強制労働企業の歴史的責任と立法

 

はじめに

 

強制連行の全国調査をおこない、全国地図や連行先の一覧を作成するなかで、三井・三菱などの財閥系企業への連行が多いことがわかりました。また、連行企業の現在名の一覧、連行者名簿の整理、未払い金の一覧などを作成する中で、多くの企業が存続していること、未払い金が支払われることなく保管されていることなどがわかりました。

日本での強制連行企業裁判が終わり、立法が課題となっています。韓国・中国では被害者への賠償を求める被害者団体の動きもあります。そのなかで、韓国では戦犯企業リストが提示され、日本でも強制労働被害者補償立法をめざす日韓共同行動がたちあがりました。グローバル化のなかで日本の企業はメガバンクの統合にみられるように企業統合をすすめていますが、戦時の強制労働問題は未解決であり、その清算が求められていると思います。

ここでは、強制連行企業の歴史的責任と立法という題で、三井・三菱の財閥と強制労働、強制連行企業の業種別分類、企業の歴史的責任と企業文化、強制労働補償立法の実現の順にお話したいと思います。

 

1三井・三菱と朝鮮人強制労働

 

三井・三菱の2大財閥による朝鮮人強制労働についてみていきます。

三井財閥では、三井鉱山が多くの朝鮮人を連行しました。三井物産はアジア太平洋地域での戦争の拡大とともに、多くの民衆を動員して資源の収奪や現地での企業経営をおこないました。

三井鉱山は炭鉱では、福岡の三池、田川、山野、北海道の砂川、芦別、美唄、サハリンの川上、内川、西柵丹、千緒などを所有していました。北海道炭鉱汽船や太平洋炭鉱も三井系であり、北炭は戦時下には茅沼炭鉱も傘下にしています

北海道炭鉱汽船についてみておけば、北炭は夕張・平和・真谷地・登川・角田・幌内・万字・新幌内・空知・赤間・天塩など、北海道の主要炭鉱を所有していました。北炭は1916年から朝鮮人を使用し、1917年からは本格的に募集していますが、多くの逃亡者、死者を出しています。

鉱山でも、岐阜の神岡鉱山をはじめ、鹿児島の串木野、秋田の大沢など各地の鉱山が三井系であり、釜石鉱山、北海道硫黄、中竜鉱山なども三井の傘下でした。。三井鉱山による朝鮮人の動員は、北炭を含めれば、6万人ほどになるでしょう。石炭や鉱石を利用した化学工業をみれば、三井染料、東洋高圧、電気化学工業などで朝鮮人が連行されています。三井鉱山は現在、三井金属鉱業や日本コークス工業となっています。

三井物産の直系の工場では、東洋レーヨン、豊田紡績、内海紡績、郡是製糸、豊田自動車機械、傍系企業には王子製紙、東京芝浦製作所、三井造船などがあり、北炭は日本製鋼を傘下にしています。このうち、軍需生産を担った東芝、日本製鋼、三井造船、内海紡績などに朝鮮人が連行されていることがわかっています。

 三井は台湾、満州、朝鮮での経営をすすめ、朝鮮では、南北綿業・朝鮮絹織・東洋製糸紡織・全北製糸・旭絹織・朝鮮レーヨン・東綿繊維・慶南合同製糸・全北織物・慶北機業・三成鉱業・北鮮産業・三井油脂化学工業(協同油脂)・三井軽金属・朝鮮飛行機・朝鮮鋼管・東海製材などを経営しています。

アジア太平洋戦争によって、中国や南方の占領地での鉱産資源などの開発、生産や流通を、三井物産、三井鉱山、三井化学工業、三井農林、三井船舶、三井造船、三井倉庫、東洋綿花などが担うようになりました。三井はアジア各地で事業を展開し、軍に協力して巨大な利権を得たのです。

 

つぎに三菱ですが、朝鮮人連行の主要な企業は、三菱鉱業と三菱重工業です。

三菱鉱業についてみれば、高島・鯰田での炭鉱経営にはじまり、1917年には美唄・高島・上山田で朝鮮人を使用しています。1918年に三菱鉱業が設立され、サハリン南部での石炭開発や1930年代には朝鮮各地で鉱山開発をおこなってきました。

