韓国水曜デモ連帯行動
日本軍「慰安婦」被害者に正義を!
 12・14浜松行動

18時15分からJR浜松駅前市民の木 
日本軍「慰安婦」被害者に正義を! 12・14浜松アピール
19時から
日本軍「慰安婦」被害者に正義を!12・14浜松集会
映画「わたしたちはあきらめない」上映、アジア連帯会議報告

 



 12・14日本軍「慰安婦」被害者に正義を!浜松行動報告 

 2011年12月14日、韓国での水曜デモが1000回を迎え、全国各地での連帯アクションが提起された。浜松では浜松駅前での連帯アピールと集会を開催して連帯の意思表示をおこなった。

以下は集会での、増田さん(VAWW−RAC会員)による「第10回日本軍「慰安婦」問題解決のためのアジア連帯会議に参加して」という報告の概要である。

 

 「第10回日本軍「慰安婦」問題解決のためのアジア連帯会議に参加して」

2011年8月12日から8月15日にかけて、ソウルの韓国教会100周年記念館で第10回日本軍「慰安婦」問題解決のためのアジア連帯会議がもたれました。

集会には、台湾、東ティモール、フィリピン、韓国、日本、タイ、ドイツ、アメリカ、カナダからのさんかがありました。被害者では、ソンシンド(在日)、イヨンス(韓国)ノ・スボク(タイ)ハルモニが参加されました。

●アジア連帯会議の内容、基調報告と行動提起

 集会での報告は次のテーマでもたれました。

1真相調査の成果と課題、2立法解決活動の報告と課題、3国際連帯活動の評価と課題、4支援活動報告、5記憶、教育、そして継承、6特別講演、7団体報告、8イベント 「希望の扉を開く」 

第10回会議は金学順さんが証言してから20年目にあたります。この20年間にわたる「問題解決のための運動」の概括が報告されました。

基調報告をまとめると、被害者の証言をふまえ、第一次資料の発掘調査を重ね、「慰安婦」被害の実態を解明し「慰安婦」制度の体系的研究がすすんだが、日本政府の賠償と謝罪の実現はいまだに果たせていない。すでに被害者の相当数が逝去され、現在、名乗り出た234名の被害女性のうち、生存は65名だけです。皆80歳をすぎ、時間的猶予はない。問題解決のために国際連帯を強めて全力で行動していく、というものでした。

最終日の討論では、Wamの渡辺さんから、「韓国水曜デモも、12月14日にはとうとう1000回目を迎えることになってしまった。被害者にとっては、もはや一刻の時間的遅延は許されない。このデモには、謝罪、賠償、記憶のための立法を、日本政府がサボタージュすることを決して許さない決意で、臨みたい。そのために、国際連帯企画として、大々的に水曜デモ100回連帯行動を提起したい」との発言がありました。

本日の「韓国水曜デモ1000回アクション」世界連帯企画は、この提起を受けて、実行委員が作られ、何度も会議を重ねて、ようやく実現したものです。

●アジア連帯会議の歴史

1980年代末、韓国で日本軍「慰安婦」問題解決のため日本の現地調査が行なわれました。梨花大学英文科の尹貞玉教授(後の挺対協初代代表)が、戦後から調査を継続していました。尹貞玉さんは1988年に韓国教会女性連合会主催のセミナーで「挺身隊」踏査報告を行い「挺身隊研究委員会」を設置させます。1990年11月に韓国挺身体問題対策協議会が結成されました。日本では、日本婦人会議、アジアの女たちの会など既存の団体からはじめ、より広範な運動が形成されました。

1991年8月に日本の国会での「「慰安婦」は民間人が連れ歩いた」という答弁を聞き、金学順さんが名乗りでました。これは戦後46年目にして、初めての生存者証言でした。1992年1月には、日本で軍の関連を示す文書が発見されました。1992年に宮沢首相が訪韓したとき、謝罪と反省の心を表明したことから、韓国では挺対協を中心に同年1月8日、日本大使館の前で水曜集会がはじまりますが、それが今回で1000回目となったわけです。

