12・22東アジアの平和を考える浜松集会

2013年12月22日、浜松市内で、東アジアの平和を考える集会がもたれ、李泳采(イ・ヨンチェ)さんが「新たな日韓関係に向けて−韓国での過去清算の動きと日本の課題−」の題で講演した。

李さんは現在、恵泉女学園大学教員、著書に『韓流がつたえる現代韓国−「初恋」からノ・ムヒョンの死まで』、『「IRIS」でわかる朝鮮半島の危機』、監訳に『朴正煕 動員された近代化 韓国、開発動員体制の二重性』などがあり、近刊に共著『犠牲の死を問う』がある。

李さんは、韓国の民主化運動、過去清算、靖国問題などに触れながら、日韓関係の今後について講演した。最後はバンドとともに、韓国民衆歌を歌って思いをわかちあった。以下は講演の要約。

 

新たな日韓関係に向けて−韓国での過去清算の動きと日本の課題

 ● はじめに

 浜松のみなさん、こんにちは、李泳采(イ・ヨンチェ)です。大学では平和学を担当していますが、「ヨン様」とも呼ばれています。地域で市民講座もおこなっています。私は1971年に生まれ、全羅南道光州市出身です。日本に来たのは1998年で、韓国で公開された「ラブレター」をみて、北海道にホームステイしたのです。日韓パートナーシップ宣言で日韓の文化開放がすすみ始めた時です。その後大学院に入り、7年前に恵泉女学園大学で平和学を担当するようになりました。

 韓国での徴兵体験もあります。多くの人が、軍隊体験のなかで夢を失い、ものを考えず、命令に従う人間となります。自殺者も年100人と多いのです。軍事組織では女性を性商品化する考え方も出てきます。北では110万人、南は60万人の青年が徴兵されて対峙しているのが、南北分断の現状です。

 ● 日韓関係のあゆみ

 戦後の日韓関係には3つの転換期がありました。ひとつは1945年8月の日本の植民地からの独立であり、次は1965年の日韓の国交正常化です。第3が1998年の日韓パートナーシップ宣言による文化開放です。この文化開放は「韓流」ブームを呼びました。

現在では文化交流から「文化交差」の時代に入っているといえます。日本人は韓国のキムチを食べ、韓国人は日本のおにぎりを食べます。1日に約1万人の日韓の往来があり、年間で300万〜500万人が日韓を往来しています。NHKのハングル講座のテキストは20万部を超える売上です。このような交流の動きがあるものの、現在は歴史問題や領土問題での対立、ヘイトスピーチの問題などがあります。
  
 ●  韓国現代史の概略

韓国での民主化運動や過去清算の動きをみるにあたり、韓国現代史についての理解が必要です。

 キーワードは、「植民地、分断、反共、開発、民主化、格差、福祉」などです。1945年に植民地から独立し、48年に南北に国家ができ、50年に朝鮮戦争が起きました。民主主義を求める動きは60年の4・19学生革命となりますが、翌年朴正煕の軍事クーデターが起こされました。

朴政権は、植民地支配責任をあいまいにしたままの日本と国交を回復し、ベトナムに派兵(のべ30万人)しました。反共政治と経済開発をすすめた朴政権は18年続き、朴は79年に射殺されましたが、新たに軍部の全斗煥が実権を握りました。このなかで80年5月に光州事件が起きたわけです。

87年の民主化運動が起きて民主化が宣言されますが、軍出身の盧泰愚が政権を握り、92年になって金泳三の文民政権が生まれ、97年に金大中が大統領になりました。しかし、経済危機のなかでIMFの支配を受け入れることになりました。民主政権は2002年、盧武鉉へと継続され、このなかで、過去の清算が一層進みました。しかし、08年、李明博の保守政権となり、昨年、朴槿恵政権が成立したわけです。経済危機とIMF支配のなかで格差は拡大し、朴槿恵は「福祉」を前面に出して出てきたわけですが、その政策は実行できていません。

● 87年民主化運動

ここで、韓国の民主化の起点になった87年6月民主化運動についてみましょう。

1月ソウル大学の朴鐘哲さんが警察での水拷問で死亡します。警察は机をたたいたら死んだなどと言って事実を隠ぺいしましたが、この事件は政府の道徳性への致命的な打撃でした。4月、韓国では、政府の改憲論議禁止の動きに対抗して、護憲撤廃・独裁打倒の声が高まります。この運動のなかで6月9日、延世大学の李韓烈さんが催涙弾を受けて、亡くなりました。6月10日には、明洞聖堂での座り込みをはじめ、全国で100万人を超える人々が民主化闘争に参加しました。その力は、大統領の直接選挙、88年2月の政権の平和的移譲、金大中赦免・政治犯釈放、地方自治の保障などの民主化措置を実現させました

この87年の民主化運動では、(90年代に)30代、80年代に大学生、60年代生まれの人々が前面に出ましたから、韓国ではかれらを「386世代」と呼んでいます。以後、労働運動も盛んになり、ナショナルセンター「民主労総」が結成されました。89年には教員の労働組合である全教組、農民や女性の団体など市民団体の結成がすすみます。自由な言論を求めてKBSやMBCでのストライキも起きました。環境保護や米軍基地撤去、障害者、性的少数者、移住労働者などの権利擁護などさまざまな民衆運動も形成され、社会のタブーに挑戦する動きが強まります。