朝鮮人が連行された三菱系の炭鉱をあげれば、九州の新入、方城、鯰田、上山田、飯塚、勝田、高島、崎戸、北海道の大夕張、美唄、茂尻、雄別、尺別、浦幌などがあり、、鉱山では佐渡、生野,明延、中瀬、尾平、槇峰、細倉、手稲、新下川などがあります。北海道の三菱系の炭鉱では、鉄道工業、原田組、黒田組,、地崎組、松村組、土屋組などが坑内での労働を請け負っていますが、その中にも連行朝鮮人がいました。朝鮮人女性が性的奴隷とされていたところもあります。

この三菱鉱業関係での朝鮮人の動員は6万人ほどとみられます。

三菱重工業についてみれば、三菱は政府から長崎造船の経営権を獲得し、神戸造船では潜水艦の建造を始めました。1928年には三菱航空機が設立され、1934年にこの造船と航空機部門が合体して、三菱重工業ができました。三菱は、長崎で軍艦、三菱名古屋で軍用機、三菱東京で戦車などを製造し、中国東北で三菱機器工場、台湾で船渠などもつくっていきました。

アジア太平洋地域での戦争の拡大により、軍需用に三菱製鋼、東京金属、三原車両、名古屋発動機、水島航空機、川崎機器、広島造船機械、京都発動機、静岡発動機、熊本航空機、名古屋機器、茨城機器、三菱化成などの工場が建設されます。この工場建設や工場労働、さらに地下工場建設に朝鮮人が動員されました。三菱化成や三菱製鋼などにも動員されています。長崎、広島では原爆被爆も受けました。

長崎造船へは1944年に3474人、45年に2501人の計5975人が連行されたことが判明していますし、神戸造船への連行者約2000人の名簿もあります。三菱重工関係で2万人ほどが連行されたとみられます。

三菱の長崎、熊本、広島、倉敷、名古屋、横浜などの工場では大規模な地下工場化がすすめられましたが、これらの疎開工事に動員された朝鮮人も数万人となります。三菱関連での朝鮮人連行者数は、炭鉱鉱山で約6万、重工業で約2万、地下工場建設で数万人となり、10万人ほどになるでしょう。

三菱は朝鮮半島での鉱業開発もすすめ、金堤、青岩,佑益、海州、蓮花、月田、花田里、宝生、三光、鉄嶺、甘徳、大同、大宝、茂山,下聖などの鉱山や朝鮮無煙炭,清津精錬、兼二浦製鉄などで事業をおこない、サハリンでは南樺太炭鉱鉄道を支配し、内幌、塔路、北小沢の炭鉱を経営していました。ここにも朝鮮人が動員されています。サハリンからは九州へと三菱系の炭鉱から約千人が転送されています。

三菱は、中国、シンガポール、マレー、タイ、インドネシア、フィリピンなどでも経営を拡大します。そこでも軍の支配下で多くの民衆が労務動員されています。

 

2 連行企業の現在 一五財閥と国家独占

 

 つぎに強制連行企業で、現在もその事業を継承しているものをあげ、それらを財閥(コンツェルン)別に分類してみます。かつて占領軍(GHQ)は、三菱、住友、三井、鮎川、浅野、古河、安田、大倉、中島、野村、渋沢、神戸川崎、理研、日窒、日曹の一五財閥を指定しました。そのなかの企業の多くが朝鮮人を動員しています。現在のグローバリゼーションによる金融資本の統合により、三大コンツェルンへと再編されています。そのような統合は企業間の統合にもつながり、社名も変わっています。

ここでは「朝鮮人強制労働企業現在名一覧」と「日本強制動員現存企業名簿」(韓国強制動員被害調査及び強制動員被害者支援委員会)を参考にし、強制連行・強制労働が判明しているものをあげてみます。連行企業はここにあげる以外にもあると思いますが、現時点で判明しているものをあげます。

 はじめに、三井・住友のコンツェルンをみます。これは、三井住友銀行を核とした企業集団です

三井グループには、IHI(旧石川島播磨)、イビデン、王子製紙、三機工業、商船三井、昭和飛行機工業、太平洋興発、太平洋セメント、ダイセル、電気化学工業、東芝、トヨタ自動車、日本製鋼所、三井化学、三井金属鉱業、三井住友建設、三井倉庫、三井造船、三井農林、三井物産、三井松島産業、三井三池製作所などがあり、関係の深い企業としては、鹿島建設、クラボウ、グンゼ、東京電力、ナイガイなどあります。

住友グループには、大阪住友セメント、住友金属鉱山、住友化学、住友重機械工業、住友電気工業、住友ゴム工業、東海ゴム工業、三井住友建設などがあります。三井系と住友系の統合がすすんでいますが、住友金属と新日鉄が結合して新日鉄住金が形成されたようにグループ以外の企業との統合もすすんでいます。

