3・10 巌さん82歳の誕生日

 2018年3月10日、袴田巌さんが82歳を迎え、支援者とともに再審無罪を願い、誕生会をもった。秀子さん、85歳の誕生会も兼ねての会合である。
 2014年3月に釈放されて4年を迎えるが、この春には東京高裁の再審に関わる判断が出されるだろう。ときに顔を見せないこともある巌さんは、誕生会に出てきて、共に食事をとった。マスコミにも機嫌よく対応した。
 元裁判官の熊本典道さんからは花が送られてきた。熊本さんは合議の死刑判決を書いたが、2007年に無罪と考えていたことを告白した裁判官である。
 

 2018年入ってからの動きをみておけば、巌さんは浜松の外へと出ることが多くなった。
 1月 巌さんと秀子さん、病床の熊本さんと福岡で面会、弁護団が最終意見書を高裁に提出、日本ボクシング協会袴田巌支援委員会が高裁に再審開始を要請(最終ラウンド支援アピール)、
 2月、秀子さんやアムネスティが高裁へと要請、その後秀子さんは東京での誕生会に出席、2・24袴田巌さんの再審を開始せよ全国集会[東京]に巌さん、秀子さんともに参加、
 3月、京都弁護士会の集会にともに参加、続いて東京の高裁・高検への要請行動へ、袴田巌死刑囚救援議員連盟の緊急総会に秀子さん出席


 このように東京高裁の判断期日が近くなり、支援者・支援団体による多くの行動があったが、そこに、巌さんの姿がみられるようになった。

 巌さんの話は、自らが神であり、ばい菌が人間になっているので、そのばい菌と闘っている、その勝負という儀式で勝つ、そこでは真理が勝つ、それまで健康のため歩き続けるという文脈である。事件はないという言葉は、必ず無実をえるという結果にむけての合理化、自己暗示のようだ。最近は的確な言葉が短詩のように出てくる。論理的な展開はないが、理解可能な発言が多くなった。
 3月、東京の高検に行った際、ばい菌とみなして入ろうとしなかった。ばい菌と名を付けられた者が何であり、巌さんが自らを神と規定し、何と闘っているかは明らかだ。獄中50年近くの拘禁状態のなか、精神と肉体を生かし続けるためには、神となり、監獄内を歩き続けることが必要だった。巌さんは、自己の精神を神へと疎外し、釈放に向け肉体の生を維持するために、悩むことなき神の精神の支配下で、歩き続けてきた。
 いまも歩くことが日課である。再審無罪を現実のものとする、それが拘禁された身体の呪縛を解く。そのよき日にむけて、力を合わせよう。                 

 最後に、2・24全国集会での巌さんの発言をあげておこう。
 
私が袴田巌でございます。ついに全てに勝ったという問題がございます。

正しいから勝ったんだ。何か不正な事をやっていれば冤罪闘争は勝てないという事です。完全に正しければ必ず勝つというその結果として国民全体 警察、検察、裁判所が無罪で釈放したんだ。勝ったんだ。それ自体ね、国家に対して勝ったんだ。一般国民が強行して勝った事を認めているんだ。私の。これが冤罪闘争だったという現状の世界においては冤罪闘争はなくなったという

国家権力、警察、検察、裁判書が徹底的に調べているんだね。徹底的に調べて、否認できないんだ。監獄の中でね。やっていねえんだと否認できる者がいないんだね。私が支配しているからだ。そんな不正なことじゃいけねえつうんでね。うそなんか言ってたんじゃしょうがない。うそなんか認めんということ。うそでやってるなんて認めない世の中になったということだね。

それで今日を迎えているんだ。私が一転、悪を 全て善で闘いに勝った結果です。で、冤罪闘争はもうねえんだぞということだね。冤罪闘争なんてね、うそを言っているだけだ。今のね。徹底的に調べればわかるんだね。警察、検察、裁判所が。

そういう時代になってね。悪がない時代と言っておりますがね。悪がない時代で、うそを通さんという時代。警察、検察、裁判所がね。監獄で徹底的に調べるつぅんだ。否認なんかすればね。否認なんかしていれねえんだ。そういう時代なんだね。うそを言ってはいれねえという時代ですね。

これで世の中は平和だという 私は自信を持っていますがね。事件の問題。家族がね無罪を主張したってしょうがないんでね。本人でなきゃね。本人が認めていてだね、家族が否認したってこれは冤罪事件じゃないんだねこんなものね。そういうけじめをしっかりつける時代です。

警察、検察、裁判所が徹底的に調べてる。書類をね。書類を調べて、近所の人がどう言っているかということまで調べて、犯人はこれしかないと出るんだ。警察の調べでね、うそは通らなくなってきたのが現状です

                                            (竹)