明治産業革命遺産の世界遺産登録の動きと戦時の強制労働について

                            

明治産業革命遺産の世界遺産登録に対し、韓国や中国から強制労働の現場であり、登録に反対する意見が示されています。以下、最近の動きのなかで感じたことをまとめてみます。

 

産業革命と戦争・植民地支配

日本の産業革命は日清・日ロの戦争、第1次世界戦争などの戦争により、すすめられました。産業革命による重工業化(石炭業、鉄鋼業、造船業)は、戦争による経済であり、朝鮮半島、遼東半島、台湾への侵略と占領、植民地支配をともなうものでした。

よく知られているように、八幡製鉄所は日清戦争後の清からの賠償金で建設されましたし、そこに中国から大量の鉄が運ばれてきました。そのような重工業の維持と拡大が、さらなる戦争につながっていったのです。アジアとの関係抜きに、日本の産業革命を語ることはできません。

今回の申請のように1850年代から1910年までの明治期で切り取ってしまっては、その後の歴史が見えなくなってしまうでしょう。

 

歴史認識に欠ける観光資源化

石炭採掘や製鉄・造船の現場では、数多くの労働者が生命を失っています。石炭や鉱石、生産物には多くの労働者の血と汗が結晶化しています。日本の近代化・産業化をみるにあたり、労働者民衆やアジアの視点は欠くことができないものです。その視点を持たずに、ナショナルな視点だけで、近代化や産業化を美化し、痛みのない物語をつくりあげてはならないでしょう。

そのような形で、観光化することは、歴史認識を深めるものにはなりません。そのような歴史意識に普遍性はありません。

登録申請が、文化庁ではなく政府主導ですすめられましたが、侵略と植民地支配への反省を示せない政府が、近代化のみを宣揚し、観光資源化しようとしているようにみられます。吉田松陰から伊藤博文までの物語でなく、三池で亡くなった無名の労働者や韓国や中国の民衆につながる視点で、産業遺跡を歴史遺産として保全し、継承していくべきでしょう。

この申請は政府主導によっておこなわれたわけですが、この明治産業革命遺産という申請の枠組みに歴史修正主義を感じます。明治産業革命遺産という形での登録申請の枠組みについては再検討すべきです。今回の遺跡群は、長州・薩摩の近代化遺跡に三井・三菱のものを加え、適度に他県の遺跡を加えて、産業革命を賛美するというものです。明治産業革命遺産と宣伝していますが、欠落しているものが多いと思います。

 

戦争と強制労働

強制労働の現場であるという批判意見について考えてみます。アジア太平洋戦争期には、不足する労働力を補うために、総力戦体制のなかで朝鮮人・中国人・連合軍俘虜の強制連行・強制労働がおこなわれました。

今回、明治産業遺産として登録がすすめられ、連行があった場所は、三井三池炭鉱、三菱高島炭鉱(高島坑、端島坑)、三菱長崎造船所、日本製鉄八幡製鉄所の4カ所です。また釜石の鉄鉱山と製鉄所にも連行がなされましたが、ここでは、九州の現場に関して記します。

 

3万人以上の朝鮮人強制連行

さまざまな史料から、朝鮮人は、三井三池炭鉱へは約9300人、三菱高島炭鉱(高島坑、端島坑)へは約4000人、三菱長崎造船所へは約6000人、日本製鉄八幡製鉄所へは3000人以上、八幡製鉄所運搬請負業共済組合にも3000人以上が連行されたということができます。

また、関連して、三池では三池染料、電気化学大牟田工場などに、三菱長崎造船では三菱長崎製鋼、三菱長崎兵器などの工場や地下工場建設現場への連行がありました。

関連現場を加えれば、この4か所への連行朝鮮人数は3万人を超えます。

朝鮮人死亡者は判明分で、三井三池で50人、三池染料で8人、電気化学大牟田で4人、三菱高島(端島)で約50人、三菱長崎造船で約70人の180人ほどです。八幡分、高島炭鉱の高島坑等の死者の多くが、いまも不明のままであり、長崎では被爆死も多数ありました。調査がすすめば、死亡者数は300人を超えるものになるでしょう。

 

中国人3100人、連合軍俘虜4000人の連行

中国人は、三井三池炭鉱に約2500人、三菱高島炭鉱(高島坑、端島坑)に約400人、八幡製鉄関連の八幡港湾に約200人の計3100人が連行されました。三井三池では500人ほどが亡くなり、3か所の死亡者数は550人ほどです。