 つぎに、三菱のコンツェルンについてみてみます。金融資本は三菱東京UFJへと再編されています。三菱グループには、三菱マテリアル、三菱化学、三菱重工業、三菱製鋼、三菱電機、旭硝子、ニコン、日本郵船などがあります。

 もうひとつの企業集団であるみずほコンツェルンについてみてみましょう。このグループはみずほ銀行への統合のなかで生れたものですが、芙蓉、第一勧業銀行、日本興業銀行などのグループが結合したものです。

芙蓉グループは、安田を中心に、浅野、日産・日立、大倉、根津、理研、森、大建などで形成されたものです。安田系には帝国繊維、浅野系には、JFEエンジニアリング(旧日本鋼管)、JFEスチール、太平洋セメント(旧日本セメント)、東亜建設工業、常磐興産、春光(日産・日立)系には、日立製作所、日産化学工業、日産自動車、JXグループ(JX日鉱日石エネルギー、JX日鉱日石金属など)、日立金属、りんかい日産建設、日立航空機ほかがあります。大倉系には、大成建設、日本無線、リーガルコーポレーションなどがあります。

理研系には、リコーエレメックス、宇部マテリアルズ、森系には昭和電工、日本冶金工業、味の素などがあります。

第一勧銀グループは、古河三水会、渋沢、川崎睦会(神戸川崎)などで構成されたものです。グループ企業に、旭化成、電気化学工業、王子製紙、清水建設、日本通運、日本飛行機、東京ガス、東京製綱、日本重化学工業、神戸製鋼、いすゝ自動車、古河系には、古河機械金属、古河電気工業、フルチュウ、富士電機、横浜ゴム、日本軽金属、関東電化工業などがあります。神戸川崎系には、川崎重工業、川崎製鉄(JFEスチール)、川崎汽船などがあります。

興銀グループには、日本水産、マルハニチロ、日鉄鉱業、クラレ、日本曹達、ラサ工業、宇部興産、JNC(旧チッソ水俣)、日産化学工業、JX日鉱日石金属、太平洋セメント、新日本製鐵、大同特殊鋼、合同製鉄、日本冶金工業、リケン、DOWAホールディングス、日本軽金属、日立製作所、日立造船、日産自動車、富士重工業(旧中島飛行機)、日本通運、東京電力、東北電力、東京ガスなどがあります。

日窒系のJNC、ニッチツ、信越化学工業、旭化成、日曹系の日本曹達、中島系の富士重工業なども興銀グループに入っているわけです。

このように、みずほグループは、三菱、三井住友以外の財閥系企業によるコンツェルンです。

ここで鮎川(日産)系の日本鉱業についてみておけば、日本鉱業は多くの朝鮮人を鉱山に連行しています。茨城の日立鉱山が最も多く四〇〇〇人を超える朝鮮人が動員されました。

他にも北海道の大金、北隆、恵庭、大盛、豊羽、徳星、大江、青森の上北、岩手の花輪、赤石、六黒見、宮城の大谷、福島の高玉、新潟の三川、栃木の木戸ヶ沢、日光、茨城の諏訪、静岡の河津、峰之沢、石川の尾小屋、兵庫の旭日、竹野、鳥取の岩美、山口の河山、愛媛の伊予、徳島の高越、徳島の三好、三縄、東山、高知の白滝、富岡、大分の佐賀関精錬所、鹿児島の春日、王ノ山、荒川などの鉱山への連行が明らかになっています。ほかにも日坂(山形)・満沢(山形)、河守(京都)、新居(愛媛)などの鉱山でも朝鮮人が動員されています。日本鉱業傘下の鉱山は四〇カ所以上あり、連行者は一万五千人を超えるでしょう。

このような財閥系企業だけでなく、戦時の国家独占体であった日本製鉄(現新日鉄住金)、日本通運、国鉄(現JR各社)、日本発送電(現電力各社)などへも多くの朝鮮人が動員されました。国鉄の建設部は地下工場建設工事を請け負い、その下で多くの朝鮮人が動員されました。駅の荷役にも動員されています。日本通運へも動員されました。日本発送電も水力発電工事を各地でおこない、請け負った土建業者の下に多くの朝鮮人が連行されました。また、軍による飛行場建設や海軍工廠・陸軍造兵廠の現場にも多くの朝鮮人が動員されています。

