが課題である。法とは不確定なものであり、政治的選択の問題でもある。過去の不正義を現在の問題として追及する営みが続けられているし。過去清算を求める声は地球的な規模で広がっている。そのなかで国際法を民衆の潮流に転換させることが課題である」。

金東椿さんは、韓国での過去清算の運動を総括し、新たな市民社会による過去清算の運動の形成を呼びかけた。金さんは次のように語った。

「東アジアでは不正義と反民主・反人権的な事態が繰り返してきたが、それは過去の清算が不十分なためである。戦争危機が今も残っている。解放後、親日行為への処罰をすすめようとした反民族行為特別調査委員会の挫折が過去清算の動きをとめた。それは日本で天皇制が生き残り、自民党態勢が維持されたことと重なる。構造的にはアメリカの対日戦略の産物であり、右翼が復活し、開発独裁下での人権侵害が容認された。アジアでは「冷戦」ではなく、戦争が起き、内戦を体験した。植民地主義は1945年後も清算されなかった。いまも朝鮮戦争は休戦状態であり、この「冷戦」は階級関係を規定してきた。しかし、帝国主義、国家主義、西欧主義、反共主義から抜け出し、伝統の力を再発見し、過去清算によって新しい共同体を模索したい。韓国での過去の清算の作業は、韓国の国家責任だけでなく、日本やアメリカの責任、東アジアでの植民地主義の歴史を問うものである。他の地域での人権侵害への関わり方への鍵を提供している。過去清算の活動で、日本の戦争犯罪、植民地主義の暴力性があきらかになった。市民社会で再び過去の清算の運動をはじめ、植民地主義と戦争への「共有された記憶」をもって、東アジア共同体の新しい連帯を形成したい。過去事清算の作業は現在の政治社会改革の活動の一環である」。

岡真理さんはイスラエルの軍事占領の実態を紹介し、植民地主義による人間性の否定とその歴史の否認への闘いを呼びかけた。岡さんは語る。

「イスラエルによる占領はすでに44年に及ぶ。その占領は、辱めのなかで生きることであり、他者の人間性の否定であり、財産の破壊、魂の破壊である。従来の死傷者数による紛争理解ではなく、「スペィシオサイド(空間の扼殺)」という概念が提唱されている。パレスチナでのレイシズムの暴力は南アのアパルトヘイト以上のものであり、パレスチナ人は人間以下にされている。イスラエルは植民地主義的プロジェクトによって成立しアパルヘイト国家として存在する。1948年12月、世界人権宣言の時にイスラエルが建国されている。人権宣言にもある帰還の権利をイスラエルは認めていない。2010年、イスラエルは教育現場での「ナクバ」の副教材の使用を禁止し、2011年には「ナクバ法」でナクバの追憶行為を犯罪行為とした。このような「記憶の内戦」は日本では「慰安婦」や南京大虐殺、強制労働が教科書から消されていく様相を呈している。そこには、悲劇の犠牲者としてのイメージを前面に出し、自らの加害責任を隠蔽するという共通性がある。しかし、民族浄化や植民地主義の歴史的責任をめぐる闘いは世代を超えて受け継がれるものであり、歴史的否認の同盟に抗して自由と尊厳を求める人間の闘いに終わりはない。この闘いこそがわたしたちの歴史を創っていく」。

これらの問題提起をうけての討論では、東アジアでの植民地主義の解決にむけて、宣言の内容を運動として継続し、具体化していくこと、韓国での過去清算の資料を共通財産として活用ことなどが意見として出された。

その後、韓国、在日、沖縄の立場から証言とアピールがなされた。

韓国から参加した性暴力被害者の李玉善さんは、ときに強い口調でこぶしをあげ、みずからの想いを語った。

「植民地下、わたしは釜山で生まれ、15歳で蔚山に家事手伝いにだされて、つらい目にあった。ある日、外に出ると2人の男がいて、中国の延吉へと連行された。それは16歳のとき、1942年7月のことだった。11人が連行され、「慰安所」に押し込められた。延吉市内には「慰安所」が2か所置かれていた。上官が来ると荒く扱い、怖がれば叩き、泣けば叩き、抵抗すると傷つけた。日本軍人は少女を連行し、叩いた。腕には刀の傷跡がある。「慰安所」に連行され、暴行されて、どんなに悔しいことか。こんなにさせておいて、なぜ日本は知らないというのか。連行していないというのなら、わたしが自ら行ったとでもいうのか。日本は悪かったと謝罪すべきなのに、どうして今も否定するのか。すでに多くのハルモニが亡くなった。日本はわたしたちが死ぬことを待っているのか。しかし、死んでも歴史は残り、後の世代が闘っていくだろう。なぜ日本は今、この問題を解決しようとしないのか。死んでしまった人はどんなに悔しいことか。みなさん、戦争のない国にしましょう。亡くなる前に少しでも早く解決させましょう。」

 カクマクシャカと井上ともやすさんのコンサートの後、前田朗さんから「東アジア歴史・人権平和宣言」が発表された。宣言は、東アジアでの植民地主義の克服、人種主義の諸形態、韓国併合100年の現状、人種主義の予防、被害救済、平和構築などの視点でまとめられている。
 参加者はこの宣言をふまえて、ともに今後の行動をすすめることを確認し、集会を終えた。  (T)