20183 キューバの旅

 

201836日から14日までキューバに行った。飛行機は羽田から12時間でトロントまで、そこから3時間半でハバナについた。

 

1キューバの歴史

キューバは1492年のコロンブスの到達以後、スペインの植民地になった。先住民は侵略者によって、奴隷のように扱われた。砂金の掘り出しが盛んであり、先住民族は酷使され、病気等でほぼ全滅してしまった。アフリカから奴隷を連れてきた。スペインとアメリカの文化が混在するが、次第に「私はスペイン人ではなくキューバ人である」というアイデンティーが育ち、独立戦争が起こる。

10年間の闘いの後、1902年、キューバは一応、独立を果たす。しかし、できた政権はアメリカの傀儡政権であり、キューバの人びとは苦しめられた。195911日にキューバ革命が成就し、社会主義国となった。

アメリカ人にとってキューバは、アメリカのものであり、地理的、軍事的に非常に「都合の良い国」であった。革命後、アメリカの経済封鎖に遭い、キューバの経済は非常に苦しい状態にある。

2016年以降、オバマ政権で国交が回復し、大使館が開設され、アメリカ人の観光客が増え、アメリカ資本も入ってきた。しかし、トランプ大統領になり関係は冷え切っている。お互いの大使館員も数名にまで減ってしまった。キューバの経済は苦しい。

2キューバの社会

現地のガイドはつぎのように説明した。

アメリカを通して得る情報は偏向しており、キューバへ来て現状を知ってくれることが大変うれしい。私たちはここで平和に暮らしたいだけである。キューバは持っている物は少ないが、その少ない物を皆で分け合って生きている。貧しい国でも、教育と医療は無料だ。医療水準は先進国並である。キューバの医師が他の貧しい国へ行って助けている。ミラクルオペレーションと言われている。他の国ではお金がないと医者に行けないが、キューバでは行ける。

教育でも同じだ。保育園から小学校、中学校まで無料。中学までは義務である。その後、高校、専門学校、大学と道は分かれる。学校が終わった後、1年間ソーシャルワーカーとして働く義務がある。その後、自分の好きなところで働く。2013年以降、フリーランスの仕事が増え、職業選択の幅が広がった。

革命後、ソ連との関係が強くなったが、90年代、ソ連崩壊後、キューバの経済状態は変化し、フリーランスの仕事が増えた。色々な資本が入ってくることは歓迎している。エネルギー問題が一番の関心事である。7割を火力発電にたよっており、太陽光発電が少々ある。石油の多くは輸入している。

マスコミがほとんどなく、情報は少ない。グランマという共産党の機関誌他4紙があるが、国の決定事項はグランマで公表される。

高校を卒業して1年間、男性には兵役義務があり、女性に義務はない。目的は国防である。国のエリートが革命軍であったため、国と軍の繋がりは強い。

 

3キューバの労働・生活

キューバは18時間労働と法律で決められている。土曜日は隔週、日曜日は毎週休みである。休日は、家族同士で、友達同士でつきあう。劇場は日本よりも利用されている。サービス業の人は土、日曜日は休めないが、他の日に休むことが保証されている。

キューバの公社はすべて労働組合が経営している。毎月、会議でよいコンディションで働けるように議論する。労働組合で解決できないことを国会で討論する。労働組合を受け入れられない人は、キューバから出ていくしかない。

外国へ出稼ぎに行っている家族からの仕送りで生活している家庭は多い。税金はフリーランスの人が職種によって決められている額を払う。国営に勤めている人は、稼いだ分の95%が税金で、お小遣いを国からもらっているという感じになっている。公社でできないところをフリーランスが補う。カフェ、レストラン、レンタルハウス等がフリーランスの主な仕事で、フリーランスの出現で貧富の差が現れてきた。公営で働くよりもフリーランスの方が、収入が多い。農業人口が減っている。

国民の収入は平均すると現在も1960年代とあまり変わらない。現在はおおよそ3グループに分かれる。A(大卒)700~900、B(高卒)400~600、C(中卒)肉体労働、あまり仕事をしない。物価は毎年上がるが、給料は上がらないため、生活は苦しい。公務員の給料も良くない。個人レストランで働きたい人が多くなっている。観光業で働いたときのチップが大きい。事務ではチップはもらえない。

国民の95%が住居権をもっていて、自分の家に住んでいる。すべての国民が持ち家に住むように、政府は努力している。家は古く、傷んでいるところも多いが自分で修理している。

台風等の災害で壊れた家が街の所々にある。原材料が不足していてなかなか直せない。順序を決めてきれいにしていく。悪いところを修復してから新しい物を作ろうと考えているがなかなか進んでいない。海外投資を広げているがうまくいかない。経済封鎖を知ってもらいたい。トランプ政権で大変困難になっている。海外の国は原材料をキューバに輸出できない状態になっている。キューバと貿易をすればその国はアメリカと貿易できなくなる。

 

4福祉 デイケアセンター(プリマべーラ)