このような連行による企業への利益は金融資本へと集まりました。金融資本には連行の歴史での富の蓄積があったわけですから、それを継承する三井住友、三菱東京UFJ、みずほなどにはその社会的・歴史的な責任があるわけです。金融関係の野村証券は野村財閥の下で形成されましたが、野村鉱業(現野村興産)は戦時下に朝鮮人や中国人を連行しています。また、ホテルオークラは大倉財閥の下で形成され、朝鮮での文化財の収奪にも関わっています。大倉土木(現大成建設)は発電工事やトンネル工事現場に多くの朝鮮人を連行しています。その歴史的な責任が問われるわけです。            

 

3 連行企業の現在 業種別

 

 つぎにこれらの企業を産業別に分類してみます。戦時期の業種と現在の業種が異なるものもありますが、ここで示すのは、大まかな分類です。

 

@    鉱業等

麻生セメント、石原産業、糸平興産、宇部興産、宇部三菱セメント、サワライズ、品川リフラクトリーズ、昭和KDE 、JFEミネラル、JX日鉱日石金属、春日鉱山、住石ホールディングス、住友金属鉱山、住友大阪セメント、常磐興産、太平洋興発、太平洋セメント、中外鉱業、土肥マリン観光、東邦亜鉛、DOWAホールディングス、ニッチツ、日産化学工業、日鉄鉱業、日本新金属、野村興産、野上、萩森興産、古河機械金属、北海道炭鉱汽船、三井金属鉱業、三井松島産業、三菱マテリアル、ラサ工業、吉澤石灰工業、矢橋工業、宇部マテリアルズ、帝国窯業、ヨータイ、黒崎播磨、九州耐火煉瓦。

 

A製造業・軍需工場等

鉄鋼・鉄工等 

愛知製鋼、大阪製鉄、岡部鉄工所、クボタ、栗本鉄工所、合同製鉄、神戸製鋼所、山陽特殊製鋼、昭和鉄工、JFE、JFEスチール、JFE条鋼、新日鉄住金、住友鋼管、セイタン、大同特殊鋼、東京製鉄、東洋鋼鈑、東洋鉄線工業、東京製鋼、中山製鋼所、日本カタン、日本鋳造、日新製鋼、日本軽金属、日本建鉄、日本高周波鋼業、日本製鋼所、フルチュウ、三井物産スチール、淀川製鋼所、矢野鉄工所、ケイミュー、神戸ドック工業、虹技、三機工業、トーカイ、ナイガイ、日本重化学工業。

造船・航空機・自動車等

IHI、川崎重工業、新笠戸ドック、名村造船所、新潟造船、函館どっく、日立造船、向島ドック、三井造船、新日本海重工業、住友重機械工業、ダイゾー、愛知時計電機、昭和飛行機工業、新明和工業、立飛企業、日立航空機、富士重工業、三菱重工業、いすゞ自動車、スズキ、日産自動車、マツダ、日本車輌製造、東急車両製造。

機械・機器等

石田、愛知機械工業、池貝、イビデン、オーエム製作所、王子製紙、片山鋲螺工業、京三製作所、国産電機、コベルコ建機、コマツ、コマツNTC、サクション瓦斯、昭和産業、ジェイ・ワイテックス、住友電気工業、セイサ、ダイキン工業、太平製作所、田淵電機、中央電気工業、中国塗料、東亜金属工業、東芝、東芝機械、トピー工業、ナブテスコ、日本化薬、日本製紙、日本無線、日本ヒューム、日本フェルト工業、日本碍子、日本乾溜工業、日本冶金工業、日工、ニチリン、阪神内燃機工業、日立製作所、富士電機、古河電気工業、不二越、パナソニック、ミクニ、三菱重工業、三菱伸銅、三菱電機、横浜ゴム、東海ゴム工業、住友ゴム工業、ミネベア、ヤンマー、吉年、リコーエレメックス、リーガル、和光堂、味の素。

化学等 

JNC(旧チッソ水俣)、旭化成、旭硝子、大阪瓦斯、関東電化工業、山文油化、昭和電工、信越化学工業、SECカーボン、ダイセル、大同化学工業、田岡化学工業、鶴見曹達、テイカ、電気化学工業、東海カーボン、日本カーボン、トクヤマ、日華油脂、日本カーバイト、日本曹達、日本電工、日本山村硝子、北越メタル、保土谷化学、三井化学、三菱化学、住友化学、燐化学工業、東京ガス、東邦ガス、広島ガス、昭和シェル石油。

