2013夏、沖縄の旅
辺野古
辺野古の海は相変わらず静かで美しい。潮の干満によりテント前の浜にはいろいろな生物が姿を現す。名前が分からないのが残念である。この自然豊かな海を壊し米軍基地を作る事が、とんでもない愚策であることは、ここを訪れただれもが感じることだと思う。沖縄といえば、豊かな自然、美しい海を思いうかべる人が多いと思うが、本島で海岸線が自然のまま残っているのは2割程度しかないのである。この美しい自然を壊してはならない。
海が静かなように、辺野古の状況も静かであった。そして、夏休みということもあり若者が多くここを訪れているのが心強かった。辺野古の環境を卒業論文に選び、一生懸命学んでいる大学生もいた。
来年1月は
高江
高江は、夜10時、11時に業者が工事荷物を運び込むため24時間の監視体制に入っていた。昼・夜のおおよその分担はあるにせよ、この猛暑の中での24時間の監視は大変である。計画されている6箇所のヘリパッドのうち、1箇所(N4−1)は作られてしまったようである。しかしこの場所はすぐ横に傾斜45°〜60°の谷がある。しかも、盛られた土が赤土で粘性が非常に低い。降雨量によっては崖崩れ等が心配される。このヘリパッドの直径が45メートル、この隣にあり今回計画されているヘリパッド(N4−2)が直径75メートルのオスプレイ用である。しかしここも急な傾斜、赤土等隣のN4−1と同じ欠点を持っている。事業主体の沖縄防衛局が自主的に行った環境アセスのやり直しを求める意見が続出している。「オスプレイのヘリパッド利用を想定していないこと」「今年1月に建設現場で起きた土砂崩落の原因や再発防止策の記述が不十分なこと」等の意見があげられている。ここ高江にも琉大、沖大の学生が4人、福岡から1週間ほど泊まり込んでいる女性等支援する人が多く見られた。また、久しぶりにSさんの元気な顔を見ることができてうれしかった。
大山ゲート
二日酔いの頭で朝5時に起き、5時30分のバスに飛び乗った。浜松と異なり5時はまだ暗い。大山ゲート前の行動は朝6時〜8時である。朝、車で出勤する米兵に「Go,Home」、「Marine,Go Home」と叫ぶ。あなた達は歓迎されていないのだ、という意志表示をしている。「命どぅ宝・さらばんじぬ会」という65歳を過ぎた20〜30人が毎朝行っている。「さらばんじ」とは、「まだ衰えていない」、「元気な」という意味だそうである。手を振っていく日本人、米兵の中にも手を振っていく人がいた。オスプレイ再配備に抗議し、大山、野嵩、佐真下の3つのゲート前でそれぞれの人たちが、それぞれの方法で毎日行動している。3つのグループは連絡を取り合い、しばらくはこの体制を維持していくことを確認している。ただ、水曜日には海兵隊を歓迎する集会も大山ゲート前で行われているようである。
ハンスト
21日間、
今回の沖縄では、多くの人達に大きなエネルギーをもらって帰って来た。辺野古は実に3416日間である。思い起こせば2004年3月、その頃はまだ