2013夏、沖縄の旅

辺野古

辺野古の海は相変わらず静かで美しい。潮の干満によりテント前の浜にはいろいろな生物が姿を現す。名前が分からないのが残念である。この自然豊かな海を壊し米軍基地を作る事が、とんでもない愚策であることは、ここを訪れただれもが感じることだと思う。沖縄といえば、豊かな自然、美しい海を思いうかべる人が多いと思うが、本島で海岸線が自然のまま残っているのは2割程度しかないのである。この美しい自然を壊してはならない。

海が静かなように、辺野古の状況も静かであった。そして、夏休みということもあり若者が多くここを訪れているのが心強かった。辺野古の環境を卒業論文に選び、一生懸命学んでいる大学生もいた。

来年1月は名護市長選である。安倍政権になり、参院選の大勝を経ても、表面は今までとあまり変わらないが何か嫌なものを感じる。稲嶺現市長の信頼度は抜群であるのであるが選挙は水物である。基地反対派の糸数氏の参院選での名護市を含む選挙区の得票率は50%を少し越えた程度であった。この結果を見て、自民党は市長選は戦えると踏んだとの報道もされていた。未だ基地推進派の候補者は決まっていないようであるが、よほどの大物を担ぎ出すのではないか。この市長選でもしものことがあれば、今までと違う状況が訪れる。818日、基地推進派は「沖縄県民の会」を結成し300人が出席した。その中に基地県外移設を公約に先の衆院選で当選した自民党のうそつき西銘恒三郎もはいっている。署名集め、9月中旬に県内キャラバン、11月24日県民総決起大会開催等が今後の予定のようである。

        

 高江

 高江は、夜10時、11時に業者が工事荷物を運び込むため24時間の監視体制に入っていた。昼・夜のおおよその分担はあるにせよ、この猛暑の中での24時間の監視は大変である。計画されている6箇所のヘリパッドのうち、1箇所(N4−1)は作られてしまったようである。しかしこの場所はすぐ横に傾斜45°〜60°の谷がある。しかも、盛られた土が赤土で粘性が非常に低い。降雨量によっては崖崩れ等が心配される。このヘリパッドの直径が45メートル、この隣にあり今回計画されているヘリパッド(N4−2)が直径75メートルのオスプレイ用である。しかしここも急な傾斜、赤土等隣のN4−1と同じ欠点を持っている。事業主体の沖縄防衛局が自主的に行った環境アセスのやり直しを求める意見が続出している。「オスプレイのヘリパッド利用を想定していないこと」「今年1月に建設現場で起きた土砂崩落の原因や再発防止策の記述が不十分なこと」等の意見があげられている。ここ高江にも琉大、沖大の学生が4人、福岡から1週間ほど泊まり込んでいる女性等支援する人が多く見られた。また、久しぶりにSさんの元気な顔を見ることができてうれしかった。

 

大山ゲート

二日酔いの頭で朝5時に起き、5時30分のバスに飛び乗った。浜松と異なり5時はまだ暗い。大山ゲート前の行動は朝6時〜8時である。朝、車で出勤する米兵に「GoHome」、「MarineGo Home」と叫ぶ。あなた達は歓迎されていないのだ、という意志表示をしている。「命どぅ宝・さらばんじぬ会」という65歳を過ぎた2030人が毎朝行っている。「さらばんじ」とは、「まだ衰えていない」、「元気な」という意味だそうである。手を振っていく日本人、米兵の中にも手を振っていく人がいた。オスプレイ再配備に抗議し、大山、野嵩、佐真下の3つのゲート前でそれぞれの人たちが、それぞれの方法で毎日行動している。3つのグループは連絡を取り合い、しばらくはこの体制を維持していくことを確認している。ただ、水曜日には海兵隊を歓迎する集会も大山ゲート前で行われているようである。

 

ハンスト

21日間、宜野湾市役所前脇で4人がハンストを敢行した。Aさん(59歳)は仕事をしながら7日間、Kさん(70歳)は11日間、ARさん(70歳)は5日間、Eさん(79歳)は5日間の断食をした。また、多くの人が1食抜きの8時間行動で、リレー方式で参加した。彼らが市役所の敷地を借りたのは、「市民や一般の人達が多く集まり通る場所である」とともに、市役所正面の壁に「オスプレイ配備反対」「普天間基地早期返還」「地位協定抜本的見直し」の横断幕が掲げられており、その目的が彼らの行動と一致しているからだとしている。宜野湾市は彼らの提出した場所借用願いを不許可にし、連日「立ち退き警告文書」を持って来た(伊波市長であったらこんなことはなかったのに)。しかし、彼らは屈することなく自分たちの意志を貫き通した。賛同する100人が参加し、国会議員、県議、宜野湾市議、他市町村の首長や議員を含め500人が激励のためテントを訪れた。私は最終日昼頃、1時間ほど晩に行われる集会の手伝いをした。

 

今回の沖縄では、多くの人達に大きなエネルギーをもらって帰って来た。辺野古は実に3416日間である。思い起こせば20043月、その頃はまだ浦添市のアメリカ領事館前で集会がもたれていたと思う。代表者の一人が「4月の初めに辺野古で工事が始まりそうである。朝5時に漁港に集まって欲しい」と、いうような発言をしていたことが思い起こされる。その日が2004年、4月19日であり、それから9年が過ぎた。多くの人達が自分達の生活を犠牲にしながら、辺野古のために、自分たちの生活を守るために、そして、正義のために今日も戦い続けている。今回「ハンスト(沖縄レジスタンスの会)」、「大山ゲート」「高江」など、私達が本土にいるだけではなかなか分からない沖縄の厳しさを見学させてもらった。このような中でも、人には優しく、時には激しい議論もあるとは思うが、自分たちの主張を貫き、そして、私達に一番欠けている『行動』している人達をたくさん見た。本当に美しい人達だと思う。(池)