その他 

片倉工業、グンゼ、ダイワボウホールディングス、富士紡ホールディングス、龍田紡績、帝国繊維、帝人、クラレ、クラシエホールディングス、東洋紡績、J-オイルミルズ、アサヒビール、協和発酵キリン、兼松日産農林、日本水産、マルハニチロ、マルハニチロ水産、三井農林、森永製菓、中国電力。

 

A    運輸・港湾等

日本通運、JR、北海道石炭荷役、秋田海陸運送、七尾海陸運送、直江津海陸運送、伏木港湾運送、敦賀海陸運輸、トナミホールディングス、飯野港運、飯野海運、江若交通、サンデン交通、姫路合同貨物自動車、川崎運送、リンコーコーポレーション、鈴與、山九、博多港運、備後通運、、富士貨物自動車、門司港運、清水運送、三菱商事、三井物産、三菱倉庫、日鉄運輸、日鉄物流、大阪機船、NSユナイテッド海運、川崎汽船、川崎近海汽船、関西汽船、日下部建設、栗林商船、三光汽船、商船三井、太洋日本汽船、玉井商船、第一中央汽船、東海汽船、栃木汽船、日本郵船、日之出郵船、松岡汽船、三井近海汽船、日本船主協会、明治海運、宮地サルベージ、ワンダーテーブル。

 

B    土建等

荒井建設、アイサワ工業、岩田地崎建設、梅林建設、奥村組、大林組、オリエンタル白石、鹿島建設、株木建設、神崎組、鴻池組、熊谷組、小池組、佐藤工業、相模組、佐野屋建設、菅原建設、銭高組、清水建設、大成建設、竹中工務店、丹野組、鉄建建設、戸田建設、飛島建設、西松建設、間組、平綿建設、フジタ、三井住友建設、松村組、馬淵建設、未来図建設、森本組、りんかい日産建設、アステック入江、東亜建設工業。

 

ここで示した企業名は、強制連行や未払いの供託金などが判明した企業です。韓国側では「戦犯企業」と呼んで、その歴史的な責任を果たすことを求めています。

 

4 強制労働と企業の歴史的責任

 

 このような強制連行・強制労働に関わった企業の歴史的責任についてまとめます。

戦後補償裁判がはじまるなかで、強制連行・企業裁判追及裁判全国ネットワークが結成されました。このネットワークは、日鉄裁判(釜石・大阪)、三菱裁判(名古屋、長崎、広島)、不二越、東京麻糸紡績沼津、関釜裁判、日本鋼管等の裁判などの相互支援をすすめ、強制連行企業に対する責任の追及、強制労働禁止の29号条約違反の認定を求めて国際労働機関への申し立てなどをおこなってきました。現在では「朝鮮人強制労働被害者補償のための財団設立法」を検討し、そのために日韓共同行動を2012年に設立しました。

韓国での過去清算の運動についてみれば、1980年代の民主化運動を経て、戦争被害者による市民運動が形成され、被害者自身の証言がなされるようになり、名簿公開・遺骨返還・未払い金支払いの要求も高まりました。そのなかで、太平洋戦争被害者補償推進協議会が設立され、韓国内での三菱・日鉄裁判がおこされました。また、韓国での韓日会談文書公開運動も起こされ、公開を実現しました。

そのような動きのなかで、2004年に日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会が設立されました。22万6千件の被害申告が出され、被害認定がなされるとともに調査報告書も出されました。2012年8月には戦犯企業リストの第3次提示(のべ299社、実数で276社分)がなされるに至りました。現在、支援のための財団づくりがすすめられています。

 またこのような被害者の運動を受けとめる形で、2012年5月24日には韓国大法院判決(三菱重工、新日鉄訴訟)で、信義・誠実と憲法の核心的価値をふまえて、被害者の個人請求権を認定し、時効・別会社論を否定するという判決が出されました。それは、被害者の訴えを認めるものであり、運動に新たな力を与えるのものでした。運動の蓄積が新たな状況をつくりだしたわけです。

グローバルスタンダードの時代のなかで、企業は強制労働への歴史的責任をとらざるを得ない立場にあります。

三菱は三井とともに被害者個人への賠償にむけて、基金を率先して設立する立場にあります。三菱関連での裁判では、史実を認知せず、賠償を時効とし、連行は国策であり、責任はないとしてきましたが、信義・誠実をふまえ、国際的に通用する姿勢をもつべきでしょう。21世紀に入っても、未返還遺骨の遺族が三菱鯰田や三菱美唄で発見されています。

