2013211集会報告 

池田浩士講演『「強いリーダー」も「象徴」もいらない』

 

 2013211日、浜松市内で第33回思想と信教の自由を守る静岡県西部集会がもたれ、100人ほどが参加した。今回は池田浩士さん(前京都大学教員)が『「強いリーダー」も「象徴」もいらない―いまあらためて私たちの「生き方」を考える』の題で話した。以下、池田さんの話で印象に残ったことをあげておく。

〇 宗教的な信念を貫いた戦時の抵抗に、灯台社(ものみの塔)の活動がありました。彼らは聖書を重視し、武器を手にしない、他人の血で生きない、国家儀礼を拒否するという立場でした。かれらは日本で権力によって弾圧されましたが、ナチスドイツによっても弾圧され、殺されています。考えてみれば、資本主義とは他人の血で生きる社会です。

〇 戦後の社会は、戦争で被害を受けたことから、実感として戦争反対の思いはありましたが、アジアでの戦争加害への視点がなく、自己の戦争責任は棚上げにして平和を語ってきました。象徴天皇を問い、天皇制をなくすという動きも不十分でした。

〇 大日本帝国憲法では第1条は万世一系の天皇、日本国憲法では第1条が日本の象徴である天皇です。主語が天皇であるという点では変わっていません。象徴ならいいという意見もありますが、絶対主権者と象徴とは矛盾しません。象徴であることを抜きにした絶対君主はありえません。天皇はいまも象徴であることで政治的な役割を果たしているのです。私たちの生き方は私たちで決めるべきであり、天皇を象徴とする日本国憲法の第1条から8条までの天皇条項をなくすという意味で、私は改憲論者です。

〇 天皇を象徴とすることがいいことでしょうか。人間を象徴とすること自体が問題です。象徴を、理念や理想をしめすものとする国家の方が多いのです。天皇というものを象徴と選んだわけではないのです。天皇は生き方のモデルとして、使われてきました。他者からみれば、私たちは天皇の片割れです。象徴天皇をなくすという視点が大切です。自民党や維新の会のような形の天皇を元首化させるような改憲には反対ですが、人権を大切にするという憲法精神を完成させるという意味で、象徴天皇はなくすべきです。

〇 ヒトラー政権が1933年に生まれましたが、当時は完全失業が44%いう状況でした。彼らは国民にボランティア的な職を与え、国民投票も使いながら1党独裁の政治をおこないました。オーストリア併合を99%が支持したという歴史があるのです。かつて日本では天皇を媒介にして人々が戦争に動員され、わたしたちの人間関係が破壊されました。家族や夫よりも天皇が大切という社会でした。憲兵の前に体を投げ出して夫を守ろうとする妻の行動がどれだけあったのでしょうか。天皇制は人間を序列化するものです。

〇 以前、滋賀で国民体育大会がおこなわれ、障碍者施設に天皇が来ることになりました。施設のトイレはきれいにされたのですが、入所していた人々はホールに集められて消毒液をかけられました。そこにいた15歳の中学生は「おれたちはばい菌扱いされている」と抗議の声をあげました。天皇制は差別を生み出すものなのです。

〇 「ハシモト維新」や「日ッ本を取り戻す」という「売国奴」政権の動きなどイヤな時代と向き合うことになりました。沖縄の基地、福島原発の事故もないかのような風潮です。中国や北朝鮮と対決するような動きが強められています。このなかで、象徴天皇を当たり前としないところからこそ関係を問い直していきたいと思います。わたしたちの生き方はわたしたちが選ぶのです。

〇 私たちの生き方が問われ、私たちがどのような対等な関係を創っていくのかが問われていると思います。わたしは少数だからこそ信念を語り合える友人とともに生きてきました。少数であってもそのような人間関係は意義あることです。少数者が苦しい時にやめてしまえば、社会がだめになります。少数であっても表現するものの責任がここにあります。自分が守りたい生き方を語り合っていきたいと思います。

 

 以上が、話を聞いていて、印象に残った内容である。メモをまとめたので、私なりの言葉で補足している。池田さんは現代企画室から『子どもたちと話す 天皇ってなに?』を出している。天皇制批判への思いはここにわかりやすくまとめられている。

護憲の集会では、現憲法の天皇制の問題点を問うことなく、平和憲法として持ちあげて宣伝するような論者もいるが、今回の講演は、象徴天皇制の問題をきちんと提示して、現在の改憲の動きに対抗しようとするものであり、共感できた。     (竹)