2014〜2015 ネパール紀行
昨年12月末から1月初めまで6年ぶりにネパール(ネパール連邦民主共和国)に行ってきた。この6年を含めての10年間にネパールでは大きな変化があったようだ。政治・経済・社会・・・そしてその変化は現在も進行中である。いくつか特徴的な例を報告したい。
ネパール現代史
2008年、ネパールでは王政が廃止され連邦共和制に移行。暫定憲法下の制憲議会で新憲法制定をめざしてきたが、現在に至るまで新憲法は作られていない。この間、武装闘争を放棄し政権を担ったネパール共産党毛沢東主義派(UCPN)も2013年の議会選挙では国民の支持を失い野党に。ネパール会議派(NC)が第一党となり統一共産党(UML)と連立を組み組閣。NCはコイララ首相の下で新憲法草案策定の期限(2015.1.22)に向けて草案を議会に提出したがUCPNら野党が反発。ストライキにまで発展して混乱が広がっている。国民の間ではこのような不安定な政治に対する不満が多い。(参考:日本外務省「ネパール基礎データ」、「the Kathmandu Post」等)
ネパール社会
「2015.1.3(ヴィクラム暦2071.9.19)付けの日刊英字新聞 ‘the Kathmandu Post’ は今のネパールを伝える2つの特集記事を掲載した。
その1:二重の疎外。「サウジアラビアに家政婦として働きに出ていたネパール人女性が雇い主の男性に繰り返しレイプされ、その結果妊娠。そのことを雇い主に告げると、彼は彼女を警察に送り彼女は投獄される。理由は彼女のような出稼ぎ労働者は子供を出産することはサウジでは違法だから、という。雇い主は何の罪にも問われず、彼女は19カ月投獄され獄中で女の子を出産。ネパール大使館が動き彼女は帰国することになる。しかし彼女は自分の家には帰れない。というのは彼女には夫と4人の子供がいて、この家族が自分を受け入れてはくれないだろうと思うからだ。結局彼女は「家庭内暴力犠牲女性のためのシェルター」に臨時で保護されることになった。実際彼女と同様な性的被害を受けて帰国した女性が、自分の故郷に帰っても周囲からの批判的な圧力に耐え切れずに村を逃げて出てゆく、という例が報告されている。このような被害を受けた帰国者を支援する団体
‘Pourakhi Nepal’ は2011年からすでに15人の同様な女性の面倒をみてきたという。出稼ぎ先で性的暴力を受け、さらに帰国後も社会に復帰できない女性。この事態に政府も取り組みを始めると決めたらしいが、「(彼女たちを社会に復帰させる)特別なプログラムを持っていない」というのが現状のようだ。」
私もトリブヴァン国際空港で中東や東南アジアに向けて多くのネパール人が集団で飛行機に乗り込む姿をよく見かけた。そのほとんどは男性だったが、彼らとて出稼ぎ先で不当な扱いを受け傷つかないとは言い切れない(日本でも冤罪に巻き込まれたネパール人男性の事件は記憶に新しい)。まして性的被害を受けても公に訴えられない女性は数多くいるだろう。私はネパールにいる間現地の人から「日本に働きに行きたい」とよく言われたが、いつもこう答えた、「日本はお金が稼げて魅力的に見えるかもしれないけど、危険な所。やめた方がいい」と。なお、現在ネパールでは女性の地位向上のために活動しているいくつかのNGOがあり、そのうちの一つ、ポカラにあるWSDP(Women’s Skill Development Project)を訪れた。これは1975年に設立された女性の自立を支援するフェアトレード団体で、日本のJICAのメンバーもボランテイアでかかわってきたようである。経済的に苦しい家庭出身、障がい者、家庭内暴力の被害者などの女性が経済的に自立できるように、染色・織物等の技術指導を行い、高品質の製品を海外に輸出している(同所発行ガイドブックより)。ここにいる女性たちの穏やかで生き生きした表情が印象的だった。
その2:インターネットショッピングの波に乗る。「ネパールでネットショッピングが始まったのは10年以上前のこと。最初の取引はヤギをオンラインで売る、というものだった。それが今、世界規模でネットショップを展開する
‘kaymu com’ のような企業の参入もあり、急成長を遂げようとしている。その現状と課題。ネパール・ネットショップのトップ
‘Hamrobazaar’は一カ月に315,000件を扱い、その対象は自動車・電機・不動産・旅行サービスと多岐に渡る。使い勝手がよいのと無料が客に受けているためだ。’Sasto Deal’ は商品の売り手(企業、個人)にプラットフォームを提供し、買い手にはさまざまな値引きをして、売買双方から支持を得て売り上げを伸ばしている。品物を売るのに従来は何カ月も何年もかかっていたのが今ではボタンクリック1回で済む手軽さが受けている。買い手は以前はカトマンズの若者中心だったが今や他の年齢層や地方に浸透してきている。この4年間で売り上げを伸ばしてきた’Harilo’は’Amazon’や’Ebay’のような米国のウエブサイトとリンクして、その商品をネパールの顧客の家まで配送するサービスを行っている。クレジットカードをほとんど持たないネパールの人々にとってルピーで米国の商品を買えるのが魅力だ。このように人々の熱狂に支えられて急成長を遂げつつあるネットショップだがいくつか課題も抱えている。政府による不必要な規制(デジタル商品販売の禁止、携帯電話の売買の制限など)の撤廃を求める声がある一方で、より安価で信頼されるオンラインサービスにするには政府による規制とインターネットのインフラの拡充が欠かせない、との声もある。いずれにせよネットショップという新しい市場はまだ始まったばかりだ。」
一人当たりのGDPが約$700という「後発開発途上国」ネパールは、英・米・日・印などの海外からの援助により交通・通信・情報関係のインフラ整備を急速に進めているようだ。これらの国々に加えて近年中国の影響力が急速に増し、インドに次ぐ輸入相手国になっている(日本外務省)。更に中国からネパールの国境の町へ鉄道を敷くという話も出ているようだ。相手が誰であれ地政学的に微妙なバランス感覚で関係を築いていかなければならないこのヒマラヤの小国は、外からのマネー(援助、輸入、「出稼ぎ」など)を梃に自分自身の変化に戸惑う間もなく「発展」というレールの上をひた走り始めている。以前はロバや人間が重い荷物を運んだ山奥にもジープ道路が通じ、4000mを超すヒマラヤの麓にも携帯電話が使える立派なロッジが建ち、トレッキングの山道を現地ガイドが携帯電話で話しながら歩く。首都カトマンズではバイクや乗用車の波の間を通行人が命からがら道路を渡り、大資本によるスーパーマーケットが近隣の小店舗を飲み込む。民衆の関心事は目の前の生活であり、経済的発展だ。政争を繰り返す中央政治に向ける目は冷ややかだ。6年前に訪れた時に「これからのネパールはどうあるべきか」「民主主義はどうあるべきか」と熱く語っていた若者たちは今どうしているのだろうか。(井)