2012,夏、沖縄の旅

2012年8月22日、リムピースの頼和太郎氏による「オスプレイ勉強会」があったので参加した。主催はい〜なぐ会。会の共同代表の宮城さんは、8月18日の米軍兵士の女性暴行事件にふれながら「我慢するときではない、行動するときである。賢い私たち、強い私たちにならなければいけない。基地は即時閉鎖、外国にもっていってもいけない。オスプレイ反対に立ち上がろう」と、力強いあいさつをした。

頼さんは、私のように予備知識のほとんどない者にとっても、分かり易い言葉で、真喜志好一さんの作成した模型を使いながら講演してくれた。    

 

○オスプレイはどんな飛行機か

ヘリコプターと飛行機のいいとこどりをした飛行機である。しかし、その長所が短所になってしまう。

  主翼がつく分普通のヘリコプターよりも重くなってしまう。

  回転翼の大きさが制限される。(オートローテーションがきかない。)

  計算上の出力よりも実際に飛ばしたときの出力が小さく、この原因がわからない。

・ バランスがとりにくい。モード変換のため飛行中に重心が移動するが、世界中に

 このような飛行機はない。

 

  事故報告と安全性の乖離

  事故原因は「パイロットのミス」「機体に問題はない」という形で決着されると思うが、これには大きな疑問が残る。そして大変分かり易い例を挙げて説明してくれた。

「丸坊主のタイヤをつけた車を与えて、急ハンドル、急ブレーキはだめだ、それが操縦マニュアルだ、と言っても、どうしてもブレーキを踏んだり、ハンドルを切ったりすることはある。その時にタイヤの問題としないで、操縦者がマニュアル通りに操縦しなかったと言っているのに等しい」

 

  開発期間が25年、アポロ計画の倍

  1981年に開始されたオスプレイ開発プログラムは、20年たっても完成しなかった。費用があまりにも大きくなり過ぎ、国防長官は開発を中止しようとした。しかし、下請け工場を米国の40州に広げ、各州の選出議員にオスプレイ開発中止に反対させた。

   開発途中で要件を緩和し、なんとか完成にこぎつけた。そのとき「オートローテーション」の機能も開発から外された。早く配備して欲しいという軍事的な要請やメンツのため、安全を捨てたのである。

 

沖縄タイムスによると、ハワイの2つの空港「カウラパパ空港」「ウポル空港」においては、遺跡保存に悪影響、希少生物の生息環境破壊への懸念、地元の反対等、環境アセスに悪影響を及ぼすということで、オスプレイの飛行訓練は中止されている。しかし、「重大な環境問題は生じない」との米国の結論を優先させ、訓練を行うことを容認する日本政府はどこを見て政治をしているのか問わざるを得ない。これこそ「沖縄差別」であり、米国の「日本差別」である。

 

 9月9日、宜野湾海浜公園において「NOオスプレイ、沖縄県民大会」が開催され、10万人の沖縄県民が結集した。1995年の少女暴行事件以来、沖縄県民の意志を無視し続けてきた日本政府に対する怒りの集会であったと思う。 

 

辺野古では3日間お世話になった。Sさんは「できることをやればいい」と、いつも言ってくれるのだが、このような沖縄の人達の優しい言葉にいつまでも甘えていてはいけないのではないかと、気が引き締まる思いがした。

                                            (池)