3.11福島原発事故から1年
やめまい!原発浜松ウオーク 3 
2012年3月11日
 日曜

11時集合 浜松駅北口 市民の木集合
11時からイベント
11時30分デモ出発(デモは40分程度)

呼びかけ やめまい!原発・浜松3・11実行委員会

 3月11日、浜松市市民の前で集会とウオークがもたれ、130人が参加した。
集会では、参加した市民が原発事故への思い、裁判の活動、原発県民投票、原発関連の集会などについて次々に発言した。NO!NO!バンドとめでたバンドの歌もあった。
 ウオークでは、「核と人類は共存できない」「やらまいか原始力」「国策被曝」などさまざまなプラカードが示され、草の根の市民の声が表現された。





 


以下は集会アピール。

3・11やめまい!原発浜松ウオーク アピール

                       浜松市民の木の前で・2012年3月11日

 

 わたしたちは、6.11,9.11とやめまい!原発浜松ウオークをおこない、原発や戦争への反対を訴えてきました。3.11福島原発震災から1年の今日、わたしたちは浜松駅前の市民の木の前に集まり、浜岡原発をはじめ、すべての原発の廃炉を求めて行進します。

原子力を開発するという政策は今もすすめられ、核開発とそれにともなう戦争の危機は続いています。福島原発震災後も、日本政府は「安全」、「収束」などの言葉をもって、真実をおおいかくしています。市民の避難の権利は認められず、原発事故被災者への救済も十分になされていません。子どもたちに対しては、年20ミリシーベルトという避難基準まで適用し、低線量被曝が容認されてきました。未来を心配せざるをえません。

東京電力は事故で放出した放射能を、裁判においては「無主物」と表現し、その汚染の責任を取ろうとはしません。中部電力も防潮堤を築いて、安全を宣伝し、再稼働をおこなうつもりです。そして除染や復興などが利権の対象になっています。

日本政府は、原発事故対策会議の議事録さえ残さず、市民に公開するよりも先に、アメリカにスピーディや原発内部の線量地図を渡していました。原発震災の責任は、全くとられることなく、原発の再稼働がねらわれ、さらに原発の輸出までおこなおうとしています。市民の安全を無視した無責任と隠ぺいはいまも続いているのです。

 原発事故による放射能汚染は生命・家族・財産・地域・環境などすべてを破壊します。人間にとって一番大切なものを破壊してまで、核開発の利権や利益にしがみついてはなりません。原子力開発は民主主義にはそぐわないものであり、核と人類は共存できません。

核兵器を持って他国をおどしたり、原子力発電でもうけるというような時代は、もう終わりにしなければなりません。それは、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマを体験したわたしたちの決意であり、使命です。

浜松はかつての戦争で派兵の拠点となり、この地からアジア各地へと爆撃機が飛びたって行きました。戦争によって多くの市民が命を失い、戦争末には浜松大空襲によってこの街は焼け焦げ、多くの人々が亡くなりました。わたしたちが集まっている「市民の木」は、そのなかで新たに緑の芽をだして、再生した木です。再生の柱は、生命・緑・平和なのです。福島事故からの再生も、同様です。

福島原発震災を経て、昨年5月には、政府によって浜岡原発が停止されました。その後、周辺市町村では、吉田町の廃炉決議、牧之原市の永久停止決議をはじめ、安全性や住民の理解がない場合での再稼働はさせないという決議や意見書をあげています。

国内でいま稼働している原発は2機のみです。原発なしでも生活はできるものです。核兵器などなくても社会は成りたちます。核開発と原子力発電の歴史に終止符をうつことを、この国の復興の出発点とすべきです。

 しかし、原発を推進する人々は「安全」を掲げて、福井県の大飯原発3、4号機の再稼働をはじめに、各地の原発の再稼働をねらっています。

 参加された皆さん、この地から反原発・反戦の声をあげましょう。今日は日本各地で集会・デモがおこなわれ、福島現地では大きな集会がもたれ、国会議事堂を包囲する人間の鎖もおこなわれます。世界が注目しています。力を合わせて、原発の廃炉と核の廃絶にむけて行動しましょう。

 

目を閉じず、真実をみよう!この国を変えよう!

核よさらば!、大切なものは命!、目指すものは愛!



映画「ひろしま」上映会

午後からは、3・11 映画「ひろしま」上映会がもたれ、福島の自然農業の見上進さん・見上喜美枝さん講演「福島の農家が語る福島の未来」がもたれ、見上さんは原発への批判と復興にむけての思いをかたった。また、被爆者の大和さんが被爆体験と平和への活動を語った。主催 福島を応援する会IN浜松
「ひろしま」は日本教職員組合が制作したものであり、戦後直後の平和への思いが、こめられていた。「ひろしま」の実態や現実は隠され、その責任はとられることもなく、被爆者の救済も放置されてきたのである。