近所のお年寄りと保育所の子供たち、先生合わせて200人くらいの人が集まっていて、ミニコンサートが開かれた。現地の高校生グループの独唱、合唱はすばらしかった。我々も、「ふるさと」を全員で合唱し、その後、同行したきたがわてつ氏が3曲披露した。

キューバは人口の20%が高年齢の人口ピラミッドになっている。クォリティーを高めて平均寿命を延ばしている。平均寿命は男性76才、女性78才。家族が仕事の間お年寄りたちはここへ来て過ごす。催し物を企画し、カルチャーセンター、老人大学のような場所になっている。ここのメンバーが教師になることもある。折り紙の先生は86才の方で、バラの折り紙を我々にプレゼントしてくれた。

38日は国際婦人デーである。どこへ行っても「国際婦人デーおめでとう!」の声が聞かれた。ここのセンターは年齢で分けないで、色々な人達が交流できるように運営している。デイケアに入所する条件はない。一般的に現役をリタイアーした人達で希望する人が入り、入所を拒否することはない。現役を引退する年齢はおおよそ女性60才、男性65才である。

オプティカといわれる眼鏡屋が施設内にあった。眼科医がおり、簡単な病気のケアができる。眼鏡も特別な物でない限り無料で作ってくれる。物理療法の施設は簡単なスポーツジムのようなもので、磁石、電流、レーザーマッサージ等の機械がおかれていた。食堂は一人暮らしの老人にランチを提供している。朝は、コーヒー、牛乳が配られる。医者の指導でよく歩く。近所の人は皆歩いてここへ通ってくる。美しくいることはいいこと、美容師がここまで来て無料で髪を整えてくれる。土、日曜日は、施設は休みで、家で家族と暮らす。

キューバには、家族のいない独り者、たった一人で暮らす老人はほとんどいない。病気等で一人の人は医療関係が充実した老人ホームがあり、国がすべて面倒をみる。このセンターでも20人の人が暮らしていた。ここで生活するには条件がある。家族がなかったり、病気があったり等、環境に余り恵まれない人達である。看護師もおり、身の回りの世話もしてくれる。相部屋が基本で外出は自由。無料である。託児所もあり、歴史館事務所に勤める人の1才から5才までの子供を預かっている。5人の先生が25人の子供の世話をしていた。

5キューバ諸国民友好協会(ICUP)フェルナンド・ゴンザレス総裁の話

来てくださり、また、すばらしい歌をありがとうございました。詩の意味は理解できませんでしたが、声がメッセージを伝えてくれました。音楽は平和の言葉といえるのではないでしょうか?原水爆禁止大会の広島・長崎大会に参加しました。そこで義務を感じました。

1960年に開所しました。ここではピースボートをいつも受け入れています。総裁であることが誇りです。1960年から150ヵ国、2000団体と交流していいます。みなさんを通して草の根的に広がっていってほしい。みなさまの尽力でアメリカの経済封鎖をなくしてほしい。経済封鎖は私たちにとって大きなマイナスです。アメリカに関しては、経済封鎖とグアンタナモが二大問題です。

アメリカの現政権はオバマ大統領の時と全く違います。昔に戻るような政策になっています。大使館の人数が減っていますが、それにより、会話が減っています。家族の行き来も大変になってきています。ビザもコロンビア等に行って取ります。他のラテンアメリカにも良くないと考えています。これでは4,50年前と変わりません。

選挙権は16才、被選挙権は18才。町が組織されていて、そこから候補者が出てきます。お互いがよくわかっていてお金がかかりません。町会、市会、県会、国会と議会があり、同じ人が兼ねる場合も多々あります。国会については、605人が定数でその内の半数をコミッショナー会議が決め、残りの半分を下からの選挙で決めています。コミッショナー会議には労働組合、民青会議等が参加している。昨日がちょうど選挙の日でしたが、昨日の選挙では53%が、女性の当選者。自薦もあり、手を挙げる女性が多い。女性の方が信頼されやすいのではないかと思います。

経済活動している90%が国営企業。経済開放策によってフリーランスが増加し、経済活動が活発になっています。フリーランスの方が明らかに収入は高い。共に国を支えています。人口は、革命直後は600万人、現在は2倍の1200万人になっています。経済規模はその頃とあまり変わっていません。格差をなくすように国は努力しています。89年代の経済封鎖がなければ、このように苦しい状態にはならなかった。経済封鎖の中での外国からの援助は大変難しい。全部を国内で賄うことも難しい。そのようなことをできる会社がない。どの銀行が私たちを助けてくれるのか?外国資本のホテルは造れても、キューバ人用の集合住宅は造れない。

しかし、アメリカでは自宅は銀行の物で2回ローンが払えなければ家を出ていくしかない。30年ローンを払って自分の物になっても税金を払わなければならない。私たちが住んでいるのは、国の物、みんなの物であり、アメリカのようなことは起きない。私もがんばって、すべての人に家を持たせたいと思います。

 

