スピード違反     生駒孝子

 

 

ゴシゴシ、キュッキュッ、トラックの泥除けを洗う

蛙の手や足や、何だか分からないものが

パリパリに乾いて取れない

ブラシに力を込めると、ピッと私の手にそれが飛んで

「ヒッ」とへっぴり腰だったのが更に及び腰になる

 

坂道を下っていくと右上空から何かが降ってくる

フロントガラスに衝撃が走る

バチッ「イタッ」思わず声が出る

「アンタは何にも痛くないだろう?」

そのまま視界から消えた鳥は、きっと怒っているだろう

 

交差点の信号が青に変わっても対向車が動かない

「ン?」理由を探して視線を落とすと、

洗面器ほどもありそうな亀さまのお通りだ

「ああ、」対向車と苦笑いの相槌を打って待つ

 

夕暮れからは、ヘッドライトの前に飛蝗やら蛙やら

鼬やらが現れる

「いや、ごめん、間に合わん!」

 

私は今日、何を奪って一日を生きただろう

 

明日 私は何に奪われるのだろう



水無月の朝       生駒孝子

 

三日降り続いた雨上がりの早朝、天竜川の河口を結ぶ橋を

ほの明るい光を目指して渡る

大型トラックのシートからは川面が足元に広がるように映る

 

いつもは草原が帯状に連なる中州も、その姿を縫いとめてはいない

それは豊かな睫に縁取られた、いくつもの竜の目のようだ

その碧い目は、駆け上る朝陽に薄衣を剥がされて開いていく

 

その視線に耐え切れず目を上げれば、

前方に紅く染まった富士がただひとり浮かんでいる

硝子絵なのか、と思えばそうではない

竜の吐息が膨らませたびいどろの内に私がいるのだった

紅い飴色のびいどろは、富士とともに溶けていった

 

エンジン音も、散歩する人影も水鳥の羽音さえない

全てが始りかけた夏のひかりに洗われていくのを待っていた

 

私はその地球創生の静けさに息を呑むこともできず、

ただ己の存在の許しを願っていた

名を刻む      生駒孝子

 

「うわーやられたー」大袈裟に身悶えて息子の上へ倒れこむ

「パパ重いー生き返ってよ」今度は息子が小さく身悶えする

 

そう僕もガンマンごっこや戦争ゲームが大好きだった

だから武器の製造工場に就職が決まり、「憧れのモデルが本当に

作れる」ってワクワクした

 

息子に撃たれて僕はやっと気づいた

この銃から放つ弾で倒れる人は、こんな幼子の父親であるかもしれない

僕の作った武器で撃たれたら、いくら「生き返ってよ」と

せがまれても生き返ることはできない

 

だから僕は名前を刻む 黒く冷たく光る銃身に

この銃が君の大切なひとに与えた痛みと同じものを、

僕に与えてくれるように

 

僕は僕と家族の幸せを守るために

「国営企業の正社員」を辞められない

 

だから僕は名前を刻む

君がこの名前を頼りに海を渡り、僕に辿り着く

そのわずかな確率に許しを願って

 

             ( 武器輸出三原則の堅持を望む )