高島炭鉱・軍艦島の真実とは                

 

一般財団法人産業遺産国民会議は、政府官邸とともに「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産への登録をすすめてきた団体である。産業遺産国民会議は、201710月、「世界遺産・軍艦島は地獄島ではありません」と訴える映像を産業遺産国民会議のウェブサイト(真実の歴史を追求する端島島民の会の応援ページ)に掲載した。映像は「誰が誤解を広めたのか」「誰が軍艦島の犠牲者なのか」「誰が歴史を捏造しているのか」の3本であり、それぞれ350分である。

この映像は産業遺産国民会議の協力のもとに真実の歴史を追求する端島島民の会が作成したとされているが、内閣官房参与でもある加藤康子産業遺産国民会議理事が関与し、作成したものである。日本語、韓国語、英語版がある産業遺産国民会議は「軍艦島の真実」というウェブサイトも運営している。

 以下はこの映像を見ての感想である。

 

●「軍艦島は私たちの故郷です。地獄島ではありません」

「誰が誤解を広めたのか」は、日本人と朝鮮人は一緒に働いた、景気がよく家族連れで来ていた、みんな友達で差別したことはない、朝鮮人が朝鮮人専用の遊廓をもっていたなどの元端島島民の発言で構成されている。これらの発言は、朝鮮人が強制的に連行され、過酷な労働を強いられ、虐殺されたという主張への反論とされ、「軍艦島は私たちの故郷です。地獄島ではありません」と結ばれている。

「誰が軍艦島の犠牲者なのか」では、19353月のガス爆発事故27人の死者のうち、日本人が18人、朝鮮人が9人であり、幹部も2次災害で死亡したこと、19447月のガス突出事故での死者5人のすべてが日本人であったことなどが示される。中国人を助け、朝鮮人と助けあい働いたという坑夫の記事(雑誌「炭の光」)を示し、端島には人情があり、人間味のある扱いであったとする。朝鮮人の引き揚げの時には「さようなら」と別れたとし、何十年と端島に住みました、虐待した事はありません。どうぞ皆さん、仲よくしましょうという女性の発言も挿入されている。

「誰が歴史を捏造しているのか」では、冒頭で、戦時中に強制連行され、ひどい虐待を受け、人権を蹂躙されたと主張する人々がいます。しかしその多くは事実とことなる証言や証拠によるものですとし、3枚の写真の誤用を例に、強制連行や虐待がねつ造であると指摘している。そして、「ねじ曲げられた歴史の宣伝に私たちが屈することはありません」とまとめている。

これらの映像でもって、端島では朝鮮人、中国人と仲良くしていた、朝鮮人を差別したことはない、アウシュビッツの強制労働とは違う、韓国は写真を誤用し、強制労働の歴史をねつ造している、故郷は地獄島ではないと示したいようである。

 

●端島の観光地化と郷愁による過去の合理化

映像には、高島炭鉱(高島・端島)での明治期の圧制や虐待の史料の提示がなく、戦時の高島炭鉱への労務動員数を示す史料や動員された人びとの証言がない。強制連行や強制労働があったことについては、何一つ認めていない。映像をリンクさせる形で紹介する産業遺産国民会議は、このような宣伝を韓国やユネスコ側がまともに受けとめると考えているようである。

しかしこの映像は、端島の世界遺産登録による観光地化と元端島島民の郷愁をもとに、自らに都合よい歴史の物語を示すものであり、過去を合理化するものとみなされるだろう。歴史を批判的に見るとともに、被害者の側に立って考えるという姿勢が欠如している、歴史から人権と平和に関する教訓をえるという姿勢にかけている、フルヒストリーを示す能力がないと判断されることにもなるだろう。

このように「地獄島ではない」と示す映像を公開したわけであるが、その映像は、日本政府が20157月の世界遺産委員会で「その意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいた」(外務省訳)とする表現に反するものになった。

 