民主化を経験した世代が社会をリードし、南北統一、国家暴力批判などに言及し、これまでの清算されなかった問題の解明をすすめました。民主化が歴史の見直しにつながったのです。「過去と向き合って未来を語る」という動きがすすみ、過去清算が民衆運動としてすすめられたのです。

このような動きは朝鮮戦争を被害の立場ではなく加害の視点で描いた「ブラザーフッド」や朴政権による秘密部隊の真相を描いた「シルミド」といった映画になります。

 ●光州事件と過去の清算

わたしは光州出身ですが、事件当時は小学校3年生で、事件の内容は大学生になって知りました。当時は抹殺された記憶であり、光州事件の写真展をすれば逮捕されたのです。言論統制と反共イデオロギーの下での記憶の抹殺があったのです。事件当時、日本では雑誌で特集が組まれています。たとえば1980年5月号の「AMPO」誌では1冊を使っています。日本に留学後、その雑誌を見て、現地取材によって韓国の民主化を伝える活動がおこなわれていたことを知り、涙が出ました。

光州事件を理解しないと韓国での過去清算の動きが理解できないと思います。光州で最後に決死隊が道庁に立てこもり、命を奪われました。道庁に響いた最後の30分の銃声が人生で最も長い時間だったと語る人もいます。事件で生き残った人々は「真相糾明・責任者処罰」を胸に刻み、生きてきました。この事件は、金大中、盧武鉉、呉連鎬、金鐘鶴をはじめ、多くの人々に影響を与えました。盧武鉉は判事を止めて弁護士になりましたし、呉連鎬はネットニュースのオーマイニュース(www.ohmynews.com)をつくりました。金鐘鶴はドラマ「砂時計」に光州事件の映像を組み込み、全国に流しました。87年民主化運動により、真相糾明・責任者処罰の想いは、社会を動かす力を持つようになりました。

1988年には国会聴聞会が開かれ、光州事態は「光州民主化運動」として認定されました。95年には特別法が制定され、全斗煥と盧泰愚の前大統領二人が拘束されました。記念日指定や墓地整備、記念財団の設立がすすみました。そして、金大中、盧武鉉政権で、4・3済州島事件、軍事独裁時代の疑問死事件、朝鮮戦争時の民間人虐殺事件、日帝時代の強制動員被害真相糾明、親日派問題などの、過去の問題の真相糾明・真実和解の動きが加速されたわけです。2010年にはいわゆる「親日派辞典」が刊行されました。

しかし、親日派追及の問題は、韓国の支配者が親日の本質を隠して社会をリードしてきたという影の人生を示すものですから、保守派の抵抗を生みました。その圧力は盧武鉉が大統領退陣後に自殺を強いられるという状況をもたらしました。それは韓国社会で、植民地問題が未解決であることを示すものです。親日派辞典は完成後、盧武鉉の墓に添えられたのです。

国家暴力の真相究明の動きは国内での人権の取り組みにつながり、軍隊や情報機関による疑問死の究明をはじめ、国家人権委員会の設置、女性部の設置、死刑の未執行、永住外国人の参政権認定など一連の取り組みに及んでいます。また対外的にはベトナム戦争への謝罪、在日同胞スパイ事件の再審などもおこなわれました。

靖国問題

靖国をめぐっては2つの問題があります。ひとつは首相の参拝です。小泉政権で参拝が繰り返されましたが、イラク派兵の時期であり、死者をヤスクニへ入れることが想定されていました。しかし、大阪訴訟をはじめ違憲判決が出ました。A級戦犯の合祀も問題ですが、朝鮮人や台湾人の合祀がもう一つの問題です。日本によって戦争動員された朝鮮人2万3千人、台湾人2万7千人が合祀されているのです。

高橋哲哉さんが指摘するように靖国神社は宗教の顔をした戦争遂行装置であり、慰霊ではなく顕彰のための施設です。合祀取消訴訟では敗訴していますが、その判決はヤスクニの自由を認め、相手国の宗教の自由を認めないという不当なものです。ヤスクニに死者を奪われ、祀られるという現状を変えることは、死者とどう向き合うのかを問う意味でも大切な課題です。

●おわりに

最後に日韓関係の課題についてふれます。1965年の体制は経済協力方式、98年はパートナーシップ、2015年はどのような協力が必要かを考えるべきでしょう。慰安婦問題もその方向で解決すべきです。朴槿恵政権は歴史問題を追及すれば、父の過去事が出されることになりますから、親日派問題に及び腰です。日本ではヘイトスピーチの問題のように、歴史を無視した言動が見られます。改憲問題についていえば、第9条があるから東アジアの平和があります。韓国にとっても9条は大切な条項です。

1965年の日韓の国交正常化から2015年で50年になりますが、平和と友好のために、新たな枠組みが求められています。