「屈辱」を越えて
2015年4月5日の夕刻、私たちの乗った飛行機は那覇空港に降り立った。くしくもその日、菅官房長官が急遽、沖縄入りし、翁長知事と会談していた。知事から辺野古新基地建設阻止を毅然と表明され、緊急行動に関わらず集まった1500人もの人々の抗議の声の中で菅はコソコソと帰ることになった。翁長知事の「キャラウェイと同じ・・・」発言は翌日の辺野古現地行動の中でも共感をもって語られていた。
6日から3日間、辺野古のキャンプシュワブゲート前は早朝から国会議員をはじめ沖縄各市町村議会の議員団の行動が取り組まれ、6日は84名、7日も50名を超え、いつもより増して賑わっていた。
前回来た時と大きく変わっていたのはテントの位置と規模だ。今回は新設されたメインゲートの道路を挟んで反対側に青色シートのテント群が常設され一段と規模も大きくなっていたのが目についた。沖縄各地で辺野古行動のために「島ぐるみ会議」などがつくられ、ゲート前行動の参加者も確実に増えている。
さらに大きく変化したのが、行動の中身だ。工事関係者・防衛省・海保が基地に入ろうとすると阻止線を張り、座り込むのはもちろんだが、節目で開かれるテント前集会は歌あり、踊りあり、また歌ありで、さながら路上ライブ状態になっていた。
8日、私たちは高江に向った。N1ゲートで話を聞いた後、N4ゲートのテントで座った。ここのテントは夜に壊され備品が持ち去られたとのことで今は簡易テントになっていた。この時期はアカゲラの営巣期で7月までは表立った工事はないが、それでもコソコソとした動きはあるという話だ。N4の2つのヘリパットは完成しているものの、抗議行動のため米軍は自由に使うことができないでいる。勧められて「高江ヘリパット建設反対現地行動連絡会」に参加することになった。
辺野古新基地と高江ヘリパットは一体のものとして米軍は建設を進めようとしているという分析は正確なもので、今後、沖縄の人々に共有されていくと思う。私たちも辺野古だけでなく高江の行動にも連帯の運動を強めなくてはと思う。
菅の訪沖以降の政治日程は、4月17日の安倍首相と翁長知事との会談、安倍首相の訪米・首脳会談と「粛々と」進んだように見える。そして日米防衛協力指針調印が先行するあり方は国会さえ軽視する軍事優先の米日同盟が一層強化されたようにも見える。しかし、安倍首相が読み違えているのは沖縄の政治が昨年の知事選以降、決定的に変わったということだろう。中央の横暴が地方を踏みにじるという構図は、もはや沖縄には通用しない。すでに沖縄の人々にはそれだけの決意と力がある。
日米首脳会談の4月28日は、沖縄の人々にとって三度の「屈辱の日」となった。沖縄はその「屈辱」を越えて新たな世界を構築するだろう。問われているのは「本土」の私たちだ。
(門奈)