連合軍俘虜は、三井三池炭鉱に約2000人、電気化学大牟田に約400人、三菱長崎造船に約500人、日鉄八幡製鉄に約1350人の計4000人を超える人々が連行され、死者は400人を超えました。

 

放置された朝鮮人未払い金

朝鮮人強制労働に関しては、多数の未払い金が放置され、動員された朝鮮人に手渡されることなく、今日に至っています。判明分ですが、三井三池製錬所で約6000円、三井三池染料で約8万円、電気化学工業大牟田で約8万円、日鉄八幡で約30万円、三菱長崎造船で約86万円、三菱高島炭鉱で約22万円です。

日鉄八幡については供託に関する資料が発見され、だれにどれくらいの未払い金があるのかが明らかになっています。三菱高島炭鉱についても1200人ほどの名簿が明らかになっています。

 

未解決の強制労働問題

ここでは、4カ所の現場についてみてきましたが、三菱鉱業や三井鉱山は全国各地で強制連行・強制労働をおこないました。三菱鉱業の全国各地の炭鉱・鉱山に連行された朝鮮人は6万人を超えるものです。三井鉱山関連にも同様の連行がされています。また、各地の三井鉱山関連の事業所に連行された中国人は9000人を超えます。

日本への朝鮮人連行者数は80万人近いものですし、連行中国人も4万人ほどになります。

1990年代に入り、韓国や中国の強制労働の被害者がその謝罪と賠償を求めてきました。三井と三菱はそのような強制労働をおこなった中心的な企業として訴えられたのです。現在の新日鉄住金ですが、日本製鉄も同様です。この強制労働問題に対して、日本政府は十分な真相調査をおこなうこともなく、賠償については解決済みといってきました。

いまも韓国では裁判が続き、その被告のひとつが三菱重工業です。

 

強制労働の歴史、追悼の活動を語り伝えること

今回、日本政府は、明治期だけを対象に、国際的に産業遺産として登録したいと提示したわけですが、1910年以後になされた戦争や植民地支配での強制労働についてはふれません。

明治期だけを取りあげて、近代化・産業化だけが宣伝されているわけです。そのような視点で、歴史をきちんと継承できるのでしょうか。産業革命と並行して侵略と植民地支配を受けた人々が、このような歴史の継承の動きに共感するでしょうか。

三池には受刑者の名もなき墓標があります。高島炭鉱にも労働者の無縁墓があります。死者名は不明のままです。このように、石炭と鉄鋼生産、造船の現場でたくさんの人々が亡くなりました。明治の産業遺産はこれらの人々の存在を、語り伝えるものです。

これらの明治期につくられた遺跡には戦時の強制労働がおこなわれたときに稼働していたものもあります。産業遺跡は、戦争と強制労働も見てきたのです。三池や高島の炭鉱、八幡や長崎造船の工場は強制労働を語り伝えるものなのです。朝鮮や中国の民衆が受けた痛みや悲しみの歴史をきちんと語り伝えるべきでしょう。

三池や長崎には連行された朝鮮人・中国人の追悼碑があります。そのような民衆による強制労働犠牲者への追悼の活動も、産業遺産を語るときには、語り伝えてほしく思います。

 

強制労働問題の解決を

他の世界遺産をみれば、リバプールは奴隷貿易を、ポトシ銀山は植民地化と奴隷労働を語り伝えることができる遺産です。それはイギリスやスペインにとっては加害の歴史ですが、それをきちんと語り伝えることが普遍的な歴史認識につながります。

戦後70年、今回の問題を契機に、政府、三菱、三井、新日鉄住金は、戦時の強制労働に対する解決にむけて、賠償基金の設立をおこなうこと、これらの産業遺跡に強制労働の史実を記して教訓とする旨を示すべきです。侵略と植民地支配の過去を清算するという姿勢が問われていると思います。

 

 

死亡者名については『戦時朝鮮人強制労働調査資料集 増補改訂版』

未払い金については『戦時朝鮮人強制労働調査資料集2』

三井・三菱財閥と連行については『調査・朝鮮人強制労働A』

三井三池、三菱高島については『調査・朝鮮人強制労働@』

三菱長崎造船については『調査・朝鮮人強制労働C』

に記していますので、ご覧いただければ幸甚です。
   
                (
竹内・2015529日)