2011.11.13 第12回満月まつり浜松コンサート

 

 11月13日、第12回満月まつり浜松コンサートが板屋町会館で開催され、80人ほどが参加した。第1部は、ジャズのYOSHIKOから始まり,藤田の反原発の語り、地引浩と里檀の詩の朗読、NO!NO!BAND,月桃三線団、OSHOSの演奏が続いた。第2部はめでたバンド、多夢が演奏し、アピールを採択、チャッキリの即興曲、キショール・ゴーシュのシタールと続き、最後は月桃三線団によるカチャーシーで終わった。


  

      

 奏でるものと聞くものが一つの空間を分かち合い、命と平和への想いを紡ぐ。サンゴが産卵する満月の夜に、今ある世界とは別のものを人々が想像し、新たな世界の創造を願う。兵器で他者を脅し、核開発で利潤を追求することによって破壊された大地を前に、奏でられた音に身体を共鳴させ、感性を澄ます。

汚された大地に立って、新たな一歩にむかう人々のアンサンブルのためにも、小さな会館のホールに響いた共鳴音が、生命の方向に向けて行動を解き放つ風となることを願う。

小さなタンプーラの旋律をもとにシタールの音が奏でられる。共鳴し響き渡るシタールの音に、叩かれたタブラからの高低音が重なる。タンブーラの短い旋律に最後は戻っていく。その一連の動きから小さなものへの慈しみを感じる。演奏は神との交信であり、奏者自らは無になっているという。それは旋律を奏で、歌うという行為の根源であり、もともと音楽とはそのような素朴で純粋な行為であったということである。

音の波のなかで、この時代に生きるなかで見えなくなっていくものを問う。満月まつりの空間がそのような思索の場となっていくことができればと思う。

今年のOSHOSの歌は「満月の夕」、来年も歌いたい。「いのちで笑え」と。 (T)    

  

全ての原子力発電所の停止・廃炉と、在日米軍基地の撤去を求める

要請書

野田首相殿

 

 今年3月11日に起きた東日本大地震とそれに続く福島第一原子力発電所の事故は、私たちのそれまでの生活のあり方、社会のあり方、国の在り方を問い直す出来事でした。つまり私たちが住む日本という社会は、他者を犠牲にする者と他者の犠牲になっている者とによって成り立っており、その犠牲の構造は巧妙に覆い隠されて見えにくくされているということ。

例えば今回の原発事故では、東京から遠く離れた福島に東京電力の原発が作られていたという事実を多くの人がやっと認識しました。福島の地では「原発は安全」という宣伝が札束と共に浸透され、その「安全」であるはずの原発も日常的に被曝労働者の存在なしには維持できないものでした。これは福島に限らず54基ある日本の全ての原発に当てはまる構造です。そしていざ事故が起きると、情報を隠し、地域住民ならず広い範囲の人々を放射能の危険にさらし、地域産業に壊滅的な被害を与える。事故への対応も労働者の被曝なしには成し得ない。原発はこのような「犠牲」を前提にしたものです。しかし、電力会社だけでなく政治家・官僚・司法・マスコミ・学者が一体となってこの「犠牲の構造」を隠してきました。

この「犠牲の構造」はオキナワの基地問題にも共通しています。歴史的にも本土の犠牲となってきたオキナワ。本土の1%にも満たない広さのそのオキナワに在日米軍の74%が集中し、更には自衛隊の増強が進められようとしています。「観光の地」「癒しの島」というイメージは抱いても、米軍兵による犯罪・事故など日常的に軍隊と隣り合わせの生活を強いられているオキナワの人たちの困難さ・苦しみは私たち本土の人間にはなかなか共有されない。本土のマスコミも熱心には報道しない。

福島の、そしてオキナワの犠牲から私たちが学ぶべきこと、成すべきことは、この「差別の構造」を明らかにし、なくす努力をすることではないでしょうか。

9月に野田首相が首相に就任して以来行なってきたこと、言ってきたことはこれとはまったく反対のものでした。「原発の早期再稼働・海外への輸出」「普天間基地の辺野古への移転という日米合意の推進」等々。実際、九州電力玄海原発四号機は住民の不安・抗議を無視して、ストレステストすら行わず再稼働されました。また、福島原発は事故の収束すら覚束無いのに「安全のための高い技術がある」として原発のベトナムへの輸出を進めています。

オキナワ普天間基地移設問題に関しても、地元の根強い反対の声にもかかわらず、閣僚が相次いでオキナワを訪れ辺野古新基地建設推進のための既成事実を作ろうとしています。また、八重山地区中学校公民教科書採択に関しては、地元の一部勢力に加担する形で文部科学省が不当に介入し、育鵬社の教科書を採択させようとしています。育鵬社の『新しいみんなの公民』は愛国心の強調・憲法の過小評価など、戦後戦後築いてきた民主主義を否定しようとするものです。

首相が向いている方向は地元住民でもなければ犠牲となっている人たち・地域ではなく、財界・官僚・アメリカなのです。命や平和を大切にする普通の人たちではなく、金力や権力にしがみつき他者を犠牲にすることを厭わない特権層なのです。

世界の仲間たちと共に「満月まつり」に集い、戦争・軍事基地に反対し、「命の尊さ」「平和の大切さ」を訴えてきた私たちは、野田首相のこのような姿勢に対して強く抗議し、以下を要請します。

1.    全ての原子力発電所を停止し、廃炉に向けて手続きを進めること。

2.    福島第一原子力発電所事故のデータを公開すること。

3.    放射能値の測定・迅速な公表等、住民の安全を最優先にした施策を進めること。

4.    海外への原子力発電所輸出をやめること。

5.    全ての在日米軍基地の撤去。とりわけオキナワ普天間基地を無条件撤去すること。

6.    辺野古や高江への新基地建設を行わないこと。建設のための手続きも行わないこと。

 

以上

 

2011年11月13日

第12回「満月まつり・浜松コンサート」参加者一同