6医療 ファミリードクター

男女一人ずつの医師が対応してくれた。男性のロバルト・ペドロス先生。村の診療所という感じであり、1014名の村人を中心に診ている。病気にならないようにするために指導している。もちろん診察もするが病人は他の施設に任せる。家族を中心に指導し、食事も大切な指導の一つであり、往診することが多くなる。西洋医学が主になるが、ハリ、薬草等漢方も取り入れている。薬草は手に入りやすく、副作用も少ないため良い結果をもたらしている。

ベスルーニ先生は小児科と婦人科の医師である。女性は子供を産むときは遠い人は近くに越してくる。子供は病院で産み、妊婦の健康を第一に考えている。必要なときは他の専門医とも連絡を取る。女性は産後1年間有給の休みがある。医師の証明書があるときは別の制度がある。また、希望者は無給になるが、1年間プラスすることができ、公社に籍を置くことができる。

キューバの医師はすべての医師が内科の免許を持っており、他に得意な分野の免許も持っている。少子化については多産ではないが、国の問題にはならない(平均出産率2.7人)。死因は@心臓系AがんB脳の循環系である。癌はやはり大変な病気である。癌にならないように指導し、検診を勧めている。たばこも最近は禁煙場所が多く見られるようになってきている。延命措置は経済的理由もありあまりとらない。

医師の給料は少なく長時間労働になりやすい。土、日曜日は交代で休んでいる。命を守っているということから医者になりたい人は多い。70ヵ国でキューバの医師が働いている。コンピューターも持っていないし、患者の経歴はすべて手書きである。一人の医師がおおよそ200ファミリーを診る大変な仕事であるが、人間として生まれて社会の役に立ちたいというヒューマニズムでやっている。医師と看護師は全く対等な関係である。

 

7教育 小・中一貫校

訪問した学校は、小学生166人、中学生89人の学校である。

小学校はおおよそ1クラス15人で先生が2人である。コンピューターを1年生から、英語を3年生から教えている。中学校は1クラス25人で3年生になると専門科目を教え、専門課程もあり数名が受講している。学校は8時から5時まで、10時と3時のおやつと昼食が全員に配られる。9月から始まり、年間10か月間学校で勉強する。暑いため、夏休みは長い。

90%の生徒がこの村から通い、少し遠い生徒も通学が可能である。自殺者やいじめはなく、精神的に健康という。障がいを持つ生徒も国の方針で健常者といっしょに勉強している。重度の障がいの子は特別な学校へ行く。受験戦争はなく、お互いが協力することを学ぶ。しつけは親と教師が話し合って教育していく。

           

8生物圏保存地域 ラス・テラサス

1985年、ラス・テラサスがユネスコの生物圏保存地域に登録された。全体で5000ヘクタール。1968年以降、この中で持続可能な生活ができるかのテストケースになっている。59年前、この地域は全く異なっていた。森林伐採と炭焼きで木が切られ、ほとんどはげ山だった。1960年、カストロがここを訪れあまりのひどさに驚き、植林し、森を元に戻した。1991年当時、130世帯、700人が生活していたが、現在は266世帯、1014人が生活している。

「社会・経済・エコロジー」の3本柱で運営している。「テラサス」は段々畑の棚という意味である。7千本の木を植え、経済に繋げている。炭焼きで生活していた人々は大変な生活をしていたが、国が集合住宅を造り無料で住むことができるようになり、暮らしやすくなった。

ソ連崩壊後の1994年、経済的に自立するために観光を立ち上げ、順調に発展してきている。収入の16%をこのテラサスのために使い村が潤っている。「持続可能」がキーワードである。

 

9有機農園ハノイ

有機農園ハノイでは、肥料作りの担当者であるアストレドさんが説明してくれた。

この農園は、ソ連崩壊の後、食糧不足になったため、1997年にでき、新鮮な肥料を作っている。10ヘクタールを超える農園で主にキャベツ、レタス、トマトを作っている。ここで作っている野菜はこの地区のコミュニティー用および観光用である。ハバナのホテルからも仕入れに来る。機械を使わないで牛を使う。機械は自然の土のためには良くない。水は農園のための井戸を使っている。植物の病気を防ぐため虫除けに臭いの強い植物を植えている。農園と小さな工場がある。

労働者は130人で、女性が39人、平均年齢は50才を超える。年金が少ないためリタイアーした人などが働きに来る。若者は農園であまり働かない。肥料は、腐葉土、牛糞、ミミズの糞から作られ、完全な有機農業である。牛糞はここから10km離れている牧場からもってくる。男女の労働は、畑は男性で、女性は事務所でパッケージ作りを主にしている。女性に優しい職場である。畑は力仕事が多く、男性の仕事である。

キューバでは農業は、ほとんどが牛などを使っての手作業である。したがって労働は厳しく、若者は敬遠している。政府は農業に力を入れてきているが、食料の自給率は低い。米はベトナムから輸入している。

 

おわりに

わずか一週間の滞在であったが、政府は人びとのために働き、人びとは社会のために働いていた。人びとは貧しいことにもあまり不満がないようだった。説明してくれた現地の人達は、自分の仕事に誇りを持ち、明るかった。人びとはフィデル・カストロを敬愛し、彼の政策を支持してきた。国と人民が信頼で結ばれているようだった。   (池)