1992年8月に韓国のソウルで第1回アジア連帯会議が開催されました。この会議のために日本国内では「行動ネットワーク」が作られ、国際連帯に向かいました。その後連帯会議はフィリピン、韓国、日本で開催されました。第2回会議では「責任者の処罰」、第5次会議では、「国民基金反対」などが取り組みの課題になっています。また、挺対協と日本の市民団体は、日本軍「慰安婦」問題をUN国際機構に訴える活動も行いました。

連帯会議の初期には、日本軍「慰安婦」問題は、ジェンダー支配、植民地支配、普遍的人権侵害、奴隷制支配など包括的な問題であるため、被害国と加害国市民の連帯の在り方自体が問題となったこともありました。また、「韓国側で民族的問題を取り上げれば日本はこれ以上連帯できない」という意見や女性国際戦犯法廷開催にあたり、法廷が「民族支配」の問題に焦点をあてていないとする意見も出されました。

北京世界女性会議は軍隊性奴隷制を戦争犯罪として明記する成果を残しました。特に性奴隷制は戦争犯罪であることを強調し、責任者処罰、被害者にたいする補償を求めました。しかし、責任者の処罰問題にかかわって日本の運動団体は分裂しはじめ、村山内閣の国民基金により、決定的な分裂が生じてしまいました。

その後、次第に調査や研究が進み、犯罪実態、制度の実態が明らかにされました。国連活動を通じ、「性奴隷制」が人道に対する罪であると明示され、その後の国際刑事裁判の判例にも影響を与えるようになります。日本国内での謝罪と賠償を請求する裁判をつうじ、日本軍「慰安婦」制度の犯罪・加害事実が司法によって認定されました。また、各国国会で「慰安婦」問題解決を要求する決議が次々と採決されるなど、国際連帯が、広範に形成されました。このような運動の成果により、運動内部の民族主義は克服されていきました。また、国民基金への批判を共有する形で運動が再構築されていきました。

2007年2月には、米国下院外務委員会アジア太平洋環境小委員会で「慰安婦聴聞会」がもたれ、そこで李容洙、金君子、ジャン・ラフ・オハーンさんらが証言を行いました。米議会では「慰安婦」決議案の採択の見込みが高まります。

この動きに対し、屋山太郎は静岡新聞論壇に「慰安婦決議を認めないよう、安倍首相の外交圧力を高める」趣旨の記事を掲載しましたが、浜松を含めた市民が抗議しました。また、右派の「歴史事実委員会」が、旧日本軍による「従軍慰安婦」の強制連行はなかったという内容の広告を米国紙ワシントン・ポストに掲載しました。これに対し、同国の政府・議会が不快感を示し、逆に米国下院での決議案の採択の追い風になりました。

その後、カナダ、EU議会、オーストラリア、韓国などで決議が採択されました。日本国内の地方自治体でも解決に向けての決議が相次ぎ採択されているというわけです。

●今回の会議に参加して

過去の会議では、南側廷対協とともに北側の朝鮮日本軍「慰安婦」及び強制連行被害者補償対策委員会(朝対委)が参加できました。李明博政権下での今回の会議では、南側当局の不許可で北側に招請状さえ送ることができず、北側は不参加でした。

李明博政権下での韓国では、過去清算事業も、縮小や撤退を余儀なくされています。日本では、民主党政権が立法化のために動くものと期待されていましたが、なんの進展もありません。今年8月30日の韓国憲法裁判所判決を受け、韓国外交通商部が日本軍「慰安婦」問題解決のための二国間交渉を日本政府に要求しました。歴史の記憶という点についてみれば、育鵬社教科書の採択率が前回採択の平成21年と比べ歴史は6倍、公民は11倍となってしまい、沖縄の八重島での採択の問題も、文部省が育鵬社採択で決着させようとしています。

「コンゴの涙」と題したコンゴ人女性被害者の写真を撮影された韓国のフォトジャーナリストのチョン・ウンジンさんは、写真を見せながら、このように説明しました。「コンゴのゲリラに襲撃されレイプされた女性は、膣内に、木材、釘、あるいは銃などを詰め込まれ、フィストラという外傷(皮膚の間に、炎症などでできる裂目、菅)を負う。この外傷のため、尿の調節はできなくなるし、歩行も困難になる。コンゴには性暴力被害者のための専門治療病院があるが、手術を受けて仮に回復できたとしても、再び故郷の村で生活するのは、並大抵ではない。」と。

