南京大虐殺80周年の集い・静岡

 

2017年12月12日、静岡市内で南京大虐殺80周年の集いがもたれ、140人が参加した。集会では南京大虐殺での幸存者李秀英さんの娘・陸玲さん、南京大虐殺事件の研究者で南京医科大学社会学部の孟国祥さんが話した。

 陸玲さんの母、李秀英さんは南京の国際安全区に避難していた。そこで1937年12月19日に日本兵に襲われ、抵抗した。そのため顔面や腹部など、全身に47か所の傷を受け、流産した。マギー牧師の映像には病院に運ばれたときの李さんの姿が映っていた。李さんは2004年12月に亡くなったが、陸さんは娘として、母の体験を語り継いでいる。

陸さんは、いまも事実を認めない人びとがいるが、南京で虐殺された人びとの歴史を忘れることなく、人類平和のために奮闘しましょうと呼びかけた。

 
     陸玲さん              孟国祥さん

孟国祥さんは「南京大虐殺に関する審判」と題し、戦犯法廷の設立、南京での戦犯裁判、極東国際軍事法廷での戦犯審理、軍事法廷での影響の順に話をすすめた。

194310月にはロンドンで戦争犯罪調査委員会の設立が決定され、ポツダム宣言には戦犯処罰が入っている。中国では194512月に戦犯処理委員会が設立され、「戦犯罪行調査名簿」が作成された。翌年2月には、戦争犯罪裁判条例が定められ、南京戦犯裁判軍事法廷が始まった(19494月終了)。

194511月、南京市で敵人罪行調査委員会が設立され、日本軍の南京での罪行を調査した。そこには行政や労働組合、弁護士会など14の機関・団体が参加した。その後、19466月に南京大虐殺事件敵人罪行調査委員会が設立され、各区に調査委員会がおかれ、証拠を集めた。委員会は南京大虐殺事件・敵人罪行種類調査票、南京大虐殺事件・証言可能な被害者氏名住所票、南京大虐殺事件・男女死傷者統計表などを作成した。また日本軍の暴行を示す数多くの写真を集めた。この調査委員会の仕事は南京市参議会に移され、東京と中国での軍事法廷に証拠として出された。

このような調査を基礎に、戦犯処理委員会は194612月に立件し、南京大虐殺の戦犯83人の名簿を公表した。このうち氏名・階級・部隊名などが確定できたのは59人だった。しかし、松井岩根はA級戦犯とされたため引き渡されず、皇族は起訴できず、中島今朝吾、柳川平助などは既に死亡し、引き渡されたのは谷寿夫、田中軍吉、向井敏明、野田毅などであり、戦犯名簿からみれば、少数だった。

谷寿夫の裁判では、谷の指揮した第6師団が占拠した中華門一帯での行動が問われた。中華門外の第11区役場で臨時調査法廷がもたれ、中華門外の兵器工場や普徳寺など5か所で虐殺の遺骨埋葬地の実地調査がおこなわれた。さらに、証人を呼んでの公開裁判がおこなわれた。

19473月、法廷は、谷の指揮官としての責任を認め、死刑判決を出した。また、南京大虐殺については、日本軍が南京で集団虐殺を28件起こし、19万人余を虐殺し、散発的な虐殺が858件あり、死体は慈善機構によって埋葬されたもので15万余となるとした。

田中軍吉(6師団)、向井敏明・野田毅(ともに第16師団)の裁判も別におこなわれ、死刑判決が出された。

極東国際軍事裁判(東京裁判)でも南京大虐殺が審理され、松井岩根に南京の市民、捕虜を殺害した責任があるとした。

判決の内容は、南京およびその周辺で虐殺された市民、捕虜の総数は20万人を超える。この数字には焼き払われた者、揚子江に投げ捨てられた者、日本軍に他の方法で処理された者を含まない。南京での放火は6週間にわたってなされ、全市の3分の一の建築物が破壊された。占領して1か月での強かん・輪かん事件数は2万以上発生した。日本政府は南京での犯罪について了解しているというものだった。東京裁判は、勝者が敗者を裁くというより、被害者が加害者を裁くという側面が大きい。

この軍事法廷は、戦後の国際秩序を構築し、戦後の日本の民主改革の基礎となり、多くの歴史記録を残した。しかし、アメリカの極東政策により、重要戦犯の戦争責任追及は弱められ、政府の要人に戻った者もいる。天皇の戦争責任は問われず、細菌戦、化学戦、慰安婦などの犯罪行為は審判されず、被害者への賠償はなく、財閥の責任も問われなかった。

前事を忘れず、後事の師とすることが大切だ。歴史を正視し、平和への努力が求められる。孟さんはこのように話した。

アジアでの加害について否定する表現を政治家が公然とおこない、それを拡散する市民もみられる。都合の良い出来事をつなぎ合わせ、過去を正当化するものが、大手を振っている。しかし、それは偽りである。日本は加害の歴史から学び続けることが求められる。その姿勢がアジアの平和を作っていくのである。その行為は「自虐」ではなく、過去との誠実な対話である。歴史は真実の追求によって表現されるのであり、「歴史戦」という言葉を振りかざして、加害の事実を隠蔽してはならない。