三菱鉱業の継承企業の三菱マテリアルは多国籍企業となり、韓国・中国にも関連会社をもち、企業理念にグローバルスタンダード経営を掲げています。そこでは自らの事業活動を、時代をリードし時代のニーズにこたえるものとしています。6万人の朝鮮人強制連行の史実を認め、過去の強制労働の清算に関する事業をすすめることは、時代をリードしそのニーズにこたえることでしょう。

三菱自動車のリコール問題では、企業文化変革推進委員会で「風通しの良いオープンな企業文化の創造」が謳われました。三菱グループはその内に調査と賠償基金設立のための特別委員会を設立し、被害者の尊厳回復にむけて、国際的な動きに学びながら、オープンな活動を開始し、過去清算に向かう企業文化を形成すべきでしょう。 

日立鉱山についてみれば、日本鉱業の事業は日鉱金属(金属資源開発や加工部門)とジャパンエナジー(石油部門)に継承されています。日鉱金属は韓国で合弁企業を設立し、三井金属鉱業とパンパシフィックカッパーを設立しています。日鉱金属はジャパンエナジーと共同持株会社新日鉱ホールディングスを設立して、新日鉱グループを形成しましたが、国際連合が提唱する「グローバルコンパクト」に参加しています。

このグローバルコンパクトでは人権擁護・労働者の権利と差別の撤廃・環境予防・腐敗防止などを掲げていますが、このコンパクトの原則4には、あらゆる形態の強制労働の排除があります。過去の強制労働への賠償はアジアとの和解と友好、「心のふれあい」の前提として不可欠なものです。このコンパクトを支持し、周辺との対話や社会貢献を掲げる企業体であるのならば、過去の強制労働への賠償についても清算すべきでしょう。

ここで、ドイツのフォルクスワーゲン社の「記憶保存の企業文化」についてみてみましょう。

フォルクスワーゲン社の「記憶保存の企業文化」の内容は、外部の専門家に委託して軍需生産と強制労働を記録し、社史を編纂する、社の敷地内に強制労働の記念碑を建立する、社内に強制労働記念の地を設定する、強制労働に関する「記憶保存資料館」を建設して文書を管理し、継承する、強制労働者の所在地へと助成金を支出する、強制労働被害者の社への訪問などの人道的な支援をおこなう、カタログや強制労働関係資料を出版するなどの活動をおこなうというものです。

フォルクスワーゲン社は「記憶・責任・未来基金」設立にもイニシアティブを発揮しました。その基金の設立によって、ドイツ企業は強制労働が歴史的な人権侵害であることを認め、自らその歴史的責任を取るという道を選んだわけです。

 このような「記憶保存の企業文化」への取り組みは、三菱や三井・住友、みずほなどの企業集団も学ぶべきものであると思います。

 

おわりに 補償立法の実現のために

 

日本の強制連行企業はその歴史的責任をとる方向へと企業文化を形成すべきでしょう。そのためにはさまざまな取り組みが必要になると思います。

たとえば、当時の企業資料を調査し、公開する(連行者氏名、出身地、仕事内容、未払い金、厚生年金未給付など)。朝鮮人連行とその動員実態(経過や現場、朝鮮人が収容された場所など)を明らかにする。それらの関係資料を被害者認定、被害者支援用資料として韓国側に提供する。朝鮮人強制労働の史実を展示などで具体的に示し、関係文書を管理する。外部の専門家に依頼し、軍需生産と強制労働の歴史を記録し、社史に反映させる。社の敷地内に強制労働の記念碑・追悼碑を建立する。関係企業として被害者補償基金を設立するための補償立法の制定に努める。企業の社会的責任を自覚し、グロ−バルスタンダードの文化を形成する。過去・現在の強制労働の排除に努める。企業文化を変革し、アジアの友好・教育事業をすすめ、市民団体と対話する。

このような事がらが、過去の清算に向けてのグローバルな時代の企業文化として必要になると思います。このような企業文化の形成とともに、戦争被害者の尊厳の回復に向けての財団と基金の設立と、そのための立法が求められています。

 1965年の日韓協定は冷戦下の産物であり、多くの問題点を抱えるものでした。2015年は日韓条約から50年となります。植民地主義を清算し、戦争被害者の権利をきちんと認めるような新たな日韓の協定が結ばれるべきです。そのような政治的な合意の上で、被害者支援の財団に出資できるような基金が日本でも形成されるべきと考えます。

                     (竹内 ・2013年5月の報告に加筆)