戦時下や紛争下、あるいは基地所在地におけるレイプは、性と生存の尊厳をはく奪することのみならず、敵対する集団や民族、国家への攻撃手段としても発生します。相手に恐怖を与えて抵抗を解除する、あるいは母性破壊によって子孫を強制的に断絶させることを目的とすることも多いのです。

2010年グアテマラでは「戦時下の女性に対する暴力」を裁く民衆法廷が開催されましたが、主催は「性暴力から変革の担い手へプロジェクト」です。この組織誕生に寄与したフェミニストのヨランダ・アギラーは2000年女性戦犯国際法廷開催時の国際公聴会で、グアテマラ警察による性的暴力の被害者として出席、証言しています。

彼女は「故金学順さんが掲げた松明は多くの被害者を沈黙の闇から解放し、被害者を語る人、行動する人に変えていった」と語っています。そのことは、被害者が、主体的に闘い、連帯を勝ち取るなかで、蹂躙され、はく奪されていた「生存の尊厳」を回復することができるということを示しています。日本軍「慰安婦」被害者の闘いが、自身たちのみならず、地球上の多くの性暴力被害者たちの名誉と尊厳を回復してきたわけです。

●「外務省人間の鎖包囲行動」

今日、午後12時から東京霞ヶ関の外務省前で行われた韓国水曜デモ1000回アクション「外務省を人間の鎖で包囲アクション」に参加しました。「人間の鎖」は1300名以上の参加をもって、開始直後、完成しました。

その後、衆議院第2会館で行われた集会にも、参加者340人以上と、遠方から来られた方々が100名以上、場内に入れず立っていたということです。

韓国の日本大使館前では、水曜デモとともに、「平和の碑」が設置されました。次々と逝去されるハルモニたちの願いと希望を託された少女のブロンズ像は、今後日本の外務省を見つめていくことになります。少女の影は、ハルモニたちの生涯を表し、老婆の形をしています。

日本政府は韓国政府に対して執拗に設置妨害を行ってきました。設置終了まで、本当に心配していましたが、無事除幕式が終了して、本当によかったと思います。

ブロンズの少女は、日本軍「慰安婦」被害にあわれた女性たちの、「この地上からすべての暴力、とりわけ女性、こどもに対する暴力が除去され、永遠に平和が達成されることを願う」、普遍的、崇高な願いを表現したものです。

この願いが世界中の人類の良心に響き渡ることを、私は願います。

●問題解決にむけて

私は、日本軍「慰安婦」制度という奴隷制、戦時の国家犯罪を裁き、賠償、記憶することは、あらゆる「支配」とその発生根拠である構造的暴力を止揚していくことにつながると思います。

侵略戦争と植民地支配により、支配構造の底辺に存在する女性、こどもたち、もっとも力が弱いものたちが攻撃されました。731部隊、毒ガス、日本軍「慰安婦」制度、これらの犯罪が不処罰であったために、きちんと教科書で「犯罪」として教えられることなく、今も被害が繰り返されているのです。

現在、在日朝鮮人や朝鮮学校の生徒、さらには在日外国人に対してむけられている攻撃は、ヘイトクライム・憎悪犯罪という犯罪行為です。かつての大日本帝国がアジアでやってきた民族浄化や戦争犯罪と同じものだと思います。

戦争下や紛争下だけでなく、平時でさえ、最も力なきものが「支配の暴力」を受け続けているのです。わたしたちは判断し、決意し、行動できるものとして、未来への責任を持っています。二度と、過去の犯罪を繰り返し、こども、とくに小さな女の子を、戦争や紛争の生贄にしてはいけないと思います。

韓国憲法所の判決を受け、韓国では謝罪と賠償を、今度こそ実現しようと多数の市民が動き出そうとしています。日本の市民も、それに呼応し、政府と市民社会に働きかけていくべきときです。未来の扉が開こうとしています。

金学順さんの勇気ある証言から20年。日本軍「慰安婦」問題解決のためのアジア連帯会議、第10回。会議での提起とその後の韓国憲法裁判の判決を受け、世界連帯で行われた韓国水曜デモ1000回。あらたな平和の時代に向けて、ともに歩きはじめましょう。