「原告に笑顔を」名古屋三菱朝鮮女子勤労挺身隊訴訟のつどい開催

 

 20151010日、名古屋三菱朝鮮女子勤労挺身隊訴訟の集会「原告に笑顔を」が名古屋市内でもたれ、150人が参加した。集会には、韓国から原告の梁錦徳、李東蓮、金性珠、金中坤さんらをはじめ、光州のハルモニと共にする会のメンバーら20人ほどが参加した。

 集会で原告の梁錦徳さんは、1944年に連行されて70年がたつ今、名古屋や光州の市民の応援により光州高等法院で勝訴したが、いまだに安倍政権からは謝罪がないとし、勝訴まで最後まで闘っていくと決意を述べた。また、現在93歳の金中坤さんは、自らの渡日の経過や徴兵体験を語りながら、妹が三菱名古屋に動員されて亡くなった経過を話し、最後まで頑張りたいと話した。

 集会では、原田義雄さんが品川での金曜行動を歌う「フライデーレポート」や「誇りを胸に」、「人間の歌」、「アチミスル」などを歌い、人間の誇りを胸に、まっすぐに生き、尊厳を回復していこうという思いを表現した。

 また、韓国の共にする会の李国彦さんや弁護士の金正煕さんが運動課題や訴訟での課題をあげ、日本側からも課題が示された。

 集会では最後に、三菱、日鉄、不二越の支援団体や日韓共同行動など7団体による三菱重工への共同申し入れ書が示された。その申し入れ書では、三菱重工業に対し、名古屋三菱の原告の請求を認めて速やかに賠償すること、三菱の軍需工場に連行され過酷な労務を強いられた全ての被害者を補償するための包括的な解決にむけて日韓両政府と協議することなどを求めている。

 三菱名古屋の経過をみれば、1988年の東南海地震犠牲者追悼記念碑の設置と韓国の被害者との交流、1999年の名古屋地裁への提訴、2007年の名古屋高裁での敗訴と品川での金曜行動の開始、2010年からの三菱との協議とその決裂、2012年の韓国大法院の日鉄と三菱広島裁判での差し戻し決定と翌年の再審勝訴、その流れを受けての2012年の三菱名古屋原告による光州地方法院での提訴と翌年の地方法院での勝訴、20156月の光州高等法院での勝訴とつづく。

このように20年を超える事実確認と尊厳回復にむけての闘いは、いま、正念場を迎えている。ここから、戦後補償問題の解決にむけての扉を開いていくことが求められるのである。                                   (竹)