●明示されてこなかった強制労働の歴史

問題は、地獄島であったか否かではない。韓国側に、明治日本の産業革命遺産での強制労働の指摘において、動員数や死者数での誤記、写真の誤用があるものもあるが、日本政府の策定した労務動員計画により、高島炭鉱へと4000人近い朝鮮人の強制動員(強制連行・強制労働)があったことは史実である。地獄島であったか否かの議論を持ち出して、強制動員を否定してはならない。

動員された人びとの証言が複数ある。かれらが海底深部で炭鉱労働を強制されたとし、島であり、逃れることができない監獄のような場所だったと語っているのである。動員被害者の証言は重要である。それを採用することなく、映像で「虐待した事はありません。どうぞ皆さん、仲よくしましょう」と元島民の女性の発言を示しても、被害者は納得できないし、公正な視点からも評価されない。

歴史は事実と向き合うとともに批判的にみることが大切である。戦時には「内鮮一体」「鉱業報国」の名で労働が強制されていた。それらの言葉は、朝鮮の植民地支配、労資一体による戦争動員を示すものであるが、映像にはそのような現実を批判する視点がない。戦時、端島には朝鮮人、中国人が連行され、労働を強いられた。動員された人々にとっては、端島が「仲の良いコミュニティ」であったはずがない。動員された人びとへの労務担当による殴打はよくあることだった。採炭現場での労働者の共同性をもって動員の強制性をうち消してはならない。

端島は三菱の所有物であった。戦時下、三菱は端島に3軒の料理店(遊廓)を置くことを認め、坑夫の管理に利用した。朝鮮人女性も酌婦とされ、動員された。なかには自死した女性もいた。言いかえれば、そこは労務慰安所であり、そこに動員された女性は性の奴隷であった。遊廓の経営者の一人は県会議員であり、戦争末期に高浜村の村長になった。性の奴隷とされた女性にとって端島は地獄のようなものである。そのような女性の視点から端島の歴史をみることも大切である。

●「苦難の歴史」・「負の遺産」と真摯に向き合うこと

1988年、三菱は高島に慰霊碑を建てたが、そこには「この間、中国並びに朝鮮半島から来られた人々を含む多数の働く者及びその家族が、民族・国籍を超えて心を一つにして炭砿の灯を守り、苦楽を共にした日々を偲ぶ」と刻まれていた。このように三菱は戦時の強制労働を認知することをせず、過去を合理化していたが、その姿勢はこの映像のように今も続いている。

日本政府と三菱は強制労働の歴史を明らかにしてはこなかった。連行被害者がその被害を訴え、日本の市民がそれに応えて活動したことから、その実態が明らかになってきたのである。日本政府と三菱が、植民地支配とその下での強制労働を反省せず、その実態を明らかにしてこなかったことが、このような映像の宣伝をもたらしている。

「その意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた」ことの説明を反古にして、端島の観光地化と賛美を続けることは、ユネスコの世界遺産の精神に違反する。もともと端島には明治期の構築物は少なく、遺産の対象は明治期の竪坑跡と護岸などである。島の保全費用も莫大である。このような映像宣伝を契機に、世界遺産としての見直しの意見もだされることになるだろう。

長崎市が編纂した『新長崎市史3近代編』(2014年)では、高島炭鉱が日本近代史での「苦難の歴史」・「負の遺産」を示す社会教育の場であると指摘している。明治以来、甘い言葉で炭鉱に連れてきて、暴力で働かせ、多くの死者が出たこと、戦争中は朝鮮半島、中国からも連れてきて同じことをしたと記され、朝鮮人動員数、連行された朝鮮人、中国人の証言についても紹介している。このような歴史認識を示してほしいものである。

ウェブサイトには「事実と真摯に向き合うことが、真実の追求への第1歩なのです」、「ねじ曲げられた歴史の宣伝に私たちが屈することはありません」とある。その言葉は強制労働の事実に向きうことなく、その否定の宣伝をくりかえす人びとに向けられるべきものである。

      2017年10月記、12月加筆                    (竹内)